6 来襲
フェリルの宮殿から十キロほどの距離に丘陵をはさんで古城が建っている。かつて孤独を好む王族が別荘として使っていた城である。規模は小さいが庭園を備えた美しい城だった。かつては。
現在は庭園のあった場所は更地となり、外観は荒れ果てた廃墟のような姿になっている。しかし内部は違う。装飾を排した近代的な内装へと変貌を遂げていた。
城の主たる第一担当賢者ネオストラーニの趣味趣向に基づいて改築がなされたからである。彼は先代の王、モロゾフからの寵愛を受け、彼の望みは殆ど実現されている。この古城が与えられたのも議会を通さないモロゾフ王直接の指示によるものだ。
一方で真の望み、人生を賭した目標である賢者会への抜擢は叶わずにいた。彼自身はわかっている。仮に賢者会六名のメンバーのなかに病によって欠員が出たとしても自分は選ばれないことを。優先されるのはデルバック在住の賢者である。
くわえて彼には“賢者の世界”における人望がなさすぎた。独善に過ぎるという評価が定着していた。ゆえに国民からも不人気なままの担当賢者である。
三階の窓辺に立つライトグレーの賢者服を纏う男、ネオストラーニはタバコの煙を吐き出しつつ、丘陵を眺めていた。
視線は丘陵地帯を望んでいても、彼が発動している“賢者眼”によってその奥、フェリルの宮殿の群れが脳裏には映っている。権力層の巣食うその領域は彼にとって下賤(せん)な領域だった。
裏で権謀うずまく世界に身を置きたくはない。自分の研究にとって何もプラスはなくむしろ集中力を削ぎ、精神を傷つけるものに他ならない──雑多なことは第二担当賢者に任せればよく、彼の仕事を奪うことはない。ネオストラーニは心の底からそう思っている。
彼の生活、人生における懸念はデュカス王子に集約されていた。理解ができないからである。理解ができぬゆえに予想がつかない。これは精神安定を損なわせるに充分であり……苦痛でもあった。
忌々しいことにデュカスは何もしていないのに多方面からの注目が多く、罵りや嫌悪が多くを占めているのにもかかわらず一部の賢者や一部の重要人物から不思議な支持を得ているのだ。腹立たしいこと極まりない。この腹立たしさこそ、彼がモロゾフ王と共有していたことである。
──やつが来る。魔法力を増幅させたあの男が。まったくジェナルドは余計なことをしてくれた。ここでちやほや育てていれば自滅の道もありえたろうに。……いや実際その可能性は間違いなくあったのだ。
デュカスの帰還を待ち受ける彼はしかし、賢者には似つかわしくない邪念を発散させていた。ここには誰もおらず、彼ひとりでいるからだ。彼の吐き出す煙には呪詛が込められているかのように禍々しさがあった。
☆
「!?」リクサスとミュトスが同時に体をびくっとさせた。
なんだ? 彼らは危機を察知し警戒する。プリンシパンの国防省内ブリーフィングルームで共に怪物対策を練っていた幹部たちもそんな彼らの様子を見て緊張を走らせる。
まさか当該の怪物が近くにいるのか? ここへ「来た」のか?
果たして怪物カイオンは魔方陣にて国防省の敷地に現れていた。広大な芝生の園となった黄緑色の空間に、黒い穴があいたように一体の怪物……ドラゴンの頭部と筋肉の塊のごときパワーミュータントを思わせる巨躯が姿を見せている。
彼は五階建てのビルを見上げ、静かに人間たちの出方を待っていた。軍幹部は直ちに戦闘系魔法士に出動を命じ、官職の職員たちを避難させる。同時にリクサスとミュトスには「いまはまだ動かないで下さい」と告げる。これはプリンシパンの問題なのだ。まずは自国の戦士が出ずして何が国防であろう。
怪物は視線を芝生の園に下ろし、現れるであろう戦士たちを待ち受ける。
戦闘系魔法士たちが次々に魔方陣によって移動してくる。
──しかし、彼らの殆どは怪物の姿を視界に捉えると動けなくなった。体が硬直して動けない。
二メートル近い高さ、二メートル近く見える幅、恐ろしい肉体の厚み──漂うこの世のものとは思えない妖気、外観からくる凶悪さ、発散される凄まじい圧力に面食らっていた。
怪物はまったく戦闘態勢をとっていないのだが。ドラゴンに似た頭部をしているので威圧感が強いものの、むしろ冷静さのにじむ態度である。
怪物が十一名の軍人たちに向けて告げた。
「リクサスという男が来ているはずだ。呼んでこい」
声はビル内にいるリクサス当人の耳にも届いた。
「行ってくる。ミュトスは残れ」
「そうはいくまい。危なくなれば逃げる」
「そういう話ではなくな」
万一補食されると大ごとになる。
「いまは私もフェリルの人間だ。王子を呼んでおいて担当賢者が避難というのは話が通らん」
説得を諦めて出陣するリクサス。彼は自分が通れるだけの魔方陣を作って屋外に移動した。
つづいてミュトスも陣を張り、体を沈めてゆく。
……しかし魔方陣からせり上がってきたミュトスもまた圧に、ただその圧に硬直した。
頭部はドラゴンをベースにしており二本の短い角がある。体は岩のような筋肉で形作られた逆三角形の上半身と、それよりはスリムな腰と脚部である。大腿部のみが太い。体の色は全体的に黒色で覆われている。
わけのわからない化け物というよりは、科学的な論理に基づいて生み出された、ドラゴンと人間を合成したモンスターといった方が適切だった。
賢者眼を発動させたミュトスの眼には秘められたパワーの奥深いところまで見え、余計な畏怖を彼に与えている。
怪物の圧は死を放ち、いまや死そのものがミュトスの全身を覆っている。その視界に映る怪物の周囲では空間が歪み、うねってさえいた。ミュトスは足が動かなかった。頭では距離をとらねばと思うのだが、離れなければリクサスの邪魔でしかないと理解できるのだが体が動かない。
怪物は現れたリクサスを一目で当人だと理解し、値踏みするように足元から頭の先まで見つめ、しかしそれ以上の動きを見せない。相手の力量を計りかねているようにも見えた。実際のところリクサスの魔法の構造は少し複雑である。無理もなかった。
対峙すれどもじっとしている怪物にリクサスが声をかける。
「俺がリクサスだ。お前の名は?」
「カイオン」
「どこから来た」
「言えん」
「俺に何の用だ」
「お前の強さはデュカスとはどれくらいの差がある?」
「さあな」
「とぼけるな」
「いや二年会っとらんのだ。いまのヤツを知らん」
その時だった。殺気立ったふたりのA級が怪物に襲いかかる。同僚のグアルドを食らった憎き怪物……問答無用で駆除、もしくはこの世から消滅させてやる。ふたりがかりなら、ということだったのだろう。それは凄まじい速度での動き、体術であった。が、怪物は一瞬で体を引き、ふたりの正拳と前蹴りをかわしていた。
次の瞬間には低い音がふたつ鳴り、攻撃をしたはずのふたりが仰向けになって地に倒れ込んだ。
ふたりとも最大の防御魔法である“フィールド”を発動させていたのだが怪物はこれに岩のような拳を叩きつけ、フィールドを通り抜ける衝撃波によって彼らの脳にダメージを与えていたのだ。失神し、ピクリとも動かないふたりのA級戦闘系魔法士。
怪物は恐ろしい速度でA級戦闘系魔法士のひとりにかぶさるようにして巨体を屈めると、極太の右腕を振り上げ、岩のような拳を撃ち下ろそうとする……!
しかし、その異様なまでに太い右腕は止まった。
怪物の隆起した右肩をトン、とこの場に忽然と現れた男が左の掌底で叩いていたのだ。
デュカスである。黒のロンTとデニム姿だ。
背後を振り返る怪物。瞬間、暗黒王子と怪物カイオンの視線が重なった。
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