雨と僕

「行ってきます」


後ろ手で扉を閉めると、湿っぽい空気が肺を支配した。

今日は曇天、まだ雨雲はなさそうだが……。


(持っていくに越したことはない、か)


多分大丈夫だと高を括った時には大概、雨が降る。私服なら濡れてもいいのだが、制服は一式しか持っていないため困ったことになる。

数瞬前に閉めた扉をまた開けなければいけないことに些細な煩わしさを覚えることを代償に、僕は傘を持っていくことができたのだった。



――――――

―――――

――――

―――

――


「魔法には、少し特殊なものが存在する」


今日は幸いにも一日中座学だった。それも多少興味のある魔法学がある。

この学校では魔法の才能がない者でも、知っておくと何かしら役に立つだろうということで魔法学は全員必修なのだ。


「それは魔術とも呼ばれており、魔力以外の代償を捧げることでより強力な効果を得ることができる」


魔法はふつう、体内の魔力を消費することで扱えるが爆発的な利を得られるわけではない。攻撃魔法でも、最大で8人程度しか同時に対象に取れない。


「その代償は術者が何を行うかによって左右される。例えば広範囲に攻撃をする場合などは、純度の高い魔結晶が必要だ」


魔結晶は非常に高価な代物で、そうそう手に入らない。純度の高いものとなると下手をすると小さな城ぐらいは建ってしまうかもしれない。


「しかし、解呪では新鮮な花一輪でよい」


花と聞いて思い出した。雨が降らなければ帰りに花屋でも見ていこう。ルピナスの花を……いや、それが目的ではない。決して。


「一説によると、魔術を簡略化しようとしてできたのが魔法ということらしい。」

「魔法士の中には魔術を専門に扱う者もおり、とりわけそういった者のことを魔術師もしくは――――――」


必死に自分に対して言い訳を重ねていた僕だったが、その単語は妙に耳に残っていたことを覚えている。足りなかったパズルのピースがひとつ埋まったような感覚だった。


「魔女という」



――――――

―――――

――――

―――

――


帰宅せんとした僕を迎えたのは、小気味よく屋根や床を叩く雨の音だった。


(やっぱりか……。)


雨が思っていたより強いことに嘆息するが、僕は雨自体は好きだった。

僕にとって人生の分け目となったあの日も雨だったからだ。それまでの『僕』は消え、「ゼルニウス」として新しく生まれ変わった言わば誕生日も同然。その日を象徴するべき雨が嫌いなわけがない。


傘を差して帰ろうとすると、ふと視野に立ち尽くしている人影が写る。きっと傘を忘れてしまったのだろう。


「……おい」


人影から聞き覚えのある声が聞こえた。聞きたくはなかったが。


(アゼル……)


「その傘を寄越せ、特別に俺が使ってやる」


雨の前で立ち往生していたのはあのアゼルだった。天敵の情けない姿に内心ほくそ笑む。

これは普段の鬱憤を晴らすチャンスかもしれない。


「傘ならわざわざ痣持ちのを使わなくたって、いつもの取り巻きに貸してもらえばいいじゃんか」


あいつはいつも周りに人を侍らせている。言うまでもなく機嫌取りだが、今日に限っていない。


「もしかして皆傘を貸したくなくて先に帰っちゃったとか?」


傘を忘れたことでアゼルが多少苛立っているのは明白だ。機嫌取りで彼に近づいている小物が、見えている地雷を踏みに行くだろうか。


「黙れ。御託は良いから寄越せ」


「なんで、僕が」


「俺に逆らってもいいのか?」


別段、僕としては困ることは無い。元々痣持ちというだけで自由にできる場所はかなり限られてくるから、こいつの出来ることはたかが知れている。


「別にいいけど。それじゃあね」


だから、アゼルを無視して帰路に着いてみる。

普段なら絶対にできないことだろう。特別な雨の日だからこそだ。


「おい!……クソッ」


雨で濡れたくないのだろう、意外と繊細なアゼルは悪態をつくと校舎の中に姿を消した。きっと他の誰かから奪い取りに行くのだろう。


(ああ、すっきりした)


非常に些細なことではあるが、普段やられっぱなしの僕が反抗出来たというだけでもかなり大きな進歩だ。胸がすく思いとはこういうことを言うのか。


(それにしても……)


傘にぶつかる雨音が心地よい。水たまりの表面を軽く靴で弾くと、キレイに水しぶきが上がった。


(今日のご飯は何にしようかな)


僕はすっかりアゼルの事は忘れてしまい、帰ってからのことに思いを馳せていた。

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