1章 2人だけの秘密

プロローグ

 太陽の光がジリジリと照りつける。窓の外では蝉が忙しく鳴いている。

 7月になり本格的に夏が始まろうとしていた。

 

「暑いーーー」


 昼休み、蒸し暑いサウナのような教室でわたしは机にうなだれていた。

 教室の中は他愛もない話で溢れかえっている。


あおい!暑いーーーっていうほど暑くなるからやめろ!」


 ──バシッ!


 背中に痛みが走る。

 振り返るとそこには結衣がいた。日向結衣ひなたゆい。彼女とは幼稚園からの幼なじみだ。彼女は小学生の頃から陸上をやっている。わたしの学校のエーススプリンターだ。とにかく足が速い。

 日に焼けて少し茶色いショートヘアが練習熱心な彼女を物語っていた。


「なによー、暑いんだから仕方ないじゃん!」


 わたしは頬を膨らませる。


「いやそうだけどー。暑いって言わないの」


 結衣はまたわたしの背中を軽く叩く。


「痛いってー。それよりなんか用? 結衣のことだからただのかまってちゃん?」

「かまってちゃんです」


 結衣が笑った。

 結衣の笑顔はいつ見ても心が癒される。可愛いのに運動神経抜群なんてわたしとは真逆の存在だ。


「はいはい。かまちょしましょうねー」

「うん」


 わたしたちは他愛もない話を始めた。



 しばらく経つと、不意に結衣が話題を変えた。


「細川君一人ぼっちで寝てるよ。昼休みで他の男子ははしゃいでるっていうのに、相変わらず一人ぼっちだよね」


 結衣はわたしの席の左斜め前にうつ伏せている男子生徒を指差している。

 細川君こと細川夜ほそかわよる。高校2年の夏休み前。それなのに、細川君が今までクラスメイトと話しているところをほとんど見たことがなかった。


「言われて見れば細川君が人と話すとこほとんど見たことないかも……」

「だよね。細川君って友達作る気あるのかね?」

「どうなんだろうねー? 大体机に突っ伏してるか、本読んでるからもう既に諦めてそう」


 わたしは冗談交じりに答える。


「そうかー。細川君イケメンなのにもったいないよね」


 結衣がやれやれとため息をつく。

 まぁわたしももったいないな、とは思う。細川君の美貌があれば大抵の女子は虜にできるだろう。


「まぁたしかにね。たしかに顔はかっこいい。学校でもトップ争いできるんゃないかな?」

「確実にできる。てか、なんならこの学校で一番カッコイイと思うよ。細川君の性格が冷たくなかったら即告白もんよね」


 と結衣が言って笑う。


「え、じゃあもし細川君が愛想よくなったら告白するの?」

「そう言われるとやっぱ迷うかな。外見いいけどやっぱり好きとかって仲良くなってからだからわかんない。そういう葵はどうなのよ? 細川君かっこいいって思ってるんでしょ?」

「えー、わたしには無理だよ。恋愛とか興味ないし、そもそも愛想よくなってもわたしじゃ釣り合わないよ」

「またまたー、恋愛興味無いってその言葉で今まで何人の男子を傷つけてきたと」

「え……?」


 どういう意味だろう。別にわたしが恋愛に興味が無いだけで、男子を傷つける……?

 頭の中で言葉の意味を考えるけど、思い浮かばない。


「もしかして気づいてないの? 葵って男子から人気あるんだよ」

「え???」


 わたしは首を傾げる。

 まさか、わたしが男子から人気があるなんてあるはずがない。わたし自身かわいくないし、結衣みたいに運動神経が良くてスポーツで活躍する訳でもないし……。


「葵って本当に鈍感よね。これは葵を好きになった男子は大変だわー。思い当たる節とかないの?」


 結衣に言われて思い出そうとする。


「思い当たる節……中学生の時に告白されたことなら何度かあるけど……みんなそんな感じじゃないのかな?」


 わたしが言うなり結衣は大きくため息をついた。


「はーこれだから困るわー。モテ子ちゃんはそれが普通だと思うんですよねー」


 結衣が嫌味っぽく言ってくる。


「そういう結衣だって今までに彼氏いたことあるじゃん!」

「それは、たまたま告白されたから付き合っただけですー。別にモテてるわけじゃないもん」

「自分だって告白されたことあるくせにー」

「はいはい。でも、葵もいい加減に恋愛とか少しは興味持ったら? 高校生よ? 青春しないと」

「んー……そうかな? でも、結衣とか友達と話すのか楽しいからなー」

「友達もいいけどさ、やっぱり、彼氏いるのも別の良さがあるよ? 葵って男子の連絡先とか持ってないの?」

「持ってないよ」


 わたしは首を横に振る。


「まぁ葵って優等生だから、持ってないのも理解できるか……」

「優等生じゃないし!」

「葵の優等生キャラが男子から好かれてる理由の一つなのにそれは無いわー。男子からしたら葵は多分高嶺の花よ」

「いやいや、ないない。わたしが高嶺の花だったら、あの細川君はどうなるのよ」

「細川君は容姿だけなら完全に高嶺の花だけど、性格が冷たいから別なの」

「そういう問題?」

「そういう問題。葵さ、いっその事細川君にアタックしてみれば? 美男美女カップルの誕生よ?」

「わたしは可愛くない! それに、去年も細川君と同じクラスだけど話したことないし……」

「まぁ、細川君冷たいから恋愛とかバッサリ切りそうだわ」

「だよね、細川君冷たいし。もう孤独に慣れてそう」


 わたしは冗談半分で笑った。

 実際のところ細川君は冷たい性格だ。

 クールでイケメンって言えば聞こえはいい。でも、彼の無愛想な態度はクールを通り越している。まるで、本当に自分から孤独を望んでいるかのように……


「まぁそうならいいんだけどね。毎回一人ぼっちでいるのも気味が悪くない……?」

「結衣、それは言いすぎよ? もし細川君に聞こえてたら失礼でしょ?」


 わたしと結衣は左斜め前の席にいる細川君を見た。

 だけど、細川君は変わった様子もなく机の上にうつ伏せていた。


「いや、お互い様よ。まぁ寝てるみたいだから大丈夫かな」


 結衣が細川君を起こさないように小声で呟いた。


「そうだね。ところで今日陸上部の活動ある? 部活ないなら一緒に帰りたいな」

「ごめん。今日も部活なのよね。大会前だから忙しくて……最近全然一緒に帰れてない」


 結衣が申し訳なさそうに答えた。


「全然いいよ。結衣って短距離のエースだもんね。練習頑張って」

「葵にそう言われると恥ずかしいな」


 結衣は笑いながら前髪を触る。


 ──キーン……コーン……カーン……コーン


 結衣と話しているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


 金曜日の六限目。一番眠い時間帯、しかも世界史の授業。

 カタカナで書かれた単語一つ一つが頭の中でぐるぐると回っている。

 気分転換がてら周りを見渡すとクラスメイトの半分は撃沈していた。もちろん、斜め前にいる細川君も撃沈して机に突っ伏せている。


「今日習ったところもテスト範囲だからしっかり復習をするように」


 眠気との格闘を終え、先生の決まり文句を聞き流すと授業が終わった。

 帰りのホームルームを終え、放課後になる。

 教室の中は今から部活動で急いで自分の荷物を整理している人が大勢いた。

 その中、わたしは部活動をやっていないのでのんびりと1人で帰りの支度をする。


「葵! また明日」

「結衣! また明日。陸上部頑張ってね」


 挨拶を交わしながらわたしは荷物を持ち帰路につこうとした。



 わたしたちの学校は五階建ての校舎が二つ存在して、文系と理系で校舎が分れている。北側の校舎が理系で、南側の校舎が文系だ。

 二つの校舎の間には校舎の一番西側の一階、三階、五階にそれぞれ渡り廊下が存在しており、そこを通ることによって行き来出来る仕組みになっている。校舎間には中庭が存在し、春や秋の季節なんかは昼休みに中庭でお弁当を食べる人が多い。

 その学校の中でも文系のわたしの教室は南校舎の三階にある。ちょうど東側の階段の真正面だ。教室でいうと校舎の東側の一番端に当たる。

 教室から一階にある靴箱に行こうと東側の階段を下りていた。すると、二階の踊り場に細川君の後ろ姿を見つけた。


「細川君って相変わらず一人ぼっちだよね」


 結衣の言葉を思い出す。

 いつも一人だし何か話しかけた方がいいのかな……?

 悩みながらもとりあえず階段を駆け下りる。

 気づくと目の前には細川君の後ろ姿があった。


「細川君って部活動とかやってるの?」


 悩んでいたのに案外躊躇うことなくわたしは細川君に声をかけていた。


◇◆◇◆


 ──突然後ろから声をかけられた


 振り返るとそこには、息を切らしている一人の女子生徒が立っていた。

 日に焼けて少し茶色くなったボブカット。女の子はいまにも折れてしまいそうなくらい華奢な手で目にかかった前髪を避けている。


 この子って誰だったっけな……たしか同じクラスの……僕の斜め後ろに座ってたな。と脳内でぼんやりとこの子の名前を思い出そうとする。


「やってない」


 僕は考えるのを止め、いつものようにそっけなく返す。

 それにしても、みんなが僕の事を空気として扱っている中、わざわざ追いかけてきてまで僕に話しかけるなんて変な子だ。

 僕は何事もなかったかのようにその子を置き去りにし、1人で階段を下り始めた。


◇◆◇◆


 ──記憶が一瞬飛んだ……?


 気がつくと細川君の姿はもうなかった。

 わたしもそっけない態度であしらわれてしまったらしい。

 実際目の前で見ると身長が高かった。それに整った顔立ちに、階段の窓から差し込む光が彼の白い肌を照らしていた。その白色とは対照な彼の黒髪をよりいっそう引き立たす。まさに細川君の容姿はかっこいいというのに相応しい。

 それにしても、細川君のあのどこか寂しげな瞳を見た時、瞳に吸い込まれるようにいつの間にか時が流れていった。硬直したと言った方がいいだろうか。

 変な余韻に浸りながら学校を後にする。

 これが、わたしの細川君とのある意味初めての出会いだった。

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