27 過去 2

その後、イリンクスを待っていたのはさらに過酷な運命だった。


当初はポジティブであった。ソミュラス軍兵としての新たな生活は彼が危惧していた事態よりもずっと順調なものだった。


単に強いということだけでなく、特段に優れたクオリティを持つ戦闘系魔法使いであることが彼を助けていた。


彼の魔法に対する求道的な姿勢は大多数の軍人のこころを打ち、

軍人にはない気品は組織のなかで貴重な存在にさせた。嫉妬よりも好意の方が勝った。


規律を重んじる生活態度や哲学をも語れる知力は素早く信頼性を生み出した。彼はスペシャルだったのだ。


決して彼を受け入れることのない人間も一部に存在しているとはいえ、全体的には軍部内での評判はよく、とりわけ彼の礼拝堂での働きは生ける伝説となり、ポジティブな意味合いと敬意を込めて《戦慄の貴公子》という呼び名が軍部内では使われるようになる。

しかし一方でそれが災いした。


王族、貴族の一部は危険視したのだ。元王族であるイリンクスが支持者を率いて報復に動くかも知れぬと。軍の論理で言えば彼はグラネール住民を人質にとられているので報復などやりようもないのだが、王族貴族は違った。そこは取るに足らない部分である。


反政府思考、反権力思考の人間はどこにでもいる。もしイリンクスがその連中をまとめ上げたとしたら? その連中が鬼神のリーダーとしてまつり上げたなら? それらの不安は決して尽きぬ不安だった。


折しも最新の生物兵器研究に用いる実験体について議論が交わされているところ。有能なれば有能だからこそ実験体にふさわしい。そうした論理が権力層にて広まる。これは軍とて抑制できない流れとなった。軍の上層もまた権力層の一端であるからだ。


実際のところ政治的取引がここでは行われていた。政府は軍に対して研究開発費の増減について言及し始めたのだ。こちらの意向に沿うなら増。沿わねば減と裏で通達を出していた。


結局のところイリンクスがいかに優れていても彼は“よそ者”である。リスクをとらせるべきは自国民ではないのだ。


彼は実験体となった。もはやその時はこの世に望むものすべてを捨て、覚悟を決めていた。


こう思いもした。よくよく考えてみればあそこで王を殺める必要はなかった。殴るだけでよかったのだ。あのとき俺は怒りに身をまかせ……身をまかせたまま攻撃魔法を使い、王を殺してしまった。いま考えれば法力の無駄じゃないか。戦争のさなかなのに。


これは罰だ。誤った判断の罰、報い。兵器の実験体というならおあつらえ向きだ。成功したとしても戦闘系魔法使いが兵器として生まれ変わるわけだ。何やら笑える話じゃないか。笑える人生……いや、人でなくなるのか。


──改造手術とその後の大型カプセルの中で過ごす、モンスター化細胞組織培養液漬けの日々のあと、熟成期間を経て彼が目を覚ましたとき、彼がまず驚いたのは自分の容姿であったのだが、つづいて驚いたのは魔法力が十歳の頃のようなか弱いレベルでしかなかったことだった。


それは聞いてなかった。魔法力を犠牲とするのならもう少し考える時間をとっていたのに……とそう思ったが、しばらく体を動かしてみて気持ちを切り替えた。


自分がこれまで学んできたこと、鍛練してきたことがそのまま活用できることを知ったからだ。そして何より、新たに得た肉体が秘めたる信じがたいパワーに彼は酔った。


時間の経過と共にさらにふつふつと湧き上がってくる無敵、無双の力。めまいがしそうになるパワー、このパワーは自分のものなのだ。しかも最初からすべての制御が楽に行えた。コントロールが楽にできる。そのことは彼に絶大な安心感を与える。


気分はよかった。そう、わるい気分ではなかったのだ。イリンクスにとってモンスターとしての新たな日々が始まった。



「わかったのはここまでだ」

とベリルはつぶやくように言った。

「そのあと、軍施設にいたあいだに何かがあった……軍部から別の帰属先に移ったと」


黙って聞いていたデュカスは言葉が出てこない。静かな衝撃にこころ震わせている。


「ずっと機密だったんだな」

ようやくそう絞り出した。


「俺は“魂を扱う部署”の所属なんで分野が違うんだ。イリンクスのことはおぼろげに噂話で耳にしてても……それが今回の怪物と結び付いてるとは想像できなかった」


「君んとこの政府はおっかないね」


「あんまりわるくは言わんでくれ」


「ともかく重要に過ぎる情報だった。ありがたく思う」


「勝たないと意味がないんでそういうのは勝ってからにしてくれ」


「そうする」


「伝えるべきことは伝えた。明日に備えて早く休め」


「そうする」


ベリルは堤防下の通路に移動サークルを張り、円い闇に身を投じてこの場を去った。ひとりきりになるとデュカスはタバコを吸おうか迷ったが、迷うということはやめた方がいいってことだろう、とそう考えてやめることにした。

上空で輝く月に一度目をやり、それから彼も円い闇を通路に描いた。



宮殿のベランダに帰投するとリヒトが待っていた。「お帰りなさい」とクールに述べたあと彼は屋内に戻っていく。何も訊かないんだ、と内心思うデュカスは肩すかしを食らった気がした。


部屋に入るとミュトスの姿はない。就寝したようである。自分も早くベッドにつかないと。いまはそれが仕事である。脳裏にちらちらとカイオンの豪腕フックが空を切り裂く光景がまたたく。


弾むこころを彼は抑えられなかった。死が近づくごとに懐かしさが込み上げてくる。ほんとうの故郷がそこにあった。あくまでキレイな物言いではそうだ。部屋の中を歩いていつもミュトスが座っている椅子につく。


単に快楽とも言えるし、単に麻薬とも喩えられた。戦闘、戦い、暴力。それらは常に彼にとって対権力の意味を含んでいる。遠く賢者会の存在が見える。デュカスはとても幸福な心理状態にあった。


カイオンの凶悪なビジュアルを思い浮かべる。あの筋肉の塊。ドラゴンの頭部。この幸福を彼とわかち合うことができたなら。

いや、それはできないか。あいつはずいぶんとまともなメンタリティの持ち主のようである。あの説教にはそれなりの背景があったわけだ──


デュカスは椅子から立ち上がり、眠る準備に入った。一角獣の夢を見たいと彼は思った。魔法世界とノウエルの境界に生き、気まぐれにふたつの世界を行き来する生命体と伝えられておりシュエル・ロウでは自由を表す象徴とされている。


デュカスはまだ実物を見たこともないし夢の中で見たこともない。いつかどんな形であれ出会いたいと彼は願っていた。一角獣の夢を見たいと願った。

最後の夢になるかもしれない。



カイオンは深夜の湖畔に来ていた。デュカスとベリルが落ち合った湖畔である。彼は通路を散歩し、それから堤防に上がり、ざらざらした表面の堤防に腰を下ろした。宵闇に風が吹き、何かはわからない動物の奇妙な鳴き声が遠くに聞こえた。月明かりのもと、黒い湖面を彼は見つめつづける。そのドラゴンの眼には月の姿が映り込んでいる。





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