第10話 九月 生徒信仰告白総括会長・月谷陽湖

 金曜日のお昼前、鮎美は授業中の教室で机へ突っ伏して眠っていた。授業は地学だったけれど、あまり聴いている生徒はいない。

「これらプレートの移動によって大陸も移動しており…」

 多くの生徒は地学以外の教科書や参考書を広げて、自分が大学受験で必要な科目を学習していたり、鮎美のように寝ていたりするけれど、教師は寛容で注意したりせず淡々と授業を続けている。

「環太平洋造山帯は、とくに地震の発生が多く、地球上で生じる地震の6割から8割が、これらの地域…」

 鷹姫は地学の教科書を広げて講義を聴いてはいるけれど、うとうとと背筋を伸ばしたまま眠ってしまうことが多いほど疲れていた。連日、放課後から日が暮れるまで選挙カーに乗ったり街頭演説をしたりし、拡声器が使えない時間になると文化ホールや市民会館での個別演説会へ弁士として参加させられ、その後に選挙戦略についての会議ということになるので日付が変わってからビジネスホテルに泊まり、そこから登校するという生活を送っていた。お昼休みになって学生食堂で鮎美と鷹姫は昼食を済ませると、校庭の木陰で午睡する。二人で木の幹へ背中を預けて、しばらく眠っているとチャイムが鳴る5分前に誰かに声をかけられた。

「貴重なお昼寝の邪魔をして、ごめんなさい」

「ぅ~………」

 鮎美は少し目を開け、鷹姫も起きた。

「はじめまして。月谷陽湖(つきたにようこ)といいます。シスター鮎美」

「はァ?」

 芹沢先生と呼ばれることには慣れてきたけれど、慣れない呼び方をされた鮎美は首を傾げた。鷹姫が説明してくれる。

「幸福のエホパの信者なのでしょう。彼らは名にシスター、ブラザーをつけて呼び合っています」

「ふ~ん……うちは信者やないけど」

 やや心外そうに鮎美が言うと、陽湖は微笑をつくった。陽湖は生まれつき少しだけ茶色い黒髪を白いカチューシャで飾り、制服は一切の改造をせずに着ていて、厚手の白いストッキングをはいている。肌も色白で透き通るような目をし、顔立ちは鮎美に似てウサギやリスを思わせるような可愛らしい顔だった。

「この学園に在籍しているうちは、みなエホパの導きを受けることになると転入時に説明がありませんでしたか?」

「あ~……そういや転入する手続きのときに、そんなこと言われたけど、しつこい勧誘はせんという話やったから気にせんと入学したんやけど、ほんで何?」

「あなたと友達になりに来ました。シスター鮎美、私と友達になってください」

「………露骨に宗教勧誘やな」

 鮎美は相手が握手のために手を出してきたので、ほぼ反射的に握り合ったけれど、やや後悔して歯に衣を着せずに言った。それで陽湖が笑う。

「クスっ、お噂の通り、正直な性格をされているのですね」

「それを聴いてるんやったら、都合がええわ。うち、宗教嫌いやし」

「あら、どうしてですか?」

「非科学的やからや」

「芹沢先生、ご予定、忘れてませんよね?」

 鷹姫が、冷静になれ、という暗号を放ったので、鮎美もつい陽湖が同じ高校生なので議員という立場を忘れて話していたことに気づいて改める。

「覚えてるよ。鷹姫、おおきに。えっと、ほんで月谷はんやったっけ。うちは、あんまり宗教は、ちょっと。話くらいなら聴いてもええけど、今は選挙の応援で忙しいし。あんた18歳?」

「はい、先月から18歳です」

「そら、成人おめでとう」

「ありがとう、シスター鮎美」

「……。で、よかったら、県知事選、御蘇松善行さんへ投票したってな。ええ人やで」

 誰がシスター鮎美やねん、キモい呼び方すんなやボケ、可愛い顔して頭は腐りかけてんなぁ、けどキレイな目してるわ、スカートの長さが逆に楚々として女っぽいし、このスカートめくったら赤くなって怒るやろな、って、やっぱり、うちの方が頭腐ってるわ、と思いながら鮎美は完璧な笑顔で投票を頼んだ。

「はい、シスター鮎美のご依頼なら、そうさせていただきます」

「おおきに。信じてるわ」

「私、ウソは申しませんよ」

 微笑んでいる陽湖を見ていて、鷹姫は思い出した。

「あなたは、たしか生徒会長でしたね?」

「はい。正確には、生徒信仰告白総括会長ですけれど」

「「………」」

「他の学校でいう生徒会長のような仕事もしていますよ」

 予鈴が鳴ったので鮎美と鷹姫は立ち上がり校舎へ向かう。いっしょに陽湖も話ながらついてくる。ただの芹沢鮎美でいたなら、すぐに追い払ったところだったけれど、今は議員になる予定で、しかも選挙応援中なので邪険にするのは一票のために控える。

「そら、ご苦労さんやね。ちなみ、この学校って生徒会長は、どうやって決めてるん? 投票? 先生からの推薦?」

「生徒の中で、エホパへの確かな信仰を持つ者が先生方から選ばれ、選ばれた数名が体育館で行われる告白演説会で全校生徒へ、いかにエホパの導きが素晴らしいかを説き、その後に生徒からの投票で選ばれます」

「ふーん……制限選挙か。あるんやなぁ、普通選挙以外の選挙も実際に……。クジ引きよりマシか。いや……公平性が……まあ、宗教学校やしなぁ……そんなもんか。ほんでも、聴いた話では9割の生徒が信仰してないってことらしいけど、そうなん?」

「まだエホパの導きに気づいておられないだけです」

「「………」」

 鮎美と鷹姫が、独特の言葉の言い回しを聴いて、どう返答していいか、わからなくなる。陽湖は澄んだ瞳で鮎美へ問う。

「シスター鮎美はエホパを感じておられますか?」

「……う~ん……」

 こういうヤツと喋ると疲れるわ、大阪でも駅前とかにおったけど、無視すればよかったのに、今は一票のために、ちょいとは相手せんとあかんし、はぁぁ、と鮎美がタメ息をつきそうになっていると鷹姫が言ってくれる。

「芹沢先生は、お疲れなのです。陳情や面談は党へアポイントを取ってください」

「宮本さんも、いい秘書をされているのね」

「ほな、またね。御蘇松善行への一票、よろしく頼むよ」

 もう教室に到着したので鮎美は最後のお願いをしてから陽湖と別れるつもりだったけれど、彼女は教室まで入ってきた。

「月谷はん、このクラスちゃうやんね?」

「いえ、すぐ紹介されると思います」

 陽湖が笑顔で答えていると、次の授業の教師といっしょに担任と校長が教室へ入ってきた。

「よーし、校長先生から話がある。静かに聴け」

「特別な措置をして、みなは驚くだろうが、校則にもあるよう我が学園は神の導きを生徒たちに示すことを第一にしている。そこで国民の代表ともなる芹沢くんと生徒の代表である月谷くんを同じクラスとし、卒業まで隣席とすることにした」

「なっ?!」

 鮎美は驚いているけれど、クラスの生徒たちは大きな関心はあらわしていない。転校してきた鮎美と違い、たまにある宗教的理由による学校運営を経験してきたようで、騒いだりする様子はなかった。

「では、山田くん、月谷さんへ席を譲って。列の全体も一つずつ、さがってくれ」

「はい」

 鮎美の隣席だった男子も素直に立ち上がってる。

「ちょっ?! そんな、めちゃな?!」

 慣れていない鮎美だけが驚いていると、鷹姫が言ってくる。

「芹沢先生、ご予定、忘れてませんよね?」

「…け…けど、今の場合は…」

「よろしくね、シスター鮎美」

 陽湖は微笑んで鮎美の隣りへ座った。

「うっ、う~ん………あ、そや。先生、提案します!」

 鮎美が良案を思いつき挙手した。

「何ですか? 芹沢さん」

「いきなり、うちの隣席だけズレるのも、みんなの公平性に微妙な感じですやん。いっそ、全体も席替えしません? ほんで、うちの隣りだけは固定で月谷はんと秘書の鷹姫ってことで、あとはクジ引き。うちの席は今後、公務での遅刻早退もあるかもしれんし、みんなの気をちらさんよう後方出入口付近でお願いします」

 どうせ拒否できない流れのようなので、いっそ鮎美は鷹姫も隣席で固定できるように言ってみた。

「うむ……そうだな、そうしようか。すぐ授業だから、急いでクジを引け」

 担任が席替え用に置いているクジの入った缶を生徒たちへ回し、鮎美と鷹姫と陽湖は引かず、鐘留は祈ってから引く。

「どうか、アユミンたちの近くになりますように。神さま、エホパさま、大明神さま、そして初代の鐘吉さま、頼むよぉ~」

「緑野! 時間が無いから早く引け! ホームルームじゃないぞ!」

「はいはーい♪ 23番。やったね。宮ちゃんの前だよ」

 席替えが終わり鮎美たちは教室後方出入口付近にかたまることになった。担任と校長が出て行く。校長は出かけに鮎美へ言った。

「月谷くんと仲良くしてください」

「……ま、それなりに」

 校長たちが去ると、本来この時間を担当する教師が授業をはじめる。

「では、みなさん、聖書のマタイ5章を開いてください」

 科目は聖書研究で、文科省が定めた学習指導要領から外れた私立学校独特の科目だった。鮎美は放課後に備えて寝るつもりで、転入時に買わされた聖書を枕にして机に倒れる。それを見て鷹姫と陽湖が同時に注意してくる。

「「この授業は起きていてください」」

「……なんでよ?」

「やっぱり知らないのですね。シスター鷹姫から説明してあげて」

「……」

 鷹姫もシスター付きで呼ばれるのは慣れない様子だったけれど、大切なことなので説明する。

「他の授業は受験勉強をしたりしても叱られませんが、この科目だけは、まじめに聴講しないと、あとで、やっかいな宿題を出されますよ」

「どんな宿題なん?」

「聖書の一章を丸写しです」

「ぅっ…写経か……般若心経ならともかく、こんなクソ長い本を…」

 鮎美がペラペラと聖書をめくっている。章によって長さは違うけれど、丸写しとなると、かなりの苦行に感じられた。一学期のうちは転入したてということもあって、どの授業も真面目に聴いていたけれど、三年生の二学期ともなれば、捨てる科目は捨てるという選択をしている生徒も出てくる。鮎美も立場上、あまり居眠りは好ましくないものの、選挙応援期間中は寝られるときに、寝ておきたかった。陽湖が言ってくる。

「私たちの学園で一番大切な授業ですから、みなさんも聴いてくださいね。毎年、幾人かは聖書研究の授業でエホパへ近づきたいと、目覚めてくださるのですから」

「うちは目覚めんと寝てたいわ」

 鮎美の声は教師には届かず、白髪の教師は講義を進める。

「前回、あやまった行為の数々を紹介しました。ごく単純に盗むな、殺すな、姦淫するな、といった教えは、信仰をもっていない人にも、ご理解いただけるでしょう」

「…………」

 ま、刑法の基本やね、聖書がローマの立法に影響を与えて、それがドイツ法フランス法に発展しつつ、イギリスでも発展して欧米法に、その両方が日本に入ってきてるけど、成文法やった独仏の影響が強いから、あながち無駄な時間でもないかな、と鮎美は睡眠を取れないことは諦めて授業を聴く。

「では、マタイ5章27から。誰か読んでください」

「「はい!」」

 陽湖と男子の一人が小学校一年生のような素直さで挙手している。他のクラスメートたちは二人が信者であることはわかりきっていて、いつもの光景なので何も反応しない。

「では…そうだね、いつもブラザー博史(ひろふみ)が読んでくれているから、今日はシスター陽湖をあてましょう。シスター陽湖、お願いします」

「はい。あなたは姦淫を犯してはならない、と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、わたしはあなた方に言いますが、女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな、すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」

「ありがとう、シスター陽湖。さて、みなさんは、この教えを、どう感じますか」

「「はい!」」

 また陽湖と博史が挙手しているけれど、教師は微笑んで応じる。

「二人の感じたことも大切ですが、いまはエホパの声が届いていない生徒たちに訊いてみましょう。どうですか、みなさん?」

「…………」

 エロい目で見続けただけで犯したちゅーんやったら、うちは鷹姫を一日に10回は姦淫してるちゅーねん、と鮎美は苛立ちと身体の熱さを感じた。鷹姫が亡き母のためにも、許嫁を受け入れて順調に次の世代へつなげるよう子をなしたい、と真剣に想っていることを知って以来、鮎美は強く自制して、鷹姫を裸にしたりするようなことは控えている。選挙活動のおかげで毎晩のように経費で鷹姫とビジネスホテルに泊まれるけれど、鷹姫と身体を重ねることは我慢している。ただ、疲れていて眠ってしまった鷹姫の寝顔を見て、その寝顔を見つめたまま、隣のベッドの上で自分で自分を慰めていた。おかげで授業中は、ひどく眠い。

「はい、はーい♪」

 鐘留が挙手している。

「緑野さん、どうぞ」

 この教師は信者でない生徒にはシスターブラザーを付けずに呼んでいた。あてられて鐘留は笑いながら答える。

「アタシって、たぶんさ。この学校の男子みんなに姦淫されたかも。きゃは♪ あと、モデルだったころの水着とかの写真も、けっこう使ってる男子いるんじゃないかな? って思いました」

「……。それを緑野さんは、嬉しいと感じているのですか?」

「まーね」

 鐘留は極端に短いスカートで足を組み直した。つい鮎美は視線を注いでしまい、教師は悲しげに言う。

「緑野さんが、そう感じているのは、それはサタンの仕業で、あなた本来は、もっと自分を大切にされる素晴らしい少女だったはずなのですよ」

「出たね、サタン」

「シスター鐘留、あなたのスカートは短すぎて、見苦しくて目障りですよ。いくら学園が生徒の自由な判断を尊重しているからといって、なぜ自由なのかと言えば、それぞれにサタンに対抗してほしいからなのです」

 陽湖が言った。

「見ちゃヤダ♪ 恥ずかしい」

 鐘留が恥ずかしがる演技をして脚を閉じて、股間と胸を両手で守る真似をした。それを見ていて不覚にも鮎美は発情した。もともと可愛らしい鐘留がしおらしい仕草をすると、鮎美は抱きしめたい衝動を覚えたりする。けれど、鮎美は視線を鐘留から、その後方にいる隣席の鷹姫へ移す。鷹姫は興味なさそうに行儀良く聖書を開いている。その指、その耳、どこを見てもキスをしたくなってしまう。鷹姫が鮎美の視線に気づいて、首を傾げた。

「……」

「……」

 何ですか、何でもないわ、というアイコンタクトは成立した。陽湖が穏やかに鐘留へ注意している。

「恥ずかしいなら、もう少しスカートを長くしては、どうですか」

「じゃあ恥ずかしくない。みんなが見てくれて嬉しい。先生、みんなに喜びを与えるのは、いいことじゃないの?」

「それは喜びではなく、あやまった誘惑です。啓示17章の2節から8節までを、誰か読んでくれますか?」

「「はい!」」

「ブラザー博史、お願いします」

 今度は博史があてられた。

「地の王たちは彼女と淫行を犯し、地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた。そして彼は、霊の力のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは、冒涜的な名で満ちた、七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に、ひとりの女が座っているのを目にした。また、その女は紫と緋で装い、金と宝石と真珠で身を飾り、手には、嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。そして、額にはひとつの名が書いてあった。それは秘儀であって、大いなるバビロン、娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母、というものであった。またわたしは、その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。さて、彼女を目にした時、わたしは非常に不思議に思った。すると、み使いがわたしに言った。なぜ不思議に思ったのか。わたしは、女と、その女を運んでいる、七つの頭と十本の角を持つ野獣の秘儀をあなたに告げよう。あなたの見た野獣はかつていたが、今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており、そして去って滅びに至ることになっていたが、今はおらず、後に現われるようになるのを見る時、地に住む者たちは驚いて感心するであろう。しかし彼らの名は世の基が置かれて以来命の巻き物に書かれていない」

 長い聖句を聴いていて鮎美は思ったことを、つぶやく。

「聖書って便利やな」

「どこが?」

「カネちゃん今、遠回しに娼婦って言われたやん。とくに最悪なことは、嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯、ってリアルに想像するとエグいわぁ。これ、学校教師が女子生徒に言うたんやったら、大問題やで。それを聖書の朗読って形で終わらせるなんて、なんちゅー便利なアイテムやねん」

「シスター鮎美、聖書をそのように言われると私は悲しみを覚えます」

「ほな、どこか慰めてくれそうなところを読めばええやん」

「聖書は便利な道具ではないのですよ」

「ほな、何や?」

「エホパと私たちをつなぐ貴重な書です。ここに真理があり、すべてがあるのです」

「………ま、そう思うんなら、そうなんちゃう。いい感じに慰めてくれそうやし」

「シスター鮎美……」

 黙っていた鷹姫が付け加える。

「日本人から見れば、聖書は侵略の道具です。秀吉、家康が禁教とし徹底して排除したのは、武士として正しい判断です。おかげで南北アメリカ大陸、オセアニア、東南アジアの一部地域、アフリカのように、もともと持っていた文化を破壊され、人々が蹂躙されることはありませんでした。大戦に敗れてなお、キリスト教徒は国内に1%に過ぎません」

「シスター鷹姫はキリスト教が嫌いですか?」

「好き嫌いの問題ではなく、敵だと思っています」

「………それで、どうして、この学校に来たの? 他の公立校にすればいいのに?」

「我が家が貧しく交通費と低所得家庭への私学助成金を考えると、ここが最適だったからに過ぎません」

「そう、それは、お気の毒なことです。もし、足りないものがあったら言ってください。私たち幸福のエホパの信徒は、助け合って生きることも喜びとしていますから」

「「「…………」」」

 鷹姫と鮎美、鐘留は生きていく上での立脚する場所が、まったく違う陽湖に対して言うべき言葉を無くした。聖書研究の授業が終わり、次の漢文は寝て過ごし、放課後になったので鮎美は選挙カーに乗った。

「御蘇松です! 六角市のみなさん、御蘇松善行に清き一票をお願いします!」

 校門から選挙カーで出発する鮎美のことは評判になり、わざわざ撮りに来る人もいるほどで、そして市内での評判も良く、選挙カーから感じる風は悪くない。そのまま六角駅まで移動すると、ロータリーに駐めて、御蘇松と選挙カーの天井部分へ上る。選挙カーの天井はステージにもなるけれど、ハシゴで登る必要があるので制服のスカートでは下着が見えてしまう危険があり、静江と鷹姫が幟やポスターで隠してくれる。天井に登った御蘇松と鮎美は息のあった演説をして、聴衆から笑いと拍手をもらった。

「静江はん、次は、どこなん?」

「三上市、それから、阪本市よ。移動中、休憩して。選挙カーはウグイス嬢にしてもらうから」

 ずっと声を出していられるものでもないので鮎美は休息のために静江が運転する車の後席に乗った。うたた寝している顔を外から見られるのも良くないので、静江の指示で鷹姫の膝枕へ伏せるという時間は何より楽しみだった。

「お疲れ様です。芹沢先生」

「…うん…」

 演説と連呼以外では喉が痛いので発声を控え目にしている。鷹姫へも最低限の返事だけして、膝を貸してもらって目を閉じる。鷹姫が腕を揉んでくれた。毎日ずっと振っている手も筋肉痛で肩から背中にかけて痛む。鷹姫の腿の感触と、揉んでくれる手の心地よさを感じる幸せな時間を過ごして、三上市にある新駅建設予定地に到着した。すでに県議の大寺と石永が前座の演説をしていて、御蘇松と鮎美にバトンタッチした。

「どうか、みなさん、この御蘇松にお力添えください。ここまで計画は進んでいる。あとは着工を待つばかりです。とくに地権者のみなさん、ご先祖伝来の地を譲ってくださり…」

 地元でもあり新駅推進の起点でもある三上市での演説は反応も良く、鮎美も演説慣れしてきたので笑いをとったりした後に、しっかり投票のお願いをしている。演説が終わると石永が誉めてくれた。

「いいね。芹沢さん、いや、もう芹沢先生だな。すっかり様になってるよ。雄琴先生もしっかりした人だし、うちのクジ引き議員は当たりに来てもらえたな」

「クジ引き議員に当たり外れって、あるんですか?」

「ああ、聴いた話では自眠党でも他党でも、まったく役に立たない人もいたり、人の話を聞かないタイプの人もいたり、お金ばかり追いかけたりという人もいたりで大変な地区もあるみたいだ。ま、悪評には6年後、必ず審判がくだるさ」

「芹沢先生、お兄ちゃ…じゃなくて石永先生、それぞれ車に戻ってください」

 まだまだ予定があるので静江にせかされ、移動する。阪本市にある阪本駅前に来ると、鮎美は空気感の悪さをはっきりと感じた。

「………」

 あかんやん、雄琴先生が頑張ってるけど、みんな素通りやん、と鮎美は直樹が登壇して話していても、聴いているのは動員をかけた自眠党員と関係者だけで一般人は誰も足を止めていないのに気づいた。しかも、これから女子高生で議員になるという話題性あるはずの鮎美が来ることを告知してもいたのに、人は集まっていない。御蘇松は選挙カーで三上市と阪本市をいろいろと回ってから、ここへ来るはずなので、あと30分ばかり鮎美がつながなくてはいけない。静江と鷹姫が心配そうに鮎美を見てくれる。

「「芹沢先生……」」

「嘆いてもしゃーない。やろか」

 鷹姫が持っていたペットボトルから一口だけお茶を飲み、鮎美は戦線に加わる。鮎美が登壇すると、直樹は来援に喜ぶ顔をした。

「皆さん、お待ちかねの。芹沢先生の登場です!」

「こんにちは! うちが芹沢鮎美です!」

 第一声も悪くなかった。けれど、人は集まらない。わずかに下校中の高校生たちが物珍しさで写真を撮っていったりするけれど、三上市とは空気感が、まったく違い。とても冷たかった。なんとか直樹と同じクジ引き議員同士で話をつなぎ、御蘇松の県政8年の堅実さなどもアピールして時間を乗り切り、御蘇松が来るまでには300人ほどは集めておいた。

「御蘇松です。阪本市のみなさん、この8年…」

 けれど、御蘇松の演説が始まると、高校生たちは興味を無くして去ってしまい、年配の聴衆もじわじわと減り、演説が終わる頃には動員した者しか残っていなかった。鮎美が直樹と小声で話す。

「なんで、阪本市って、ここまで雰囲気が悪いん? 反自眠なん?」

「阪本駅から京都駅までは2駅しかないんだ。新幹線新駅が三上市にできるメリットは何一つない。そして、県最南部なのに明治維新後、ずっと県庁が阪本にあるけれど、これを城下町の井伊市か、県中央にある三上市や六角市に移そうって話も何度も出ては消えてる。もし、新駅ができると、より県庁移転論に火がつくからさ」

「ようするに自分とこが、さびれるのが嫌なんや?」

「そういうことさ」

「………みんな全体より、自分なんや……」

 疲れた様子の鮎美へ、鷹姫がスポーツドリンクとチョコレートを渡してくれる。

「…おおきに……次は?」

「朽木市です」

「…うん…」

 最小限の返事をして車に乗った。県知事選の選挙応援は移動時間との戦いという面もあり、各地での演説は候補者が到着するまでは応援弁士が受け持ち、その応援弁士もまた次々と移動しなくてはいけない。鮎美の演説力が当初の想定より早く成長してきているので、選挙カーに乗せてウグイス嬢のように使うより、一人前の弁士として使う方が効果的だということに選挙戦術が変化してきている。放課後から六角市、三上市、阪本市、朽木市で屋外の演説をこなした後は浅井市と井伊市の市民ホールで弁舌を振るい、最後の会場では帰宅する市民を玄関ホールで見送りつつ、握手も交わし、投票を呼びかけた。

「終わったぁ……あと、会議あんの? 明日は土曜やし、朝一から、うちを使う気ぃやんね……学校やったら寝られたのに…」

「「……」」

 静江と鷹姫は鮎美の顔色を見て選挙参謀へ連絡を入れ、とても疲れているので会議参加は無理だと伝えた。会議の結果だけが知らされることになり、静江は最寄りだった井伊市と六角市の中間地点にある湖岸の温泉旅館へ予約を入れた。そこへ三人で宿泊する。

「石永さん、ここの差額は?」

 ビジネスホテルではなかったので鷹姫が心配していると、静江はコンビニ弁当の入った袋を掲げる。

「素泊まりだから経費内で落ちるよ。朝食は期待して」

「うち……ご飯より……お風呂……ベタベタで気持ち悪い……」

 残暑厳しい9月の中、何時間も屋外演説し、さらに蒸し暑い市民ホールでも愛想を振りまき、汗をかいている。移動中に静江が用意しておいてくれた濡れタオルで身体を拭いたり、制汗スプレーと日焼け止めを追加で何度も使ったり、軽くメイクもしたりと細かい対策はしてきたけれど、今はお風呂に飛び込みたかった。疲れすぎていて空腹は覚えないし、汗対策と同時にスポーツドリンクや高栄養のゼリーや菓子を口に入れられている。もう今は身体を洗って寝たいだけだった。

「芹沢先生、しっかりしてください」

 ふらついていると鷹姫が肩を貸してくれた。鷹姫の髪と、鮎美の髪が混じり合う。

「あ~……幸せやわ……」

 そう言って目を閉じて、もう寝かけている。

「仕方ないわね。鮎美ちゃん、お風呂いくんでしょ」

 静江も反対から支え、女湯へ鮎美を運んだ。脱衣所で静江は脱がせた鮎美のスカートを拾うと、その匂いを嗅いだ。鮎美のスカートは生地に汗が染み込んで塩になっている部分さえあった。

「う~ん……今夜中にドライクリーニングするとしても、やっぱり、もう一着、買ってもらった方がいいかな。少し匂うし」

「……………」

 鮎美は目を開けて半分寝ているので何も聴いていない。鷹姫も鮎美のスカートの匂いを嗅いだ。

「不快なほどではないです。もう一着というのは学校の制服を、ですか?」

「そうよ。私みたいなパンツスーツにすればパンチラ対策しなくてすむけど、何より現役女子高生ってことが売りなんだから、制服は候補者のタスキなみに外せないわ」

「ですが、夏服は来月には不要になります」

「そっか。じゃ、冬服は多めに買っておいてもらおうかな」

「……すぐに卒業いたしますよ。それに芹沢先生は転入生ですから冬服も新品をお持ちです」

「それにしたって、うっかり汚したりすることもあるから、予備は絶対いるよ。匂いも不快になってからでは遅いの。香水も女子高生としてはイメージ良くないし」

「そういうものですか」

 言いながら鷹姫は鮎美のブラジャーを外してショーツを引き下げたけれど、とくに興奮することはなかった。裸にした鮎美をおんぶして洗い場へ入る。もう寝てしまった鮎美の身体を二人で洗ってやり、温泉の湯船に浮かべた。

「芹沢先生………これほど、お疲れに……」

「温泉に入った記憶が残らなくて、かわいそうだけど、さっぱりはするでしょ」

 二人で協力して鮎美を客室の布団に寝かせると、テーブルにコンビニ弁当を広げた。静江は食べながらノートパソコンを操作し、送られてくる会議の結果に目を通している。

「明日も朝から、ずっと鮎美ちゃんを使う気ね」

「……。体力的に心配です」

「そうね。弁舌が思ったより立つからって、お兄ちゃんたち期待しすぎ。これじゃ土日ずっと出っぱなし」

「少しでも減らせませんか?」

「時間調整で他の弁士に長く話してもらうくらいで、出番そのものは減らせないかな。鮎美ちゃんが来るってことで告知したり動員かけてるから」

「…………」

「さ、そんな顔してないで、さっさと食べて。私たちも寝ましょう」

「はい」

 二人は秘書として明日の準備をしてから眠った。

 

 

 

 翌朝、鮎美は客室で温泉旅館の朝食を食べながら、温泉に入った記憶は無かったけれど、鷹姫と静江の二人に身体を洗ってもらっていたと聞いて赤面していた。

「そっ…そうなんや…おおきに…」

「重くて大変だったのよ。まあ、宮本さんがおんぶしてくれたりしたから助かったけど」

「おんぶ……鷹姫が、うちを…」

 ますます顔を赤くしているけれど、鷹姫は別のことを思い出した。

「石永さんは、幸福のエホパという宗教をご存じですか?」

「ご存じも何も二人が通ってる学校の宗教でしょ」

「はい、そうです」

「それがどうしたの?」

「実は…」

 鷹姫は急に同じクラスへ陽湖が編入されてきた一件を話した。

「なるほどねぇ」

「何らかの策謀ではないかと警戒すべきでしょうか」

「う~ん……宮本さんって秘書というより戦国時代の近衛みたいな考え方するわね。たぶん大丈夫よ、幸福のエホパはおとなしい宗教だし。せっかく在籍生徒の一人が議員に選出されたんだから、なんとか教化できないかって考えで、同い年の生徒会長さんをあててきた。やってることは雄琴先生を自眠党が芹沢先生の専属担当にして勧誘したのと似たようなものよ」

「では芹沢先生の思想に影響を与えようというわけですか」

「まあ、そうなるわね」

「………」

「鷹姫、そんな心配そうな顔せんでも、うちが、あんなアホパたら、アホバカたらいう、わけのわからん宗教に影響されるわけないやん。この世に神なんぞ、おらん」

「芹沢先生が、そうおっしゃられるなら安心です」

「鮎美ちゃんって無神論者? ぁ、芹沢先生は特定の宗教を信じておられますか?」

「わざわざ言い直さんでも」

「大変に微妙な問題ですから、またお怒りを買わないように」

「はいはい。うちは何も信じてないよ。神社に行ったら、御守りくらい買うけど」

「そうですか。実は政治の世界で宗教の問題は非常に微妙です。特定の宗教を悪く言うことはさけてください」

「そうなんや」

「彼らは敵にするより味方にしておくべきです」

「……え~………あいつらを……」

「彼らも、こちらを利用してきます。現に兄のところへは陳情もありますし、寄付もあります」

「宗教団体が政治家に寄付すんにゃ? 何の狙いで?」

「宗教によっては神殿や聖地を建設したいと計画する場合などで、行政への許認可などで議員を味方につけておくことは大きいですし、その見返りという明示はせずとも寄付があります」

「思いっきりワイロやん」

「政治資金収支報告書に記載し、手続きを踏めば合法的な寄付です」

「大人の汚いところやなぁ……結局、お金か」

「金銭だけではありません。友好関係を築いておけば、選挙において票になりえます。しかも、風向きで変わる票ではなく固定した安定票です」

「持ちつ持たれつか、ここでも」

 鮎美は食べ終わって時刻を見る。少しだけ余裕があった。

「温泉、入ってきてええ?」

「15分だけなら、どうぞ」

「やった。鷹姫も来ん?」

「私は準備がありますので。申し訳ありません」

「そっか……ほな、急いで入ってくるわ」

 鮎美は一人で旅館の温泉に入った。時計を気にしながら、少しでも湯船に浸かる。

「はぁぁ……うちの身体………鷹姫が洗ってくれたんや……」

 余計なことを想像したので顔が温泉の効果以上に赤くなる。

「………鷹姫…………でも、鷹姫は、まっとうに生きたいんやもんな……うちみたいな腐ったもんが………」

 そこまで言って鮎美は湯に潜り、しばらくして飛び出ると冷水を浴びてから脱衣所へ向かった。浴衣を着て客室に戻ると、もう二人の秘書が準備をしていてくれる。鮎美は日焼け止めを塗ってもらい、軽いメイクもしてもらうと、無香料の制汗スプレーを多めにかけてから制服に袖を通した。

「戦闘準備完了や!」

「はい、いざ参りましょう」

「……。芹沢先生と宮本さん、いいコンビかもね」

「うちらだけでは足りんよ。静江はんが常識を教える役をやってもらわんと」

「はいはい、じゃあ車を回してくるから、宮本さんはお会計しておいてね」

「はい」

 三人で本日最初の演説会場になる六角市男女共同参画センターへ向かう。主要な国道を静江の運転で走っている時だった。

「加賀田夏子です! 加賀田、加賀田夏子です!」

「あ、とうとう」

 静江が前方を走っている対立候補の選挙カーに気づいた。鮎美も視認する。

「ようやく出会たね」

「市議選と違って広い県内に一台きりの選挙カーだから、出会わずに選挙が終わることもあるかと思ってたけど、とうとうね」

「向こうは、こっちに気づくやろか」

「それは無いと思うわ。私の車は、ごく普通だから」

 静江はそう言ったけれど、夏子の選挙カーは右折するために右折レーンへ入り、静江たちは直進だったので進もうとしたけれど、信号が赤になり、並んで停車することになった。

「……この人が……」

 鮎美は後席から夏子の選挙カーを見る。夏子は助手席に乗っていて、窓を全開していた。

「っ…」

「あっ…」

 お互いの目が合い、鮎美は動揺したけれど、夏子は屈託無く微笑んだ。そしてマイクを握って言ってくる。

「おはよう。もしかして、芹沢鮎美ちゃん?」

「っ……んなデカい声で…」

「やっぱり、鮎美ちゃんね。会えて嬉しい」

 夏子は紫がかった黒髪を肩まで伸ばしていて、白いスーツを着ている。白のスーツは、くっきりとした黒のラインで装飾されていて、よく目立った。ややタレ目の夏子が微笑むと、かなり年上のはずなのに鮎美は可愛いと感じてしまった。

「……」

「鮎美ちゃんとは、今回は対立陣営だけど、次はいっしょだといいね」

「…………」

 信号が青になり、静江はアクセルを踏んだ。すぐに夏子の選挙カーは見えなくなった。

「……ビビったぁ……なんちゅー女やマイク使こて声かけてきよった……」

「しかも勝った気でいたわ」

 静江が忌々しそうに言い、鷹姫は黙って頷いた。鮎美が額に浮いた汗を手の甲で拭いた。

「せやけど、ポスターで見るより可愛い感じの人やったなぁ」

「「…………」」

「うちらも負けてられんね」

 鮎美は闘志を再燃させて気合いを入れた。

 

 

 

 土曜日の丸一日を街頭演説と個別演説会に費やした鮎美はビジネスホテルへ向かう車中で自分の右手を見つめて、つぶやいた。

「……今日、いったい何人の人と、うちは握手をしたんやろ……」

「千人は超えるでしょうね。お疲れ様です、本当に」

 静江が運転席から言ってくれたし、鷹姫が隣から肩を揉もうとしてくれるので、甘えて膝枕してもらう。

「どうぞ、お休みください」

「おおきに……ホテルに着いたら、起こしてな」

 そう言って目を閉じると、瞼に何百人という聴衆の顔が少しだけ浮かんだけれど、すぐに眠りに落ちた。

「起きてください、芹沢先生。着きましたよ」

「ぅ~……」

 昨日と違って起きる気でいたので、なんとか目を開けた。ビジネスホテルの駐車場から客室まで鷹姫に支えてもらって歩いた。今夜は静江はシングルへ入り、鮎美と鷹姫は二人部屋という割り振りで、鮎美の要望でビジネスホテルとしては浴室の広いところを選んでいた。部屋に入るとベッドに倒れ込みたい欲求にかられたけれど、それを我慢してベッドに座り、フラフラと眠らずにいる。

「すぐにお風呂の用意をします」

「…うん…」

 期待が眠気と疲労感を駆逐していくけれど、鮎美は眠そうに返事をした。

「お風呂が貯まりました。どうぞ」

「……」

 座ったまま寝たふりをすると、鷹姫が優しく肩を揺すってくれる。

「起きてください。お風呂の用意ができましたよ」

「……んっ………。……脱がせて」

 思い切って求めてみた。

「わかりました」

 あっさりと受諾してくれる。もう二度と鷹姫と身体を重ねようとしたりしないと誓ったはずだけれど、鷹姫から触れてくれるのは別という自己欺瞞で眠気も疲労も消し飛んでいるのに眠そうに薄目をあけていると、鷹姫の指が胸元のボタンを外してくる。それだけでドキドキとして舞い上がる心地だった。

「…ハァ…」

「本当にご苦労様です」

 鷹姫は躊躇いなくボタンをすべて外すとブラウスを脱がせ、ブラジャーも外してスカートを弛めると鮎美を立たせる。

「立ってください」

「…うん……」

 鷹姫が抱き上げるように立たせてくれるとスカートが脱げる。さらに何の躊躇も感情もなく鷹姫の手が下着をさげてくると、鮎美は春の会との面談中に詩織が言っていたことを思い出した。

「…………」

 うちがお願いしたら鷹姫は事務的に下着をおろして電マをあててくれるんかな、電マって、どんな感じなんかな、と鮎美は自分の要望に素直に従って、その意味も考えない鷹姫が無表情に下着をぬがせて電気マッサージ器をあててくれるところを想像して、より興奮した。

「…ハァ…」

「座って。少し足をあげてください」

 鷹姫が靴下も脱がせてくれた。これで全裸になり、鮎美はこのままベッドに押し倒して抱きしめて欲しかったけれど、鷹姫は淡々と衣類を片付けてくれている。

「……………」

「脱がせましたよ、お風呂に入ってください」

「…………」

「起きてますか?」

「……うん…………いっしょに入って……か、……か、身体、洗って」

 顔が熱くて汗が滲むほどドキドキしたけれど、言ってみた。昨夜、まったく記憶に残っていないけれど、静江と二人で身体を洗ってくれたというので今夜も期待しているし、そのために浴室の広いビジネスホテルを要望していた。

「わかりました」

 また、あっさりと受諾してくれる。秘書としてなのか、友達としてなのか、鷹姫は自分のブラウスを脱ぎ、ハンガーにかけてから、スカートも脱いでいる。鮎美は顔を伏せ気味にして表情を見られないようにしつつ、前髪の間から鷹姫の脚を見つめた。目の前で鷹姫が裸になっていくのは何度見ても心臓を刺激してくる。

「行きますよ」

「はい」

 思わず、いい返事をしてしまった。鷹姫に手を引かれて浴室へ向かうのは、それだけで心が躍る。浴室に入ると、期待通りにトイレとは別の広い洗い場もあるバスルームで湯船も二人で入れそうだった。

「洗いますから座ってください」

「うん……」

 恥ずかしくて顔をあげられないのと、表情を見られないために鮎美は下を向いたまま湯椅子に座った。鷹姫が背中を流してくれて、両手で身体を洗ってくれる。背中、首、胸、腋、腕と順に鷹姫の手が背後から伸びてきて身体を撫で回してくれる。

「…ハァ…」

「まだ眠らないでください」

「うん…大丈夫…ハァ…起きてるよ…ハァ…」

 とても眠るような心理状態ではなく、鷹姫の手が下腹部も洗ってくれると興奮で身もだえしそうだった。お尻を撫でてくれる手の温かさで、とうとう喘いだ。

「ぁんっ…」

「どうかしましたか?」

「う、ううん……何でも……」

「脚を洗います」

 鷹姫が前に回って脚を洗ってくれる。もう少し股間やお尻を洗って欲しかったけれど、それは言い出せなかった。身体を流してくれた後、鷹姫が髪へシャンプーをつけてくれたので心配になった。

「鷹姫、髪を洗ってくれるのは、大丈夫なん? お母さんのこと……」

「洗う方は平気です。たまに妹たちの頭も洗いますから。………洗われたのは、この前が初めてだったので……ご心配をかけて、すみませんでした」

「鷹姫……そういうとき、謝らんといてよ」

「………。では、どうするべきですか?」

「うっ……う~ん………それは……うちら、友達なんやし。黙って抱きついてくれる、とか?」

「抱きつく……ですか…」

 鷹姫は淡々と鮎美の髪を洗い、ほのかに期待した鮎美は抱きついてもらえず、淋しく湯船に浸かった。

「…………」

 鷹姫が身体と髪を洗っている姿を気づかれないように盗み見ると、また興奮してきた。鷹姫は女らしい仕草も無く、かといって男っぽくもないのに行儀は良いので独特の色香があって鮎美を惑わせる。洗い終わった様子なので鮎美は自然な風に誘う。

「いっしょに浸かろう。おいでよ」

「はい。けれど、お湯が流れて…」

「どうせ、うちらで最後になる一度きりのお湯やん」

「そうでした。贅沢な使い方ですね」

 鷹姫が湯船に入ってくる。向かい合って浸かると、大人の男女でも入れる湯船は女と女の身体なので十分に余裕があった。

「………」

「………」

 話題が途切れた。鮎美は鷹姫の胸に触れたい、お尻を撫でたい、キスをしたい、股間をまさぐりたい、という衝動と戦うあまり黙り込み、鷹姫は単に何も考えていない。ただ純粋にお湯の心地よさを味わい、つぶやいた。

「ああ…気持ちがいい…」

「っ…」

 鮎美は欲望が滾るのを感じた。けれど、全身全霊で我慢する。

「っ…ハァ…ハァ…」

「大丈夫ですか? 鮎美、のぼせているのではないですか、顔が真っ赤ですよ」

「……そ…そうかも……うち、そろそろ揚がるわ。おおきに、ありがとうな、洗ってくれて」

 これ以上、同じ湯船に入っていると、抱きついてキスをしそうなので鮎美は名残惜しかったけれど、バスルームを出た。

「…ハァ……はぁぁ…」

 熱い吐息を漏らして、身体も拭かずにベッドへ倒れ込む。少しして鷹姫が揚がってくると背中と髪を拭いてくれた。

「浴衣を着ないのですか?」

「……うん……うち、裸で寝ようかな……その方が健康的、とか言うやん」

「では、少し冷房を弱めます」

「………鷹姫も裸で寝ん?」

 そんなことをされたら興奮して眠れなくなりそうだったけれど、ついつい言ってしまった。

「いえ、いざというとき困るでしょうから」

「………。鷹姫って家では枕元に竹刀か木刀でも置いて寝てそうやね」

「はい、置いています」

「マジでか……竹刀? 木刀?」

「どれもあります。真剣も」

「し……真剣?! それ、もう時代劇かヤクザみたいやん」

「眠っているのが道場ですから、いくらでもありますし」

「ど……道場で寝てんの?! なんで?!」

 鮎美はベッドから勢いよく起き上がって問うた。おかげで乳房が大きく弾んだ。鷹姫は浴衣の帯を形良く締めている。

「家が狭いですから、部屋を妹たちに譲りました」

「そ、それで鷹姫は道場なん?!」

「はい」

「そんなん、ひどいやん!」

「……別に、ひどくはありません。道場は広いですし」

「せやけど! あそこ冷房も暖房も無いやん!」

「どうにも寒い夜は電気毛布を使いますし、冷房は家にもありませんよ。夏は蚊帳を吊れば十分に過ごせます」

「………たしかに、夏は琵琶湖の水温のおかげで……風もあって……島のみんなも、そうしてる家もあるけど……けど…、再婚前の子供を家から追い出すやなんて…」

「誤解しないでください。私は追い出されたわけではありません」

「…………けど……」

 鮎美は鷹姫の家の構造を考えてみる。夕食に招かれたときも狭かった。考えてみると就寝は親子四人で限界だと思われる。それに比べて道場は広い。しっかりと剣道が行えるように十分な広さがあって造りも立派だった。追い出されたわけではないという言い分もわからなくもないけれど、やっぱり不憫に感じる。それゆえ鮎美は思いついた。

「なあ、うちの任期が始まったら二人で部屋を借りよ。六角駅のそばくらいに」

「島を出て行くのですか?」

「そうやなくて、今週かて選挙応援のおかげで、ぜんぜん家に帰れてないやん。夜中に舟を呼ぶのも悪いし。朝かて集合場所に間に合わせよ思たら一時間は早く起きんならんから、こうやってビジネスホテル暮らしになってるけど、落ち着かんし。任期が始まったら東京との往復らしいやん。平日は国会、週末は地元って話で。新幹線で帰ってきて六角駅前までなら帰れても島までは無理あるし、東京に向かう日かて島から出発はきついやん。せやから、二人で部屋を借りて、無理なく島に帰れる日は島で暮らして、忙しいときは駅前の部屋で寝たらええやん。もちろん、家賃は、うちが出すし」

「いえ、半分は出します」

「ええんよ。どうせ、半分は事務所費で落ちるやろし」

「それは問題があるのでは…」

「大丈夫らしいよ、静江はんに訊いてみたことあるもん。な、そうしよ。二人で暮らそう」

「…………」

「も、もちろん、帰れる日は島に帰って、な? た、単に利便性の問題やん。今週かって島から着替えやら教科書やら、いろいろ親に持ってきてもらったりあったやん。それが駅前に一つ拠点があったら、受け渡しも便利やし、やっぱり事務所はいるかもしれんし、資料とか、いろいろ置く場所もいるし。事務作業するデスクかって、いつもいつも党の支部ちゅーわけにもいかんやん」

「……それは……そうですが……それなら、純粋な事務所として借りた方が良いのでは?」

「…………。た、たまに二人で泊まれるようにしておくと便利やん。島に戻れんときとか」

「それは、たしかに……」

「と、とにかく考えておいてな。うちは、その方向で部屋を探してみるし」

「……はい、わかりました。もう休みましょう。明日も早いですから」

 そう言って鷹姫はベッドに入って目を閉じたけれど、鮎美は色々と考えてしまい、すぐには眠れなかった。

「………」

 今は選挙応援中という状況のおかげで鷹姫と外泊を繰り返しているけれど、それも投票日には終わってしまう。そもそも、もう鷹姫へ身体を重ねようとしたりしない、と誓ったはずなのに、それでも諦めきれず秘書と議員という関係性の中で最大限に甘えてしまっている。

「……鷹姫…」

 小さな小さな声でのつぶやきに鷹姫は反応せずに、もう眠っている。その寝顔を見ていると、キスをしたくなる。もう眠っているなら、また身体を重ねて、キスをして、舐めたりしても、夢かうつつか認識せずにいてくれるかもしれない。けれど、それが悪行だともわかる。

「……」

 せめて、と鮎美は安らかに眠っている鷹姫の顔を見つめながら、自分を慰めた。

 

 

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