3 エルフの疑問と裏の歴史

魔法国家プリンシパンの深い森の奥、怪物カイオンは腕組みをして大樹の幹に背中を預けていた。

黒ずくめの若い男は立ち去り、周囲に静寂が満ちている。


戦いは起こらなかった。戦ったところで双方に利益がなく、互いに威嚇し合うのみで対峙は終わった。


しかし無駄な時間ではなかった。カイオンには今後の行動にあたり協力者よりいくつかの提案が出されていたのだが、男とのやり取りでひとつの答えを得たのだ。


──あの様子ではこちらの世界で俺たちに関わる気でいるに違いない。いまの時点でデュカスに俺の情報を伝えるとは思えないが、遠からずその時は来るだろう。やつはデュカスの友人だ。何にせよ、まずは相手の力を計らんことには始まらんか──



賢者会副代表ラックスはデュカスの目を見据えて尋ねた。


「マゼンダルトを知ってるな?」


「ああ」


マゼンダルトとは彼らの故郷とは別の魔法世界の名だ。魔法世界は他にも存在し、シュエル・ロウ以外に少なくとも四つの魔法世界があることを特権階級は把握している。


「こちらの世界に、とりわけこの国に多く住んでいると聞く」


「多いね。この地域にも多いしエルフにもいる」


「彼らはよその地域から移動してきている、との情報がある。ここにだ。お前との関連はあるのか?」


「それは偶然だよ。移動はこの地域がよそ者に寛容だから。つまり寛容じゃない地域から追い出されてる層が裏には存在してるってこと。……そういうの移民局の連中が詳しいからそっちに訊いて」


「いやそこは自治区にしてるからな。関わりを持たんようにしてある」


要するに厄介事、面倒なことを丸投げするためである。


「お前が王族ということは知られているのか?」


「一部は知ってるんじゃないかな。なんで?」


「いやお前に関する情報は実に錯綜しておってな。分析が難しいのだ」


「何の分析?」


「魔法力の増減について」


「それ自分とこの諜報員が上げてくる情報だけ信じなよ」


「そういうわけにもいくまい」


「……だからはよ俺を戻せばいいんだよ。ややこしいところに送り込むからややこしいことになるんだ。俺本人でも言語化できない複雑なことが俺の内部で起こってる」


「やはりそうなのか。それを私たちは恐れていたのだ」


「俺に賢者の資質があるってのはみんな知ってることなのに、なんでそこを無視するんだろう」


「どういうことだ?」


「この地域の磁場に魔法力を削る特性があるとして、そういった負の面は負の蓄積にした上でパワーに転換できるんだ。べつに難しくはない仕組みだ」


「危険ではないか」


「危険だよ」


「それは厳密に言えばモラルに反してないか」


「反してるよ。でも環境がそうなら生きていくために合わせるしかない。……ラックスさん、あなたここにいるだけで辛いでしょう? いまこの瞬間を苦役のように感じているはずだ」


賢者ラックスは黙っている。


「あまり長居はしない方がいい」


そう言ってデュカスはテーブルの下からガラスの灰皿を取り出してテーブルに置き、宙空からタバコの箱とジッポーを取り出して灰皿のそばに置く。


それを見やりラックスがおもむろに述べた。


「ここでの魔法使用は原則禁止のはずだ」


「あいあい」とデュカスは返す。あなた結界張ったじゃないですか、と胸の内でつぶやきながら。



人間族のふたりが帰っても若いエルフは残っていた。デュカスとしては彼の立場はすぐに理解できたのだが取り立て急ぐことでもないので彼の方からアクションがあるまで待つことにしていた。


吐息をつきながら三本目のタバコを吸うデュカスにとうとうエルフの彼は声をかけた。


「不思議なのはなぜにあなたはああも賢者に対して横柄な態度をとるのですか? いえとれるのですか?」


「君の名は? 所属は?」


「リヒトと申します。所属は国連の諜報部とエルフ協会です」


「ならカルタス議長からこの任務につく前にレクチャー受けてないかな」


「幾つかは受けましたが……」


「にもかかわらず分からないということは教わってないということだね」


「何をです?」


「歴史を。こんにちの賢者会があるのはフェリルのおかげなんだよ。フェリルの創始者ダムドが賢者会とドラゴン族との戦争を収めて平和をもたらしたんだ。何百年も前の話だけど」


「いや……初めて聞きました……というかそれって〈エルバンテスの戦い〉でしょう? 賢者会がドラゴン族を打ち破って人間界を守ったのでは?」


「それは表の歴史。うちも配慮していちいち訂正しないが、ほんとの歴史ではそうなんだ。当時、国連加盟を許されてなかったフェリルがそのときの報償として加盟を認められた……という経緯がある。機会があればカルタス議長に訊いてみるといい」


「なぜ国連から弾かれていたのですか?」


「昔は戦闘系魔法士なんてのは最下層の扱いだったんだよ。野蛮で粗暴な種族ってな。ま、実際そうだったんだが」


「ドラゴンを倒したんですか?」


「いや、ドラゴン族と付き合いがあったんで、仲裁したんだ。ダムドがドラゴンの防御を打ち破る技を持ってたから、ということもある。で、領地をめぐる戦争だったからフェリルの領地の一部を無償でドラゴン族に譲渡した。こんにちのシュエル・ロウの世界構造がここに始まった……というわけさ」


「ほんとですか……?」


「かなりざっくりとキレイにまとめたからそのまま受け止めることはない。生々しい部分は省いた。生々しい部分が裏の歴史の核だったりするからな」


「みんな知ってるんですかね」


「知ってても口にはしないだろ。裏の話なんだから。……で、君の任務は監視だろ」


「説得と監視を命じられてます」


「何の説得?」


「怪物退治です。しかし口をはさむ余地がありませんでした」


「べつに行かないとは言ってないだろ。条件がかなえば戦闘系として帰還するさ」


言いたいことがあるような顔をしたエルフはしかし、それをぐっと腹の中に押し止めていた。その様子を目の隅に置きつつデュカスは煙を吐き出す。


デュカスとリヒト。ふたりの邂逅はこんなふうにして始まった。



魔法界シュエル・ロウにおける大国、デルバックの森に鎮座する賢者会本部ビルの六階。五七歳の賢者会代表は五六歳の賢者を自分の執務室に呼び出していた。


賢者会代表ジェナルド。そしてフェリル第一担当賢者ネオストラーニ。ふたりだけの会合である。


ジェナルドが問うた。


「怪物について本当に何も知らんのか」


「今朝方言った通りですよ」


「いまなら間に合う」


「なぜ私を疑うのか理解に苦しみます」


「あれは異世界からの侵入者だろう。となればまずお前のことを考えざるを得ん。いまは関係なくともかつてはその分野の研究にもいそしんでいたはずだ」


「二十年も前の話です。それも先代の代表からの要請を受けての研究ですよ。どうにかしてフェリル王族の魔法力を越えるためのヒントを得ようと」


「成果を報告していないではないか」


「先代アルデバラン個人には報告してます。そういう約束で予算をいただいていたので」


「いまは私の代だ。研究成果を賢者会に上げたまえよ」


「まあ……六名全員からこの話があれば断るわけにもいきませんが……ここで承諾してしまうとあなたの独占になりかねない」


「それの何がまずい? 権力とはまず周辺を固めることから始めなくてはならん。それが結果として安定した統治を生み、それが安定した世界につながる」


「会議をひらくことをお勧めしますよ」


「デュカスが戻ったら……こんなのんきな話などできんと思うがな」


「何を恐れるのです? 王位を逃れようとする男ですよ」


「その言葉、そっくりお前に返す。そこはお互いさまだ」


部屋に冷たい沈黙の刻が流れた。



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