悩み中──細川夜

 女の子は逃げるように昇降口の方へと走っていった。

 静まり返った靴箱に1人。僕だけが残される。

 ガラス張りの扉から零れる夕日の温もりに靴箱全体が包まれていた。

 女の子を振ってしまってよかったのだろうか。

 さっきまで目の前に居た女の子は泣いていた。顔はそれなりに可愛かったと思う。教室にいる時に男子が可愛いってはしゃいでたのを耳にしたことがあるくらいには。

 心が痛む。僕にも恋する人の気持ちはよく分かる。だからこそ、振ってしまったことに罪悪感を感じていた。

 でも、好きじゃないのに付き合ってあげるわけにはいかないよな。好きじゃないのに付き合うなんてそれこそ相手に悪いと思う。

 はぁ……。自分でも驚くぐらいに大きなため息が出た。

 それにしても赤井さんはまだ来ないのだろうか。

 教室へ赤井さんの様子を見に行こうと自分の靴箱のある列を出た時だった。

 右を見ると、膝を折り曲げて座りながら顔を埋めている赤井さんが居た。

 急に変な冷や汗が出る。

 もしかして今までの話全部聞かれてた……?

 だとしたら、なんで顔を埋めているんだろう。多分聞かれてない。聞かれてなかったことにしよう。

 僕は出来るだけ平然を装って赤井さんに声をかけた。


「赤井さん……? もしかして体調悪い?」


 赤井さんが顔を上げる。気のせいか赤井さんの目は少し腫れている。


「細川君……体調悪いわけじゃないよ」

「ならいいけど……赤井さん一緒に帰ろう?」

「わたしはいいけど、細川君はそれでいいの……?」


 赤井さんはいまにも泣きそうな声で呟いた。

 僕には赤井さんの言葉の意味が理解できなかった。


「それってどういうこと?」

「だって、さっき他に好きな人がいるって……」


 やっぱりさっきの会話聞かれてたんだな。軽率に好きな人がいるって言わなければよかった。と今になって後悔する。


「好きな人は確かにいるよ」


 別に隠すことでもない。好きな人くらい誰にでもいるだろう。

 でも赤井さんはその言葉を聞くと、なぜかまた顔を埋めた。


「なら、その子と帰りなよ……わたしが細川君と一緒に帰ってたら誤解されちゃう……」


 赤井さんの声は耳を凝らさないと聞こえないくらい小さな声だった。誰に言う訳でもない。赤井さん自身の心の声がそのまま外に零れ落ちていた。

 赤井さんの発言に頭の中がこんがらがる。僕の好きな人は赤井さんだし、これでいいんだけど……。誤解ってなんの事だろう? 誤解、誤解……。

 分からない。分からない。分からない。

 考えれば考えるほど頭の中がぐしゃぐしゃになっていく。

 僕は考えることを一旦放棄した。


「よくわからないけど、とりあえず一緒に帰ろう?」

「細川君がいいならいいけど……先に靴履いてきていいよ」

「わかった。先に靴履いて待ってる」

「うん」


 僕は先に昇降口を出て、赤井さんが出てくるのを待った。

 カラスの鳴き声が聞こえる。校舎に取り付けられている時計を見ると4時を回っていた。

 風が吹く。紅い葉が宙を舞う。秋の夕方は少し肌寒くなっていた。

 しばらくして赤井さんが昇降口から出てきた。

 今度は気のせいじゃない。確かに赤井さんの目は少し腫れていた。

 僕は赤井さんが隣に並んだのを確認すると、おもむろに歩き始めた。

 僕はさっき赤井さんに言われた言葉の意味を考える。

『その子と帰りなよ……わたしが細川君と一緒に帰ってたら誤解されちゃう……』

 もしかして、赤井さんは僕の好きな人が赤井さんという事に気づいていないのだろうか。それは、赤井さんが僕に興味がないから? それとも、僕が他の女子と仲良くなっていると思い込んでいるから?

 分からない。分からない。分からない。

 高校生になって、まともにコミュニケーションを取ってこなかったせいで、男子の心の中ですら読み取れないのに、女子の心なんて分かるはずがない。

 どうせ特殊な力が手に入るんだったら、相手の心を読める力とかの方がよかった。と満更でもないことを思いつく。

 それに、あの泣いたような目のあと……。僕が赤井さんに悪いことをした覚えはない。

 もしかして赤井さんが勝手に失恋した……? 赤井さんからすると僕が好きな人は他の誰かで、赤井さんでは無い。だから、赤井さんは僕のことを好きだったけど……何考えているんだ僕は。僕らしくない。

 赤井さんが僕のことを好きだとか思い上がりすぎだ。赤井さんは、僕の特殊な力を解決するために協力してくれているだけ。赤井さんには友達が多いし、僕よりも仲良い男子だって沢山いるだろう。その中、僕を好きになるなんてあるはずがない。頭を冷やせ。

 考えることに夢中になっていたのか、赤井さんはいつの間にか隣に居なくなっていた。

 後ろを振り向く。

 すると赤井さんは校門の前で立ち止まっていた。

 どうしたんだろう。僕は赤井さんの方へ戻ろうとした。


「来ないで!」


 赤井さんが叫んだ。

 僕は思わず立ち止まる。


「やっぱりわたしは細川君とは帰らない方がいいよ……」

「なんで?」

「だって細川君には好きな子がいて……やっぱりその子と一緒に帰った方がいいよ……」


 逆光で赤井さんの顔がよく見えない。でも、赤井さんは泣いている気がした。

 違う。そうじゃない。僕の好きな人はずっと赤井さんで……僕が赤井さんのことを好きだと言えばいいのか。でも……いや、迷っている暇なんかない。

 僕が口を開こうとした時だった。

 赤井さんと目が合う。

 赤井さんの目からは涙が零れ落ちていた。

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