第7話 八月 同性婚、異常性愛者、日本の核武装

 八月となり夏休みに入って、鮎美と鷹姫は朝から自眠党支部で勉強していた。鮎美がタメ息をつく。

「はぁぁ……勉強勉強の日々かいな……」

「座学ばかりでは身体がなまります。鮎美も朝稽古に参加しては、どうですか?」

「あんな激しい練習の後に、しっかり勉強できる、あんたはえらいわ」

 鮎美は一切の興味が湧かない六角市道路整備計画の冊子をパラパラとめくった。大まかにでも頭に入れておけ、と言われているけれど、そもそも自動車を運転した経験がないのでピンとこない。

「まあ、学校のみんなも興味のない科目でも頑張って受験勉強してるんやから、うちも頑張らなあかんのはわかるけど」

 そう言って鮎美は興味をもっているNPO法人ライフイージスが送ってきた冊子を読む。遺伝子診断や社会の多様性について書かれている。

「……生まれつきの障碍も難しいなぁ……性同一性障碍の保険適応も……健保って、いわば公金やし……」

「芹沢先生、その分野の問題は不用意な発言は絶対にしないでくださいね」

 静江が資料を整理しつつ念押ししてくる。今は他の党員も出入りする支部にいるので、呼び方は鮎美ちゃんではなかった。

「はいはい。………けど、自眠党としては多様な結婚って、どう考えてはるん?」

「なお慎重な議論を要する、よ」

「先送りかぁ……」

 もう言葉の言い回しの真意がわかるようになってきた鮎美がタバコの煙で汚れた天井を見上げていると、直樹が冷たいミルクティーのペットボトルを額に置いてきた。

「クールダウンに、どうぞ。芹沢先生」

「おおきに。雄琴先生」

「何を読んでいたんだい? 同性愛者の結婚? また、変わった分野のことを……」

「雄琴先生は、どう思う?」

「ふむ、どうでもいい」

「………。国民の代表やろ、任期中、現役の」

「したい人たちは勝手にすればいいさ。ボクには理解できないね」

「少数者の権利ってのもあるやん?」

「そういうときは憲法に立ち戻ると。結婚については、えっと、何条だったかな…」

 直樹が思い出せずにいると、鷹姫が六法全書を必要なページを開いてから渡してくれる。

「雄琴先生、どうぞ」

「ありがとう。君は優秀だね。あ、これこれ、第24条、家族生活における個人の尊厳と両性の平等、1婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。2配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。さて、この条文を素直に読めば、両性、すなわち男と女を想定しているよね、次に夫婦ともある」

「……。そういえば憲法にあるんやった……」

「そんなに残念そうな顔をするなら……そうだね、また解釈次第で、なんとか余地は作れるかもしれない。たとえば、性同一性障碍があって性転換した後なら、以前は同性であっても問題なく結婚できるだろうね。生物学的、医学的にはともかく憲法上は両性だろう」

「ほな同性愛者は?」

「9条と同じく強引に解釈して、第二項の配偶者の選択に関して個人の尊厳と両性の本質的平等を謳っているところから、二人の個々人の尊厳によって選択することは自由で、どうせ本質的に平等なんだから異性だろうと同性だろうと、いいんじゃないか? って風に考える手もあるかな」

「なるほど……解釈で……」

 鮎美が感心していると静江が怒る。

「雄琴先生、9条解釈を強引とか言わないでください。あと、解釈次第で憲法なんか、どうとでもなるって思考を勉強中の芹沢先生に吹き込まないでください」

「ごめんごめん」

 直樹は笑顔で謝り、両手をあげて降参というポーズをとったけれど、笑顔から真顔になると断言する。

「どのみちボクに言わせれば、異常性愛者なんて、すべて滅するべきだね」

「「………」」

 その発言で鮎美と静江は彼の妹が小児性愛者に惨殺されたことを思い出したけれど、鷹姫は知らず、話題に興味が無さそうに与えられた資料をめくっている。県北部のダム建設についての資料で、こちらへも興味はもっていないものの与えられた課題なので理解に努めている様子だった。直樹は話を続けている。

「小児性愛だろうと、同性愛だろうと、そんな気持ちの悪い連中はジェノサイドしてやりたいね」

「雄琴先生、言葉は選びましょう」

 静江が注意しても、直樹は続ける。

「ああ、そうだね。人権ってことを考えるなら、せめて治療として、そういう頭のいかれた連中の脳の、その部分だけ重粒子線で焼いてやればいい。癌治療みたいにね。いっそ保険適応してやれば、そういう犯罪者を捜査し収監し処罰する経費も浮くし、被害者も出ない。最高じゃないか」

「……。せやけど、ロリコンと同性愛は別の問題やないですか?」

 鮎美が恐る恐る問うと、直樹は微笑してから室内の照明をすべて消した。おかげで窓から入ってくる外の日差しだけになり、室内の雰囲気が変わり怪談話でもするような気配で直樹は中央に座った。

「これはアメリカで起こった同性愛者による犯罪の話だよ」

「「………」」

 静江と鮎美が聞きたいような、聞きたくないような顔で黙って傾聴し、鷹姫も暗くて資料が読めなくなったので諦めて直樹を見る。

「飽食のロバートと逮捕後に呼ばれるようになったロバート・エリクソンは主にネバネバダ州で殺人を繰り返した。手口は、こうだ。海外派兵されていた海兵隊員の帰還時期を狙って基地の近くを車で通りかかる。何度か通れば必ずといっていいほど、帰宅の足を求めてヒッチハイクする男性隊員がいる。治安がいいとはいいにくいアメリカであっても、女性は用心するものの、男性はヒッチハイクをするのに、さほど用心しない。まして、海兵隊員だ。それなりの屈強さはあるし武器の扱いにも慣れてる上、近接格闘術だって習ってる。ヒッチハイク狙いの強盗だって、わざわざ狩りにくい獲物は狙わないだろうし、国家に貢献した帰還後だからね、親切にしてもらうことを期待したとしても、そう彼を責められはしないさ。むしろ、哀れな被害者になる」

「「「…………」」」

「ロバートは拾った男性を助手席に座らせて車を走らせながら、こう勧める。後部シートにマーケットで買ったビールがある好きなだけ呑んでくれ、と。たいていの被害者は、なんて親切な紳士なんだと喜んでビールを口にした。中には、どうして、そこまで親切にしてくれるんだ? と慎重な質問をした男もいた。そういう男にロバートは言った。私の甥はベトナムから帰ってビールを呑むことができなかった。アーリントンの墓石にビールをかけるより、お前さんに呑んでもらう方が、よっぽど嬉しいさ、と。ここまで言われると99%の被害者候補はビールを口にした。わずかに被害をまぬがれ、無事に目的地でおろしてもらった者は、たった3人。宗教的理由で、どうにも飲酒ができない者と体質的にアルコールを受け付けない者だけだった」

「……ビールに何か入ってたん?」

 鮎美が焦れて話の先を促した。

「よく効く睡眠薬がね。こうした犯罪に使われるので最近では手に入りにくいけれど、当時は簡単に処方されていた。本国に帰還した兵士だ、戦地と違い安心しているさ。ビールを呑んで眠くなっても、それは疲れだと思ったろう。けれど、目が覚めたときは手錠と鎖で自由を奪われた状態で車は森の中だ。そして、ロバートは自らの歪んだ性欲を満たした」

「「「………」」」

 鮎美と静江は、ここまで聞いたので最後まで聞いておきたくて黙り、鷹姫は暗さに目が慣れてきたのでダム建設の資料をめくった。

「飽食のロバートは同性愛者であり食人鬼だった。カニバリズムと言った方がわかりやすいかな。彼の脳内では食欲と性欲の区別が曖昧だったのか、混同されているのか、哀れな被害者は動けぬまま、その肉を食いちぎられ、失血死するまで苦しんだそうだよ、そのときのことをロバートは自供するとき喜々として語ったそうだ。屈強な隊員が泣き叫んで母さん、母さんと助けを求める瞬間が最高だとね」

「「…………」」

 鮎美と静江は気分が悪くなり、鷹姫は県北部にダムは要らないような気がしたけれど、それは個人の見解として言わないことにして、次に新幹線新駅の資料を開いている。

「実に三百人以上の被害者を生んだ連続殺人事件の発覚が、あまりにも遅れたのはロバートが肉をすべて食べてしまい、骨を焼いていたこともあるけれど、帰還したはずの海兵隊員が帰宅しなくても誘拐されたとは考えず、戦地での体験から精神的に病み、次の勤務を恐れて逃げたのではないか、と考えられたためで、まさか性犯罪の犠牲になっているとは家族も捜査当局も考えなかったからだ」

「そろそろ…」

 静江が夏休みの怪談話の雰囲気から本来の業務に戻ろうとしたけれど、直樹は続ける。

「この話には、まだ続きがあってね。当然、ロバートは極刑に処されることになった。薬物による安楽死という手ぬるい方法で。けど、問題なのは、そこじゃない。ネバネバダ州には死刑囚へ最期の晩餐を選ぶ権利が与えられていた。何でも好きな物を最期に喰わせてやろうというフザけた法律があってね。普通、それらは巨大なハンバーガーだったり、ワインとステーキだったり、山盛りのフライドチキンだったり、ピザやポテトだったりしたさ。好物を頼むわけだ。そして、ロバートが頼んだのも、彼の好物だった。当局が、どうやって、それを用意したのかは謎だけれど、やはり彼にも、その法律が適応され、望む肉を与えられてから、安楽死したそうだよ。享年54歳。奪った人命の数は三百余、だいたい20代の筋肉質な男性が犠牲者だった」

 直樹が話を終え、照明をつけた。

「さて、少数者の権利だか何だか知らないけど、多数の被害者を生む異常性愛者に、どんな権利があるっていうのか、まったくボクにはわからないね。ヤツらは駆除すべき害虫だよ」

「「「………」」」

「とくに許し難いのはヤツらは人の善意につけ込むところさ。このロバートは甥の話を作って帰還兵の同情と油断を誘った。うちの妹だって車イスの娘が入れるトイレを探しているから近くにあれば案内してほしいと言われて、わざわざ等身大の子供のリアルな人形と車イスまで後部シートに載せていれば信じてしまうさ。そうやって他人の善意を踏みにじって自分の欲望を満たす、もはや人の皮をかぶった悪魔だよ」

「……………」

 鮎美が青ざめて視線を彷徨わせると、静江は意図して話を変える。

「雄琴先生、そろそろ勉強に戻らせてもらいますね」

「あ……ああ、すまない。……つい長話を」

 やや我を忘れていた直樹は短く謝った。静江が鮎美の前にダム建設についての資料を置き、簡単に概要を説明する。それで鮎美も気を取り直し、内容を把握すると率直につぶやいた。

「……このダム、やっぱり要らんのちゃう?」

「芹沢先生」

 静江が怖い顔で微笑しているので、鮎美は意見を変える。

「はい。どうぞ建設してください。めちゃ役に立つと思います」

「ははは、すっかり教育されてるね。けど、議論を深めておかないと、ただのイエスマンでは困ることもあるよ。正直、ボクも、このダムの必要性は疑問視している」

「雄琴先生、また、そうやって…」

「たしかに水害対策は必要だろうけど、もっとも危険なのは下流の低地に住んでいる500世帯だろう。その500世帯二千数百人のために、260億円のダムが建設される。1世帯あたり5200万円も投下されるなら、いっそ移住させるべきだよ、ダムが建設される山村を移住させるよりね」

「もう山村の移住は終わっていますから」

「今さら止められない、ってやつだね。たしか、新幹線の新駅も用地買収は終わってたっけ?」

「はい、すべての地主から土地を買い上げています。この買い上げにだって現場は、とても苦労しているんですから」

 静江は兄と県知事が苦労していたのを知っているし、鮎美も察した。

「そやろね。不動産の買い上げは大阪でも問題やったわ。完成させたい道路が、いつまでも一軒が立ち退かんことで未完成のままになって、おかげで交通事故で何人も死んだりするし、渋滞も起こる。いくら個人の財産権かしらんけど、ある程度は強制的に、そこそこの金額で買い上げな、公共の利益に反するやろ。うちのいてた高校でも二つ上の男子が、いびつな形の道路のせいで事故死しはったし。ずっと現場に花が供えられてて、一年後に居づらくなったんか、立ち退きしはったけど、遅いちゅーねん」

 直樹が教える。

「一応は土地の収用委員会というのがあって、そこで強制的に収用することの是非を会議することができる仕組みもあるけれど、あまり機能していない。というのも、以前に空港建設や道路建設で、強制的な手続きをしていたら、建設に反対する左派運動家が委員の一人だった弁護士を襲撃した。ひどい襲撃でね、大型ハンマーで両肘と両膝を砕いた。命を取らないまでも意図的に重い後遺症が残るようにして、結局は傷の痛みと完治しない障害から、その弁護士は人生を悲観して自殺してしまった。以来、委員に就任するのに、みな及び腰でね。機能不全を起こしてる。結果、不便だろうと不合理だろうと、売らない地主は放置、バブルの頃なら多額の対価を積んだかもしれないけど、今の財政では血税を一人の地主に投下するのも賛成されない」

「高く売りたいのはわかるけど………意地になってる人もおるやろね」

 静江が付け加える。

「そんな中、ダムも新駅も用地買収が終わってるんです。これで工事中止なんて説明できませんよ」

「いわゆる今さらやめられない、ってやつだね。でも井伊市の方では、党の一部まで反対を公言してるけど」

「え? 自眠党やのに、反対してはるんですか? おおっぴらに?」

「井伊市には東海道新幹線開業の頃から駅があるのは知ってるよね」

「はい、一応」

「その井伊駅から40キロ京都よりに新駅を造れば、当然に井伊駅の乗降客は少し減る。六角市から東京へ行く人は今まで通り井伊駅を使ってくれるだろうけど、新駅ができる三上市の人は当然として県南部の何割かは井伊駅ではなく新駅を使うだろう。これは井伊市にとっては損失だ。だから、自眠党議員が反対したとしても党員も市民も頷いてくれる。党本部も仕方ないな、って顔して黙認さ」

「え~……ほな、県全体の発展とかは?」

「市議は市の発展を考えるけれど、県議や衆議院議員には県内で分轄された選挙区があって一番に考えるのは選挙区の利益になるんだよ。だから井伊市を選挙区にもつ議員は新駅建設に積極的でないし、三上市を選挙区にもつ議員は血眼になって建設しようとする。結果、自眠党議員であっても井伊市に基盤がある人は新駅反対だし、逆に眠主党議員であっても三上市に基盤がある人は新駅に賛成したりする。一本気な供産党だけは三上市から立候補していても新駅反対だったりするけど、当選しなかったりする」

「……。県全体として必要か、不要かを考えんの?」

「実は、それを考えるのに、もっとも適した選挙区をもっているのは県知事とボクら参議院議員さ。知事もボクらも県全体を一つの選挙区としている」

「選挙区かぁ……まあ民意の反映ちゃー反映なんかなぁ……」

「それでもボクは井伊市民だからね。ちょっと北部よりになる。六角市は、だいたい中央だから芹沢鮎美の見解は下手をしたら県政の分水嶺になるかもしれないね。君のポロっと零した一言が長年の計画を完遂させたり破綻させたりするかもしれない」

「うっ……プレッシャーを…」

「実際、ボクのところにも知事選に向けて反対派からのアプローチが多い。眠主党も含めてね」

「そうなんや? 会わはるん? そういう人らと」

「ボクは任期中だからね、面談を求められれば党や意見の異なる人たちとも時間の許す限り会わないと」

「うちにも、いろいろ陳情くるし……任期が始まったら、もっと容赦ないんか……」

「そうだよ、おかげで、たまに、いろいろな問題が、どうでもよくなることがある」

「雄琴はん……それをゆーたら、おしまいやん」

「ああ、だから気をつけてるよ。ちなみに井伊市民として新駅の欠点を教えておくならば、まず井伊駅と違い新駅は在来のローカル線に接続しない。新駅と在来駅は500メートルも離れていて歩くには、きつい。おまけに京都より以西へ行くなら、京都か新大阪で乗り換えることになるから、今まで通りの在来線で行っても、たいして時間は変わらない。なのに、建設費は330億円と同規模の平均的な新幹線駅の2.6倍を計上してる。おまけに請願駅だからJRは一円も出さないし、JRとしては採算性を疑問視しているのかもしれない。さて、それでも造るのか、しかも県全体の借金で、となる」

「つまり、反対なんやね。県の北部は」

「けど、北部は北部でダムを造ってもらう予定だ」

「………お金の引っ張り合いやん。しかも一部の利益のための」

「政治の本質は予算の引っ張り合いだよ」

「……………やばい……うちも、いろいろな問題が、どうでもよくなって……」

「雄琴先生! 芹沢先生のやる気を奪うならポスター貼りでもしてきてください!」

 静江が直樹を追い出して、しばらく勉強させて昼過ぎになると車で市内の料理店に移動した。高級な和牛レストランで鐘留の家が卸している琵琶牛を使用している店だった。

「今日は、お兄ちゃんがおごってくれるって」

「合法的な範囲で?」

「鮎美ちゃんは発言が軽いのに、そこは気にするのね」

「お金の問題って一番失敗しそうですやん」

「いい心がけね。金と女、これが一番失敗するから、まあ鮎美ちゃんが女で失敗することはないとして、変な男と付き合うのはやめてね」

「…はい…」

「石永さん、私まで連れてこられても……」

 鷹姫は料理店が市内の有名店で高そうだったので戸惑っている。

「あ、今回は気にしないで。普通、議員同士が会食するとき、秘書は同席しないけど、私とお兄ちゃんの関係もあるし、宮本さんは鮎美ちゃんとも友達だから、こういう店の雰囲気も知っておいて。これも勉強」

「はい」

 三人が店内に入って玄関そばにあるソファで話していると、静江の兄も入店してきた。若い衆議院議員らしい青みがかったスーツを着ていて逞しい体格と日焼けした顔をしている兄の石永は2期目の二世議員で、父は大臣まで務めている。

「やあ、芹沢さん。久しぶりに、お会いできて嬉しいよ」

「こちらこそ、本日はお招きに預かり光栄です。石永先生におかれては、ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます」

 鮎美が挨拶し、鷹姫も頭を下げると、石永は気さくに笑った。

「ちゃんとした挨拶も大事だけど、そうかしこまらないで気楽にしてくれていいよ」

「そう言うてくれはるんでしたら、そうさせてもらいます」

 もう何度も会っている仲なので鮎美も緊張せず、予約していた個室に入って会食する。琵琶牛のランチコースを食べながら、石永が言う。

「芹沢さんは危機管理については、どこまで考えたことがあるかな?」

「危機管理ですか……」

 あまり知識のない分野だった。静江が兄に言っておく。

「男って、すぐ自分が得意な話にもっていこうとする。お兄ちゃん、地元市民への報告会でも防衛と危機管理の話ばっかりで、もっと市民生活にそくした話をしなさいって御蘇松知事にも怒られてたでしょ」

「お前は黙ってろ」

 石永が妹にヘッドロックをかけた。

「「……」」

 鮎美と鷹姫が驚いていると、静江はヘッドロックから抜けるために肘打ちを兄のわき腹に入れた。

「ぐふっ……く! やるな。飯時に腹を狙うとは」

「フフフ、先に仕掛けたのは、そっちよ」

 静江と石永がプロレスの構えを取ったので、ますます鮎美と鷹姫が驚く。それに気づいて静江が構えを解いた。

「お兄ちゃんのバカ。二人があきれてるでしょ」

「すまない。つい…」

「ごめんね、お兄ちゃんプロレスバカだから」

「お前もだろ」

 どういう兄妹関係なのか、だいたいわかったので鮎美は気楽に座り直した。そして話題を戻す。

「えっと、危機管理の話でしたよね。石永先生」

「ああ」

「付き合わなくていいわよ。知多半島はミサイル撃たないし」

「お前、家に帰ったら絞めるからな」

「フフン。できるかしらね」

「仲のええ兄妹で、よろしいですね」

「……美味しい……」

 話の流れとは、まったく別に鷹姫は一口食べた琵琶牛のしぐれ煮が美味しすぎて思わずつぶやいていた。それで静江が冷静になる。

「ごめん、ごめん、まあ、今日の目的はお兄ちゃんと鮎美ちゃんの親善だから気楽でいいんだけど、あんまりハメを外しすぎるのもよくないね。どうぞ、お兄ちゃんの政治的見解ってやつを披露してくださいな」

「まったく、お前は……。まあ、けど、芹沢さんの評判もいいし、うまく教育役をしてくれてるみたいだな。ありがとう、静江」

 石永も気を取り直して語る。

「国において、もっとも大切なことの一つは危機管理なんだ。日本を取り巻く環境の中で、懸念すべきことは何だと思う?」

「えっと……朝鮮供産主義人民共和国、いわゆる北朝鮮のミサイル問題なんかですか。ずっと38度線で南北に分かれて南の大麗民国(だいらいみんこく)と争ってる」

「うん、麗国(らいこく)と北朝鮮の問題も日本にからむね。他には?」

「他……と、言われても……」

「君たち高校生には、あまり知らされていないけれど、仲華人民共和国と、かつてソ連だったロシアも十分に脅威だよ」

「仲国(ちゅうごく)とロシア……そうなんですか……」

 鮎美の反応が薄いので石永は鷹姫に問うてみる。

「宮本さんは剣道が強いんだって?」

「はい」

「せやから、謙遜とか覚えいて!」

「ははは。面白いね。つっこみのタイミングが、さすが大阪出身」

「そんなんで誉められても嬉しいぃないです。鷹姫の剣道は本物やけど」

「では、宮本さんは戦いの観点から、現在の日米、ロシア、仲国、麗国、北朝鮮、台湾、東南アジアの関係を、どう感じる?」

「…………」

 鷹姫が黙って考え込み、答える。

「攻め入るべき大義名分のない竦み状態です」

「ほお、さすが」

 石永の目が鮎美より鷹姫に興味をもった。静江からも鷹姫が剣道日本一であるばかりでなく学業優秀で、党が与える勉強にも熱心であり、また読書家でもあって主に軍記物を愛好していることは聴いている。

「では、現状の打開策は?」

「………。打開のために動くより、静を保ち現状を維持しつつ、兵と刀を鍛えるべき時期です」

「うむ、いいね。宮本さん、いいよ」

「宮本さん、それお兄ちゃんの前ではいいけど、よそで言わないでね。自衛隊は兵じゃないからね」

 静江は抑えるけれど、石永は言ってみたいことを言った。

「自眠党の中でも極端な意見にはなるけれど、個人的には日本も核武装すべきではないかと考えているんだ」

「………」

「核って……」

 鷹姫が黙り、鮎美は戸惑う。石永が問いかけてくる。

「お二人は、どう思う?」

「……………」

 鷹姫が考え込む間に鮎美が答える。

「それは、ありえんでしょ」

「なぜ?」

「なんでって……無茶というか、無理っちゅーか……9条もあるし」

「もし、9条がなければ?」

「う~……それでも……広島長崎のこともあるし……」

「むしろ、その二度の体験こそが、二度と撃たれたくないという核武装への動機にならないかな? 今だって日本を、東京を、狙っているミサイルはある」

「……それは、……」

「単純な話だよ。向こうが真剣を持っているのに、こちらが竹刀では勝負にならない」

「せやからって……」

 鮎美の反応が、ごく普通の女子高生の範囲で予想内だったので石永は鷹姫に期待した。

「宮本さんは、どう考える?」

「いくつもの条件がありますが、日本も核を持つべきでしょう」

「おお」

「「え~…」」

 石永が嬉しそうに、鮎美と静江が嫌そうに声をあげた。石永が先を促す。

「その条件とは?」

「あくまで核は最期の最期、進退窮まったときの最終手段として秘密裏に用意しておくべきであり、それを国際社会に公言すべきではありません」

「だが、公言しなければ核の抑止力は期待できないが?」

「不甲斐ない話ですがアメリカの核の傘を期待しておけば良いでしょう。ただし、この期待が裏切られた場合の備えとして持っておくのです。ゆえに、秘密裏に持つべきであって、公言しては国際社会から蒙る批難と圧力によって、かえって国を損ねるでしょう。また、世界が求める潮流として核不拡散の方針がありますが、唯一の被爆国である日本が核をもつことは核不拡散の道を完全に閉ざします。他の小国たちは、被爆国の日本でさえ持ったのだから我々も、と続いてしまうでしょう。これは世界全体の利益を損ね、危険性を高めます」

「うむ………たしかに……」

「ゆえに核武装は秘密裏に、そして同時に兵を鍛え、覚悟を高め、いざ危難のとき我らは核が無くとも、その武威にいささかの衰えもなく、いかなる脅しにも怯みはしないと見せつけておくことが抑止力になります。なまくらな真剣より、気の籠もった竹刀。そして隠し持った脇差し、その二段構えです」

「……素晴らしい! 女性とは思えないほど、よく考えている!」

 石永が感動して言い募る。

「宮本さん、私の秘書にならないか? 君は素晴らしいよ。ぜひ、私のところに来てほしい!」

「え……」

「なっ?! ちょっ! あかん! あきませんよ!」

 鮎美が鷹姫を両腕で抱きしめて言う。

「鷹姫は、うちの秘書です! 絶対あきません!」

「お兄ちゃん……何を言い出してるのよ……冗談はやめて」

「本気で言ってる。宮本さんの見識、これは希有だ。実に貴重だ。旧軍士官の心意気…いや、武士の魂を感じた! ぜひ、私のところで秘書をやってほしい。今の二倍、いや三倍の給料を出そう」

「三倍……」

「っ! イヤや! 鷹姫、行かんといて! うちの秘書でおってよ!」

 鮎美が涙を流して懇願するので静江が怒った。

「お兄ちゃん! いい加減にしなさい!」

「静江、お前…」

「鮎美ちゃんが泣いてるでしょ! バカっ!!」

「………すまない……つい興奮して……」

「本当にバカなんだから」

「いや……けど、今の高校生で……ここまで考えてる子は、なかなか……。惜しいな……。私はいつでも歓迎だから、気が変わったら来てほしい」

「お兄ちゃん!」

「ああ、わかった、わかった。すまなかった。ごめん、芹沢さん。秘書を盗ったりしないから、もう泣かないでくれよ」

「…ぐすっ…」

 鮎美は濡れた目で石永を睨みつつ、まだ鷹姫を抱いたまま離さない。

「危機管理に話を戻そう」

「「「………」」」

「戦後、日本は危機管理について考えてこなかった。国家に危難あるとき、どう対応するか、そのマニュアルさえない。もし東京へ核ミサイルが飛んできたら、どうなると思う?」

「「「…………」」」

「こういったことを平時から、ちゃんと考えておきたいわけだ」

「………うちは、秘書を盗られんように考えておきます。ぐすっ…」

「嫌われたわね」

「すまなかった。静江、あとフォローを頼む」

 もう居心地が悪くなったのと、次の予定があるので石永は退席し、女三人だけでデザートを食べてから店を出た。まだ鮎美は鷹姫に腕をからめて抱いていた。

「芹沢先生、そろそろ離してください。外に出ると暑苦しいです」

「盗られたら、イヤやもん!」

「芹沢先生……」

「芹沢先生、もうお兄ちゃんも行ったから。あと人目もありますから」

「…ぐすっ…」

 鼻を啜りながら鮎美は抱いていた腕を離したけれど、右手で鷹姫の手を握った。その様子を見て静江は午後からの勉強を諦めた。

「今日は、もう島に戻る?」

「「………」」

 無言だったけれど、ほぼ肯定だった。

「じゃ、送るわ」

「ありがとうございます」

「…おおきに…」

 港まで送ってもらう間に鮎美も落ち着いた。夕方前なので定時の連絡船を待ち、1時間以上も手をつないでいた鷹姫が汗ばんだ手を離して欲しくて言う。

「そろそろ、いいですか。鮎美」

 二人きりなので、そう呼んだ。

「……ごめん……おおきに……」

 それでも名残惜しく手を離した。鷹姫がつぶやく。

「………あんなに泣くなんて……」

「……ずっと、うちの秘書でおってよ」

「………」

「鷹姫……」

 不安そうに呼ばれると、鷹姫は微笑した。

「わかりました。そこまで言われるのも秘書冥利に尽きることでしょう」

 そう言って武士が主君に忠誠を誓うように鮎美の前に膝を着いて見上げた。

「二君にまみえることなく、お仕えしましょう。我が忠誠は、すべて、あなたに」

「っ……」

 あまりに嬉しくて鮎美は抱きついた。

「鷹姫! 鷹姫! 大好きやよ!」

「お気持ちわかりました」

 鷹姫も抱き返して、島に戻ってからも二人で過ごすために、島の大山に登って語り合った。とりとめもないことを話して、その最期に鮎美は夕日を反射する琵琶湖の美しさに勇気をもらって、問うた。

「鷹姫は同性愛って、どう思う?」

「……。なお慎重な議論を要する、です」

「うっ…いや、そういう党としての見解やなくて。鷹姫、個人の。個人的な見解として、どう思うかなって聞きたいの」

「私の………」

 少し考え、すぐに答える。

「人の道に外れた愚かな行為です」

「っ…」

 訊かなければ良かったと、強く後悔した。

 

 

 

 翌日の早朝、鷹姫は道場で目を覚ますと眠っていた布団を片付け、朝稽古の準備をする。準備の途中で門下生たちも現れ、いつも通りに稽古を始めた。その稽古が終わりかけになり、鷹姫は対戦していた健一郎と、わずかの差で先に胴を打たれ、面を打ち込んでいた。

「今のは健一郎さんの勝ちです。とても、よかった」

「ハァ…ハァ…あざす!」

「そのように、ありがとうございますを省略する癖はやめなさい」

「は…はい。…ハァ…」

 健一郎は一礼して稽古を終える。鷹姫も防具を外しながら、つぶやいた。

「健一郎さんが上達したのか……私が、なまったのか……あるいは、その両方……」

「両方だな」

 父の宮本衛(まもる)が言った。短い髪と鋭い目つきの衛は長女の目を見て続ける。

「人間、二つのことを成すには今まで以上の精進が要る。同時に休息も」

「はい、心得ておきます」

「朝食にしよう」

「はい」

 着替える前に、少しは気にするようになったので濡れタオルで身体の汗を拭いてから制服を着て、自宅の食卓へ向かった。自宅は狭くて小さい。もともと小山の中腹にあった平地に道場が大きく築かれ、それに付属するように家が建てられているので、島にある他の家々が小さめである以上に狭かった。そして狭いけれど家具も少ないので家族5人がそろって食事をするスペースくらいはあった。

「「お父さん、お姉ちゃん、おかえりなさい」」

 5歳と3歳の腹違いの妹が元気そうに言ってくれる。

「「ただいま」」

 父が居間の上座に座り、鷹姫は朝食の準備をしている継母に声をかける。

「お手伝いします」

「ありがとう。ギルが焼けてる頃だからお皿にもってちょうだい」

「はい」

 焼き魚を皿にもって食卓に運んだ。家族5人で朝食をとると8年前から継母となっている郁子(いくこ)が現金で2万円を差し出してくる。郁子も最初の結婚相手を病気で亡くし、島内で人間関係が限られる中、お互いの年齢が近かったこともあり、衛と再婚してからは二人の子宝に恵まれていた。

「鷹姫さん、お給料をそのまま渡してくれたでしょう。少しは手元に持っていないと街で行動するのに困りますよ」

「はい。大切に使います」

「こちらこそ、とても助かりました。この子たちも、よく食べるようになったから」

「鷹姫、すまないな。もし仕事がつらいなら、いつでも辞めていいんだぞ」

「いえ、慣れないことばかりで疲れますが、つらいということはありません。ご心配なく。ごちそうさまです」

 食べ終えた鷹姫は食器を片付けて玄関で靴を履く。その靴は高校入学時に近所で高校を卒業した親戚からもらった物を3年使っているので古くなってきているけれど、通学時の歩行距離が短いので靴底は残っている。制服もおさがりを3年使ってきたので、こちらは限界に近いものの、夏服は9月末までで用済みとなるので、静江から遠回しに買い換えるように言われたけれど、このまま使うつもりだった。

「いってきます」

「「お姉ちゃん、いってらっしゃい」」

「姫花(ひめか)、姫湖(ひめこ)、あなたたちも準備なさい」

 継母の声を背後に聞きつつ鷹姫は港に向かった。夏休みなので学校は無いけれど、今日も自眠党支部で静江から教えを受けなければいけない。通学ではないので老船頭の手を煩わせることはさけ、連絡船を待っていたものの、鮎美が定刻になっても現れない。船長が問うてくる。

「芹沢先生は、どうしたんじゃいな?」

「……。わかりません。見てきます」

「じゃったら、待ってるわ」

「いえ、定時運行してください。向こうでも迷惑になりますから」

「けんど、議員先生を置いて出発するのは……」

「芹沢先生は特別扱いされることを避けておられます。どうか、定時運行をお願いします」

「そうか……まあ、定時じゃしな……」

 通学で乗せてもらう小舟と違い、他の客もいるので一人のために待たせることを鷹姫も固辞したし、船長も鮎美の自宅方向を眺めてから、誰も来ないので出発することにした。鷹姫は港から鮎美の家まで歩く。その途中で健一郎と彼の母親に出会った。

「あら、鷹姫さん。ちょうどいいわ」

「はい?」

「今週の日曜日、名古屋へ出かけようと思っているの。いっしょに、いかが?」

 そう言いながら母親は健一郎を肘でついて促した。健一郎が恥ずかしそうに許嫁である鷹姫へパンフレットを見せて言ってくる。

「…6月に、はやぶさが小惑星から持ち帰った欠片が…名古屋市科学館で展示されてるから…鷹さんも、……どうっすか?」

「はやぶさ……」

 そういえば、そんな話が自眠党支部でも世間話になった気がするけれど、あまり興味はないし、だいたいの日曜日には党関連の予定が入る。夏休み、ほぼ毎日のように出勤しなくてはいけないけれど、それで月給30万円なら不服は無かった。

「せっかくのお誘いですが、日曜日にも予定があります。申し訳ありません」

「そ、そうっすか…」

「残念ね。忙しいみたいだけど頑張ってね」

「はい。では、急ぎますので、これで」

 鷹姫は頭を下げて、すぐに鮎美の家に急いだ。

「おはようございます。芹沢先生は、ご在宅でしょうか?」

 玄関前で鷹姫が挨拶すると、美恋が出てきて答えてくれる。

「いるわよ……けど、起こしても起きないの、ごめんなさい」

「ご体調を崩されたのですか?」

「そんな感じでもないけれど……宮本さんは、しっかりアユちゃんに敬語を使うのね。私も先生って呼んだ方がいいのかしら?」

「……それは、……どうでしょう……わかりません……」

「ちょっと様子を見てきてくれる? あんまり疲れてるなら、私も心配だから行かせたくないし」

「はい、あがらせていただきます」

 鷹姫は靴を脱いで階段を登り、鮎美の部屋に入った。

「芹沢先生、どうかされましたか?」

「………」

 鮎美の姿は見えないけれど、布団が盛り上がっているので、そこにいるのだと一目瞭然だった。

「芹沢先生、どうされました?」

「……二人っきりのときは……鮎美って…呼んでよ…」

「鮎美、どうしたのです?」

「………何でも、あっさり……」

「もう時間ですよ。体調が悪いのですか?」

「……………気分が……」

 鮎美の声には元気がないけれど、風邪を引いているような枯れた声ではなかった。

「そうですか。では、石永さんに連絡して…」

 鷹姫は党から支給された携帯電話をカバンから出したけれど、ちょうど静江から着信が入る。

「もしもし、芹沢鮎美の秘書、宮本です」

「教えた通りに応答するのは、えらいけど、私からの着信だって画面に出るでしょ。いちいち私にまで秘書って名のらなくていいから」

「はい、以後気をつけます。石永さんからの電話の場合、どう受話するべきですか?」

「うっ…う~ん……もっと柔軟に……まあ、うっかり失礼があるよりは、そのままでいいかもしれないけど……。ま、それは、そうと。船に乗ってなかったけど、どうしたの? 乗り遅れた?」

 静江は対岸で到着を待っていて二人が現れないので電話してきたのだった。

「芹沢先生がご気分がすぐれないようです」

「風邪?」

「どうでしょう……」

「過労かもね」

「そうかもしれません」

「わかったわ。回復したら、連絡ちょうだい」

「はい」

 静江との電話を終え、鮎美の様子を見る。枕元に正座して呼びかけた。

「芹沢先生」

「……二人やし…」

「鮎美、顔くらい見せてください」

「…………」

 鮎美が潜っていた布団から少しだけ顔を出した。長時間泣いていたような顔だった。

「何かあったのですか?」

「…………」

 昨日の夕刻に鷹姫から同性愛は、人の道に外れた愚かな行為、と断言されてから鮎美の気分は下降する一途で夜中ずっと泣いていた。今は涙も枯れて、気力も尽きて、起きることさえ億劫だった。

「このまま寝ていますか?」

「………」

「そうした方が良さそうですね」

 鷹姫は立ち上がろうとしたけれど、鮎美が手を伸ばしてきてスカートの裾をつかんだ。

「鮎美、どうしたのです?」

「……ここにおってよ」

「わかりました」

「…………」

 鮎美は横になったまま、正座している鷹姫の膝を見つめる。鷹姫はスカート丈を変更していないけれど、正座すると両膝は見えるし、その膝と膝の間も少しだけ見える。ゆっくりと鮎美は虫が這うように、鷹姫の膝へ顔を近づけた。

「何をしているのですか? 鮎美」

「……膝枕して」

「膝枕……」

「お願い。そうしてくれたら、元気出るかも」

「そんなことで……。それなら、どうぞ」

 素直に鷹姫が膝枕してくれるので鮎美は嬉しかった。後頭部に感じる鷹姫の腿が愛しくて仕方ない。そっと両手を伸ばしてスカートの上から腿を撫でた。

「………」

「………」

 ずっと腿を撫でていても何も言わないので鮎美はスカートの中へ手を入れたくなる。拒絶されないように、拒絶させないように、ゆっくり指先からスカートの中へ手を入れた。しっとりと湿った肌の感触が指先から伝わってきて、鮎美は衝動に支配される。

「寝返りしてええ?」

「どうぞ」

 言質を取ってから鮎美は寝返りして後頭部ではなく顔を鷹姫の腿へ埋めた。呼吸すると鷹姫の匂いが胸いっぱいに入ってくる。再びスカートの中へ手を入れて肌を撫でた。

「鮎美、くすぐったいです」

「…ちょっとだけ…我慢して…。鷹姫の元気を分けて…」

「こんなことで元気になるのですか?」

「うん…、…充電中なんよ」

「鮎美の顔、とても熱いですよ。熱があるのかも」

「平気やから…、このまま…ジッとしてて」

 そう言った鮎美は少しずつ少しずつ鷹姫のスカートをめくっていき、顔で直接に腿へ触れた。

「…鷹姫の腿…、…冷たくて…気持ちええよ」

「そうですか。ぃ、息がくすぐったいです」

 鷹姫は内腿の間を通る鮎美の呼吸がくすぐったくて逃げようとしたけれど、逃がすまいとして鮎美の両手がお尻を押さえてくる。鮎美の両手がスカートの中で臀部を捕まえて離さない。

「………」

 これ以上は、あかん、あかんのに、もう止められへん、と鮎美は少しの葛藤をしたけれど衝動に飲み込まれて、指先を鷹姫の下着の中へ入れていくと同時に内腿を舐め始めた。

「くっ、くすぐったい! やめてください!」

「ハァ…ごめん、もう少しだけ…ハァ…」

 いよいよ鮎美の両手が下着をさげる。

 ズルッ…

 どうしても脱がせたかったし、間違ったことだと理屈ではわかっていても、鷹姫の股間に至りたかった。けれど、あと少しというところで鷹姫が怒った。

「やめなさいと言っているでしょう! いい加減にしなさい!」

 一瞬、鷹姫は股間を開いた。その次の瞬間に鮎美の後頭部を膝頭で押さえつけ、鷹姫の股間にキスしようとしていた鮎美の唇は畳へ不本意なキスをさせられる。さらにお尻を掴んでいる鮎美の右手首を握ると、大きく肩を捻ってあげる。

「痛い痛い?!」

「言ってきかないからです! ふざけるのもたいがいになさい!」

 肩を捻られた鮎美は仰向けになって肩関節を脱臼させられるのから逃れたけれど、間髪無く鷹姫が両内腿で鮎美の肘を挟み込むと、後ろへ倒れ込む。鮎美の顔と胸は鷹姫の脚で押さえつけられ、鷹姫の胸の柔らかさを鮎美は腕先で一瞬だけ感じたけれど、次の瞬間には鷹姫が背筋をそらせ、鮎美の肘関節を反対に曲げてくる。

「痛いいいい! ギブ! ギブ! まいった! まいった! 参りました! ううう!」

「たっぷり反省なさい!」

「折れる折れる?! いいいたあああ!」

 鮎美が降参しても、すぐに鷹姫は力を抜かず、怪我をしないギリギリのところまで痛めつけてから、解放した。

「ハァ…ハァ…折れるかと思もた…ハァ…ハァ…」

「いつまでも、ふざけるからです。人の身体を舐め回して、あなたは犬ですか」

「ハァ…ハァ…怒ってる?」

「当たり前です!」

「ごめんなぁ……」

「まったく! 十分に元気ではないですか。悪ふざけもたいがいになさい」

「へへへ……ごめん、ごめん…」

 怒っていると言っても、下手をすれば強制わいせつ罪になりかねない行為を悪ふざけという認識で済ませてくれそうなので、鮎美は肘の痛みを忘れることにした。

「静江はん、どう言うてた?」

「回復したら連絡するよう言付かっています」

 怒っていても秘書としての応答はしてくれる。もう、それほど怒っている顔ではないので鮎美は微笑ませたくて言ってみる。

「ふざけたお詫びに、かねやのシュークリームおごってあげるよ」

「……」

 怒っていた顔が甘味を期待する顔になったので鮎美は安心した。そして卑怯だと自覚しつつも、意図的に話題を変えながら、また鷹姫の肩に触れる。

「眠主党が言い出してる高速道路の無料化って、どう思う?」

「無料化の社会実験をしているようですが、その結果次第……ただ、私は車の存在しない、この島で育ったので高速道路を体験したのは修学旅行の…、あの、鮎美、暑苦しいですからベタベタと触ってきたり抱きついたりするのはやめてください」

 肩に触れるだけでは足りず、すぐに鮎美は抱きついていた。

「うちの秘書が盗まれんように確保してるんやもん」

 甘えた声で言うと、タメ息をついて諦めてくれる。

「はぁ……十分に元気ですね。次の便で支部に向かいましょう」

「え~………ここで鷹姫と二人で勉強したいなぁ。島でええやん」

 鮎美も人前では抱きつけないことをわかっている。この部屋にいれば、またチャンスがあるかもしれない、と企んでいる。鷹姫が言う。

「シュークリーム、かねやは島にはありません」

「そうやったね。ごめん、ごめん。着替えるわ」

 鮎美はパジャマを脱ぐ。下着も脱いで裸になったけれど、鷹姫は静江へメールを打っていて鮎美を見たりしない。見てくれないので鮎美は裸のまま布団に座った。

「なあ、うちのおっぱい大きいと思わん?」

「はい、大きいと思います」

 メールを送信した鷹姫が認めた。

「でも、鷹姫のおっぱいは形がいいよね」

「そうなのですか。あまり考えたことがないので、わかりません」

「ちょっと比べっこしよ。脱いで見せて」

「支部に向かう予定を忘れていませんか?」

「どうせ、連絡船は1時間後やん」

「それは、そうですが…」

「なぁ、おっぱい見せて」

「……イヤです」

「シュークリームに抹茶パフェもつけるから」

「………」

 少し迷った鷹姫がブラウスのボタンを外し始めた。ブラジャーも脱いでくれる。

「ええ形してるわ。最高に」

「大きい方が男性は喜ぶと聞いたことがあります」

「男なんて、どうでもええやん」

 鮎美の手が鷹姫の胸に触れる。

「この柔らかさといい、形といい、鷹姫の身体はホンマにキレイやね」

「……あまりベタベタ触らないでください」

「腋の毛も剃ってないのが自然な感じで、むしろカッコいいし」

「そろそろ服を着てもいいですか」

「あと少し。なあ、スカートも脱いで見せて」

「どんな意味が?」

「うちも裸なんよ。比べっこしよ」

「………」

「妹さんらにも、お土産のシュークリーム買ってあげるよ」

「……」

 血は半分しかつながっていないけれど、あの子たちの笑顔は見たかった。鷹姫がスカートの留め金を外してチャックをおろした。

 パサッ…

 スカートが畳へ落ちる。鮎美は当然という手つきで鷹姫の下着をさげる。

「……」

「……」

 二人とも裸になった。

「手つないでいい?」

「…」

 鷹姫が手を出してくれるので優しく握った。手を握りながら身を寄せると胸と胸が接する。鮎美は今すぐ抱きついてキスをしたくなったけれど、もう失敗したくないので慎重に攻める。

「ホンマに鷹姫の身体はキレイやね」

「……そう誉められても……」

 戸惑っている鷹姫の首筋へキスをした。

「ぅ、何度も言いますが暑苦しいです」

「ちょっとだけ抱っこさせて」

「……」

 拒否されなかったので鮎美は両腕で鷹姫へ抱きついた。ぴったりと身体をよせ、一つになる。

「…ああ…」

 声を出すつもりはなかったのに感情が高ぶって、どうにも切なく喘いでしまった。身体が熱くて、すぐにも理性を失いそうで、自分が怖い。明らかに鷹姫は何もわかっていないのに、うまく誘導して裸にまでしてしまった。けれど、これ以上は口実が思いつかない。ただ、一つだけ悪辣な方法は脳の片隅にある。有名店のシュークリームとパフェは2000円くらいするけれど、鮎美の手元には200万円がある。もしかしたら、鷹姫はそれで身体を許してくれるかもしれない、そんな邪悪な期待をしてしまう。許嫁だからと、あまり頓着せずに結婚しようとしている鷹姫なら、愚かと言った行為でも頓着せずに受け入れてくれるかもしれない。

「………」

「………」

 けれど、そんな援助交際のような汚いことはしたくないし、させたくない。でも、させたくないけれど、いっそ手に入らぬなら、どんな手段を使ってでも手にしたい。鮎美は感情と衝動が高ぶって泣きそうになり、そして喉元まで悪魔の提案がせり上がってきた。

「もし、うちに…」

 それを止めさせたのは、階段を登ってくる母親の足音だった。もう服を着ている時間はない。鮎美は鷹姫から離れると、堂々と立った。美恋が紅茶を二人分もって部屋に入ってくる。

「お茶を……。アユちゃん、裸で何やってるの? 宮本さんまで」

「ちょっと野球拳をしててん! 大阪の女子高生にとって野球拳は必須やから鷹姫に教えたろ思て!」

「…………。大阪の女子高生全員に謝りなさい。あなた、前の学校でも似たようなことをして問題を起こしたでしょ。後輩を無理矢理に脱がせて…」

「わあー! わああ! その話はカットで頼んます!」

「これからは議員になるんだから、しっかりしてちょうだい。変なことで週刊紙に載らないでよ」

 美恋は小言を言いながら紅茶を置いていった。鷹姫が黙って服を着るので、鮎美も着てから紅茶を飲む。そして言い訳のように加える。

「かねやで紅茶もおごるから」

「………。母親を悲しませるのは、とても悪いことです」

「っ…、そ、そうやね、気ぃつけるわ」

 受け流したけれど、鷹姫の一言は昨日と同じほど胸に刺さった。外に出て真夏の港で連絡船を待ち、二度も静江に出てきてもらうのは悪いので、また便数の少ないバスを待ち、支部に出向いたのは昼前だった。遅くなった分を取り戻して勉強し、昼休憩も遅い時間になった。それぞれに持参の弁当を食べながら、静江はテレビをつけた。

「皇太子妃の…」

 皇室のことを報道していた。

「ご静養から公務への復帰に…」

 長く精神的な病から公の場に出ることが少なかった皇太子妃が回復傾向にあることをレポーターが説明していると、静江が同情して言う。

「なかなか男の子が生まれなかったから、相当なプレッシャーだったでしょうね。女って大変」

「今は二人もお子さんいはるんちゃいましたっけ? 男の子と女の子が、バランス良う」

「ええ、義仁(よしひと)様が15歳だったかな、あと由伊(ゆい)様が7歳かな。って、映ってるわね」

 テレビには学校が休みなので栃木県の那須御用邸で休暇を過ごしている15歳と7歳の兄妹が映っている。長いカットではなく、ほんのわずかな時間だけ撮影され、両親と微笑み合う光景が紹介された。静江が言う。

「子供が二人も、というよりは一人しか男の子がいないのは問題ね。男系男子による存続が望まれてるから」

「ふーん……」

 また、鮎美が興味をもったこともない問題だったけれど、鷹姫は知っていた。

「皇統の存続は最大の課題です。まだ、あと一人二人、お産みになるべきでは……」

「そういうプレッシャーが皇太子妃を追い込むのよ。必ず男の子を産めって、すごいプレッシャーだと思うわ」

 鮎美が弁当を食べつつ言う。

「いやいや生物学的に、性別を決定するんは男からくる精子がY染色体ありか、XXかやん。もろに男の責任やで」

 それは理科でも保健体育でも習っていたし、近頃は鐘留から遺伝子についての書籍を借りることもあり、鮎美は皇太子妃の責任を否定した。

「だいたい確率論的に、必ず男で家系をつなぐって不可能ちゃう? うちのお婆ちゃんも7人姉妹で7人とも女で男兄弟なしやったらしいよ。けど、なんとか養子をもらって家名を残したらしいけど」

「芹沢家や石永家とは違うわよ。天皇家は絶対に男系で残すべきって考え方の人もいるから」

「アホや」

「言葉は選んでね。とくに皇室関連は一発辞職コースもあるから」

「はいはい。けど、たしか女帝もいたやろ? 女でもええやん」

「らしいけど……」

 静江も詳しくないけれど、鷹姫は詳しかった。かつての女帝をすべて暗記していて語ってくれた。そして付け加える。

「ですが、やはり男系男子という伝統は確立してきていますから、望ましくは男子継承かと思われます」

「ほな、もう奥さんを二人、三人ともらって江戸幕府の大奥みたいにするしかないんちゃう?」

「はい、かつては正室の他に女御や更衣、典侍などがおり正室が男子を産まなかった場合にそなえていましたが、近代になって天皇陛下自らが多婦は人倫に悖るとして廃されています」

「ふーん……」

 男女の結婚、まして皇室のことに興味をもったこともなかったので鮎美の認識は浅かった。もうテレビは話題を変えている。

「CMの後はアナログ放送終了とデジタル放送への移行について特集を…」

「このテレビも買い換えないとダメなのかしら」

 静江がブラウン管のテレビを見て言っている。

「意外と古いテレビを使ってはりますね。自眠党っていうたら、なんかお金いっぱいありそうやのに」

「物は使えるうちは使うのよ。お金持ちはお金を使わないから、お金持ちなの」

「あ~、なるほど……それ、ケインズ経済論的には、一番やめてくれや、ってヤツちゃいます? もっと景気よーつかえ! みたいな」

「資本そのものに蓄積する傾向と、そもそも富みの増大こそが目的ですから、呼吸するなと注文をつけるのと同じでしょう」

 鮎美と鷹姫の受け答えを聴いて静江は満足そうに頷いた。

「だんだん教育効果は出てきたわね。自然にケインズがでるあたり。実際、大学の基礎過程でやることを速攻で無理矢理つめこみながら、平行して社会常識と議員常識、地域のこと、行政組織や法令のことまでつめこんでるのに、よく二人ともついてきてくれてるわ」

「思い返すと、高校までの勉強ってホンマ社会で役に立ちませんやん。なんか意図的に無知にされてる気ぃするわ」

「センター試験までの学習は、与えられたマニュアルと法則を理解し応用する能力と、丸暗記する記憶力の程度で人を篩い分けするためのものだから。実社会で役立つ知識を与えないのは、余計な知恵をつけて理屈をこねる新社会人になってほしくないからよ」

「身も蓋もない話やなぁ……」

 鮎美が弁当を食べ終わると、テレビが別のニュースを流している。

「東京足立区で発見された111歳になるミイラ化した男性の遺体が見つかった事件で警視庁は、この男性の娘で年金を引き出していた女性に事情聴取するとともに、全国でも所在不明の超高齢者が多数存在していると見込み、年金の不正受給に…」

「えげつない話やな」

「この国は社会保障費の増大で沈むのではないでしょうか。切り捨てるべきは切り捨てなければ、幹そのものが倒れてしまうように感じます」

「宮本さん、さっき予算の勉強をしてくれて理解力も記憶力も確かだってわかるけれど、よそで言ってはいけないことは、より確かに覚えてね。他の先生方も内心で思ってるけど、絶対に言わないことって、いっぱいあるから」

「はい」

 鷹姫も食事を終え、すぐに勉強を再開すると静江に頼んで5時には、かねやの喫茶店まで送ってもらった。来店することを鐘留にメールで知らせていたので、出迎えてくれた。

「ハーイ♪ お久しぶり。アユミン、宮ちゃん」

「おひさ」

「お久しぶりです」

「夏休みになって、ぜんぜん会えないから淋しいよ」

「せやから来たやん」

「アタシより、このサービス券が目的なくせに」

 鐘留は店の会計が3割引になる券を見せて言う。

「ってか、アタシといっしょならタダなのに」

「おごってもらうのは、あかんねんて」

「なのにサービス券はいいんだ?」

「他のお客さんにも特別な便宜無しに提供されているサービスなら問題ないねん」

「せこいね、細かいね」

「やかましわ」

「きゃははは、静かな方がいいしさ。二階の奥に案内するよ」

「その前にシュークリーム、売り切れてない?」

「たぶんね。お持ち帰り? いくつ?」

「5つほど頼むわ」

「あの子たちは二人ですよ」

「土産にすんのに、家族の人数分ないのはカッコつかんやん」

「そういうものなのですか……」

 話ながら二階へあがって三人で着席した。鷹姫は抹茶パフェとシュークリーム、鮎美はストロベリーパフェを頼み、鐘留はモンブランを食べる。

「カネちゃんの露出、休み中は、より激しいなぁ」

「そう?」

 鐘留は丈の短いキャミソールと短パンを着ていて、すらりと美しい手足は丸出しだった。鮎美は見ないようにしようと思っていても、ついつい露出された鐘留の内腿や腋、胸元を見てしまう。ミュールから見える足の指も可愛らしくて、爪には凝った金魚のネイルアートまでされているので触りたくなってしまう。

「ジロジロ見ちゃってさ。アユミンの視線って、ホントエロいよね」

「ちゃ、ちゃうよ。金魚のデザインが可愛いなって」

「あ、これ。ウフフ、いいでしょ」

 久しぶりに会えて鐘留は機嫌が良さそうだった。よく見えるように鮎美の方へ足を向けてあげてくる。

「キレイやね。ちゃんと金魚に目ぇまである」

 鮎美は足の指に触れてネイルアートを見つめた。涼しげで自由そうな金魚が鐘留に、よく似合っている。手にとって足を見つめている鮎美を見下ろしていると、鐘留は悪ふざけを思いついた。

「アタシの足にキスしてくれたら、党員になってあげよっか?」

「え…?」

「この前、テレビでやってたよ。自眠党の国会議員って党員確保のノルマが課せられるんだってね。なんか眠主に押されてきて、次の総選挙が危ないらしいね。政権交代かもしれないって」

「よー知ってるな」

「アユミンに関係するしさ。で、ノルマ、どうなの?」

「まあ、うちらは衆議院やないからノルマってほど、強くは言われてないけど、増やしてくれるにこしたことはない程度には言われるよ」

「へぇ、もう誰か勧誘した?」

「鷹姫が入ってくれた」

「秘書じゃん。他は?」

「他は、まだや」

「アタシも入ってあげてもいいかもよ」

「……。ホンマに入る気ぃあって言うてくれてる?」

「あるよ。ほら、アタシの足にキスしてごらん。党員になってあげる」

「…………………」

 やや迷った鮎美が口づけする。

「ぇ…、ちょ……マジで…」

 鐘留は冗談だったのに、本当に足へキスをされて戸惑った。

「…アユミン……」

「したよ。これで約束通り、党員になってや」

「……うん……ごめん……」

 鐘留は罪悪感を覚えて、涙を滲ませた。

「ごめん……アユミンがノルマとか、そこまで気にしてると……思わなかった。言ってくれれば、こんなこと……してくれなくても……入ったのに……ごめん」

 鐘留が指先で涙を拭きながら言い募ると、鮎美も非常識な行動をしたことに気づいた。普通なら、いくら党員になってほしくても友人の足へキスをしたりはしない。ふざけた冗談だと一蹴して、勧誘だけは進めればよかったものを、それほど強要されたわけでもないのに、あっさりと実行してしまった。そこには根本的には鐘留の足に惹かれていたという動機があってこその行動で、鷹姫以外には口づけしたくないという想いは、党員確保のためという言い訳で自己欺瞞され、あとに残った欲望だけが鐘留の足に吸いついていた。

「……本当に……ごめん……ごめんなさい……アタシは……アユミンとは対等な友達でいたいよ。ごめん……」

 けれど、キスをされた鐘留には、そんなことはわからない。なのでノルマのために、なりふりかまわずになっている友人のプライドを踏みつけにしたと感じて泣けてくる。

「ごめんなさい……変なこと、させて…」

「うん……もう、ええって。泣かんでよ。冗談で言うから、冗談で返しただけよ。大阪人はノリにもボケにも身体はるねん」

「ぐすっ……身体はりすぎだよ」

「平気、平気♪」

「……アタシはアユミンたちと会う前にシャワー浴びたから……足も、そんなに汚れてないはずだよ……そんなの言い訳にならないけど……」

「せやから、平気やって。冗談やってんろ」

「…うん……ごめん…」

 謝る鐘留の頭を、鮎美は立ち上がって抱きしめた。抱きしめると、こんなときでも欲望を感じる自分が嫌になる。あまり長居すると連絡船に乗れなくなるので、かねやを出てバスに乗って港まで移動した。

「お土産のドライアイス、保ちそうなん?」

「はい、大丈夫だと思います。たくさん、ありがとうございます、芹沢先生」

 今は他人も多いので、その呼び方で頷いた。

「うん、ええよ。あの子らも喜ぶとええね」

「きっと喜びます」

「けど、かなり歳の離れた妹さんやね。いくつやったっけ?」

「5歳と3歳です」

「ってことは、鷹姫が中学生くらいで……あのお母さん、若く見えるけど、鷹姫を産まはったとき、いくつなん?」

「あ……それは勘違いです。といいますか、私が言っていませんでした。すいません。今の母は父が再婚した人です。私の母は、私が幼い頃に事故で亡くなっています」

「そっ……そうなんや、ごめん」

「いえ」

「…………うちは鷹姫のこと……どれだけ知ってるんやろな……」

「………………私も、芹沢先生のこと、よく知りません。今日は、驚きました」

「……ごめん………変なことして……」

 鮎美は午前中に鷹姫を裸にしたことを謝ったけれど、鷹姫はなぜか尊敬の眼差しを向けてくる。

「いえ、立派だと思います」

「………。……どこが?」

「党員確保のため、仕事のために、自分を抑えて無礼な人にも接する姿が本当に立派でした」

「あ………あれは……」

 どう答えようか考えているうちに連絡船が入港してきた。

「おーっ! 芹沢先生ぇ! 秘書さん! おかえりやす!」

 船長が叫んでくれる。手を振って答え、停船してから乗り込んだ。いつも通り10分で島に到着し、鷹姫は土産をもって自宅にいる妹たちを喜ばせると、すぐに剣道の稽古を始めた。それが終わって夕食を食べて入浴すると、寝間着で道場へ向かう。外にある厠から出てきた郁子とすれ違った。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい。鷹姫さん、いつも道場なんかで寝かせて、ごめんなさいね」

「いえ、広いですし、落ち着きますから」

 自宅は本当に狭くて五人の家族が寝る場所はなかった。妹が二人になってから、ずっと鷹姫は道場で眠っていた。

「でも、ごめんなさい」

「どうかお気になさらず」

 継母と別れると、鷹姫は道場に布団を敷いて一人で眠った。

 

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