22 恩人

そして──ネオストラーニ自身もじっとしていた。手足の自由が利かない、動かないのだ。

冷たい汗が背中を伝う。


彼は理解した。


「こ、これは呪いだな……デュカス、いつ私に呪いをかけた……! いつのまに……私に? 賢者であるこの私に?」


小さく吐息をこぼすデュカス。


憎悪の炎がうなりをあげて燃えさかるような勢いの眼光でデュカスを睨みつけるネオストラーニ。

その体の内側では非常にゆるい速度で法力の波、呪いの波が下から這い上がってくる。じきに脳天まで到達するのは明らかである。


「なぜこんな呪術が使える……! 解除しろデュカス! 私はお前の肉親のような人間だぞ!」


それは認めますよ、とデュカスは胸でつぶやいた。

それから言った。


「ごめんなさい。解除はできません。俺の魔法ではないんです」


「……賢者会の人間か?」


「名は口にできません。ご説明いたしますと、タバコのチップに拘束魔法の効能を仕組ませてありました。殺意によって発動する魔法です。最新の魔法ですからあなたにわかりづらいのも無理はない。……使用したのは俺ですから俺を恨んでかまいません」


この新作呪術のビルダーは師匠ストラトスであった。デュカスに手渡した紙袋の中身はタバコのカートンだったのだ。


「ばかな……!」


「それにあなたを葬るのは俺ですから」


「ばかな」


「いま俺が裁くしかない。裁ける時に裁かないとあなたは対抗手段をとる」


「く……、デュカス……!」


「あなたの恐ろしさはよく知ってます」


「貴様……!」


彼は全身全霊をかけてデュカスを呪った。


「地獄に落ちろ」


「ええ。地獄でまた会いましょう」


全身の端々にまで呪いが広がり、縛が完成した。対象者は声も出せない。相手はまったくの無防備である。初歩の攻撃魔法、火炎魔法にて燃やし尽くすだけでよかった。


──と、ネオが目を見開いた。


次の瞬間、カシュッと音が部屋に響く。カイオンが動き、右ストレートを放っていた。その拳はネオの頭部を潰した。飛び散る血と肉塊。


デュカスにはすべてが見えていた。何をやるかは明らかであり、止めることは可能だった。が彼は止めなかった。カイオンの狙いにも気づいたからだ。


ネオの胴体が音を立てて床に倒れ込む。赤黒い液体が広がるなか仰向けになった胴体はぴくりとも動かず、人形が転がっているようにモノと化していた。


そして部屋の結界、古城を囲む結界は途切れることなく維持される。結界の魔法は使い手と直結しているため通常ならば消えるはずである。しかしこの防諜面のリスクを生む現象にはデュカスが対策を打っていた。


デュカス自身にも可能ではあるのだが彼は法力消費をセーブする必要がある。それゆえにラックスを呼んでいたのだ。もちろん賢者会メンバーの誰かに事のあらましを見せておき、共犯関係を作っておくことも今後において重要だった。


デュカスはネオの胴体を見、そして目を閉じ、ただ、うなだれるのみであった。カイオンを止めない判断を下した瞬間は一生忘れないだろう。カイオンの行為は見逃し、話し合いの機会を設けた方が得策と考えたのだ。こちらは彼の背景を何も知らないのだ。


カイオンが言った。


「俺の獲物、でいいのだな?」


それでパワーアップされてはたまったものではない。


「増強しはしないよな?」


「もしそうなら街に行って喰らいまくってる」


「確かに。……しょうがない。いまは戦うべき時じゃない。お互いにな」


「その言葉、信じていいか?」


「補食の時間は脆弱なんだろ? エルフ情報からそれはわかる。べつにそこを狙うことはない。約束する。ただお前の方も約束しろ、一般市民には手を出さないと」


「軍人や賢者にしろと?」


「数に制限があるから、俺と戦うまでの間にだ」


「そういうことか。……わかった。約束する」


「早くすませろ」


デュカスは椅子に歩いていき、そこに座り、タバコの煙をくゆらせる。


カイオンが足を踏み出し、食事が始まった。顎を大きくひらいた喉の奥からピンク色の舌の上を抜け、赤いものが飛び出してきた。一瞬、筒状に見えもしたその物体はおそろしい伸縮性を見せ広がり、大きな袋となって、あっという間にネオストラーニの胴体を包み込んだ。


つづいて吸い込むような動作のあと、ネオストラーニの足元を靴ごと丸のみし、袋の口をしっかりと閉じた。いまや紡錘形となっている、赤い大袋の表面はつるっとなめらかで、堅牢な感じに見える……外部に出すことを前提にした造りである。


まるでデュカスには赤い色をした別の生物がカイオンの体内から飛び出てきたようにも見受けられたが、まぎれもなくこれは胃袋だった。

おぞましい外観の胃袋は次第に収縮していき、下の方で何かが沈殿しているのがわかる。溶かしているのだ。衣服もなにも、獲物のすべてを。


胃袋の上の方は気持ちのわるい半透明になっており、なにもかもが溶け込む養分が、カイオンの体内へと上昇していく様子が見てとれる。彼は吸い上げている。胃袋はどんどんと小さくなってゆく。


このようにして補食するのか。デュカスはおぞましい光景に肝を冷やした。自分もこうなる可能性がある。いや、そういうことよりも、視覚的にひどく醜い在りさまで、気分がわるくなった。


──消化液は武器にもなるので気をつけねばなるまい。


そうデュカスが思っているうちに、胃袋は元の大きさまでほぼ戻り、するっと体内に引き込まれていく。補食の行程すべてを終えたようだ。流動体となったネオストラーニはカイオンの体内に完全に取り込まれてしまった。


しばらくふたりには奇妙な沈黙の時が流れ、デュカスは無意識のうちに賢者眼を発動させカイオンの核を見つめていた。


唐突にデュカスが言った。

「動物じゃだめなのか?」


カイオンは少し間をとってから言葉を返した。


「隠してもしょうがないから言うが、俺の体は老衰が早い。老衰を止めるには魔法力の摂取が必要なんだ」


「週に何人」


「一般人ならふたりはいる」


「じゃあ賢者だとしばらくは大丈夫そうだ」


「いや食欲はあるから簡単じゃない」


「そうか……、お前の雇用主、黒幕は誰だ?」


空気が変わる。張りつめた空気に変わりふたりの間に緊張感が漂う。


「言えん。裏は何も話せん。そういう契約なんだ」


「契約を破ったら?」


「この肉体は兵器なんでな。もともと暴走対策の爆弾を内蔵してる。威力は知らんからお前も気をつけろ」


「つらいな」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る