4 呪術


「開店しないんですか?」


リヒトは火の消えたタバコをくわえてぼうっとしているデュカスに言った。


「……帰還の準備がある。今日は閉店」


「ならちょっと相談があるのですが」


「ん? 何?」


「僕は魔法使いとしてどんな感じですか?」


そうきたか、とデュカスは思った。エルフという存在のなかで魔法力を備えて生まれいずる例は稀だ。さらに彼はその中でも特殊だ。稀な例ゆえに周囲も扱いに困る面があることは想像がつく。

ゆえに彼が魔法使いとして初期段階のままにあるのは無理もなかった。


「エルフ協会は指示出さないの?」


「まだ何も。相談はしたのですが放置されてる状態で。それで訓練も何もまだ始めてなくて。千里眼とかジゴク耳とか基本的な魔法は自然に使えるのですが。周りの国連職員にどうしたらいいか尋ねてもわからないと言われますし……カルタス議長に尋ねても“いやあ”とか“まあその内に”とか曖昧な返事しか返ってこないのです」


「だろうね。複雑な厄介事には誰しも関わりたくないもんだ」


そこへ入り口の扉の呼び鈴が鳴った。


「あら! 開いてるじゃん!」と声を立てながら女のエルフが店内に入ってくる。茶髪のショートヘアー、丈の短い黒のブルゾン、ラズベリーピンクのスキニー姿。在住エルフのチカネットだ。


が、勇んで飛んできた彼女は金髪のエルフを見て表情を固めた。

「誰……?」


「あー、こちら国連職員のリヒトくん。しばらくは俺のお目付け役だ。カルタス議長直属の職員なんで失礼のないように。でリヒト、このコはこっちに定住してるチカネット」


リヒトは小さく会釈する。

しかしチカネットは警戒感丸出しである。


「いや……、デュカスこの人なにか違う……、ふつうのエルフじゃない……」


鋭い。リヒトの秘めたる魔法力を直感的に感じ取っているのだ。


「ふつうじゃないさ。飛びきりのエリートだ。加えて魔法力も備えてる」


「うそー……、そんなの初めて見る……」


「向こうにはそこそこいるんだがな。彼は特別だ。魔法力は微々たるものだがオールラウンダー、つまりちっこい賢者なわけよ」


「えっ?」とリヒト自身が驚いている。不思議そうな顔のチカネット。


「問題なのはそこじゃなくて、オールラウンダーってことは戦闘系の資質も持ってるってこと。専門家でも口にしづらいことだらけの厄介な存在だ」


「てかデュカスがそうじゃん、専門じゃん」


「ん。だから言うが、気安く訓練しろとか開発しろとかはなかなか助言しにくい」


「議長はあなたとの接触がプラスになろうと言ってましたが」


「それは君の人間性、人となりを知ってるからそう言ったのさ。君のことを知らん俺の立場からすると無責任な発言だなって思うけど」


「デュカスいい?」とチカネット。


「ん?」


「美奈子が寝込んじゃったの。朝、急にうずくまって……それからベッドに寝たきりなの」


佐藤美奈子は同い年の友人だ。彼女の父親と養父の源造が親しいので家族ぐるみの付き合いがある。


「あらま。過労かな」


「でもおじさんが潔くんに相談してこいって言うの」


「そうか。……待って。移民局に断りを入れておかんと」

スマホを取り出して電話をかける。

「もしもし村井です。 ……はい。いまからしばらくシュエルの人間として動くんで、いちいち騒がないように。 ……期間は国連に聞いてくれ。で、周りにも言っとくように。いいね? ……ええ? 脅しじゃなくて忠告。ではよろしく。 

……ああ? もう、やかましい。あんまりごねると語尾にピョンをつけないと喋れん呪いをかけるぞ。黙っとれ」

そう言って通話を切るデュカス。


「移民管理事務局ですよね? いいんですか」とリヒト。


移民局は形としては国連の支部となっているが自治を任されており、ゆえに強面ぞろいの機関として有名だ。非魔法界であるこちらのことを彼らはノウエルと呼び、移民については魔法使用を原則禁止として取り締まりを行っている。


「前もって言ってある。俺には必ず向こうの厄介事が回ってくるから覚悟しておいてって。……リヒト、営利目的でなければそこまで厳格ではない、というのは聞いてる?」


「まあ、はい」

あんまりデュカスには意味がない、ともカルタス議長からは言われていた。


「……では移動しよう」


デュカスは店舗の床に円と星形で描かれたベーシックな魔方陣を張り、エルフのふたりを伴って陣のなかに身を沈めていった。


佐藤家の自宅は主人の富雄が営んでいる〈パティシエ・サトウ〉の裏手にある。その家族経営のスイーツ店は娘の美奈子とその母親が販売員を務めている。チカネットはここで居候をしているのだった。


ちら、とドアの隙間からベッドに横たわる佐藤美奈子の横顔を見て、デュカスはすぐにドアを締めた。背後の佐藤富雄に「困りました」と述べると一階に降りてリビングのテーブルにつく。


佐藤氏も対面の席につき、エルフのふたりは宙空でことの成りゆきを見守っている。


「昨日、妙な郵便物とかありませんでしたか?」


「いや」


「接客が終わってから外出は?」


「いや、昨日は出てないはずだ」


「来客は?」


これにはチカネットが答えた。

「一緒にいたけどなかったよ」


「では可能性が高いのは客のなかに呪いの魔法の使い手、もしくは協力者が混じっていた、ということだと思います」


「呪術……?」


「そうとも言います。レベルとしては軽いものですけど、できれば賢者を呼んだ方がいい事態です」


「君には対処できんのか」


「方法は三つあります。使い手を見つけて解除させる。使い手を葬る。新たに呪いをかけ上書きする……ま、害の無い呪いの上書きで今回のは治せそうではありますが……俺は専門ではないので安全とは言いがたい」


「何のために……誰がこんなことを……」


「俺に対するプレッシャーですよ。厄介事の渦中にあってこれから向こうに戻るところです」


「そうか」


「申し訳ありません」


「何かあるのは覚悟の上で君とは付き合ってる。謝らないでくれ。……上書きで治るのならそれで私はかまわんが。あ……、潔くんその術を使ったことは?」


「何度かはありますが人前で使ったことはありませんね。練習がメインで。禁じられてる魔法ですからね」


「君が使えるかどうか試す意味合い……ではないのか?」


「まあ、なくはないです、そういうのは」

彼はため息をついた。

「というか、使い手はいま苦しんでますよ」


みながきょとんとしていた。


「死にはしませんが……あなた方三人には、あなた方に害を与えた者に対してとりあえず腹痛でのたうちまわる“防御”の魔法をかけてあります。近い人物ならじきに分かります」


「そ、そうなのか……」


「こういうの、手応えというやつがあるんですよ。うん。手応えの感覚があります。……この段階で終わればいいですが、もし、仮にですけどさらに悪意を抱くようなら……ほぼ確実な死が待っています。自らの悪意で悪意がふくらみ、やがては破裂します」


「そこまでやることは……」


「いえ賢者の技のなかではベーシックなものなので、全然優しい部類ですよ」


そこへ、ジャージ姿の美奈子が二階から降りてきた。


「どしたの? みんな。……あ、知らないエルフがいる」


「解除したか……」

デュカスがそう小さくつぶやく。


リビングの空気は最初、安堵し、そして爽やかなまでに底冷えする、静かな恐怖をにじませた。

とはいえ、みな魔法界の血が流れている。これは自然な出来事の範疇だった。



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