第3話 六月 両院議長と野党党首、そして脅迫
次の日曜日、鮎美は六角市にある高名な料亭に来ていた。
「招福亭って……ここかな……。わかりにくいなぁ……ここで、ええんかな……」
遅刻はまずいと思ったので連絡船の都合もあり、40分も前に着いていたけれど、料亭の入口がわからず駅前の街路を行き来している。不意に背後から声をかけられた。
「芹沢鮎美さんですか?」
「ぇ、は、はい! そうです」
振り返ると、そこに参議院議長の竹村正義がいた。壮年の男性で上品なスーツを着ている。一人ではなく少し離れたところに体格のいい男性が2名いた。目つきが鋭く、竹村が微笑んでいるのに比べて、まったく表情がない。片方の耳にだけ無線機のイヤフォンを入れている。その体格は屈強で、すぐに鮎美はボディーガードなのだと察した。
「強そうな人らや……」
つい剣道をしていた経験で、そちらに目がいき、つぶやいていると竹村に笑われた。
「中学で剣道をされていたそうですね」
「え……あ、…はい…」
なんで知ってるねん、怖いわぁ、と鮎美が個人情報を把握された女子高生らしい表情をすると、竹村が謝ってくる。
「これは失礼。お嬢さん相手に、こういう物言いは逆効果ですね。ついつい、会談前にお相手のことを知っておくものですから」
「そうですか……どうも」
どう答えていいかわからない鮎美へ竹村が右手を差し出してきた。握手を求められる機会が急激に増えている鮎美も反射的に手を出した。
「……」
温かい手やな、と鮎美は竹村に好感を覚えた。少しだけする香水の匂いも、きっちりと整えられた髪も、好印象を与えてくる。父親より年上で、祖父よりは若い竹村へ、鮎美は吸い込まれそうな錯覚を感じた。
「……」
「少し早いですが、お店に入りましょうか」
「は…はい…」
竹村は迷うことなく料亭の入口へ入っていく。鮎美が個人宅の庭かと思っていた石造りの回廊が入口だった。まだ予約した時間まで30分もあったのに料亭の女将が玄関前で待っていた。
「いらっしゃいませ。竹村様、芹沢様」
「お久しぶりですね。井口さん」
竹村は女将の名も覚えているようだった。鮎美は立派な玄関から赤絨毯の敷かれた廊下を案内され、庭に面した広い和室へ通された。スカートで正座するのは嫌やな、と制服で来たことを後悔していたものの、和室には椅子があってスカートの裾を気にしなくて済みそうだった。椅子に座り、一口お茶をいただくと竹村が言ってくる。
「いろいろ大変でしょう、芹沢さん」
「は…はい……大変です、ホンマに」
「もし、本当につらいなら今からでも辞退されるのも、一つの選択肢ですよ」
「………。そう言ってくれはる人がいるとは……思いませんでした……」
鮎美は感動して泣きそうになってしまい、両手で口元を押さえた。正直なところ投げ出したいという気持ちがある。ごく普通の女子高生だったはずなのに、この1ヶ月ですべてが変わってしまった気がする。鮎美は冷たいオシボリで目を拭いた。
「……」
「……。つらいですか?」
「…………平気ではありませんけれど、頑張ろうと思ってます」
「強い人だ。こんな若者がいてくれることは、とても嬉しいものです」
「……どうも…」
やはり答え方がわからない鮎美が頭を下げていると、料理が運ばれてくる。
「お飲み物は、いかがなさいますか?」
鮎美がウーロン茶を頼むと、竹村も同じにした。第一印象から好感を覚えていた鮎美は会食が進むにつれ、ますます竹村へ惹かれた。一度として具体的な勧誘の言葉はなかったけれど、何度も鮎美は喉元まで「眠主党に入ります」と言いそうになったし、言いたいという衝動を覚えていた。それを言えば、目の前の紳士が喜んでくれる、そう想うと言いたい、この紳士の歓心を買いたい、そんな風に感情を動かされていた。それでもデザートの前にトイレへ行きたくなり、席を立って女子トイレの鏡を見たとき、気づいた。
「……うちは……思いっきり、のまれてるやん……」
鏡を見て、剣道の構えを取る。
「………竹村正義……すごい人や……鷹姫とは、また別の凄味が……」
竹刀を持って鷹姫と相対すると、絶対に勝てないと感じる。それと同じように、あまりに器の大きい政治家がもつカリスマ性のようなものは、こちらを圧倒してくるのだと、気づいた。
「間合いに入ったら、何しても勝てん……鷹姫は後ろからでも、あかんかった……気迫というか、オーラというか……政治でも剣道でも一流の人は、ちゃうわ……うちは凡人やなぁ……」
便座に座ってタメ息をついた。用を済ませて顔を洗うと、席に戻った。
「芹沢さん、あなた自身の人生が輝くように祈っていますよ」
それが竹村と別れるときの最期の言葉で、ついに具体的に勧誘されることはなかった。鮎美は頭を下げて会談を終えた。
「………なんか……フタマタかけてる女みたいで気が引けるわ……」
竹村との会談を終えた鮎美は、そのまま駅から電車を乗り継いで京都に出た。京都駅では直樹が待っていてくれた。いつも鮎美と会うときは、ごく普通の27歳の青年が着ていそうな私服を着ているのに、今日はスーツ姿だった。けれど、駅を行き交う会社員たちのような着古した感じはなくて、むしろモデルが撮影のために着ているような雰囲気があった。
「やあ」
「約束どおり来たで」
あえて鮎美はタメ口で軽い態度をつくった。これから会う衆議院議長の久野統一朗が、どんな人物であれ、お昼のように圧倒されたくないという警戒が働いている。
「また料亭とかなん?」
「どうだろう。久野先生の秘書からは何も聴いていないから」
「うち、お腹いっぱいなんやけど」
「それとなく秘書へ、そう伝えてみるよ」
「秘書か………うちの任期が始まったら、うちにも秘書が?」
「任期前でも政党へ所属すれば公費で雇うことになるし、任期が始まれば、ほぼ必ず必要になるよ。頑固に一人で頑張っている人も一部にはいるけれどね。一人でできることは結局、たいしたことないよ」
「ふーん……」
鮎美はスマートフォンで秘書制度について調べ始めた。まだ久野は姿を見せない。
「待たせて、ごめん。おそらく前の会談が長引いてるんだと思う」
「ええよ。うちの他にも誰か勧誘してはるの?」
「いや、たぶん京都府知事と何か話があるみたいだ。兵庫県知事も顔を出しているらしいから、きっと阪神淡路大震災被災者への最終的な対策についての会談だろう」
「………そんな大事な話の後って………どうぞ、ごゆっくりって伝えておいて」
「すまない。そういえば、君は大阪出身だったね。震災の記憶は?」
「うちが3歳くらいの話やで。なんも覚えておらんよ。けど、中学生くらいの頃に伯母ちゃんが思い出して言ってた言葉が印象に残ってるかな」
「伯母さんは、なんて?」
「震災の日、その初めての夜、大阪は電気の明かりがあった。けど、大阪湾の向こう、神戸の方は真っ暗で、それを見て、あそこが地獄なんやと思ったって。あそこで苦しんでる人が、いっぱいいても、こっちは平穏無事、その現実が現実に思えんかったって」
「…そうか……現実が……現実に思えないか。ごめん、不用意に質問して」
妹を性犯罪者に虐殺された経験がある直樹は神妙に謝ってくれたので、鮎美は微笑をつくって応える。
「ええって。うちが覚えてるのは、それだけやもん」
「あ、今、秘書からメールがあった。リカロイヤルホテルの喫茶店で待っていてほしいそうだよ。すぐそこだ。歩いていこう」
「はーい」
二人で京都駅を出ると、ビルとビルの間を歩いて、大きな道路を歩道橋で渡る。
「広い道やな。御堂筋にはおよばんけど。っていうか、御堂筋には鬼々島が何個入るやろ」
「さて、何個だろうね。あ、供産党の西沢さんだ」
直樹がホテルの前にいた青年に挨拶する。
「やあ、西沢さんが立ち会いで?」
「ええ。ボクにも時間をいただけるそうですから」
そう答えた西沢は三十代前半の青年でスラリとした知的な雰囲気のある人物だった。着ているスーツは量販店で買ったような普及品で、そこへ衆議院議員のバッジを着けているのでスーツがバッジに負けているけれど、年配の議員たちが着ているような触れるのも怖いくらい高そうなスーツより、鮎美は親近感を覚えている。もう鮎美も何度か西沢に会っているので、軽く挨拶する。
「わざわざ京都まで、ご苦労さんです」
「芹沢さんに会うためなら火の中水の中ですよ」
「水の中にある島には上陸させてもらえんしね」
「たしかに」
三人でホテルの喫茶店へ入り、雑談していると久野が側近やボディーガードとともに現れた。直樹と西沢が椅子を立って挨拶するので、鮎美も礼儀の上で立ち上がった。
「はじめまして。久野統一朗です。遅くなって申し訳ない」
やはり久野は立場にふさわしい高級なスーツを着ていて、鮎美には価格の想像もつかない。秀でた額とレンズの大きな眼鏡が、いかにも仕事のできる男という印象を与えてくるし、そして竹村と同じようなカリスマ性も感じる。鮎美の祖父と変わらない年齢のはずなのに、気力が充実しているからなのか、若くもみえた。鮎美は圧倒されないように失礼を承知で遅刻した男に対して女が取るような態度で腰に手をやり、厭味の一つでも言おうとしたけれど、口をついて出たのは謙虚な言葉と質問で腰へやった手も、すぐにおろしていた。
「いえ、大事なお話やと聴いておりますから。……まだ、阪神淡路大震災への対策って必要なんですか? もう15年も経つのに」
「ええ、主に住居対策です。ご高齢の方がとくにお困りですから」
「そうですか。すんません。いきなり質問して」
「いえ、お気になさらず。月日がたっても関心を持ち続けていただくことが、なにより大切ですから」
久野が仕草で三人へ座るよう示したので鮎美たちが座り、久野と四人でテーブルを囲んだ。久野が西沢へ挨拶する。
「西沢くんも、ご足労ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「さて」
久野が鮎美を見て言う。
「新制度の参議院議員候補予定者を政党へ勧誘するにあたっては、他党の関係者も立ち会うことになっています。実際には形骸化しつつあり、最初のコンタクト以降は、あまり守られていないけれど、この制度を創設した者としては規則は遵守していきたいので西沢くんに来ていただいたわけです」
久野が一呼吸おいて、鮎美へ問う。
「率直にお訊きしたい。いざ、ご自分が当選されて、芹沢さんは、この制度をどう感じておられますか?」
「……。率直に、と言われると……いくらなんでもクジ引きは……無いかな、と。うちみたいな普通の女子高生が、いくら衆議院が参議院に優越するからって、国政議員やなんて。あと90歳とかの人でも無理あるかなって思います」
「では、ごく普通のおじさん、おばさんが当選するのは?」
「それは………本人がええなら、ええかな、と」
「すると、おじさんと、おばさんばかりで国の方針を決めることになるけれど、それでもいい、と?」
「うっ…う~ん……今までは、ずっと、おじさんばっかりで決めてたし……若いもんも少しは……」
「少し切り口を変えましょう。二世議員を、どう思いますか? たまたま、親が議員だったから、家業を継ぐように、本人も議員になる。本人が望む場合もあれば、望まない場合もありつつも周りに推され、世襲されてしまう。これを、どう思います?」
「世襲は、あまり良くないと思います。それでは江戸幕府の将軍と、あんまり変わらんし」
「私は二世議員です」
「そ…そうなんですか……。久野先生ほど、しっかりした感じの人なら、いいかな、と思いますよ」
「お世辞をありがとう」
「いえ……」
鮎美は緊張して口が渇いたので、コップから水を飲んだ。喉はカラカラなのに、腋の下からは噴き出すように汗が出て、その滴がすーっと腕をつたって流れ落ち、肘まできてしまい、半袖の制服なので見られると恥ずかしいので、さりげなく手で拭いた。久野が静かに語る。
「たまたま、という偶然性において、二世議員もクジ引き議員も、あまり変わりはしないのです。あまりに、ひどい人物であれば再選されないし途中での罷免もあるでしょう」
「それは……そうですね…」
「私も父が、たまたま議員だったので、ここにいる。あなたも、たまたまクジが当たったので、ここにいる。起点の偶然性において両者は同質でありながら、前者は国民全体に対して実に不平等で、後者は実に平等です。前者の不平等さは議員の選挙において憲法が強く戒める門地、社会的身分、教育、財産による差別という意味合いを考えれば違憲性さえ感じさせるほどに」
「……ご自分を……否定されるんですか?」
「ええ、私は政治家に向いていないし、政治家でいることが苦痛でさえある。けれど、周りの期待に応えているうちに、こうなってしまった。とはいえ、二つ大きな仕事もできた。一つは震災への対応、自己満足と言われるかもしれないが、やれることをやりました。そして、もう一つが芹沢さんの人生を大きく変えようとしている平等な偶然による議員の誕生です」
「……………。自分と同じ目に遭おてみぃ、と?」
「はっはは、率直すぎる表現ですね。ですが、そういう面も否定しきれないのかもしれない。逆に、西沢くんは自ら志望し、三度の挑戦をへて当選されていましたね?」
久野に話を振られ、西沢が頷いた。
「ええ、県議選を含めれば五度ですが」
「五回も議員になってはるんや」
「……。いいえ、五回の落選をへて、ようやくの初当選です」
「そ…そうですか…。どっちにしても、よう頑張りはりますね」
鮎美が作り笑いし、久野が話を戻す。
「芹沢さんは、彼のように強く志望し、なりたい者だけが議員になることを、どう思いますか?」
「それは……それで、ええんちゃうかと……」
「一見そう思うのは当然です。けれど、それでは大きな偏りが議会に生まれる。強い政治的信念をもち、何らかの固定した方向性を目指す者のみが集まり、討論し、政治を行うことになる。これもまた国民全体からみれば、はたして健全な運営といえるのか、そんな不安もある」
「……たしかに……そう言われると……そうかも…」
「なりたい者も、なりたくなかった者も、考えてもみなかった者も、みな参加し、国民の感覚で政治を執り行う。これが制度の本旨です。芹沢さんにも、ぜひ参加していただきたい。もちろん、私たちの自眠党で」
さっと久野が握手を求めてくると、思わず鮎美は手を握った。とっさに手を握ってしまうほど、鮎美は久野へも好感を覚えていた。けれど、まだ自眠党に入ると決めたわけではない、その気持ちが握力を途中で弱め、それに久野も気づいたけれど、笑顔で告げる。
「ゆっくり考えてください。そして、あと一つ。18歳での当選など若すぎる、とお考えになるのも一理あるでしょう。けれど、一期目が終わるとき、あなたは24歳だ。もしも二期目があるなら30歳。これは、もっとも人間が物事を学びやすい時期に重なる。あながち若すぎて話にならないとは思えない。むしろ、まったく政治と関係ない分野で仕事をしてきた50歳のおじさんや、まったく普通の60歳のおばさんの方が心配は多いかもしれないし、記憶力はいうにおよばずですから」
「……はい…」
どう返答していいか、またわからず、はい、とだけ答えて握手を終えた。久野が席を立つ。
「遅刻の上に中座して申し訳ないが、別の候補予定者にも会わなくてはいけなくて、失礼いたします。芹沢さん、お会いできて良かった。ありがとう」
「こ、こちらこそ、おおきに」
「では」
久野が礼儀正しく去り、見えなくなると西沢が口を開いた。
「芹沢さん、さきほど連絡があって、なんとか破志本(はしもと)先生の予定があきました。雄琴くんといっしょに来てくれますか?」
「みんなが、うちを口説くのに大物ばっかり当ててきはるんやね……こうなったら、最期まで付き合いますわ。で、どこに?」
「供産党の京都支部まで、ご足労願います」
西沢が久野と鮎美の面談に立会人を果たした見返りに、直樹が破志本と鮎美の面談で立会人をつとめると申し合わせていたので鮎美も従い、京都市にある党支部へ出向いた。駅から少し歩いた場所にあるマンションの一階テナント部分に、党のポスターが何枚も貼ってあり、党支部との看板もあった。
「こういうとこ入るの初めてやわ。お邪魔します」
「ボクも供産党の支部は初めてだよ」
鮎美と直樹が中に入ると、複数の党員たちが歓迎してくれる。
「ようこそ! 芹沢さん!」
「いらっしゃい! 芹沢さん! 来ていただいて、嬉しいです!」
西沢が若いので同じくらいの世代が集まっているのかと鮎美は思っていたけれど、多くの党員が60歳を超えているような感じだった。けれど、年齢に比して元気そうで、まだまだ頑張ってやろう、という気概を感じた。支部内は長机とパイプ椅子が並び、いろいろな印刷物が置いてある。どことなく生徒会室に通じる雰囲気を鮎美は感じた。
「…ど…どうも…芹沢です…」
「芹沢さん、握手させていただいて、よろしいですか!」
女性党員の一人が右手を出してきたので、鮎美は応じる。
「…どうも…」
「キャー、嬉しい! 芹沢さんと握手できたわ!」
「…はは…」
うちはパンダか、と鮎美は疲労感を覚えたし、次々と握手を求められて、疲労は深くなった。結局、支部内にいた全員と握手し終えた頃、党代表が駆けつけてきた。
「破志本です。ようこそ、芹沢さん」
「どうも、芹沢です」
また握手をしてから、パイプ椅子に座った。
「………」
鮎美は破志本の顔を見て、ときどきテレビの討論番組で見かける顔だったので、その記憶との照合に時間を要していた。
「どうかされましたか? 芹沢さん」
「あ、いえ……やっぱり、テレビで見かけるのと、同じお顔してはるなぁ、と」
「ははは。実は影武者かもしれませんよ」
破志本は冗談を言って場をなごませてから本題に入る。
「今まで日本の政治は、ごく一部の人たち、平たく言えば、お金持ちと言われる人たちに、ほぼ独占されていました」
「……そうなんですか? 選挙で、投票は、みんな平等やのに」
「投票はね。けれど、実際に当選し権力を握るのは、しっかりとした資金力のある党がバックアップする者たちだけです。しかも、彼らは二世議員、三世議員と世襲していく」
「はい、それは問題ですよね」
「参議院議員をクジ引きで選ぼう、という一見無茶な政策が生まれたのは経緯があります。もともとはアメリカの陪審員制度を見習って、日本の刑事裁判に国民から無作為に選ばれた者を裁判員として判決に関わらせよう、という政策があったのです」
「へぇ……」
「けれど、司法関係者からの反対が強かった。場合によっては人の生き死に、死刑の判断にも関わるかもしれないのに、無作為に選んだ者でいいのか、と。そうこうしているうちに、司法は議会へ、一票の格差が大きいことを、とうとう違憲だと明示してきた。けれど、自眠党は自分たちの地盤が強い九州四国中国地方の議員数を減らすことに抵抗しました」
「そのへんは藩閥政治、薩長土肥の残りって感じがしますよね」
「おお! よく勉強されていますね。そうです、自眠党というのは結局は明治政府の頃から本質は変わっていない。専横を続けようとする。けれど、彼らの側から、いっそ議員数を一挙に増やして一票の格差を無くそう、議員の激増について国民に理解をえるため、参議院をクジ引きで選ぼう、そして選挙資金のいらないクジ引き議員の報酬は労働者平均賃金の2倍程度としよう、と。我々は当初は馬鹿げた提案だと反対した。けれど、むしろチャンスではないか、これを奇貨として一部の金持ちから、我々国民の手に政治を取り戻そう、そう考え賛成に転じたのです」
「……なるほど…」
「そうして芹沢さんのような若くて真っ白な人が選出される時代になった。これは日本を変えるチャンスなのです。このチャンスを私たち供産党と、いっしょに活かしていってほしい。芹沢さん、私たちと、いっしょに歩んで行きましょう」
破志本が見つめてくる。その目は輝いていた。やはり一党の代表というのは人としての気配からして違う、鮎美は破志本にも好感を覚えた。けれど、まだ決めるつもりはない。もともと支持政党が無く、まだ迷うつもりでいる若者の目を見て、破志本は微笑みをつくった。
「まだ考える時間が要りそうですね」
「すんません。せっかく、お誘いいただいたのに……もう少し考えさせたってください」
鮎美は申し訳なくて頭を下げた。どこの党にも誘われると入ってあげたいと一瞬は思ってしまう自分が節操なしな気さえしてくる。党支部を立ち去るときも、党員たちから口々に、待っているよ、ぜひ来てね、と声をかけられ、笑顔をつくって返すのがつらかった。ようやく京都駅に戻りホームで列車を待つ。同じ県に住んでいる直樹と西沢も、いっしょだった。
「はぁぁ……疲れた」
「「お疲れ様です」」
直樹と西沢が異口同音してくれた。
「まもなく新快速列車がまいります。黄色い線の内側にさがって、お待ちください」
駅のアナウンスが遠く感じる。
「………はぁぁ……」
本当に疲れていて、鮎美は立ったまま寝そうになった。ふらりと鮎美の身体がホームから線路の方へ、落ちそうになる。
「って?! おいっ!」
直樹が反射神経を発揮して、素早く鮎美の身体を抱き留めてくれた。
「ぁ……れ?」
「明日の一面トップを飾る気かよ?!」
「うちは……落ちそうに……おおきに…」
「芹沢さん、危ないところだったよ。雄琴くんのファインプレーが無かったら、本当に新聞に載っていたかも」
「はは……おおきに、雄琴はん」
鮎美は直樹から離れて礼を言った。
「けど、うちが死んだくらいで一面はないやろ? 地方欄の隅っこがせいぜいやで」
「「君は、まだ自分の立場がわかってな…」」
そこまで異口同音して直樹と西沢は恥ずかしくなって黙った。代わりに鮎美が声をあげる。
「あああ?! しもた!!」
「「ど、どうしたの?」」
「船の最終便のこと忘れてた! この時間に京都って、やばい!!」
そう言いながら、轢かれたかもしれない列車に乗ってスマートフォンで時刻を確認している。
「あかん、六角駅からタクシーに乗っても、間に合わん!」
「すまない」
「申し訳ない」
直樹と西沢が謝ってくれる。
「何か方法はないのかい? 無ければ六角駅前のビジネスホテルでも取るよ。会談の後だから経費で問題ないし」
「こちらでも支払いますよ。遅くなったのは、こちらのせいだから」
「お金の問題でもないちゅーうか……」
「一人で泊まるのが問題なら、ボクも六角で降りてもいい。もちろん、別々の部屋を取るから」
「ボクも付き合いますよ」
「う~……外泊って……とりあえず、父さんに電話してみるわ」
二人以上で泊まるにせよ、一人で泊まるにせよ、どちらも気乗りしない鮎美が玄次郎に電話すると、近所に頼んで漁船を出してもらえることになり、往復の燃料代は直樹と西沢が経費で折半することになった。日の長い六月ではあったけれど、六角駅で降りてタクシーで港に着いた頃には真っ暗になっていたので直樹が言う。
「やっぱり、送ってよかった。夜になると、ここは淋しいね」
「うん、おおきに」
最初は遠慮したけれど、鮎美も送ってもらってよかったと思うほど、夜の港は淋しかった。人気はない、波も無いので音もない。港といっても連絡船が着く桟橋と漁船のための船着き場が少しあり、あとは島の住民が利用する自家用車を駐めておくための駐車場があるくらいで、道路も港が終点なので車の行き来さえない。そして、ちょうど港は低い山に囲まれるような地形になっているので周りからさえ見えない隔絶された場所だった。直樹はタクシーを待たせて、鮎美と湖面を見た。暗く凪いでいる。
「あ、もう来てくれはったわ」
「みたいだね」
小さな漁船が、こちらへ向かってきているのが、信号灯でわかる。鮎美はスマートフォンの液晶を光らせると、漁船に向けて大きく振った。
「見えてるやろか?」
「どうだろうね。液晶の光量はしれているから」
すぐに漁船は鮎美のスマートフォンではなく港にあった小さな灯台を目当てに到着してくれた。近所の漁師と玄次郎が乗っていた。
「遅うなって、ごめんなさい」
「娘さんを遅くまで連れ回して、すみません」
すでに21時だったけれど、二人が謝ると玄次郎と漁師は笑ってくれる。遊び回っていたわけではないことは、よくわかっていたので漁師が頷いて言う。
「かまわんよ。鮎美ちゃん、ご苦労さんやな。衆議院の議長さんと会おたって?」
「はい」
「鮎美、だいぶ疲れた顔をしているな。ほら、乗って」
玄次郎が手を出してくれるので握った。他人と握手するのと違って、一切の気を遣わなくていい父親との接触が心地よかった。すぐに漁船が島へ向かい、直樹へは手を振って別れた。
「はぁぁ……疲れた……」
「鮎美……」
父が心配そうにしてくれるので鮎美は笑顔をつくった。漁船は真っ直ぐに島へ向かう。けれど、島の方から三隻の船が、こちらへ向かってくるのが信号灯でわかった。このままでは衝突するコースなので漁師は減速して様子を見る。向かってきた三隻も島の漁船だった。その三隻が鮎美たちの行く手を塞ぐように前と左右に接舷してくる。そして、挨拶も無しに鮎美へ詰問してきたのは壮年の自治会役員だった。
「昼に眠主の竹村と会っていたというのはホンマかっ?!」
「……」
大人から怒鳴るように言われて鮎美は恐怖心を覚えた。玄次郎が鮎美の前に立つ。
「いきなり何ですか?」
「駅前で、見たもんがおる!」
「供産の西沢とも、いっしょやったと京都に出ておったカカァが言うた!」
別の役員も言ってくる。
「いつまで自眠の先生らを待たせる気かっ?!」
「「…………」」
父と娘が黙り込むと、また最初に詰問してきた役員が怒鳴る。
「まさか、他のところへ入るとは言わんなっ?! そんなことでワシらが島におれると思うなよ!」
「「…………」」
玄次郎は娘の自主的な判断に任せるつもりだったし、鮎美は迷っている。ただ、それを答えようにも役員たちの剣幕が激しくて黙ってしまった。二人が黙ると、ますます役員たちが焦燥にかられて怒鳴ってくる。
「もう決めよ!! 今ここで!!」
「「………」」
「でなければ島に戻さん!!」
「……そう言われるのであれば、私は娘と市街に戻ります」
背後にかばう娘が震え始めているので父は穏やかに言ったけれど、より一層に役員たちは激昂してくる。
「無事に戻れると思うなっ!! 二人して沈めちゃるぞ!!」
「っ…」
鮎美は怯えて涙を流した。今日一日、とても疲れていてヘトヘトだった。両院の議長と野党の党首、その三人との会談だけでも精神的に限界を超えて疲労しているのに、まるで水上戦のように船で囲まれ脅されると、もう感情が高ぶって涙ばかり流れた。直樹も久野も紳士的にしか勧誘しないのに、どうして島の自治会役員たちは脅迫まがいのことをするのか、それとも表裏一体なのか、鮎美は思考がまとまらず声も出せずに泣いている。娘の涙でシャツの背中が濡れるのを感じて玄次郎が穏便に済ませようとする社会人の顔から、大阪で育ってきた人間の表情に変わった。
「やれるもんなら、やってみろや?!!」
「な…なんやと?!」
「大阪湾ならともかく、こんな閉鎖された水域で二つも土左衛門つくってポリにパクられんわけがないやろ! 脅しなんぞきくか!」
「くっ……移住者のくせに、逆らう気かっ?!」
「ワシの道楽で住みに来てやっただけじゃ!! 娘つぶされるくらいなら明日にでも出て行くわい!!」
ずっと移住してから丁寧語で島民に接していた玄次郎がドスのきいた本場の関西弁で吠えると、役員たちは戸惑った。琵琶湖周辺も関西圏に入るけれど、やや京都弁の影響も受けているので柔らかい発音になっているので、役員たちの関西弁より玄次郎の関西弁の方がヤクザじみていて迫力があった。そして移住してきた玄次郎が鬼々島に未練がないと言うと、本当に出て行かれるかもしれないので役員たちは焦り戸惑う。脅したために島から転出され、六角駅前や井伊市などの他市に移られると元も子もない。鮎美の議員候補者としての資格は県内に住民票がある限り揺るがないので、議員ではいたいけれど、島は気に入らないということで出て行くことも可能だった。その戸惑いと、もう夜中近いということもあり、鮎美たちの漁船を操作していた島民がタメ息をついた。
「はぁぁ……副会長さん、ワシも帰りたい。もう終わってくれるか? この話は明日でええやろ」
「………」
沈黙だったけれど、反論はなく、四隻は島に戻った。それぞれの船は船着き場が離れているので、もう声をかけられることもなく鮎美と玄次郎は自宅に入った。戸を閉めてから父が娘へ言ってくる。
「鮎美、つらいならお前が一番楽になれる方法をとるぞ。六角市街に住んでもいいし、大阪に戻ってもいい。今から議員を辞退でもいい」
「父さん……うん……おおきに……」
それだけ言って、もう疲れていたので早めに眠った。
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