8 宮殿へ

リクサスがその場を離れ、デュカスに近寄ると、場の雰囲気を害さない程度の小声で言った。


「最初に触ったとき、なんか立てつづけに魔法使ったろ?」


「ああ。三つ試した。バドゥとダムドと研究中のやつ。どれも反応がなかった」


バドゥとは自分の腕や脚に放出系の法力を固定したまま相手の体に直に接触する形で叩きつける技だ。近接戦闘用の放出系攻撃魔法である。ダムドはフェリル王族のみが使えると言われている、骨を砕き内臓を潰す内部破壊の技だ。


「研究中のやつて?」


「呪いのマホー」


ミュトスが振り返って睨みつつデュカスに言った。

「呪いの魔法は違法だ」


「あんな化け物に違法も合法もない」


「右ボディの手応えは?」とリクサス。


「あった。が、すぐ復活してぴんぴんしてたろ。あんなの初めてだ。屈辱だよ。あの耐久性、頑丈さは理解不能だ」


「フェリル王族の法力まで無効にするってのはただごとじゃねえな……大きさは関係なく弾くってことだからな」


「俺がやられたらドラゴン族に相談しろ」


「いやお前の頼みしか聞かんだろ、あいつらは」


「ええ? じゃあ後で頼みに行かないといかんな」


「ところでそのエルフは何だ?」


ミュトスがちょうどこちらへ来たのでふたりにデュカスは紹介した。

「国連職員のリヒトくん。カルタスの命で動いてるスーパーエリートだよ」


ふたりとも会釈するリヒトを見て(ほう……!)と小さく驚いている。

リヒト自身は有名な魔法士リクサスを目のあたりにして緊張ぎみであった。


リクサスは身長一九八センチ、体重一二五キロの巨漢である。見るからに筋肉質で、肩の盛り上がりは尋常ではない。とにかく体の厚みと横幅がすごかった。巨木に丸太が手足として付いているかのようだ。


戦闘系特有の圧もあって大きく見えもするのだろうが、彼を基準とするとデュカスがとても同じ部類の人間とは思えない。公式データによるとデュカスは身長一七三センチ、体重六二キロである。


リヒトは自分の疑問をデュカスに述べた。

「あの怪物はなぜ自分から現れたのでしょうか」


「相手の戦力を確かめに来たんだろう。情報収集にさ。俺を知ってたみたいだし、探りを入れに来たと」


リクサスが言った。


「あいつ俺を呼んだんだ。デュカスとどれほどの差があるのかって訊いてきた。カイオンて名乗ってたぜ」


「へえ」


「逃走の準備も怠らず、あんななりなのに細かい」


「最初自分で陣張ったしあいつ人間ベースだよな」


「軍人か」


「技は軍から教育されたっぽい」


ミュトスが私見を述べる。

「しかし法力自体は小さなものだった」


「見たままを言うとあれドラゴンと人間の合成だろ」とリクサス。


「先入観は持たん方がいい」


「ドラゴンとは違うか」


「違う。ダムドが無効てのもあるが、科学的な感じだ」


「やっぱり遺伝子操作で生み出されたんじゃないのか」


フェリルの三人の脳裏に“魔法科学”という言葉が浮かんでいた。それは歴史のなかで現れては消え現れては消えを繰り返す概念である。口にはしたくなかった。


「それなら弱点があるはず。人間が作ったものならどこかにね」


「いまのところ弱点はなしか」


「スタミナ勝負に持ち込まれたら勝ち目は薄いな」


実際のところ戦闘魔法というのは全力での使用だと三○~四○分辺りが限界である。これは賢者とて同様だ。肉体が持たない。


そこをクリアしている生命体ということなら、放出系を無効にする特性と合わせると、戦闘系魔法の使い手を殺すためにこの世に生まれて来ていると言ってもよい。


歩み寄ってきたブラウン国防大臣が、まだ興奮と恐怖を慎められていない表情でつぶやくように言った。


「デュカス王子……ともかく敵は退散した。それは事実です。あなたをお呼びしてほんとうによかった」


デュカスの顔色はすぐれない。

「まだ倒しておりません」


そう告げたあと彼はミュトスの顔を見て言う。

「今回の件が済むまでここに待機してくれないか、ミュトス。面倒事、厄介事をあんたに任せたい。嫌なら無理にとは言わん」


言われたミュトスとリクサスの間に微妙な空気が生まれる。基本的にミュトスはフェリル政府よりデュカスのお目付け役の意味を含めて送り込まれている。デュカスはそれを自分の依頼に置き換えたのだ。言わば上書きである。なぜなら可能性として政府の人間が自分たちに都合のよい指示を出すことも考えられたからである。立場上、政府と王族の中間のような位置にいるミュトスを自分の側に引き寄せた、ということだ。


リクサスにとっては意外だった。ここまで直の接触が殆どなく、関わりの薄いミュトスに対してこうした扱いをするとは想像できなかった。


「まさか。王族のサポートも仕事だ。担当賢者としてやるべきことをやるさ。しかし……こういう緊急時の指揮系統のトップはお前だろう。命令してもよいように思うが」


なぜデュカスがそうしたかと言うとミュトスがここにいたからである。戦うのは担当賢者の仕事ではない。プリンシパンの施設内で千里眼にて状況を把握していればそれでよい立場である。が、彼はそうはしなかった。そのセンスをデュカスは認めているのだ。


「今まで通りでいこう。フェリルの戦争ではないからね。この件は外交も含んでるからあんたに頼ることは多い。俺を戦闘に集中させてくれ」


「……わかった」


「リクサスは帰って国を守ってくれ。厳戒体制を敷いてあらゆる事態に対応できるよう政府と軍に伝えて。もうやってるとは思うんだが」


「わかった。まあここと行ったり来たりの連絡役をギルバートから命じられてるから、柔軟にやるさ」


「そうなのか。ならそれでいい」


そしてデュカスはプリンシパンの軍人たちの方に体を向けて告げる。

「で、みなさん。戦うのは俺だけどもこれはチーム戦です。我々はひとつにならなくてはなりません。あなた方のサポートなしに俺の百パーセントは出し切れません。みなさんの力が必要なのでよろしく」と。


「はっ」「はい」と声は聞こえたものの、返事はまばらだった。みな当惑していたのだ。暗黒王子の尋常ではない強さの片鱗と、その王族としては軽すぎる立ち振舞いに。暗黒というにはあまりに真逆な表面に。


リクサスは故国へ戻るべく魔方陣を芝生に張る。金色の光線が幾層にも立ち上がるなか、ゆっくりとそこに歩を進めながら彼は安堵していた。デュカスの頭のなかではすでに怪物カイオン戦のグランドラインが出来上がっているようである。


フェリル王族に倣えば──こういうのは楽しまなければならない。戦いを好み、戦いに生き、戦いそのものを楽しむ。彼の信じる王族像とデュカスの天然さはぴったりと合致していた。鍛え抜かれた戦士のごつい背中の裏で、彼は満足げな表情を浮かべていた。



「あの最後の移動魔法……あんたに同じことがやれる?」


宮殿内を案内され廊下を渡るデュカスはそうそっとミュトスに問うた。怪物が使った銀の玉による移動魔法のことである。


「あれほどスムーズにはいかない」


通常、他者から渡された魔法を使う場合には発動に間やタメを要するものだ。


「だよな。向こうには凄いのが付いてる」


滞在に用意された部屋はテニスコートほどの広さがあった。寝室は別にあり、室内にはソファー、小さな机と椅子の1セットがあるだけなので広く感じる。窓の向こうは湖を見下ろすベランダとなっていて、ノウエルで二年過ごしてきたデュカスにとっては落ち着かない、過ぎた部屋である。しかし慣れなくてはならない。こちらの世界での立場を思い出さなくてはならない。


ノックがありずらずらと王族やら貴族やら大臣や議員といった集団が部屋に入ってくる。誰もがかしこまった顔つきで、それを見た途端デュカスは内心「ああ……」とテンションを下げていた。


が、入り口のところでミュトスがわずかに両手を広げてみなを制止し、訝しむ皆々に対しておもむろに告げる。


「フェリルの担当賢者ミュトスだ。王子に用件があるときはまず私を通せ。重要なことであれば伝える。これは滞在期間は無論のこと、問題が解決したのちもそうだ。私を通したくない用件の場合はギルバート議長に話を通すように。議長には私から言ってある」


まあ、いろいろと相手はごねていたが、しばらくすると彼らは引き下がってくれた。デュカスにとってはまったく何の足しにもならない。デュカスが相手をするのはブラウンを除けば軍人だけだ。

軍部には幾つか頼みごとをしているのでそれについては待っている状態である。


ミュトスは椅子に戻って本を読み始める。タイミングを見計らっていたリヒトがデュカスのそばにふわりと飛んで来た。


「カルタス議長が余裕がある時に会いたいと申しておりますが」


「急用でなければあとにしてくれないかな。気が散る」


……っていまは何にもしてないじゃないですか。という顔をしているのでデュカスは彼に説明することにした。


「さっきの戦闘を消化中……見た目ではわからんと思うが、けっこうな法力を使ったんでこっちにもダメージがあるのよ。頭痛だったり頭がくらくらしたり、気が滅入ったりな。

畑の土が荒れてる光景を思い浮かべてくれ。それを整えて始めて栽培の作業が始められる。日常を回復できる」


「そうなんですか?」

ずいぶん面倒なことだ。そんなに戦闘魔法とはセンシティブな魔法なのか。



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