9 魔法の話と世界地図
「戦闘魔法独特の性質でね、使い手は常に〈安定した利用法〉とか〈法力の安全運用〉というやつを考えてなければならないんだ。極端に言えば使ってなくても、だ。常に暴走の危険をはらんでる。使い手の内部でね」
「制御が難しいと」
「そう」とうなずくデュカス。
「物理攻撃でも魔法の消費は激しいんですね」
「うん。魔法士の内部では激しく燃焼してるからな。見た目上、殴る蹴るであれ、手足を鋼鉄と化し、法力をパワーやスピードに転換して自分の肉体に流すという行程を踏んでるわけで、肉体側の消耗は避けられない。同時に時間を置いて反動というやつがメンタル側に来る。法力の制御はメンタルにかかってるから」
「……戦闘魔法の使用は、反動としてメンタルをやられるというデメリット、リスクがあるということですか」
「そう。戦闘系魔法士の死因の三割は自害だ。五十までの統計ではな」
「初めて耳にすることばかりで混乱してます」
「そりゃふつうは口にしないもの。君、理解できた?」
「いえ」
「これフェリルにとっては深刻な国家問題なんだよ。国の予算を使って育て上げた兵が自ら命を経つわけでね…… 大昔の賢者会が戦闘系を忌まわしい種族として差別したのもあながち的外れとは言えないんだ」
「そんな不自由なものなんですか」
「不自由ってわけじゃないが。根本的な部分で無理があるのは確かだ。もしかしたら魔法の使い方としては間違った使い方なのかもな。……だからあの怪物のようなああいう兵士……身体能力だけで戦える兵士は、軍事の観点からするとひとつの理想ではあるのよ。俺もフェリル軍に欲しいって思うもの」
「もしかして放出系の場合はもっと反動が大きいんですか?」
「そうなるね。配慮なく使えば」
「何でみんなそういうことを教えてくれないんでしょう。重要なことなのに」
「君の周りが専門家じゃないからだろ。俺が初めてなんじゃないのか」
確かにそうだ。でも……
「いや、しかしカルタス議長は元は軍人のはずです」
「それは昔。いまは立場が違う」
「そんなもんなんですかね」
「そんなもんだ。そりゃフェリルなら軍事国家だから質問すれば誰かが答えるかもしれないが、国連も、デルバックという土地も、魔法の深い話は避けるのがふつうだ。基本リアリストだし」
確かに自分はデルバックしか知らない。リヒトは人間族の世界をデルバック基準で捉えていたことに気がついた。
「敵対してるだけあってかなり違うんですね」
「ん? デルバックとは別に敵対しとらんよ……国連と賢者会とはいろいろあっても。……さてベランダでタバコ吸うか、、」
「なぜ外で?」
「ミュトスが嫌いなのよタバコ」
デュカスはソファーから立ち上がり、広い室内を横切って行き、部屋の奥のドアからベランダに出るとタバコに魔法で火をつけた。ジッポーを使う気にはならない。一秒でも早くニコチンを摂取したくてたまらなかったのだ。リヒトもついて来ている(彼も本音ではタバコが嫌いなのだがこの点は黙っておくことにしている)。
デュカスは煙を吐きつつそこからの景色を眺めた。宮殿は高台にあり、この部屋は五階にある。眼下に小さく街が見え、目に眩しい湖畔とその先にある雄々しい稜線に彼はしばし見惚れた。その向こうにはシュエル最大の森が広がり、その先に国連本部と賢者会本部を擁するデルバックがある。
シュエル・ロウは深い森と荒野の世界である。六つの国家がひとつの大陸のなかにあり、各国は広大な森や荒野、山岳地帯、湖に隔てられている。簡略図に表すとすると、六国は北を上にして縦二×横三の構図に配置することができる。
上段、左からラ・カルタ、デルバック、プリンシパン。
下段、左からセロナ、フェリル、イ・シス。
この図による限り、フェリルは永遠にデルバックを頭上に置くことになる。デルバックとプリンシパンのあいだにはエルフ族の聖地となっているシュエル最大の森と、最大の山岳地帯、そして湖がある。
その湖を眺めつつ煙を吐き出すデュカスにリヒトは訊いてみた。帰還の目的である怪物処理についての話なら問題ないはず。
「何から始めますか?」
「情報が欲しいね。まったく敵の正体がわからんというのは不利でしかない。向こうは俺を知っててさ」
「どこかにあてがあるんですか?」
「賢者会には行っておきたいところだけど」
「それはやめて下さい」
「……なぜ」
「直の接触を止めるよう、僕は命じられています。基本的にアンタッチャブルな機関なんですから呼び出しがあるまではデルバック自体に行かないで下さい」
「……でも何も知らんてことはないはずだぜ?」
「何かを知ってるならあなたに伝えてるはずです。隠す意味ありますか?」
「なんでそう賢者会に対して無条件に好意的なんだ? 盲目的に従属するんだ」
「従属なんかしてやいません。この世界の掟、戒律です。……それをあなたたちフェリル王族だけが平気な顔して破ってる。おかしいのはあなたたちですよ。エルフの僕から見ても」
「裏の話を向こうでしただろ」
「ここはシュエルです。ここではここの流儀に従って下さい」
シュエル・ロウにおける六つの異なる国家は奇跡的に共通のルールと価値観、ひとつの世界観でとりあえずのまとまりを見せている。これはまぎれもなく賢者会の力と手腕によるものだ。
賢者会は国家間の争いごとに口をはさむことは滅多にないが、場合よっては国連機関の干渉なしに単独で個別案件を裁くことがある。この場合の裁きの多くは処刑だ。広い意味での市民──シュエル・ロウの庶民の側からすると、これが国家権力の暴走に対する担保となっているのだった。
「功罪ある内の功……功績は功績として認めとるよ」
「ですから、その態度ですよ。そこを改めないとずっと国連内での罵詈雑言はなくなりませんよ」
「どうでもよろしい」
「そんなことだから国連議会でフェリルが孤立するんですよ」
「寄ってたかってタバコ農家を窮地に追いやることが正しいことなのかね」
「それは時代の流れです。だいいちあなた、吸ってるタバコはJTのじゃないですか。なぜ母国のを選ばないんです?」
「クオリティが違いすぎる」
「ほら、保護産業だからでしょう」
「だって基幹産業だもの。雇用に直結してる」
「それはフェリルの都合で全体の問題ではないです」
「ラ・カルタとセロナでも生産しとるが」
「どちらも小国だし生産量も少ないです」
デュカスは話をつづけるのを止め、無言で湖を眺めながら命の煙を吸い、そして吐く。いろいろと考えてはみたが、考えたところで自分ひとりの力でどうにかなるような話ではなかった。
──現時点では流れるままに、流されるままに目の前の状況に対処していった方が適切か……。
戦いなら、俺はいつでも戦える。しかし相手の目論みや協力者がはっきりしないいまは、一歩引いてことにあたった方がいい──
デュカスは吸い殻を携帯灰皿に入れると、ドアを開けて室内に戻ってゆく。彼のセンサーは外界で何も捉えることはなかった。怪物の気配はない。森に潜んでいるのか、或いは巨岩の群れのなかに身を潜めているのか。それとも協力者がかくまっているのか。
実に見事な潜伏である。
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