複雑な気持ち──細川夜
昼休み。僕は職員室にいた。珍しく藤村先生に呼び出しをくらった。けど、特に心当たりがない。
「先生、何か用ですか?」
僕が呼ぶと藤村先生は回転椅子をくるりとこちらへ向けた。
「あぁ、細川か。月当番の図書委員の仕事がうちのクラスに回ってきたんだが、図書委員になってくれないか?」
藤村先生がマグカップに注いであったホットコーヒーを飲む。
「いや、なんで僕が。嫌ですよ」
僕は首を横に振った。
「細川、部活やってないだろ? それに書店でバイトしてるじゃないか。これほど適任なやつはいないと思うんだけどなぁ?」
お前の弱みを握ってるんだぞ? と言いたげな顔で嫌味たらしく言ってきた。
実際この学校はアルバイトが全面禁止で僕がアルバイトを出来るのも藤村先生のおかげだ。特別な事情が無い限り校長先生にサインを貰えないところを藤村先生が無理やり口実を作ってくれた。
だから、僕が藤村先生にこき使われるのも仕方がなかった。
「やります……」
僕は呟いて、大きなため息をついた。
「やる気ないなー? まぁやってくれるならいい。12月になるまでの辛抱だ」
「仕事はいつからですか?」
「今日の放課後から頼む。図書室へ向かってくれ」
「今日の放課後!? それに、毎日だとアルバイトの方にも支障が……」
「心配するな。図書委員はクラスで2人ずつ選出することになっている。もう1人優秀な子に声掛けとくからその子と代わり替わりでもいいからやってくれ」
優秀な子……? まぁ、僕1人じゃないならいいか。シフトの入っていない日は僕がやって、シフトがある日はもう一人の子に任せよう。そう思っていた。
放課後になり、僕は先生に言われた通り図書室にいた。まだ時間が早いのか、見た感じカウンターにいる眼鏡をかけた若い女性の先生以外は誰もいなかった。多分、あの先生が図書の先生だろう。
壁一面に敷き詰められた本棚には文庫本が所狭しと並んでいる。個別に置かれている本棚を見ると地学や化学にわたる雑誌まで様々なものが並べられていた。まるで書店の一角だな。と思いながら部屋の中央に並べられている丸机に置かれていた椅子に座った。持っている鞄を椅子の横に置く。
それにしても誰が来るんだろう。その後も藤村先生から特に話は聞かされていなかった。
どうせ、冷たく振る舞うだけだしそんなに気にすることないか。と思いつつ、もうひとりが来るのを本棚を眺めつつぼんやりと待っていた。
入口の扉から背を向けて座っていたので、足音はしたが、誰が入ってきているか分からなかった。
「あの……すみません。図書委員ですよね?」
後ろから聞き慣れた声がする。
まさか……僕は嫌な予感がした。暑くないはずなのに額から変な汗が出る。
僕が返事をしなかったので無視されたのかと思ったのだろうか。声の主が僕の前までやって来た。
「細川君!?全然気づかなかった」
あーやっぱり赤井さんだ。どうしてよりによって40人近くいるクラスメイトから赤井さんが選ばれるのだろう。正直、委員会が無ければ今すぐにこの場から逃げ去りたい。
この1ヶ月間、ずっと避けていたこともあって何を言えばいいかわからなかった。
「細川君……? もしかして機嫌悪い? その……わたしが図書委員だから……」
赤井さんは困ったような顔をしている。どうしよう……。
「とりあえず座って」
僕が告げると、赤井さんはこくりと頷いて僕の前の席に腰掛けた。
気不味い雰囲気が漂う。1ヶ月間も僕が一方的に避けていたのだから仕方ない。
とりあえず、ここは必要最低限の会話で済まそう。と思いつつ、カウンターに座っている図書の先生が来るのを待った。
「細川君……?」
数分の間、静寂が続いた時、それを破るようにして赤井さんが口を開いた。
「なに」
極力素っ気ない態度で返す。チクリと胸が痛む。このチクリの正体は自分でも何かわかっていた。
「1ヶ月も経っちゃったけど、この前はごめん……。わたしが一方的に来ないでって細川君を拒絶しちゃったから……」
赤井さんは目に見えてわかるくらいに落ち込んでいた。声のトーンも以前に比べてかなり暗い。
「今、その話する?」
「ごめん……細川君と話せるタイミングが全然なくて……」
「そのことはもういい。全て忘れて」
「でも……」
赤井さんは引き下がるわけにはいかないと、何か言いたげに答えた。
ここで赤井さんが悪いわけじゃない。僕が全部悪かった。そう言えば、赤井さんとまだ仲を戻せるかもしれない。でも、そうしたら僕が頑張って赤井さんを忘れようとしたこの1ヶ月間は全て無駄になる。それが僕には分かっていた。
全ては赤井さんのためだ。と心の中で言い聞かせる。
「そもそも、なんでそこまで僕にこだわるんだよ。協力者だから? 分かった。もう協力しなくていい。これで、僕に関わる理由もないだろ」
僕はつっけんどんな言い方で言い放った。
さすがに、僕の見た事ない態度に驚いたのか、それ以降赤井さんは俯いて何も言わなくなった。
胸が痛かった。好きな人に冷たく接しなければいけない。故意的に傷つけないといけない。
目の前で落ち込んでいる赤井さんを見ると、本当にこれで良かったのか。もっといい方法は無かったのか。と自分自身が信じられなくなる。
「図書当番の2人ですか?」
数分経った後、図書の先生が僕達に気づいたのか僕達の所へとやってきた。
「はい。仕事は何すればいいんですか?」
僕は手短に終わらせようと、早速本題へとはいる。
「平日の月曜日以外、放課後に1時間図書室のカウンターにいて、人が来たら本の貸し借りをするだけでいいわ」
「わかりました。他に何か注意事項とかあれば」
「んー……特にないわね。でも、毎週の金曜日は週末で本の貸し借りをする人が多いから出来るだけ2人でやるようにして欲しいかな」
「わかりました」
「うん。そっちの女の子は大丈夫?」
「はい……」
赤井さんはすっかり元気を失っていた。か細い声で返す。
「元気ないわね。大丈夫なのかしら、まぁいいわ。今日はもうこれで解散ね。早速明日から頑張って」
「ありがとうございました」
と僕が言うと、赤井さんも後に続いて「ありがとうございました」と呟いた。
先生は図書室を出ていった。図書室には僕と赤井さん以外誰もいない。
「赤井さん。バイトがあるから金曜日以外は日替わりにしたいんだけど」
一応誰かが入ってきてもいいように、小さな声で言う。
「わたしは、いつでもいいよ……」
赤井さんは何もかもを失っているようだった。無気力と言うべきか。なんというか、落ち込むとかの度を超えていた。
「じゃあ、月曜、火曜、金曜は僕がやるから赤井さんは、水曜、木曜、金曜お願い」
「わかった……」
「うん」
僕は椅子の横に置いてあった鞄を持ち上げると、何食わぬ顔で帰ろうとした。
「待って」
後ろから赤井さんの声が聞こえた。けど、僕は聞こえないふりをして、その場を立ち去ろうとする。
「ねぇ……待ってよ……」
赤井さんの声は震えていた。もう、深く関わらないと決めたのに思わず立ち止まってしまう。
「細川君はわたしのこと嫌い?」
一瞬戸惑うくらいに、ド直球な質問だった。
なんて答えればいい。本当は嫌いじゃないって言いたかった。今でも、赤井さんのことが好きだった。1ヶ月間、赤井さんのことを忘れようとしてもまだ忘れることが出来なかった。けど、今の僕には1つしか選択肢は残されていなかった。
「嫌いだよ」
振り向かなくても、赤井さんの顔は多方想像出来た。でも、僕にはもう後戻りは出来ない。
僕はそれだけ言い残すと、赤井さんを置き去りにして図書室を後にした。
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