第一章 暗黒王子

1 魔法世界

深い森のなか、その怪物を前にしてプリンシパンの魔法士グアルド少将は身を固くした。


怪物が放つ妖気を全身に受け一目で死を悟った。しかし逃げることはかなわない。退避にかかる一瞬は隙となり自分はただの肉塊と化してしまうだろう。


人型のドラゴンと屈強な人間の兵士を掛け合わせたような外観の怪物は静かにグアルドを見下ろしている。


意外にも怪物が声をかけてきた。


「ほう、俺の力を見ただけで計れるのか。お前の名を聞いておこう」


「怪物が……、、名を知ることに何の意味がある」


「我が肉体の一部となるのだ。私には意味がある」


「なんだと?」


「ああ失礼した。俺の名はカイオン…… 遠からずこの世界を支配する存在だ。光栄に思え」


「ほざけ……!」


金色に輝く光の帯がグアルドの右腕から放たれる。光の帯は怪物を直撃し、しかしあっけなくそれは弾かれた。

周囲に拡散する光の残像のなか、グアルドは絶望する。


──終わりだ。それでも俺はA級魔法士。一矢報いずに散るわけにはいかん。誇りにかけて。


グアルドが動き、距離をつめ、反撃をその右拳にかけた。肉弾戦なら戦えるはずである。


戦えるはずだった。


が、右正拳はかるくいなされ怪物から右ヒジを顔面に叩き込まれる。勝負はそれでついた。

グアルドは意識を失い、怪物にはそれで充分だった。できるだけ損傷のないままに相手を補食するのが望みだったからだ。


森に風が吹き、木々は葉ずれの音を鳴らした。さながら身を潜めて事態をうかがう精霊たちがざわめくように。



グアルド少将がこの世界から消滅した翌日の朝。会議を終え執務室に戻ってきたカルタスは小さくため息をついたあと、内線電話でひとりのエルフを呼び出した。


ほどなくノックの音がして入室を促すと、体長三十センチほどの金髪の青年がふわりと部屋に入り、カルタスの元に飛んでくる。


「会議はどうでしたか?」


先程まで国際連盟本部議会で開かれていたプリンシパンに現れた謎の怪物による事件──

〈正体不明の怪物による魔法士殺害事件〉への対策会議のことである。


「デュカスの召喚が決まった」


「反論はなかったですか?」


「元は賢者会の申し出だ。誰も異論は挟まんよ。……懸念を示すのは当の賢者会の代表ひとりでね」


「え? じゃあ意見が割れていたのですか。賢者会内部では」


「いや代表としての体面だろう。情報収集を任せるにデュカスが適任だとしてる。さすがの賢者も畏怖しておるのだ。正体不明だからな」


事の始終を目撃したエルフの証言によれば怪物と相対した魔法士は怪物の体内から出てきた胃袋のような器官に覆われ補食されたのだという。殺害事件というよりも補食事件である。


「エルフとしては何か都合がいいなと感じてしまいますが」


「まあ罪人扱いだからな。が、デュカスか素直に応じるかはわからんよ」


「反発するでしょうか」


「そこでだ、私に賢者会から依頼があった。誰かを監視役、説得役として派遣しろとな。どうかな? 暗黒王子のお目付け役というのは」


どうかなと言うがほぼ命令である。

「もう決めてあるのでしょう?」


「まあな。君にとっても魔法力の開発にはプラスとなるだろう」


「断る立場にはありません」


「といっても最初は賢者会とプリンシパンから一名ずつ使者を出すから、三名での訪問になる。君はそのあとひとりで任務につく」


「わかりました。……何か助言のようなものは」


「不安かね。彼はフェリル王族の中ではずいぶんまともだよ」


「そう言うのはカルタス議長だけですよ。たいていの職員たちは罵りの対象にしてます」


「そりゃそうだ。唯一、従順ではない国の王子なんだから。しかも……従順さのかけらもない人間性だからな、あいつは。空気が殺意に満ちる人物だ。しかし特級の戦闘系ならば当然のことだ」


「不安ですね」


「君は国連職員であると同時にエルフ族なんだから、向こうも敵意は抱かんだろう」


「そうだといいです……そう願ってます」


執務室を退出し廊下に出たリヒトは複雑な表情を浮かべていた。相手は先代の王を事故とはいえ決闘によって葬り、父親殺しの罪を背負った人物である。フェリルにおいては決闘は合法だが国連及び賢者会はそれを認めていない。


十八にして世界からの追放刑を受けた人物がその精神に歪みや闇を抱くことなく人生を過ごせるだろうか?

リヒトはそれが心配だった。



フェリル領ドラゴン自治区──深い森の奥に位置する洞窟のなか、最長老ドルスと侍従長ケインは契約諜報員のエルフより国連議会会議の内容の報告を受け、しばし沈黙した。報告を終えたエルフはふたりの元を去り、夜の闇のなかに消えてゆく。


口をひらいたのはケインだった。

「二年にして帰還ですか。よほど賢者会は怪物を恐れているようですね」


「……食われてはたまるまい……仮に補食して増強するタイプだったとしたら取り返しがつかん……そこは我らとて同じだ。様子を見るしかあるまい」


「我らの出番はないと」


「危機がフェリルに及べば話は別だ。動くのはその時でよい。可能性としてはデュカスから依頼があるやもしれん。その準備だけはしておくべきだろうね」


「そのデュカスですが」

心に溜めてきた疑問をここでケインは口にした。

「最長老は本気で後継者をデュカスに指名するおつもりですか」


ドルスは両のまぶたを閉じた。


「ドラゴン族の誰が王の座につこうと……我らはまとまるまい。闘争はじわじわと拡がり、、分裂は避けられん事態となろう。我らは組織を安定して維持するにはまだ未熟な生命体だよ」


ドラゴン族には三つの種族があり、それぞれが棲む場所を別れて独自のコミュニティを構築している。表向き安定しているように見えるのはドルスの備えた圧倒的な力ゆえである。事実上の恐怖政治、力による統治によってドラゴン自治区は運営されていた。


「デュカスは十五で私を凌駕しておった。私に配慮し手加減してでもだ。手合わせをした人間族が彼しかいないので断定まではできんが、格闘戦のみで私を凌駕できる人間族など……数名しか存在しないはずだ」


「……」沈黙するケイン。


だからといって人間族がドラゴン族の王位につくなどということがあるわけがない。ケインは内心そう思った。しかし噂では最長老には微かながら、確率は低いとはいえ未来予知の能力があると聞く。何らかのビジョンが見えているのかもしれない。


「ちょうどデュカスもシュトラウスへの王位譲渡を画策しておるところ……シュトラウスがフェリル王。デュカスがドラゴン族の王……そういう魔法世界があってもよかろう。うまくいけば賢者会を打倒し、我らによる支配も可能かもしれん。……賭けてみようではないか。あの鬼子にな」


動物界ではデュカスのことを“魔法世界の闇が生み出した鬼子”と呼んでいる。いい意味もわるい意味も込められた言葉である。


ケインにとってデュカスは古い友人なのでべつに王となっても個人的には構わないのだが、それが実現するとはまったく思えなかった。


「どうでしょう……」


彼はそう言うしかなかった。



魔法界シュエル・ロウ、六つの国のなかのひとつ、軍事国家フェリル。軍の訓練施設内、闘技場の脇でリクサス中将は部下たちに囲まれていた。二メートル近い巨体の周りに五人の若い兵が集まっている。


「リクサスさん、本当に王子が帰還するのですか?」


「俺も聞いたばかりだ。決まったのは本当だろう。でもフェリルへの帰還は許されんと思うぞ。あくまで怪物退治で呼ばれるはずだからな」


「厄介事を押し付けられるような気がして頭にきますね」


「まさにそうだろうさ。怪物が何ものか、確たる情報は何もないんだ」


「プリンシパンともそんなに良い関係にはないのに」


「だからデュカスが安易に承諾するとは限らん」


「議会はどういう立場なのでしょう」


「国連からデュカスへ直の依頼となるから、まだ関わりを持たない方針でいる」


「王子には危険だからやめてほしいような……でも戦ってほしいような、複雑な思いがしますね」


「おい」鋭い声が響いた。


フェリルの第二担当賢者ミュトスである。彼が軍の施設に姿を見せるなど異例なことだった。


「リクサス、デュカス王子のことはまだ機密扱いなんだ。せめて結界を張ってから口にしろ」


「わるかったな。でも話はもう終わりだ。……何ならあんたもたまには訓練に加わってはどうだ? これからサブミッションをやるんだが」


「けっこうだ。私を誰だと思ってる?」


やや険悪な空気が流れる。このふたりは基本的に反りが合わず互いに距離をとり普段は会話もない。


「デュカスからきつく言われててな……ミュトスは常に立場を立ててやれと。あんたと衝突する気はない。用がないなら出ていってくれ」


「用があるから来たのだ。ギルバートが呼んでいる。私と共にな」


リクサスは怪訝な顔をした。

──なんだ? 議長が?


通常、彼に下りてくる命令は上官かさもなくば王族からである。こんなことは初のことだった。

あまりいい予感はしなかった。


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