26 過去 1

──四年前。当時グラネールはひっきりなしにつづく政府内の汚職により支配層全体が腐敗しきっていた。


ソミュラスにとりグラネールは隣国とはいえ小国であり、部分的には属国のようなものである。とくに貿易面はソミュラスの協力なしには成り立たない脆弱な外交力しかなかった。


一方で戦闘系魔法使いの発生率と法力量で優っているためかろうじて政治的には対等に振る舞うことができてきている。争乱の発端、根本的な要因はこの点にある。


グラネールの国王レジンは進歩著しい自軍の戦力に対し絶対の自信を誇り、ソミュラスに高い要求を突きつけるようになったのだ。


関税の引き下げ、上納金の減額、無償による人材提供の見直し、構造改革要求の取り下げ、第三者委員会設置の上で政治の浄化を求める圧力の停止などできうることは何でもやる姿勢で臨んでいた。


こうした無理を通そうとする彼の妄信を支えていたのは王子、イリンクスの存在である。それは常識を大きく逸脱する法力量であった。本人すら全開にはできぬほどに荒ぶるその力は、この世のあらゆる勢力に対抗できうると信じ込ませるのに充分すぎるほどだった。


軍部と臣下たちを前にし、講壇に立つレジン国王は言った。


《ソミュラスは我が王子にひれ伏せるがいい、これより雌伏の時代は終わりを告げるのだ》と。


しかし残念なことに彼は知らなかったのだ。

ソミュラスは裏の国家事業としてさまざまな別の魔法界との繋がりがあり、その気になれば異世界から戦闘系魔法使いを傭兵として召喚することができたのだった。


むろんそれはそれでプライドに傷がつく行為であるが、小国になめられるわけにはいかない。

かくして大半を傭兵で構成したソミュラス軍はグラネールに攻め込み、ここに全面戦争が勃発した。


……しかしこの戦争はソミュラス視点で見た場合、最初から勝敗は分かりきっていた。いくら戦闘系に優れるグラネール軍といっても、召集できる傭兵の質や規模を考えれば、恐れる相手はイリンクスただひとりということである。


ソミュラスとしてはそこに戦力を集中すればよかった。どれほど強かろうと戦えば消耗し、いつかは止まる。

──止まるはずだった。


──


王宮から避難をつづけ、貴族領域の最も奥にある礼拝堂に追い込まれたレジン国王は恐怖に震えていた。


敵の戦力は圧倒的であり、なかには戦闘を楽しんでいる輩すらいる。五七名いた護衛兵たちもそばにいた臣下たちもすでにみな死に絶えている。


動いているのは国王を背後にしてひとり盾となって守る、満身創痍の王子だけ。彼は鬼神のごとく暴風となって敵軍と戦い、消耗しきっていた。


周りには六十近い敵軍の遺体が転がり、あちらこちらに赤い肉塊が散らばっている。イリンクスの両腕はべっとりと血がこびりついて赤黒く染まり、彼はゼェゼェと息を吐き視線は虚ろだった。


それでも闘気のオーラは衰えることなくいまだ囲む傭兵とその周囲の正規の軍人たちを威圧していた。

この現場に戦争の全権を任せられたソミュラスのベルトラン大将が到着する。


「これは……酷いな」


そうこぼすとそばに来たフォルス中将に尋ねる。


「やつひとりで?」


「はい。尋常ではないです、あそこまでとは」


「こちらの被害は?」

正規の軍人のことを指している。


「確認できているのは四人です」


「多いな」


イリンクスという特異な存在に戦慄するベルトラン大将であった。その闘気は肌を突き刺し、その発散する法力のオーラは畏怖によって心の底まで震わせる。


「しかし時間の問題です」


フォルスの言葉通り、礼拝堂の奥でレジン国王は白旗を掲げた。降伏である。この時グラネール王政は終わりを告げた。


といってもベルトラン大将の仕事はここからである。彼はソミュラスの王からいくつかの指示を受けていた。その意向に沿わなくてはならない。


敵軍の様子を見て動きを止めたイリンクスが後ろを振り返る。白旗を捉えた虚ろな目は次第に眼光を取り戻し始める。


ベルトラン大将は前に歩み、礼拝堂に響き渡る声で言った。


「レジン、遅い判断とはいえよくここまで耐えたものだ。敬服するよ。……さてこれからの話だ。当政府としてはグラネールという国は残すつもりだ。しばらくは自治区となろうがな。国は残る。国は残るが、しかし王族は不要な存在となる。また消しておくべき禍根でもある。あなたにはここで死んで貰わなくてはならない。誇りを抱いて自害というのもいい、邪魔はせん」


うろたえつつレジンは言った。

「た、助けてくれ、、何でもする」


ベルトランは満足げだった。


「……では息子を軍に差し出せ。我が軍の兵になるよう命じよ。さすればあなたを見逃し、この自治区の区長に任命しよう。これ以上の殺戮も行わない」


「いや、それは……王子の意志が……」


命じたとして誇り高き王子が承諾するわけもなかった。


「彼は王子ではない。あなたがもう王ではないように」


「……わかった」


血の海にいるイリンクス自身も血まみれである。彼は叫んだ。


「王! 認めんぞ王!」


「わかった。そちらの軍に入れればよい。イリンクスよ、ソミュラスの軍人となれ」


「王……! そんな命令が聞けるか!」


かつてここまで怒りが込み上げたことはない。


「私が助かるのだ、黙って言うことを聞け……!」


「ぐ……!」


「親の言うことが聞けんのか……!」


「聞けるか……! もう親ではない!」


痛みにうずき、きしむ右腕をイリンクスは払う。右腕より放出された光の帯がレジン国王の頭部を直撃した。頭があった場所には宙空が広がり、血が噴き出す。


ベルトランは驚くこともなく静かに語りかける。


「お、なんと……さすがだなイリンクス。それでこそ我が軍にふさわしい。……さて、まだ抵抗をつづけるのか?」


「体がちぎれるまで……やるさ……これで終わると思うな、」


「ほう、ではこちらとしては殺戮命令を出さざるを得んな。城下には正規兵を待機させておる……まずは人口を半分ほど減らし、そのあと選別の作業となる。……住人たちの命運はお前の返事ひとつにかかっているが? ……道連れにするか?」


茫然とするイリンクス。


急速に怒りは勢いを失い、イリンクスのうちに燃え盛っていた炎は小さくなってゆく。ひとりでは、何もできない。


彼は言った。


「いや」


両腕を下ろし彼はうなだれた。何もかもがどうでもよかった。しかし、どうでもよくはないことが彼にはあった。頭を上げ彼は告げる。


「俺の立場は好きにしろ。その代わり国民には手を出すな」


「よろしい」


悔し涙がイリンクスの顔を濡らした。天井画で描かれる聖母は変わらず美しく、壁画に描かれた聖人たちは血しぶきと肉塊で見えなくなっていた。血まみれとなった元王子の両手首に手錠がかけられる。


兵のひとりが突然に駆け寄り彼を殴りつけた。慌てて周囲の兵が押さえつけにかかる。ちぎれ砕けた遺体のどれかが同僚か兄弟だったのだろう。傭兵なのは間違いない。ゆえに将校の誰も咎めることはなかった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る