不思議な感覚──赤井葵

「葵。起きなさい」


 1階からお母さんの声が聞こえる。ベッドの上でまだ頭がぼんやりしている。


「お母さんなに?」


 完全に寝ぼけた声だ。わたしは多分相当朝に弱い。


「なに? じゃないわよ。今日図書館に行って結衣ちゃんに勉強を教えるって言ってたじゃないの!」


 しまった。完全にわすれていた。土曜日だからって完全に油断していた。

 急いで時計を確認するも短針が10時を指していた。待ち合わせの時間より1時間遅れだ。


「やばい! いかなきゃ。すっかり忘れてた!」


 急いでベッドの上から飛び上がる。スマートフォンのメール確認も出来ずに鞄の中に入れた。

 慌ただしく身支度を整えると玄関へと向かう。


「気をつけて行ってらっしゃい」

「うん! いってきます!」


 わたしは玄関の扉を開けた。



 空を見上げると雲ひとつないいい天気だった。夏の太陽の光が容赦なくわたしの肌に照りつける。

 日焼け止めを塗ってくればよかったと後悔した。でも、取りに戻る余裕はない。

 わたしは日焼けすることを覚悟し、家の前に停めてある自転車に鍵を挿す。



 全力で自転車を漕ぐと5分足らずで図書館に着いた。中に入るとエアコンが効いており、熱くなったわたしの体を冷却する。

 辺りを見渡すと椅子に座っていた結衣がわたしを見つけてぶんぶん手を振っていた。結衣の前には数学の教科書とノートが開かれている。


「葵! 遅すぎるよ! 何時間遅れだと思ってるの!?」

「ごめん……。すっかり寝坊しちゃった」

「もう! 私、今日は午前中しか空いてないのに! あと2時間もないよ!? はやく勉強教えて!」


 結衣が威勢よく言ってくる。

 わたしは急いで結衣の向かい側に座った。

 慌ただしく持ってきた数学のノートを取り出す。休憩する暇もなく数学を教え始めた。

 なんで結衣ってテストで点数が取れないのだろう。わたしが勉強を教える時はある程度自力で問題を解けるのに。今回のテスト範囲は公式が多いし、わたしもあんまり自信がない。

 ところどころつまずきながらも結衣に数学を教えていく。

 勉強が一段落し、わたしたちは一旦休憩することにした。


「そういえば……」


 わたしは何気なく呟いた。


「葵? 急にどうしたの?」


 不安げに結衣がこちらを見てくる。


「細川君っているでしょ? 昨日たまたま踊り場で見つけて話しかけてみたの。でも細川君の瞳を見てたらなんかボーっとしてきて。気づいた時には細川君はもう居なかったんだよね」

「え!? なになに? 面白い。もしや……特殊能力かなにか?」


 結衣が興味ありげに聞いてくる。


「まさか、そんなことないと思うけど……そうだったら面白いよね」


 内心、特殊能力なんてあるわけないでしょ……と半分呆れていた。

 でも、わたしはどう反応すればいいか分からなくて苦笑いをした。

 わたしはファンタジー系とかそこら辺のものは全然信じないタイプだ。夏の夜になるとよくやっている心霊系とかの特番も見ることがない。


「まぁ私もないと思うけど。細川君って授業中とか寝てるし、いつも一人でいるしでなんだかミステリアスだよね。葵って去年同じクラスじゃん。何か知ってることないの?」

「んー……言われてみれば何も無いかも……細川君と話したことなんてほとんどないから」

「そっかー、葵が分からないなら私にもわかんないな。まぁなんかあったらまた相談してくれていいからね」


 結衣が楽観的な声で言う。


「ありがとう。わたしの気のせいだっただけかもしれないし、また何かあったら相談するね」


 わたしはまたシャーペンを手に取り勉強を始めた。


 

 その後も勉強と雑談を繰り返している間に時間が過ぎていった。

 壁にかけてある白いシンプルな掛け時計を見ると、短針が1時を指そうとしていた。


「やばい。午後は用事があるんだった! そろそろ帰るね! 葵、また今度学校で!」


 結衣は慌ただしく机に広げたノートや教科書を鞄に入れていく。


「結衣じゃあね!」

「うん」


 わたしたちは挨拶を交わす。そうして、結衣は足早に駐輪場へと向かっていった。

 わたしも昼ご飯を食べてないし、そろそろ帰ろうかな。でも、せっかく来たんだからもう少しだけ勉強しようかな……。

 図書館に残るか迷っている時、本棚を見るとそこには昨日見た細川君の後ろ姿があった。

 そういえば、昨日のことが気になる……。

 わたしはとりあえず細川君の方へ向かった。


「細川君? なんの本読んでるの?」


 声をかけると細川君がこちらを向いた。

 細川君と目が合う。その瞬間にまた細川君の瞳に吸い込まれるような感覚に陥った。

 目の前の風景がだんだんと白く染っていく。


「参考書だよ」


 白くかすれた視界の中そんな声がどこからか聞こえた気がしていると、気づいた時には細川君はもうその場にはいなかった。


「またこの感覚だ……」


 わたしはしばらく動けずにその場に立ち尽くしていた。

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