困惑──赤井葵

 夏休みも残り3日。エアコンの効いた図書館。その中でわたしと結衣は課題に追われていた。毎回夏休みギリギリまで課題を貯めてしまうので、今年こそは計画的に進めようと思っていたのだが……。

 細川君の件で課題を進めることが出来なかった。と自分に言い訳をする。

「結局今年も課題終わってないね」

「毎年こんな感じだからもう慣れちゃった」

 向かいの席に座っている結衣と笑い合う。

 今年の課題はとても多い。例年の倍近くもある。正直始業式までに終わるかとても微妙なところだ。

 図書館に来てから2時間ほど勉強しただろう。一旦課題を進める手を止め、休憩することにした。

「葵、さっきからぼーっとしてて課題進んでないけど大丈夫?」

「え、今何か言った?」

「ぼーっとしてるけど大丈夫かー?」

 結衣が心配そうに見つめてくる。

「うん。いつもよりもやる気が出なくて……」

「そっかー、何かあったら相談のるよー?」

「なんでもない、ありがとう」

 わたしは作り笑顔で答えた。

 花火大会が終わって以来わたしの頭の中の片隅には常に細川君がいて、彼のことを忘れずには居られなかった。頭が回らないのもこれが原因だ。前にハンカチを渡しに行った時もなぜだか気恥しくて彼の顔を見ることが出来なかった。そればかりか、すぐに逃げてきてしまった。

 なんでだろう……彼に協力すると言ったのに、彼に会うと気恥ずかしくて顔を合わせることも出来ない。でも、頭の中の片隅には常に彼のことが思い浮かぶ。

 これが、人を好きになるということなのだろうか?今までにこの人いいなと思った人は少しいた。それでも、その人とは普通に話せた。気恥ずかしくて顔を合わせれないことなんてなかった。ましてや、常にその人が頭の中の片隅から離れないなんて……

 わたしどうかしちゃったのかな?自問自答を繰り返すが答えなんて出てこない。答えのでない質問が頭の中を駆け巡る。

「おーい。また目が死んでるぞーー」

 結衣がいつの間にか隣の席に座っていた。隣に彼女の温かさを感じる。

「葵、絶対悩み事あるでしょ」

 結衣はどこか遠くの本棚を見つめながらそう言った。

「そんなことないよ……」

 なるべく結衣に悟られないようにわたしはシャーペンをノックした。

「私がいくら天然って言っても、ずっと近くにいる友達が悩んでるのがわからないほど天然じゃないよ。花火大会を過ぎてからずっとこんな感じだけど……私、何かしたかな?」

 ずきりと胸が痛む。違うそうじゃない。結衣のせいじゃない。わたしがずっと大切にしてきた友達を嫌いになるはずがない。でも、結衣からしてみれば私が花火大会で一緒に行動していたのは彼女だけであって、わたしが細川君と一緒にいたなんて知る余地もない。

「結衣のせいじゃないよ」

 わたしは机の上に広げられたノートを見ながら、静かに答えた。

「私じゃないなら何があったの? 花火大会の日私以外と行動してなかったよね?」

 隣から聞こえる彼女の声はかすかに震えている。今、結衣は隣でどんな顔をしているのだろう。日頃の笑顔の明るい彼女からは想像もつかないような悲しい顔をしているのだろうか。

 ──少しの間静寂が続く

 わたしが決意を決めて話しかけようとした刹那、その静寂を破るように隣から椅子を動かす音がした。

 思わず隣を見る。するとそこには、椅子をしまって立っている彼女の姿があった。

「ごめん。変なこと言っちゃったよね。今日はもう帰る」

 結衣は今にも泣き出しそうな顔をしていた。違う、結衣が悲しむ理由なんて何もない。結衣が1人で悲しんでそんな顔をする必要なんてない。でも、わたひは何をいえばいいかわからず荷物をしまう彼女をただ眺めることしか出来なかった。

  結衣の姿が図書館から消えると、わたしの中で後悔する気持ちがどっと込み上げてきた。なぜあの時、結衣に真実を伝えることが出来なかったのだろう。細川君のことを伝えられなかったのだろう。結衣に細川君のことを伝えれば済んだ話なのになんで。

 心の中は悔やむ気持ちでいっぱいである。でも、言いたくなかったわけではない。むしろちゃんと結衣に真実を伝えたかった。

 でも、わたしには言うことが出来なかった。もし、こんなわたしが他の人に細川君と二人きりで花火大会にいたと教えたら……細川君からしたらいい迷惑なんじゃないかと思ってしまった。わたしには自分に自信がなかった。細川君2人きりでいて、異性の友達として釣り合うほどの自信が。

 それにしても、大切な親友の結衣よりも細川君のことを優先して気にかけちゃうなんてほんとにわたしどうかしちゃったのかな。

 考えてもわからない問いかけに、目の前に広げられたノートを見つめて、1人わたしはため息をついた。


「分かりやすくうなだれてどうした?」

 急に声をかけられて顔を上げると、本来いるはずのない細川君がいた。たしか今日は書店でバイトがあったはずだ。どうしたのだろう。

「なんでもないよ。それよりバイトは? 今日バイトの日でしょ」

 わたしは下を向いて答えた。

「バイトはたまたまシフトが変わったから休みだよ。なんにもないなら、そんな顔しないでしょ?」

 向かいの席から細川君が座る音がする。わたしは顔を上げた。

 向かいの席に座っている細川君と目が合う。

 ──わたしの意識はその寂しげな瞳に吸い込まれる


  「あー、そんなことがあったんだ」

 わたしを見つめる細川君の声はとても落ち着いている。細川君の力によってさっきまでの出来事が全て筒抜けになってしまった。この力はわたしが思っている以上に厄介な存在かもしれない。

「うん……これからどうしよう」

 わたしは机にうなだれる。

「真実をつたえればよかったのにね」

 呑気に細川君はわたしのシャーペンをカチカチしていた。

 この話し方からすると、どうやら過去を見ることは出来てもその人の感情まで読み取ることは出来ないらしい。

「でも、細川君がわたしと2人で一緒にいたって他の人に知られたら、能力のこともあるし迷惑をかけると思って……」

「そんなことないよ?」

「でも、わたしなんかといたら……細川君にはわたしの気持ちなんて分からないよ」

 わたしはそう言い捨てて自分の腕の中に顔を埋める。

 今は、細川君の顔も見たくない。1人、誰もいない場所で泣いてしまいたい。大切な友達を傷つけて、目の前にいる細川君も傷つけている。わたしはなんて最低なんだろう。でも、自分に自信がないのが原因なのだ。もっと自分の気持ちに素直になりたかった。


 数分経ちだいぶ気持ちが落ち着いてきた。

「赤井さんそろそろ大丈夫かな?」

 顔を上げると細川君が目の前で本を読んでいた。どうやらわたしを待っていてくれたらしい。いつの間にかわたしの教科書類は綺麗にしまわれていた。

「ごめん。さっきはつい感傷的になっちゃって」

 わたしは素直に謝る。

「僕のことは気にしなくていいよ。実際赤井さんの気持ちを理解できるなんて思ってない。それよりも、僕よりも先に謝った方がいい人がいるんじゃない?」

「結衣……でも、あそこまで傷付けておいて今更なんて言えばいいかわからないよ……」

 わたしはまた泣きだしそうになる。

「今までそれでも親友だったんでしょ?赤井さんは本心でその友達のことを嫌ってるわけじゃないんだし。ちゃんと気持ちを伝えれば許してもらえるよ。赤井さんは優しい人、本心で人を嫌うはずがない」

「うん……」

 今優しい言葉をかけられると余計に泣き出しそうになる。こんなの卑怯だ。

「待って、赤井さん涙目になってきてない?女の子を泣かせるなんて僕は悪者かもしれない。赤井さんの友達に謝らなきゃ殺されちゃう。女子のみんな恐いから」

 細川君は何かを察したのか茶化すように言った。わたしを笑わせようとしているのだろう。しかし、今回ばかりは下手だ。でも、その不器用な優しさがわたしには嬉しかった。

「細川君は本当に悪者だよ……」

 わたしの瞳から雫が零れ落ちた。高校生になって、公共の場で泣いてしまうなんて恥ずかしい。

 細川君が困ったような顔をしている。わたしは顔をうつ伏せた。

「赤井さんここじゃまずい。どこか人のいないところに場所を変えよ?気持ちが落ち着いてからでいいから」

 頭上から細川君の穏やかな声が聞こえた。この声を聞くと何だか安心する。

「じゃあ細川君の家。ここから近いよね……」

 わたしはなにを言っているのだろう。見えないけれど目の前で細川君はきっと困っている。

「近いけど……いいの?」

「うん」

 わたしは小声でそう答えた。


 あれから数分経ち図書館を細川君と一緒に出た。

 細川君の後ろをついていく。

「隣に並ばないの?話しにくい」

 細川君が後ろにいるわたしに尋ねてくる。

「わたしの顔、今腫れてるから見られたくない」

「そういうことね」

 細川君はそれ以上何も言わずに歩き続けた 。でも、時折わたしが遅れてないか後ろを気にしてくれた。


 細川君の家に着いた。

「誰もいないからはいって」

 玄関を開けた細川君に案内されリビングに入る。

「適当に座ってて。飲み物取ってくる」

 わたしに言い残し細川君は扉の奥へ消えていった。

 椅子に座るのも悪いかな。わたしは椅子に座らずに床に座って待っていた。やることも無いのでスマートフォンを取り出しメールを確認する。けれど、特にメールは来ていなかった。結衣からのメールもなかった。

 扉が開く。麦茶の入ったコップを2つもって細川君が部屋に入ってきた。

「赤井さん、さっきは本当にごめん」

 コップをテーブルの上に置いた矢先、細川君が頭を下げる。

「いいよ、気にしないで。細川君が悪いわけじゃないよ」

「うん……」

 細川君はすっかり落ち込んでいた。

「顔を上げて?細川君の落ち込んでいる姿なんてみたくない」

「うん」

 細川君が顔を上げた。その時、細川君とちょうど目が合う。わたしの視界は白く染っていった。


 ──結衣との思い出が映し出される


「結衣……」

 わたしは小さく呟く。気がつくとわたしは泣いていた。

 わたしの目の前に紺色のハンカチが差し出される。たしかこれはわたしが細川君にあげたものだ。

「ごめん。今ポケットに入っていたハンカチがこれしかなくて」

 細川君が謝る。でも、わたしのあげたハンカチを使ってくれていると思うと嬉しかった。

「ありがと……」

 わたしは俯きながらそのハンカチで涙を拭いた。

「ちょうど僕の力が働いちゃってごめん……それもよりによって赤井さんの友達との思い出。本当に悪かった」

 細川君の声が分かりやすくへこんでいた。

「悪いと思うなら慰めてよ……」

 わたしはなにを言っているのだろう。悪いのは細川君じゃない。結衣に本当のことを告げれなかったわたし自身だ。

 その時、全身が温もりに包まれるのを感じた。いつの間にかわたしの背中に細川君の手が回っている。わたしのことを気にして、力を加減しているのが分かった。

「赤井さんならまた友達と仲直りできる」

 耳元で細川君の声がする。

「本当にそうかな……」

 わたしは小さく呟く。

「うん。図書館で僕も赤井さんに傷付けられた。でも、本心で言っているわけじゃないってすぐに分かったよ。だから許した。赤井さんは本心で人を嫌うはずない。ちゃんと気持ちを伝えれば許してもらえる」

 細川君の声を聞いていると安心する。

「うん……謝ってみるよ」

 わたしは小さく呟いた。

「うん。そうしてあげて、きっと友達が赤井さんを待ってる。そして、ちゃんと花火大会があった日のことを教えてあげて」

「うん……でも、細川君にそれで迷惑をかけたりしない?」

「うん。僕の能力については何とかする。たとえ変な噂が流れても相手が赤井さんなら僕は気にしないよ」

 なんでまたこんなことを軽々と言えるのだろう……わたしは恥ずかしくて顔を埋めた。

「うん……ありがとう……謝ってみる。ちゃんと真実も伝える……」

「うん」

 細川君の温もりに包まれて何分くらい経っただろう。

 わたしが泣き止むと細川君の身体が離れていった。

「ごめん。急に抱き締めたりして……」

 細川君が恥ずかしそうに謝った。

「最初は驚いたけど、すごく安心した。ありがとう……」

 わたしも恥ずかしくて途中で下を向いた。

「今日はありがとう……明日にでも謝りに行ってくる」

 わたしはハンカチを置いて家を出た。

 でも、身体に残った彼の温もりを少しの間忘れることが出来なかった。

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