第6話 七月 選挙、お金、性欲
真夏の七月となり、六角市の市議選投票日、朝から鮎美は迷っていた。日曜なので学校は休み、けれど議員候補者としては多忙な一日になる。まず投票に行かねばならなかったけれど、とても迷っている。
「……鈴木はんか、茶谷はん、どっちにしたもんかなぁ……」
まだ早朝なので投票は始まっていないけれど、ここ数日ずっと迷ってきた。鬼々島を含む地区が票割りされているのは茶谷で島をあげて応援している。
「うち……鈴木はんに入れるって断言したし……」
けれど、鮎美は最初の応援演説で鈴木へ投票すると言ってしまっていた。
「でも、茶谷はんは票割りされてる地区の人口が……」
茶谷の地区は島を含めた農村部で人口が少ない。ゆえに、票の数も限られてくる。
「夕べは、あんなに盛り上がったし……」
昨夜は最後の選挙活動ということで鮎美も茶谷の選挙事務所に呼ばれ、盛り上がる意味があるのか、ないのか、わからなかったけれど、雰囲気的な高揚感も演出され、公選法上の問題にならないギリギリの食事なども提供されていた。
「……茶谷はんも悪い人やないんやけど……うちにベタベタ触ってくるし……」
セクハラとは言いにくいギリギリの接触などもされるのは閉口しているけれど、それとなく静江が注意してくれたので忘れようと思っていた。
「皆さん、おはようございます!」
島内の電柱に設置されているスピーカーから放送が響いてくる。
「今日は六角市、市議会議員選挙の日です! 皆さん、投票に行きましょう!」
「………」
いよいよ投票が始まったようなので鮎美は無言で立ち上がった。階段を降りると居間に両親がいた。
「ちょっと行ってきます」
「「いってらっしゃい」」
玄次郎と美恋に見送られて自宅を出、家と家の間を歩く。いつも人通りが少ないのに、今日は投票へ向かう人たちが出てきていて、まるで何かの行事のように投票所へ近づくにつれ行列になった。
「婆さん、茶谷やぞ、書くのは茶谷!」
「わかっとーよ、わかっとー」
鮎美の前を歩いているのは自治会の役員で老婆を連れている。しばらく歩いて老婆が問う。
「で、誰に入れると?」
「茶谷じゃ! 茶谷! 小次郎さんとこの息子!」
「あ~あ、あのヒロちゃんなあ。もう、そんな歳になったんかい」
「最近は18の娘っこでも議員先生じゃからな」
役員がチラリと鮎美を見た。鮎美は軽く会釈する。
「おはようさんです」
「おう、おはよう。芹沢先生もご苦労さん。一人かいな? ご両親は?」
「父と母は、混むのを避けて昼過ぎに投票するんやと思います」
「まあ、それも手じゃな。けど、早う行かんと、カッコがつかんぞ。まして娘が本職になるんじゃから」
「は、はい……そういうもんですか?」
「そういうもんじゃ」
投票所になっている公民館が見えてくる。また老婆が問う。
「で、誰に投票しときゃええんじゃった?」
「茶谷じゃ! もう、ワシが入ってから言うけ、それまで書くの待っとけ!」
「大変ですね……」
鮎美の一言に返事はなく投票所についた。高齢者が多いので同じようなやり取りをしている家族も多い。
「茶谷やぞ」
「入れるのは茶谷な」
「………」
あかんやん、こんな投票所の目の前で連呼行為まがいに投票を促してたら、と鮎美は公職選挙法を読み切った知識から、違法行為だと感じたけれど、指摘する気にはなれず投票所に入って整理券を係員に出した。さすがに係員は島民ではなく市役所から派遣されてきている公務員のようで鮎美の名が入った整理券を見ても、事務的に対応するだけだった。
「こちらの用紙に候補者の氏名を書いて投票してください」
「はい。おおきに」
鮎美は白紙を受け取って、初めての投票をする。まだ、誰に入れるか、決めていなかった。
「………」
「茶谷って書け。下は弘幸な」
「これじゃね。茶谷弘幸と、弘幸って小次郎さんとこのヒロちゃんけ?」
「言うたじゃろ。もうええ、それ突っ込んで帰るぞ」
役員と老婆がアルミ製の机から離れたので鮎美の番が来る。
「………」
机に向かうと、目前には市議選の候補者27名の氏名があった。うち9名は自眠党会派なので鮎美は握手をして応援もしている。
「………」
どないしよ、けど、もう迷う時間も、っていうか迷ってたら変に思われるわ、と鮎美は鉛筆を握り、この場で決めた名を書く。机と机の間には大きな衝立があるので隣から見られることはないけれど、それでも茶谷以外の名を書くのに汗が浮いた。
「…………」
やっぱりウソはつきとうないもん、と素早く鮎美は鈴木義則と書いてから二つ折りにすると、投票箱に向かった。投票箱の付近には立会人が複数いて見守っているけれど、見張られているように感じた。さっと鮎美は投票箱に二つ折りにした票を入れ、タメ息をついた。
「はぁ……」
それから立会人たちに会釈する。
「ご苦労さんです」
「「「ご苦労様」」」
本日の最初の予定が終わり、次に港へ向かう。
「……秘密選挙って、めちゃ重要やな……今まで、別に隠さんでもええ思てたけど、絶対必要やわ」
地域が推している候補ではない鈴木に入れた鮎美は憲法の大切さを噛みしめつつ、投票を済ませた鷹姫と合流して連絡船に乗った。対岸に渡ると、すでに静江が待っていてくれて、彼女の運転で朝から事務所回りをする。投票日なので、たいていの候補者は事務所におり、国会議員をはじめ県議や首長たちも陣中見舞いのために訪れている。直樹や静江の兄の石永と出会うこともあったし、少し会話してお互い別の事務所へ移動するという行動パターンを続け、鮎美が訪れた5件目の事務所は鈴木のところだった。
「鈴木先生のご当選、心より祈念いたしております」
もう何度も似たようなことを言った鮎美が握手しながら鈴木に言うと、日焼けした顔で笑ってくれる。
「ありがとう! 芹沢さんのおかげもあって追い風を感じていますよ」
鈴木は握手をするだけで鮎美の肩や腕に触れてきたりしないので、鮎美も素直に笑み返す。
「……」
うちが鈴木はんに入れたんわ、セクハラまがいのことせんからかも、うちが初めて入れた人やし当選してほしいなぁ、と鮎美は握手をしながら思った。握手が終わって鈴木が付け加える。
「こう言っては何ですが、お若いのに短期間で板に付いてきましたな」
「そんな、うちなんか、まだまだ勉強中です」
「いやいや才能があるのかもしれない。初めての演説も堂々としたものだった」
「もう言わんといてください、思い出すと恥ずかしいですさかい」
本当に恥ずかしい思い出なので鮎美は少し赤面した。挨拶と握手が終わっても、あまりに早く立ち去るのは非礼にあたるので、しばらく鮎美たちは事務所に滞在する。事務所といっても、もともとはコンビニだった建物で今は商品棚もなく、がらんとしている。そこに折りたたみ式の長テーブルとパイプ椅子が並び、鈴木の支持者とヒマ人が談笑している。壁には必勝と大きく書かれた紙が何十枚も並び、それぞれに国会議員の名や市長の名が書いてあり、送った覚えが無いのに鮎美の名もあった。
「……静江はん、ちょっと気になるんやけど、ええ?」
鮎美が小声で問う。
「何かしら?」
「六角市の市長はんって眠主党やんな。やのに、なんで、ここに必勝の習字を送ってはるの? あと、うちの名前が入ってるのは、いつ作ったん?」
「眠主党と自眠党の関係は、供産党との関係ほど隔絶してないから、首長選挙で相乗り推薦を出すこともあるの。だから、逆に市議選の候補にも送ってくれるわ。まあ、本気で応援して回るのは当然、眠主党の候補なんだけど、こっちにも義理というか社交辞令で送ってくれるのよ。その後の市政運営もあるから、お互い無視するより、そこそこ顔をつないでおくってところかな。あと、芹沢先生のは、こちらで作って送っておきました。習字に自信があるのなら、次回から自署する?」
「やめときます」
「そろそろ、次の事務所に…」
静江が移動しようかと思っていたら県知事が訪ねてきたので移動を思い止まる。県知事の方も鮎美の存在に気づきつつも、まずは今現在の応援対象である鈴木に近づき、挨拶と握手を交わし、激励してから、こちらに向かってくる。
「芹沢鮎美さんですね」
「はい、こんにちは。……」
鮎美は県知事の顔を知らなかった。教えておかなかったことを静江は後悔したけれど、新しい参議院議員候補予定者が県外出身であることを知っている県知事は微笑して自己紹介する。
「県知事の御蘇松善行(おそまつよしゆき)です。これから宜しくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。若輩者にて知らないことばかりですが、何卒ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします」
もう持ち前の関西弁さえ入らないほど定型化している挨拶をして握手をする。
「本当にお若いですね」
「それだけです」
「大変でしょうが頑張ってください」
「おおきに、ありがとうございます」
具体的な話は何もなく、お互いの顔つなぎは終わった。忙しい県知事が立ち去るのを見送ってから鮎美たちも別の選挙事務所を回る。そして、最後に茶谷の事務所に到着して、そこに腰を据える。投票時間が終わり、いよいよ開票となった。
「これから開票です。ここまでの皆様の応援、この茶谷、どれだけ感謝しても感謝しきれぬほど、ありがたく思っております。今少し、今少しだけ皆様、どうか、お付き合いください」
茶谷がマイクで挨拶している。しばらく待っていると最初の当確が出る。茶谷ではなく眠主党の候補者だった。鬼々島の住民がローカル放送を見ながら、つぶやく。
「近頃、眠主党が伸びよるな」
「ほうじゃな。お、次は自眠じゃ!」
自眠党の候補者にも当確が出る。さらに供産党にも出た。定数の半分に当確が出ると、なかなか進まなくなってきて夜遅くなり、あくびをする者も増えてくる。鮎美も眠いのを我慢していると、とうとう茶谷に当確が出た。
「お! 出たど!」
「茶谷先生に出た!」
「万歳じゃ!」
「万歳! 万歳!」
「ありがとうございます!! 皆様のおかげです!!」
事務所内は大いに盛り上がるけれど、鮎美は複雑な気分だった。自分は茶谷には入れなかった、けれど、ここで茶谷の当選を祝っている。なんとなく裏切っているような気がするし、いまだ鈴木には当確が出ていない。
「……鈴木はんは、どうなるやろ……」
鮎美のつぶやきは静江には聞こえた。
「きわどい得票数だと、明日の朝まで当確が定まらないことも…あ、出たわ。鈴木先生も当選よ!」
「よかったわ!」
「けど、この分だと自眠と眠主は議席数で拮抗ね。次の知事選、どうなるかしら」
「また、すぐに選挙があるんですか?」
「9月に知事選があるわ」
「ほな、お昼に会おた御蘇松はんが?」
「御蘇松先生は現職の自眠だから最有力候補なんだけど、眠主が推してる女性候補も手強そうなの」
「女性なんや。どんな人なんですか?」
「加賀田夏子(かがたなつこ)、39歳で大学教授、数理経済学の専門家ね。その知識を活かして県が計画してるダム建設と、新幹線の新駅建設に反対しているの」
「ダム……ダムは要らんでしょ、アホみたいデカい湖があるのに」
「貯水というより水害対策よ。50年前から計画されて、もう村民の移転も終わってるの。今さら中止はできないわ」
「そういうもんなんや。新幹線の駅って、えっと、今は井伊市にありましたよね?」
「ええ、その井伊駅に加えて県南部の三上市に建設する予定なの」
「ふーん……必要なんですか?」
「井伊駅と京都駅の間は全国の新幹線で、もっとも距離があるの。ま、この話は他にも、いろいろ条件があるから、また後日、勉強してね」
「……はい…」
そろそろ事務所内が酒宴に移行してきたので鮎美たちは事務所を出ると、もう島に戻れる時間でもないので六角駅近くのビジネスホテルに入った。静江がシングル、鮎美と鷹姫がツインの部屋へ別れる。別れる前に静江が銀行通帳を二人へ渡してくる。
「はい、これ。宮本さんのお給料と、鮎美ちゃんの勉強会参加費とかね。どっちも会計処理と申告は、こちらで済ませるから自由に使っていいよ。派手なことはしないでね」
「「……」」
鷹姫と鮎美はもらった通帳を開いてみる。鷹姫が金額を見て驚く。
「っ……30万円……こんなに…」
記帳された党から振り込まれた額は32万1525円だった。静江が微笑んで説明する。
「出勤、ほぼ毎日だったからね。私は50万円ちょいもらってるけど、宮本さんが学校に行ってる間も、いろいろしてるから差があるのは、わかってね。宮本さんが卒業して専業秘書になったら、だいたい月額50万円だと思っておいて」
「は……はい………」
「鷹姫が30万で、うちが20万か……」
鮎美が通帳を鷹姫に見せる。党から振り込まれた金額の頭の桁は2で始まっていた。鷹姫が困惑する。
「私の方が多いのは、おかしいのでは……」
「ええよ、ええよ、20万でも高校生のバイトやったら、絶対無理やから。党にも何か給料とか手当の基準があんにゃろ。うちは任期が始まったら年収660万らしいし、今は20万でも十分やよ」
「鮎美ちゃん、よーく数を数えてみて。それ20万じゃないよ」
「え………」
鮎美は通帳を見なおし、金額を確かめる。
「いち……じゅう……ひゃく、せん、まん……じゅうまん……ひゃくま……200万?! ちょっ?! これ200万なん?!」
「そうよ」
鮎美の通帳には201万5000円が振り込まれていた。
「こ……こんなに?! なんで?! ワイロちゃうやろな?!」
「賄賂は銀行振込しないから」
静江が夜中のホテルのロビーなので人指し指を唇にあててから説明する。
「勉強会の参加費だけだと、ここまで多くないけど、今回は市議選の応援に来てくれたでしょ。言ったと思うけど、クジ引き議員は同じ党でも、やっぱり相互に選挙を応援する動機が働きにくいの。正直、かなり面倒じゃなかった? 応援演説も、挨拶回りも」
「ま…まあ……正直、意味あんのか、って…」
「だから、党が後援するのよ」
「な…なるほど…」
「やっぱり、人間、報酬あってこそ、頑張れるでしょ? 私もタダだったら女子高生の子守りすると思う?」
「「………」」
「いくら、お兄ちゃんに頼まれても、タダは無いでしょ。だいたい秘書って朝から晩まで、土日無しってこともあるし」
「たしかに、静江はんも朝から、この時間まで……日曜やのに。うちらも……鷹姫も、ずいぶん振り回して……ごめんな、うちのために」
鮎美に謝られて鷹姫は首を横に振る。
「いえ……報酬は、いただきましたから、……石永さん、これは…、本当に、いただいてもよいのですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます、助かります」
「「………」」
静江は事前の調査で鷹姫の家が豊かではないことを知っていたし、鮎美も薄々感じてはいた。住んでいる家は道場と隣接した小屋のような木造で、かなり小さいし、父親は剣道の指導を仕事としているけれど、門下生は島内に限られる上、きちんと月額の決まった月謝を集めているわけではなく、より貧しい家からは集金していない。月謝が農作物や漁獲物で代わりとされることさえあった。静江が時刻を見て言う。
「もう0時ね、休みましょう」
「「はい」」
返事をして鮎美と鷹姫は同じ客室へ向かった。
日付が変わって月曜日になった頃、鮎美と鷹姫はビジネスホテルの客室に入っていた。静江は三人でビジネスホテルに予約を入れるとき、ごく常識的に歳の離れた自分をシングルに、秘書と議員予定者といっても、もともとは友人関係で、いまだ高校生である鷹姫と鮎美をツインの部屋にしたし、それを鷹姫も普通のことだと感じていて、何一つ特別なことは感じなかったけれど、鮎美だけは市議選の結果以上に気にしていた。静江の部屋は6階だったのでエレベーターで別れ、鷹姫と鮎美は7階で降りて廊下を進み、鷹姫が言う。
「703、ここです」
鷹姫が静江から受け取った鍵で客室の扉を開けた。
「どうぞ、芹沢先生」
「……もう、二人っきりなんやから、先生はいらんよ」
「そうですね、では早く入りなさい。芹沢」
「ぅ~……いきなり目線が上下するんやね」
選挙戦の間に他人がいるところでは秘書として振る舞うことが板に付いてきた鷹姫が、ただの友人として呼び捨てにしてくると、鮎美は緊張しながら前から言いたかったことを言ってみる。
「二人の時は鮎美って呼んでくれへん?」
拒否されたら悲しいし、なんとか、そう呼んでもらうための理屈もいくつか考えていたけれど、鮎美に続いて客室に入った鷹姫は頷いた。
「わかりました」
「……あっさり承知するんやね」
「何か意味のあることなのですか? 鮎美と芹沢に、どんな違いが?」
「え、えっと……それは…」
そう呼んでほしいから、とは答えにくいので鮎美は現在の立場を利用する。
「それはな、うっかり二人っきりやないときに、芹沢って秘書が呼び捨てにしてたら周りが変に思うやん? けど、鮎美やったら周りも、ああ二人は友達やったね、と思うだけで終わるから」
「そうですか、わかりました。そういうことなら、そうします」
鷹姫が素直に納得しているので、鮎美は荷物を置く前に問う。
「窓際と奥のベッド、どっちがええ?」
「どちらでも、かまいません」
「ほな、このまま」
入室した順番による立ち位置で鮎美が窓際のベッドに座り、鷹姫は奥のベッドになる。
「あ~疲れたわぁ」
「ええ、本当に疲れました」
「お、お風呂、どうする? どっちが先に入る? そ、それとも、いっしょに入る?」
「お先に、どうぞ」
「う……うん……おおきに」
うっかり口走ってしまったことを後悔しつつ鮎美はバスルームに入った。シャワーを出しながら一人言を漏らす。
「変に想われたかな……つい言ってしもた。……こんな狭いビジネスホテルの風呂に、いっしょにって……ありえへんのに……」
制服を脱ぐのも苦労するほど狭い空間で裸になり、バスに入るとシャワーを浴びる。もう遅い時間なので髪と身体を急いで洗ったけれど、しっかりと入念に汗と垢を流した。歯を磨いて備え付けの浴衣を着て、額の汗を拭きつつ客室に戻った。
「お先です」
鮎美の声には返事が無くて、鷹姫の寝息だけが聞こえた。見ると、制服を着たままベッドに突っ伏して寝ている。
「そらそうやな、朝一から、この時間までやもん」
鮎美は髪を拭きつつ、ベッドに座り鷹姫の寝顔を見つめる。もう熟睡に入っているようで全身から力が抜けていた。鮎美が髪を乾かし終わっても、まだ眠っている。このまま朝まで眠ってしまいそうな様子だったので鮎美が迷う。
「お風呂に入らんと気持ち悪いやろ……どないしよ、起こすのも、かわいそうやけど、このままも、かわいそうや」
朝になれば静江が高校まで送ってくれる予定で、その朝に余裕があるとも限らない。
「せめて靴くらい脱ぎぃや」
鷹姫は少し休憩するつもりで横になった直後に眠ってしまったようで、靴も履いたままだったので、そっと静かに鮎美は靴を脱がせてやった。
「…………」
学校指定の紺色の靴下が汗で湿っているのに、つい触れてしまうと鷹姫は少し足を引っ込めた。
「ごめん、くすぐったかった? …………靴下も脱がしてあげよか?」
その問いに返事はなかったけれど、このまま寝てしまうにしても入浴するにしても脱がせておこうと想い、鮎美は両手で鷹姫の靴下をさげる。
「………」
剣道の達人らしく鷹姫の足の裏は硬そうだけれど、指の一本一本はキレイな形をしていて、鮎美は口の中に唾液が湧いた。この足の指を吸ってみたいという衝動が脳髄の奥から湧いてきて、鮎美を突き動かそうとするけれど、かろうじで踏みとどまった。
「……うち、何を考えてるねん……変態やん……」
脱がせた靴下をそろえて置いてから、鷹姫の足に触れていた自分の手先を唇に触れさせた。かすかに鷹姫の匂いがして、それを感じると脳が蕩けた。
「…………。なあ、制服を着たまま寝るのは苦しいやろ? 脱がせよか?」
「…ん~…」
返事なのか、寝言なのか、肯定なのか、否定なのか、どうとでも取れる声を鷹姫が漏らしたので、鮎美は自分の疲労感は、まったく忘れてしまい、鷹姫の胸のボタンを外していく。一つ、二つ、三つ、されるがまま鷹姫は眠っている。胸元から立ち上ってくる鷹姫の匂いを嗅ぐと、鮎美は自分の頭と下腹部が異常に熱くなるのを感じた。
「ほら、袖を通し」
「……」
鷹姫はブラウスを脱がされても目を閉じている。鮎美はブラジャーへも手を伸ばした。
「ブラも脱がせるよ」
返事は寝息だったけれど、鷹姫を上半身裸にした。薄暗いホテルの照明の下で、鷹姫の乳首を見た鮎美は前後の見境を無くした。もう理性は消し飛び、乳首を咥えて吸った。吸いながらスカートまで脱がせていく。
「ハァ…ハァ…」
乳首だけでなく鎖骨へも、うなじへも舌を這わせて舐め回した。塩味がしたけれど、とても甘美に感じて舐め続ける。
「ハァ…ハァ…」
「…んっ…」
鷹姫が目を開けた。
「っ…」
鮎美はドキリとして固まる。夢中で舐めていて、何も考えていなかった。けれど、鷹姫と目が合うと冷水を浴びせられたように固まり、そして怖くなる。
「…」
「…」
怒鳴られるか、泣き出されるか、罵られ軽蔑されるか、それとも一言の罵倒もなく絶縁され二度と口をきいてもらえないかもしれない、悪い想像ばかり湧いてくる。
「…」
「…」
すぐに拒絶されると怯えたのに、鷹姫が何も言わないでいると逆に希望的観測に惹かれる。鷹姫が微笑んで抱きしめてくれるかもしれない、実は鷹姫も前から想っていてくれたのかもしれない、そんな都合のいい期待もしたけれど、鷹姫の反応は鮎美の予想外だった。
「…」
鷹姫は邪魔そうに鮎美の顔を手で押しのけると、ポンポンと頭を叩いて、一人で寝ていなさい、とばかりに鮎美へ背中を向けて寝返りして、また眠った。
「………」
鷹姫の寝息が聞こえる。そして、鷹姫の裸の背中が見える。
「…………」
その愛しい背中を見ていると、寄り添いたくなり鮎美は浴衣を脱いで身体をくっつけた。
「……」
こうしてるだけで最高に幸せやから、と満足しようと考えたのに、すぐに飽き足らなくなり後ろから鷹姫のうなじや耳の匂いを嗅ぎ、さらに唇をあてる。唇をあてると、舐めたくなって、舐めた。
「…ん~…」
鷹姫が、また寝返りして逃げる。それを追って手首を捕まえ、腕をあげさせると腋も舐めた。強い塩味がして鮎美は恍惚とする。
「…ハァ…ハァ…」
「ん~…くすぐったい……いい加減にしなさい…」
また鷹姫が邪魔そうに鮎美の顔を押しのける。
「………」
押しのけられて様子を見ると、鷹姫は起きたわけではなくて眠りが浅くなっただけだった。鮎美は少しだけ自重して、また鷹姫の眠りが深くなったのを感じると、唇と舌で鷹姫に触れる。何度か鷹姫は押しのけたり逃げたりしたけれど、そのうち諦めたように抵抗しなくなったので鮎美は窓の外が明るくなるまで衝動のままに過ごした。
ピピピ! ピピ!
鮎美のスマートフォンが鳴って欲しくなかったのにセットしていた時刻通りに無粋な音を立て、鷹姫の眠りが浅くなる。
「ん~……」
つらそうに鷹姫は目を開け、そばにいた鮎美を見る。二人とも裸だった。
「……なぜ、あなたは裸なのですか? ………私も……」
「あ……えっと……うちは風呂揚がりで、そのまま寝てしもて。鷹姫は、うちが脱がせてあげたんよ。お風呂に入りぃって。やのに、あんたも寝てしまうし。もう時間無いし、シャワー浴びてきぃ」
「……そうですか……はい……そうします」
まだ眠そうに鷹姫はフラフラと立ち、バスルームへ向かう。狭いバスルームに入ると、自分の身体の匂いを認識した。
「…ぅっ…臭い……夕べ、そのまま寝たとはいえ……これでは緑野が茶化すのも、わからなくもない……周りの人も不快かも……。それにしても………眠い」
いつもなら朝稽古のために、すっきりと起きられるのに鷹姫は寝惚けた頭でシャワーを浴び、制服に着替えてから朝食のためにホテル二階のレストランへ鮎美と降りた。決めていた時間通りだったので、すぐに静江と合流してテーブルに着く。よくあるビジネスホテルの食べ放題の朝食を摂りながら、鷹姫がアクビを噛み殺しているのに静江が気づいた。
「お疲れみたいね。寝不足?」
「はい、夕べ、よく眠れなかったというか、変な夢を見てしまい、どうにも眠った気がしないのです」
「選挙の夢でも見たの?」
「いえ、もっと変な夢でした」
「そ、そうなんや。どんな夢を見たん?」
鮎美もホウレン草を喉につまらせそうになりつつ飲み込み、問うた。鷹姫は記憶を手繰り寄せつつ答える。
「はっきりとは覚えていないのですが……人ほどもある大きな黒い犬のような生き物……サラサラとした毛をした耳の長い犬のような……それが、私に覆い被さってきてペロペロハァハァと舐めてくるので、人なつっこいのはいいのですが夢の中の私も眠くて眠くて仕方ないのに、しつこく舐めてくるものですから、何度も押しのけたのです。それでも、何度も舐めてくるので、しまいには眠さが勝ってしまい、もうさせるがままにしておいたのですが、どうにも眠りが浅かったというか、寝た気がしないのです」
「人間ほどある犬に、覆い被さられ舐められるねぇ。フフ」
静江が意味ありげに微笑んで問う。
「宮本さん、欲求不満なんじゃないの?」
「そうかもしれません。かなり身体がうずきますから」
「「………」」
「このところ満足な稽古もできず運動不足ですから」
「そっちね……」
「そっちなんや……」
「他に何があるのですか?」
「ううん、何でもない。これ以上は高校生には言えないわ」
朝食を終えて静江は二人の高校生を学校まで車で送った。
「着いたわよ。……爆睡ね」
後部シートで鷹姫も鮎美も、ぐっすりと眠っていたので起こすのが可哀想だった。
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