走馬灯なる愛
なんにもなくてもただ今、健康で何事もない時を過ごせてるだけで幸福だと思えるようになった。
前世、遊女として悦楽奢侈を味わい、今生は、さえないフリーターのおじさんとなって色気も使えず、苦労する魂が見えた。
あれは、私なのだ。
私は、ギリシャでは、ディオニュソスの弟子であり、インドでは、超人仏陀の、高弟であり、ユダヤでは、キリストのそばにいた。
愛の星、地球。
苦しみの星、地球。
はるか天空に浮かぶ月、あれは、わが故郷なのだ。
死なしてくれ。
もうたくさんだ。
楽になりたい。
もう十分に戦ってきた。
風に舞う落ち葉のように寄る辺ない私は、
闇を知っている。
救済は完全な闇の中にしかない。
闇こそが光だ。
凡人の苦と闇を、覚者は、光と安らぎとなす。
アダムとエヴァに罰としてかされた労働、出産は、覚者にとっては豊かな自己実現の場である。
つまり、命がけの天職、恋愛となるのである。
出会いと別れ。
ある作曲家が、音楽を愛しきって音楽家としての人生を全うした。
それ以後、音楽家として生まれることはなかった。
満場喝采の拍手を浴びたときよりも、知り合いに言われた、何気ないほめ言葉のような批評のほうが、彼の心の支えになっていた。
いかさま霊能者として、適当に人の前世などを読み、安易にお涙頂戴した人生もあった。
中国の大道芸人として、一稼ぎしたときもあった。
私は、鏡を見つめていた。
何千という、前世が走馬灯のように現れた。
悪人の人生、善人の人生、全てくぐってきた。
貴族の青年にあこがれる、貧しい農民の女の子だったこともあった。
それは、月を見上げて嘆きを繰り返す山椒魚のようであった。
あるおばさんに言われた。
lalitaさんは、たくさんいろんな体験をしてるんですね。
私の魂は古い。
悟りの深さとは、実際の人生と離れておらず、いろんな人生から得た洞察のことなのだ。
私は野心ではなく愛と人生のほうを取ってきた。
最後に残るのは愛なのだから。
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