10 ケイバルの戦い 1

夕方が訪れ、フェリルのふたりが食事を終え、シャワーを済ませても世界は平穏なままである。

プリンシパンは静かな夕暮れを迎えている。


フェリルの王子が怪物を止めたという報は国中に伝えられ、政府の人間も一般の民もみなひとまずは胸を撫で下ろしていた。まだ安心はできないがともかくは対応策が功を奏したのだ。


二二時を回った時刻にリクサスがやって来た。故国フェリルの現状報告である。軍は厳戒体制をとり、自分は軍幹部たちとの協議のあと怪物対策チームを立ち上げたと。


「俺をリーダーに所属をCZにしたんで軍の指揮とは別行動もとれる」


CZとはデュカスが二年前に設置させた特務機関の名だ。この呼称は伝説的諜報員のコードネームから来ている。


「CZの連中は来て欲しいみたいだが」


「何かフェリル行きはだめって言われててね」


「賢者会?」


「や、ジェナルドから電話で」


「めずらしいな」


「だろ?」


「何か知ってるはずなんだ。だから行くって言ってんのにこいつが止めるのよ」とデュカスはリヒトに視線を送りつつ言う。


「ああ、でもそれカルタスの指示だろ」


「そうです」とリヒト。


「しょうがない。俺たちは賢者会をネガに扱いすぎるからな。フェリルにいるとどうしてもそこんとこ麻痺する。俺たちはリスペクトを強く意識してないといかん」


「デュカスだってジェナルド代表本人に対してはわりと丁寧じゃないですか」


「あれは特別だ。戦闘系の訓練をやる賢者なんて世の中に三人くらいしかいないんだから。敵視しつつも訓練はやる……そういう姿勢は評価しないと。実際強いしな」


「それは聞きますね」


「言われてるより二十倍は強いかもよ」


「だな」とリクサス。


「そうなんですか」


「だから最初に言ったろ。なんで賢者会が出ないのかって。追放しといて危険が及ぶと俺を呼びつける根性があさましい」


ミュトスが離れた位置からとがめた。

「文句はそれくらいにしておけ。賢者会には統治の責任がある。今回のような未知の危機に対して最初に戦うのは戦闘専門の魔法士であるべきだろう。何も間違っちゃいないしお前はそのことを誇りに思うべきだ」


「正論だ。でも気分がわるい正論だ」


リクサスはそんな王子を見て笑った。

「ふはは、、そうは言うけどデュカス、本能では戦いの機会を喜んでるじゃないか。それは隠したって無駄だぜ」


「うう……俺は王子としての立場から物を言ってるんだ」


「国民としても、ぶうたれる王子より勇んで怪物に立ち向かう王子の方がいいだろうさ」


「そういうもんかね。賢者会に従ってるように見えてないかな?」


「使われてるって?」


「そう」


「べつにいいじゃないか。そこは。どこを見てるかと言えば“戦うかどうか”であって。今回の案件がシュエルの危機となれば、まず俺たちの王子の出番だと考えるのがふつうだ」


「だといいけどね」


「確かに人気はねえけど支持だけはあるんだ。そこを認めろよ」


「もう寝る。おやすみグッナイ」


デュカスはそう言うとソファーから腰を上げ寝室に向かっていく。見送る三人を振り返ることなく彼は歩みを進め、そして部屋に消えてゆく。


「リヒトも休めば?」

ややあってリクサスがリヒトにそう声をかけた。


「え、ああ、はい。でもなんかまだそんな気分ではなくて」


ミュトスが静かにつぶやいた。

「私も彼も……興奮が鎮まらないのだ」


「ああ……昼間のやつで?」


「ほんとうの戦闘というのを初めて目にしたのだからな」


「そっか」


「ここまで日常を侵食するものだとは、文物で知ってはいても体で知ると衝撃だ。お前たち戦闘系はどういう精神構造をしとるのだ」


「賢者とて戦闘系の資質を備える点は同じ。模擬訓練をつづければじきに分かるようになる」


「慣れたくはない感覚だな」


「ジェナルドとかストラトスは積極的にやってるぞ」


「それはそれだ。少数派だ」


「ストラトスって賢者がいるんですか」とリヒトが尋ねた。


「正確には元賢者でデュカスの師匠だ。ドラゴン区に棲んでる人」


「知りませんでした」


「賢者会から賢者号を剥奪された人なのよ」


シュエル・ロウの賢者とは、賢者会がその称号を与えた者を云う。ときおり誕生する万能タイプの魔法使いが賢者のヒナ型だ。

賢者会は幼少期にあるこのタイプをデルバックの魔法学院に集め、成長した者の中から特に優れた者を必要に応じて選抜し、選ばれた者にいくつかの秘伝の魔法を授け、任命の儀式を経てその称号を与える。その後、通常はまず各国に担当賢者として派遣するのが慣例である。


「ああそれで。……動物族と仲がいいんですかね」


「いや。デュカスがドラゴン族に頼み込んで居場所を作って貰ったのさ。賢者会に睨まれた人間がどうなるかってやつのいい見本だ」


「何をやったんです?」


「デュカスに訊け。俺の口からは言えん」


リヒトがミュトスを見やるとすぐさま視線を外したので、彼も察した。あまり口にはできない事柄なのだ。そのため彼は別の事柄に話題を移した。これはこれでリヒトにとって重要なことだった。


「……そもそもの質問なんですがなぜデュカスは暗黒王子と呼ばれているのでしょうか」


「“ケイバルの戦い”がきっかけだな……その時は俺、フェリルに居なかったんだよね。だから俺も伝聞でしか知らん。……というか資料渡されなかったのか?」


「急に決まったので」


「なるほどね」


リクサスは自分が知る伝聞をかいつまんで語って聞かせることにした。


──五年前、小国セロナとの局地戦において、デュカスはシュエル中にとどろく働きをした。シュエル・ロウにおいて外交手段のひとつとして許されている戦争には、賢者会によって作られた厳格なルールがある。


〈市民から隔絶された場所で軍人のみが戦う〉というものだ。つまり厳密に言えば戦争ではなく“戦闘”である。これは戦闘系魔法士の戦いを想定した更地か、もしくは闘技場で行われる。


この時の戦いの場には闘技場が用意された。セロナのケイバル地区に鎮座する円形闘技場である。


セロナ側が傭兵を含む六二名、対するフェリルが三三名の精鋭を送り込んで行われたこの〈ケイバルの戦い〉の発端は、主権をめぐって争っていたゴルドバ高原にセロナ兵が侵入したことだった。


フェリル政府は制裁措置としてセロナからの輸入小麦の関税を従来の五%から三○%に引き上げる。ここから経済分野での衝突が始まり貿易摩擦が拡大する。


両国のあいだで敵意が膨らみつづけ負のスパイラルがつづくなか、やがて開戦を決定的にさせる事件が勃発。セロナ政府に雇われたテロ組織が交渉に訪れていたフェリルの外交官を拉致したのだ。


国連はテロ組織とセロナ政府の関係を調査したものの証拠をあげることができず対応をにぶらせる。この段階に来てフェリル国王モロゾフは国連の交戦規定に基づきセロナに対して宣戦布告する。


……が、歴史を振り返る視点から云えば、実のところこの時の人々──フェリル、セロナの両国民にとどまらずシュエル・ロウの全住人──の胸のうちの多くを占めていたのは両国の争いそのものよりも、噂に聞くフェリル王子の実力がはじめて公になることへの期待であった。

むろんネガな方向のそれも含めて。


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