第12話 十月 マルチ商法、神の教義と同性愛

 10月の日曜日、たまには丸一日の休日をということで、静江が予定を入れずにいてくれて、鮎美も鷹姫も朝から鬼々島にいた。

「久しぶりの休暇やけど……逆に淋しいわ……」

 お気に入りの青いワンピースを着て鷹姫の家を訪ねると、当然のように剣道の稽古をしていて邪魔するのも悪いと思い、引き返して陽湖の家の様子をうかがったけれど、外出中のようで気配は無かった。

「連絡船で市街地にでも遊びに行こかな……けど、うちの顔、だいぶ売れてきたし、けっこう声かけられるんよなぁ。アイドルちゃうのに」

 県知事選と市議選を経て、鮎美の顔は六角市内では知っている人が多くなり、声をかけられたりサインや記念撮影を求められるので、正直なところ出かけるのが億劫になりつつある。島でも全員が鮎美の顔を覚えているけれど、総人口が少ないのと、もともと議員予定者でなくても顔を覚えられていたし、もうサインや記念撮影は、だいたい済ませたので新規に求められることはなくなり、島の方が寛げた。自動販売機でミルクティーを買い、あてもなく港の方へ歩くと、玄次郎が釣りをしていた。

「父さん、ヒマそうやね」

「鮎美が、ゆっくりしているのは久しぶりだな。大丈夫か? いろいろと」

「うん、まあ、選挙が終わると放課後の勉強が多いだけで、それは他の受験生もいっしょやしね」

「そうか。無理するなよ」

「………無理かぁ……うちが議員になったら24歳までが一期やん。その後に二期目があったら30歳で、もしかしたら結婚せんうちに30歳過ぎるかもしれんやん」

「そうだな、その可能性もあるなぁ」

「うちは、なんで一人娘なん? もう一人くらい兄弟姉妹がおったら、うちが結婚せんでも芹沢家は続いたのに」

「そんなことを、まだ18なのに考え出しているのか………お前も大人になったなぁ」

 玄次郎が釣り針にエサをつけ直して、また釣り糸を垂れる。

「お前が一人娘なのは、父さんと母さんが無理をしなかったからだ。今は少し余裕があるけれど、若い頃は金銭的にもギリギリだった」

「そうなんや……苦労してたん? ……けど、ディスニーランドとか、UMJとか連れて行ってもらった記憶あるのに」

 しかも経費やったらしいけど、という一言は二人の間での永遠の秘密なので口にはしない。

「ああ、そうやって、ちょこちょこ遊びに行きつつ、それでいて飲み屋にも行ったりしたかったし、車も買ったし、こうやって田舎に移住する資金も貯めたかったし、そういう色々を考えると、子供は一人が限界だったんだ」

「……やっぱり道楽もんや……」

「ま、だから、鮎美もやりたいことを、やればいい。人生、一度きりだ。うちの芹沢家が滅びたところで、オレには兄さんもいて、あそこは三人兄弟を産んだし、なんか遠い親戚とかがテキトーに続けるだろ」

「……お気楽やなぁ……」

「たとえ芹沢家が滅びても、日本人が滅びるわけでも人類がいなくなるわけでもないさ」

「…………そっか、そうやね……おおきに、気が楽になったわ」

「あんまり先のことを考えると白髪が出てくるぞ」

「っ、このっ!」

 父親の背中に蹴りを入れてから歩き出すと、連絡船が定刻通りに港へ入ってきた。それに制服姿の陽湖が乗っていて、降りてきたのが意外で声をかける。

「あれ? 陽湖ちゃん、夕べも島にいたのに、なんで戻りの連絡船に乗ってるん?」

「日曜礼拝に行った帰りです」

「あ~……なるほどぉ……って、結局、土曜日以外は島から出るんやね。礼拝って学校でやってるん?」

「はい、学園の礼拝堂に六角市周辺の信徒のみなさんも集まって行います」

「そんな建物も学園内にあったなぁ……一回も、うちは入ってへんけど。ちなみに何人くらい集まるん?」

「300人くらいです」

「多いのか、少ないのか微妙な数やなぁ」

「琵琶湖姉妹学園は日本で唯一の幸福のエホパが建てた学校ですから、わざわざ引っ越ししてくる人も多くて教会区としての規模は大きい方です」

「ふ~ん……」

「一度、シスター鮎美も日曜礼拝に参加してみませんか?」

「気が向いたらね」

 もう陽湖からの勧誘に慣れてきた鮎美は軽く流して、また質問する。

「学校が唯一って、ほな、日本中の信徒が六角市に集まってくる感じなん?」

「いいえ、引っ越したいと願う方は多いのですが、それぞれに親の仕事など事情もありますから、大半の子は地元の公立校などに通っていますよ」

「ふ~ん……」

 鮎美が軽く流すと、陽湖は物足りなくて言っておく。

「けっこう大変なんです。私たちエホパの教えに従う者が、普通の学校へ通うのは」

「そうなんや? 何が大変なん?」

「節分や七夕など、その由来に宗教的な意味合いのある色々な行事への参加が禁忌となることもありますし、体育も種目によっては参加を控えます。一学期にあった剣道も一部の生徒は見学していたのを覚えていませんか?」

「そうなんや。普通に、女の子の日かと思って、いちいち気にせんかったけど。けど、せっかく唯一の学校なんやったら、やらんかったらええやん。剣道。鷹姫は残念がるかもしれんけど、そもそも強いヤツおらんし」

「法律と学習指導要領で学校に武道を強要したのは、人間の政府です」

 陽湖が不満そうな顔をしたので、少し気の毒になる。

「そ…そやね……日本政府やね。立ち話も何やし、うちの家に来る? お茶くらい出すで」

「はい、ありがとうございます」

 不満そうだった顔が嬉しがって微笑んでくれると、鮎美は誘って良かったと感じる。港と家は、ほとんど離れていないので、すぐに鮎美の家に着いた。鮎美がポストを覗いて、うんざりする。

「うわ……また、いっぱい送ってきおって」

 ポストの中には化粧品の試供品や健康食品のサンプルや健康器具の案内、画期的な治療器具と称する変な機械類のパンフレットやダイエット関連のサンプルや案内、その他いろいろな通販やリゾート会員などの勧誘、はては高級老人ホームの冊子までが入っていて、すべて両親ではなく鮎美宛だった。

「すごい量………」

 陽湖が驚いている。鮎美は手早く要不要を見分けて、ほぼ不要だったのでゴミ箱へ移していく。ポストも一家で一つでは足りないので両親とは別に大きな物を一つ設置したし、だいたいがゴミになるのでゴミ箱も近くに置いている。うっかり陽湖が入れてくれた日曜礼拝の案内まで本人の前で捨ててしまったので、謝りつつ拾う。

「ごめんな、つい勢いで」

「いえ、それは今朝の礼拝の案内ですから、もう不要ですよ。また来週の案内も入れておきますね」

「うちだけやなくて島中のポストに入れてるんやろ?」

「私が引っ越したことで、この島が私の担当区になりましたから」

「区割りされてるんや」

「はい」

「勧誘活動も大変やね。この健康食品とかも、しつこいくらい送ってくるわ」

「やはりシスター鮎美が議員予定者だからですか?」

「やろうね。たまにマルチ商法のもあるから気をつけぃと静江はんに言われてるし」

「マルチ商法?」

「あ、知らん? ま、普通の女子高生は知らんか。あんたは普通の女子高生やなくて宗教女子やけど。まあ、あがって」

「お邪魔いたします」

「母さんは市街に買い物へ行ったし、お茶を用意するし、先に二階へあがっておいて。階段の右側が、うちの部屋やし」

「はい」

 陽湖が急な階段をあがっていくのを下から見上げてから、鮎美は紅茶を淹れて二階へあがった。

「どうぞ」

「ありがとう、シスター鮎美」

 畳の上に二人で向かい合って座った。

「陽湖ちゃんは純粋そうやから、マルチ商法なんかに、どっぷりハマると可哀想やし教えておいてあげよ」

「はい、お願いします」

「マルチ商法ちゅーのは、簡単に言えば、お友達を紹介していくピラミッド組織をつくって、その紹介された人が健康食品とか何かの機械とかを買ってくれると、そこから数パーセントのキャッシュバックがあるちゅー商法のことなんよ。アムスキンとか、ニューウェイ、ミキ社、高陽商事って聴いたことない?」

「あるような……ないような…」

「ま、そのへんがメジャーどころで、あんまり違法なことはせんけど、マルチ商法の世界も宗教に似てるとこがあって、ピンキリや。そこそこ普通の会社もあれば、がっつり悪徳商法なところもある。陽湖ちゃんの宗教みたいに慈善活動する組織もあれば、サリンを撒くヤツらもおるのと同じやね。いっしょにせんといて、と思うかもしれんけど、外から見ると見分けにくいもんなんよ」

「違法な商法ではないのですか?」

「違法やないねん。強引に勧誘したら違法やけど、それは押し売りといっしょやん。一応は連鎖販売取引って法律で分類されてる。まあ、口コミ商法や。普通に化粧品とか、売ってる分には、別に害ないし。けど、宗教でもハマりすぎると生活に支障が出るやん。そんな感じで、やりすぎて失敗する人もいるし、やらせすぎる組織もあるねん」

「そういった会社が、なぜ、シスター鮎美に案内を送ってくるのですか?」

「うちが議員になるから、もし商品を愛用してくれたら、ええ宣伝材料になるからや。芸能人とかも、たまに使われる。現に、どこかの議員が和牛の投資系商品かなんかに宣伝に使われて困っておったし。ようするに議員が使ったり参加したりしてるちゅーだけで、ええ宣伝にも権威付けにもなるから。そのへん、陽湖ちゃんの組織が、うちを狙えって指示したのと、いっしょやん」

「………。ごめんなさい。けれど、神の導きは…」

「ええって。あんたに悪意も商魂もないのは、わかるから」

「ありがとう、シスター鮎美」

「ま、そういう商法もあるよって話や。実際的に、この手の知識は実社会で重要やのに高校では教えんから。いっそ学習指導要領に組み込んだ方がええと思うわ。鎌倉仏教の宗派を記憶させるよりマルチ商法の会社と特徴を暗記させる方が、よっぽど役立つのに。うちが文部科学大臣やったら、絶対そうするわ。ま、そういうことやから勧誘されたときは慎重にな」

「わかりました。気をつけます。そう言えば戸別訪問をしていて、逆に試供品やサンプルをいただいたことがあります。そういうことだったのですね」

「宗教勧誘に対してマルチ勧誘したんか………世の中、すごいなぁ……」

 鮎美は冷める前に紅茶を飲み、向かい合って座っているのも疲れるので壁にもたれて座り、陽湖にも隣りに来るよう勧めた。素直に陽湖もそばに来て座った。陽湖が脚を伸ばすと白いストッキングに包まれた脚線美が露わになり、鮎美は自然な仕草で陽湖の膝を撫でた。

「陽湖ちゃんも勧誘もええけど、頑張りすぎんときや」

「お気遣い、ありがとうございます」

 陽湖の膝に手をおいたまま鮎美は話題を変える。

「さっきの話の続きやけど、自分ら自前の宗教学校でも体育とか不自由するんやったら、普通の学校やと、かなり大変なん?」

「はい、私たちは争うような競技は避けますし、クリスマスも祝いません。そういった行事に参加することもできませんから、周囲の理解をえるのは大変です。私も小学校までは孤立したりして。けれど、中学から学園に入って生徒の中では信仰をもっているのは、まだまだ少数派ですけれど、先生方は過半数が信徒ですから、とても居心地が良いです」

「少数派か………」

 鮎美は膝を撫でていた手をあげて陽湖の髪に触れながら話す。

「公立学校にいるうちはテキトーに周りに合わせといたら、ええやん。信仰は信仰、学校は学校で」

「シスター鮎美、それでは信仰の意味がないのです。してはならないことは、してはならない。これを守ってこそ信仰です」

「………大変やね。そういえば、前に同性愛の話をしたやん? 覚えてる?」

「はい」

「あのとき、あんたはタバコと同性愛を、いっしょに語ったけど、タバコと同性愛はちゃうやろ。タバコは嗜好品で趣味嗜好で吸うもんや。薬物としての依存性の話はおいて、本人の自由で選んで吸うもんやん。けど、同性愛者は別に同性愛者になろう思てなったわけやないで。たまたま、そう生まれついたもんで選択の余地はないんや。趣味でも嗜好でもなく、あれは指向なんよ」

 ずっと心の奥に引っ掛かっていた話題を鮎美が蒸し返すと、陽湖は考えてから答える。

「生まれつき備わっていることでも、他に抑えるべきことは多くあります。食欲も度を超せば飽食という罪になりますし、金銭欲も家族に必要なものを与える程度を超えてむさぼれば罪です」

「けど、うちらは三食ちゃんと食べるし、小遣いもほしいやん。異性愛者が二人で仲良くするみたいに、同性愛者かって心安らぐ時間がほしいやろに。あんたの神は、それも、あかんと言うんや?」

「友愛は罪ではありませんが、淫行は罪です。夫婦以外の性交が罪であるように、同性愛は罪です。その点、平等です」

「けど、同性婚も認めんにゃろ?」

「結婚は男女が行う神への誓いです」

「…………」

 鮎美は髪に触れるのをやめて紅茶を啜り、陽湖はなんとなく感じた。

「あの……もしかして、シスター鮎美は同性愛の経験があったりするのですか?」

「別に」

 予想していたので詩織に見抜かれたときのように鮎美は動揺したりはしなかった。陽湖が言い募ってくる。

「思春期の一時期に、そういった迷いが生じることは、とくに女子に多いと聴いたことがあります。けれど、それは一時的な感情で、しだいに落ち着くらしいです」

「そういうのと、本当の同性愛者は、まったくちゃうよ」

「……」

「気の迷いとか、そんな程度やなくて、必ず同性にしか性的興味を覚えんし、異性を好きになることは無い。異性を尊敬したり大事にすることはあっても、性的な対象には絶対にならんから、同性愛者っていうんよ」

「……」

「あんたらの神からしたら、生まれつき間違った存在や。いっそサタンの手下とする方がええかもね」

「いいえ、違います。人間は自由意志によって正しい行動を選択できます」

「っ!」

 鮎美は強い苛立ちを覚え、一息に陽湖を押し倒した。

「キャっ?!」

「人間の意志では、どうにもならんことは多いよ」

 そのまま押さえつけると、陽湖は暴れたりしなかったけれど、はっきりと言ってくる。

「やめてください!」

「ちょっと、ふざけてるだけよ」

 陽湖を見つめて、その頬にキスをした。陽湖の体格は、とても華奢で肩の筋肉など鷹姫の半分も無い、格闘技の経験もないので、いとも簡単に押さえつけていられる。そんな女の子らしい陽湖を押し倒していると、鮎美は欲望が滾るのを感じる。

「ぅっ…やめて…」

「キスくらいええやん。女の子同士やし」

 今度は唇を狙ってキスしようとすると、陽湖は顔を背けて逃げた。

「シスター鮎美、ふざけるのはやめてください!」

「もう少しふざけよかな。キスさせてくれたら、来週の日曜礼拝、付き合ってあげてもええよ。午前中なら予定つきやすいから」

 そう囁いてから陽湖の耳を咥えた。

「ぅっ…」

「陽湖ちゃんが可愛すぎるのが罪やねん」

 二人は顔立ちが似ているけれど、ソバカスがある鮎美に比べて、陽湖の頬は透き通るように白い。羨ましくて、愛おしかった。そんな陽湖の耳の穴に舌を入れて、髪の匂いを嗅ぐ。陽湖の髪からは甘い皮脂の香りがして鮎美の欲望を刺激してくる。

「陽湖ちゃん、ええ匂いするね」

 そう言って今度は首筋を嗅ぐけれど、ハイネックのインナーのせいで洗濯洗剤の匂いしか感じられない。満足できなかった鮎美は頬で胸の膨らみを感じながら移動して陽湖の腋を嗅いだ。また制服とインナーのために判然としないので、身を守るように閉じている腕をあげさせるため手首を掴んで強引に腋を開かせた。そこに顔を埋めて嗅ぐと、潰れかけるほど熟れた桃と蜜柑をまぜたような香りがして鮎美は服の上からでも舐めたくなるほど惹かれた。

「まだ午前中やのに、この匂い、夕べはシャワーしてないの?」

「っ…、ぃ、忙しかったんです。ポスティングして…、一人暮らしって色々あって疲れて寝ちゃって…」

 陽湖が顔を真っ赤にして言うのが可愛くて仕方ない。鷹姫と違い、信仰心とは別に普通の女子としての感覚はもっているようで恥じらっている。

「そら島中の家にパンフレットを入れて回ったら土曜日一日かかるわな。なんぼ人口が少ないゆうても一件残らずとなると、けっこうな重労働やわ」

「もうやめてください、匂いを嗅がないで」

「こっちの腋は、どうなん?」

 反対の腋まで腕を広げさせて嗅いだ。同じ匂いだったけれど、ますます鮎美は興奮したし、陽湖は恥じらって身震いした。

「…っ…イヤっ…」

「………ま、ふざけるのは、ここまでにしよかな」

 陽湖の目尻に涙が浮かんできたので、鮎美は押し倒していた状態から、背中を支えて起き上がらせて謝る。

「ごめん、ごめん、つい、ふざけすぎたわ」

「……」

「怒った?」

「……いえ…」

 拗ねた顔になりそうなのを取り繕って無表情にしているのが、余計に可愛らしくて鮎美は再び押し倒したくなったけれど、それは我慢する。また並んで壁際に座った。

「神さまは助けてくれんかったね」

「……神は、すべてを見ておいでです」

「ってことは見て見ぬふりなんや? うちやから良かったものの、陽湖ちゃんがホンマに襲われても、きっと見て見ぬふりやで」

「………」

「それどころか、日本は平和やけど、今も世界のどこかでは、いっぱい人が殺されてるやん。それも見て見ぬふりやし、西暦が始まってから、いったい何回、戦争があった? 全部見て見ぬふりやん。何も悪いことしてないのに、生まれつき病気の人もいる。同性愛禁止ちゅーても、生まれつき同性愛にしておいて禁止とは意地悪な話やね」

「………」

「それとも神さんは、うちらを試してるんかな。試練を与えて成長せい、みたいな?」

「神は人を試したりされません。試しておられるのは、あなたです」

 陽湖が真っ直ぐに見つめてくるので鮎美も見返した。お互いの顔が間近で視線が合うと、鮎美はキスをしたい衝動に襲われたけれど、今は議論を優先した。

「うちが何を試してるのん?」

「私の信仰と私たちの教義をです」

「……そうかもね。ほな、訊くわ。なんで世界に不幸があんの? 戦争、病気はもちろんのこと、恋愛でさえ失恋って不幸がある。永遠の夫婦? そんなん決めるんやったら、産まれたときに決めといてくれたらええやん。なんで恋愛なんてさすの?」

「今の地上世界に苦しみがたえないのは、神の意志ではありません。人の犯した罪によるものです」

「罪って?」

「食べてはならないと神がおっしゃった実をサタンがイブをそそのかし、そしてアダムも手を出してしまった。すべての不幸と呪いが、ここから始まっています。これを贖ってくださったのがイエスです。そして、人には救いの道が用意されています。正しい行いを続ければ、人は楽園へ復活できるのです」

「………………」

 真っ直ぐ見つめ合っていた鮎美は白目を見せて、座っている状態から力を抜いてズルズルと畳の上に寝転がった。陽湖から離れる方向に倒れたので、きっとスカートがめくれて彼女には下着が見られてしまうようになっているけれど、お尻には視線を感じないし、たまたま偶然に今日は新品のショーツをおろしていて、ライトブルーに少しだけ白のレースが入ったデザインは気に入っているので、このまま見せていてもいいかと思っていた。それでも、そっと陽湖がスカートの裾を直してくれたので、その優しさが嬉しかった。

「正しい行いとは神が憎むものを退けることです。殺人、暴力、性の不道徳、心霊術、偶像礼拝、盗み、ウソ、戦争、貪欲。同性愛も性の不道徳に含まれます。けれど、考えてもみてください。人には自由意志があります。これは神がくださった最高の贈り物です。人間は激しく怒ったときも、怒りに身を任せず、その衝動を抑えることもできます。神は人に期待しておられます。怒りも生まれつきの衝動ですが、これを抑えるように同性愛者も淫行の衝動を遠ざけ、正しく生きれば楽園へ行けるのです」

「…………………その楽園では、男を好きになるんやろかね」

 寝転がったまま言う鮎美へ、陽湖は真剣に答える。

「きっと、そうです」

「…………よくも、まあ、断言するわ。その根拠は?」

「啓示、神は彼らの目から、すべての涙をぬぐい去ってくださり、もはや死はなく、嘆きも叫びも苦痛ももはやない。イザヤ、足のなえた者は雄鹿のように登って行く。盲人の目は開かれる。わたしは病気だ。と言う居住者はいない」

「……」

「すべての不幸が取り除かれるのです」

「………不幸か………障碍者の中には、生まれつきの障碍は不幸やないと、言い張る人らもおるで? 聖書の価値観だけがすべてでもないやろ」

「………」

 起き上がった鮎美が低い声で続け、だんだんと声に怒りを滲ませる。

「さらに聖書は男性同性愛者の肛門性交については禁止を明示するものの、女性同性愛者については、ほとんど記述がない。せやからキリスト教お盛んな中世イギリスでも女性同性愛について法で禁じる案は議決されんかった。そもそも世界で同性愛を強く禁止しよるのはアブラハムの宗教に影響された地域ばっかりや」

「……………どうして、そんなに詳しく知って……。もしかして、やっぱりシスター鮎美は同性愛者……」

「こういう話をすると、すぐ疑うけど、そやったら障碍者の話に詳しかったら、うちは障碍者なん?」

「………」

 陽湖は睨まれて息がつまりそうに感じた。年配の聴衆を相手に何度も演説の場数を踏んできた鮎美が目に力を込めて語ってくると、その言葉に縛られるような錯覚がする。

「単に少数者の事情を知ってるというだけやん。そういう団体からの陳情も多いしね。あんたら信徒も学園内では別として、一歩世間に出たら少数者やろ。小学校でも差別を受けたんやろ? どんな気持ちやった? そやのに同性愛を否定する。否定された者の気持ちを考えたことがあんの? 神の教義がどうであっても、人として心は痛まんの? 少数者の気持ち、わかるはずやろ?」

「………………」

「存在そのものを否定されるのと、いっしょやねんで。同性愛をやめい、と言われるのを信仰をやめいに置き換えて考えてみぃや! 言われたことあるやろ、日本人なんやし普通の仏教と神社にしとけと! 無神経に! そんとき、どんな気持ちやった? みんなと自分がちゃう、自分だけ違うっていうのは、どんな気持ちや? そこへさらに正義面して忠告されてみぃや、どうや?」

「……………っ…」

 言葉につまった陽湖が涙を零したので、鮎美は自己嫌悪を覚えた。つい強い口調で言いすぎた。叱りつけるような言い方をしてしまった。

「……ごめん、陽湖ちゃん、言い過ぎた」

「いえ、私が間違って……いえ、違う……私は間違ってないはず……正しいんです…私は正しいはずなんです…っ…ぅっ…ぅっ…」

 陽湖がポロポロと涙を零すので、鮎美も心が痛んだ。陽湖の信仰を世間一般とは違うと感じること自体も、また返す刀で自分に降りかかってくるとわかるので切ない。 

「ごめんな、責めるような言い方して、ごめん」

 鮎美が手を伸ばして抱きしめると、陽湖も抱きついてきた。しばらく抱き合っていて陽湖の涙が止まると、鮎美は陽湖の頬を撫でながら言った。

「うちも一回くらい日曜礼拝に行ってみるわ」

「ぇ……本当に?」

「来週も予定を開けられるよう、秘書の静江はんに頼んでみるから」

「ありがとう、シスター鮎美! ぜひ、来てください!」

 笑顔になった陽湖を可愛いと想いながら約束し、それから勧める。

「うちのお風呂に入っていかへん? 陽湖ちゃんちシャワーだけなんやろ。やっぱり、お湯に浸かるとホッとするよ。うちも疲れてるし、今日は予定もない休暇日やから昼風呂なんて、ええかな、と思うから」

「………。お誘いは嬉しいのですが……なんとなく身の危険を感じるんですけど……さっきみたいこと、もうしませんか?」

「ごめん、ごめん、もうせんから」

「……では、お言葉に甘えて…」

「ほな、お湯を入れてくるね」

 鮎美は風呂の準備をして、陽湖を風呂場に案内した。

「立派なお風呂ですね」

「家は全体に規格が小さいけど、お風呂だけはリホームしていうのは、うちと母さんが引っ越しするとき父さんに出した条件やからね。リホームせんかったら、下から火を焚いて沸かす風呂やってんで」

「それは……また………風情はあったかもしれませんが…」

「めちゃ面倒やん。リホーム前に何回か使ってみたけど、やってられるかって感じやったよ。さ、いっしょに入ろ」

「いっしょに……ですか…」

「使い方も教えてあげるし、十分に広いから」

 鮎美は迷っている陽湖を脱がせていき、自分も裸になった。陽湖の裸体は服の上から予想した通り、華奢で女の子らしい。けれど、下半身は肌がガサついていて、ひどく荒れていた。お尻と膝の裏は荒れが、とくに強くてかわいそうだった。

「脚はあんまり見ないでください。アトピーがひどくて……」

「かわいそうに。治るとええね」

「この島に来てから、けっこう調子がいいんです。自動車の排気ガスがないからなのか、お水との相性なのか」

「そら良かったね。ここは自動車の通る道からは何キロも離れてるもんな。空気の清々しさが、まったくちゃうよね。大阪と比べたら別天地やで」

 鮎美は陽湖の背中を押してバスルームに入った。リホームしたので現代的な風呂場になっていて、クリーム色の楕円形のバスと広めの洗い場があり、シャワーも大口径だった。

「これが温度調節な、こっちが水量」

 鮎美は使い方を説明しつつ陽湖の背中をお湯で流してやり、手にボディーソープをつけると身体を洗ってやろうとしたけれど、陽湖が慌てて止める。

「ちょ、ちょっと、待ってください」

「遠慮せんでええよ、洗ってあげるさかい」

「ぃ、いえ、自分で洗いますし、その……大変失礼なのですが……肌に合う洗剤かどうか試させてください」

「あ、そうやね。ごめん、ごめん、気がつかんで」

「少し泡をいただきますね」

 陽湖は鮎美の手からボディーソープの泡を少量とると肘の内側に塗った。

「……大丈夫かな…」

 さらに、膝の裏側にも塗りつけて、しばらく様子を見ていると微笑んだ。

「…ピリピリしない…。大丈夫みたいです」

「そら、よかった」

 と言いつつ鮎美が身体を洗ってやろうとすると、それは辞退する。

「自分で洗いますから」

「背中だけでも、洗ってあげるって」

 鮎美は泡を背中に塗りつける。

「どうなん? 背中も大丈夫そう?」

「はい、背中は比較的」

「お尻は痛そうやね……」

 荒れている臀部へも少しずつ触れていってみる。

「お尻は、どう?」

「ピリピリしないのですが……お尻は自分で洗いますから」

 やや赤面している陽湖が可愛らしくて鮎美は名残惜しかったけれど、これ以上の強引さは遠慮して、陽湖が自分で身体を洗う姿を見つめる。

「シャンプーは、これやしね」

「シャンプーが一番、合う合わないが……」

 陽湖が不安そうにシャンプーも少量だけ肌へ塗ってみてから、また微笑んだ。

「ぜんぜんピリピリしない」

「よかったね」

「はい」

 陽湖が髪を洗い始めたので、鮎美は見つめていて陽湖の腋も鷹姫のように毛が伸びていることに気づいた。

「新品のカミソリあるけど、使う? 腋、けっこう伸びてるよ」

「っ…」

 陽湖が恥ずかしそうに背中を向けた。

「あんまり見ないでください。剃ると腋も、ひどく荒れるんです」

「そうなんや、かわいそうに」

「おかげでプールの授業も、ずっと嫌だった……」

「気の毒にな……短く刈ったりしたら?」

「刈っても毛先がチクチクと肌を刺激して荒れるんです。それで、そのままにするしか、なくて」

「そっか。まあ、他にも無頓着に伸ばしてる女子もおるさかい、あんまり気にせんとき」

 鮎美も自分の身体を洗い始め、二人で向かい合ってバスに浸かった。

「はぁぁ…」

「素敵なお風呂ですね」

 やっと落ち着いて陽湖も、うっとりと目を閉じている。その唇にキスをしたい衝動を覚えるし、湯船の中に揺らめいて見える裸体には、もっと強い衝動をかき立てられるけれど、ぐっと我慢して陽湖の膝を撫でるだけにした。

「アトピー、治るとええね。痛いの痛いの、飛んでいけしてあげるよ」

「優しいんですね」

 陽湖が目を開けて、洗い場にあるシャンプーボトルを見上げた。

「シャンプーも少しもピリピリしなくて、これ、どこで売ってるんですか?」

「……う~ん…」

「今、使っているものは少しピリピリするので髪を洗うのを4日に一回くらいにしていて……毎日洗いたいのに……。でも、もしかしたら、これなら…」

「………」

「これ、どこで売ってました?」

「………」

「……教えてもらえると、とても嬉しいのですけれど……。これ、見たことないラベル……」

「これは………店には売ってないんよ」

「では、どうやって?」

「…………」

「……すみません、ぶしつけなことを訊いて」

「いや……その……かわいそうやし言うけど、……これ、さっき話してたマルチ商法の商品やねん」

「え……」

「うちの母さんが大阪にいた頃、勧誘されて会員になって以来、ずっと、これやねん」

「………悪い会社なんですか?」

「別に悪い会社やないよ。物はええし。うちも気に入ってる。……」

「……勧誘がしつこいとか? ノルマがあったり?」

「別に入会したら、あとは通販と同じで買う買わんは自由らしいよ。いっぱい買うとポイントつくのも、そこらの店といっしょや。普通の店と違うのは誰かを紹介すると、そこからもポイントがついて、そのポイントは現金化されるちゅーくらいで。それも、ほんの数%らしいけど」

「そうですか…………」

 陽湖が後ろ髪を引かれるような顔でシャンプーボトルを見上げている。

「陽湖ちゃんが、どうしても欲しいなら母さんに言うてみるけど………宗教的には大丈夫なん?」

「それは問題ないと思います。あの…、よっぽど私たちを変な団体だと思ってませんか?」

「……はは……ごめん……」

 鮎美は笑って誤魔化してからタメ息をつく。

「はぁぁ……世の中、ホンマ色々やね」

「はい……そうですね」

「紹介はするけど、うちの家が、この会社の会員で商品を愛用してること、他では言わんといてな。議員的に問題はないけど、議員的に騒がれても利用されても嫌やねん」

「はい、誓って」

「ほな、誓いのキスを」

「…………」

「冗談やって」

 また笑って誤魔化して鮎美はお昼の入浴を終え、陽湖も家に帰ったので一人になる。自室で一人、畳の上に寝転がって、つぶやいた。

「……欲求不満を陽湖ちゃんに、ぶつけてしもて……うちは、つくづく最低やな……」

 自己嫌悪の海に沈みながら、一人ずっと部屋にいると、鮎美は欲求不満を強く感じて、押し入れの布団の中に隠してある電気マッサージ器を出してきた。

「……………」

 家の中に誰もいないことを聴覚で確認してから、電気マッサージ器を使う。

「…んっ…」

 通販で買った電気マッサージ器を使うのは、これで5度目なので、すぐに快感が高まってくる。

「…ハァ…鷹姫…ハァ…」

 妄想の中で、無頓着な鷹姫が電気マッサージ器を自分にあててくることや、その逆を想像したり、清楚な陽湖へ電気マッサージ器の快感を教え込んで乱れさせる様子を思い浮かべたりして、父親が釣りから帰ってくるまで一人で遊んだ。

 

 

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