第3話 誰何

 丑満つ時を待って、二人は萬福寺へと向かった。

道すがら玄明は、この怪異について調べ上げた事を語りだした。


「萬福寺は見てわかるとおり中国様式の寺で黄檗宗を謳っている、が」


京都の黄檗宗の総本山・萬福寺の流れを組む寺である、というのは建前だという。


「実は道教の教えを根底にしている寺であることがわかった。」

「道教?」

「陰陽道と言った方がわかりやすいか」

「何だそりゃ。辻占と同じか」


平安時代は隆盛を極めた陰陽道は、武家の時代には衰退し、今や野に下っていて妖しい呪術師の印象が強い。


「少し違う。不老不死を目的として修行を積む教派だな」

「不老不死ねぇ…」


秀嗣は顎を撫でながら訝しげに返事をした。


「この寺の開祖が実は道教の導師で、当初は調伏ちょうぶくなんぞもしていたらしい」

「調伏?」

「悪いものを懲らしめるってことだ」


そう言ってから、玄明はにやりと笑って


「お前の仕事と似ているな」


と言う。


「ばかいえ。それでどうした」


そう受け流して秀嗣は先を促した。


「ある時、寺の坊主が行方不明になった」

「ああ?」

「中国から渡ってきたばかりの僧で、望郷の念にかられてこっそり帰国した…とあの寺の縁起本には書いてあった」

「『書いてあった』」


秀嗣はからかうように繰り返した。


「で?実際は?」


寺の縁起本など、寺の権威を高めるためにどんなことも綺麗に修正して記してあるものだ。

そして、事実は大抵口伝えで市井に淀んでいる。

この手の古文書調べは玄明の得意分野だった。


「当時流行った戯作本に手がかりがあった」


戯作本は、世間で流行はやりの噂話をいち早く取り入れて、流行りゅうこうの芝居に仕立てている。


「本国に残してきた恋人に恋焦がれるあまり蛇になり、海を渡って帰国し晴れて結ばれた、と」


秀嗣は呆れたように口をすぼめる。


「縁起本と同じじゃねぇか」

「蛇になったこと以外はな」


二人は、顔を見合わせた。









 夜の神社仏閣は、それだけで不気味である。

神や仏に守られているというよりは、神や仏の世界に住まう何かが、こちらの世界に出てくるのではないか――そう感じさせるものがある。

萬福寺の回廊の、水漏れがしていると言われる周辺には、更におかしな空気が漂っていた。

湿度がやけに高く、周囲の景色が滲むようだ。

二人がそれぞれに持つ提灯だけが、ふわりふわりと上下しながら仄かに輝いていて、周りの景色が良く見えない。

二人はそれでも、水音のする軒下へと近づいた。


「おい玄明」


近づきながら秀嗣が声を潜めて言う。


「あの軒下に、何やらひらひらしてるぞ」


秀嗣に言われて玄明は改めて軒下を見つめた。

近づけば娘の二の舞、下手すればもっと悪い結果になるかもしれない。

軒下の真下までは行くのは躊躇われた。

じぃっと見つめていると、確かに紙切れのようなものが風もないのにゆらゆらと揺れている。


「成る程」


そう言うと玄明は秀嗣に向き直った。


「お前の愛刀は持ってきたな?」


秀嗣は嫌な顔をした。

玄明は宥める様に


「わかっている。お前が真剣を抜きたがらぬのは。

 だが、今はそれが入用なのだ」


と言う。

秀嗣は、昼行灯にはやや不釣り合いな、立派な得物を腰に佩いていた。


「これに何かあったらあの世に行った時、じい様に顔向けできねぇんだよ」


と吐き捨てるように言った。

秀嗣の本家に伝わる名刀で、銘を『鬼討おにうち』と云う。

秀嗣のじい様はもともと直参旗本の家柄であるが、何でも古道具屋で見つけたこの刀に惚れ込んであらかたの私財をつぎ込んだらしい。

そのおかげでお家は立ち行かなくなり、名前を売って一家離散の憂き目に会った。

それでも何とか親戚の取り計らいでお役につけてもらった秀嗣は、堀田の家を潰した原因と忌み嫌われた刀を手に、町廻りをしているというわけである。


「本物の源氏の刀かどうかなんざ、全くわからねぇんだぞ?」


存在を確かめるように左手で鍔を撫でながらそう言うも、玄明は気にする風もなく


「よいのだ。本物だろうが贋作だろうが、その名前に意味がある」


と言った。


「名前?」

「ああ。名には意味があり、力がある。

 それより…」


玄明は長い指を一本たてて、自分の薄い唇にあてて静かにするように促した。

闇夜の静寂しじまに、じわじわと地を這うような音が聞こえ始める。

聞き様によっては、確かに泣き声らしかった。

しかし、その重苦しさは、恨み言のようにも感じられる。

湿って淀んでいる空気は身体中に纏わりつくようで、一足いっそく歩を進めるにも気力も体力も削がれるようだった。


「あれか…」


玄明は静かに呟くと、じっと軒下の側の太い柱の影を見つめていた。

秀嗣もその視線を追う。

柱の影に、僧らしき姿があった。

玄明は


「ほら、誰何すいかはお前の仕事だろう」


といって秀嗣を肘で小突く。


 都合の悪い時だけお鉢を回しやがる…


そう思いつつも、秀嗣はお役目を思い出して一歩人影に近づいた。


「御坊…そこで何をしておられる…?」


秀嗣の声が聞こえたのか聞こえぬのか、振り向きもしない。

その背中は、見たことのない僧衣を纏っていた。

袈裟ではなく、袖の大きく開いた打掛のような着物を羽織っている。


「拙者、南町奉行町廻同心、堀田秀嗣と申す。

 御用の向きだ。おもてを改めさせてもらう」


そう言いながら、距離を詰めると、僧は自らゆっくりと振り向いた。

よわい二十前後というところか。

剃髪はしておらず、珍妙な頭巾を頭に載せている。

黒地に施された金色の刺繍が鮮やかな僧衣は唐織で、明らかに日の本の人間ではなかった。

そしてこの不気味な声の主は、その特殊な衣装の良く似合う、目の醒めるような美丈夫だった。

哀しみに歪むその表情さえ、見惚れる程美しい。

気圧されている場合ではない、と思い直した秀嗣が


「このような夜更けに何をなさっておられるのか」


と、一歩近づこうとしたその時だった。

美僧の瞳が紅い光を爛々と放ち、唇が耳まで裂け上がる。

とてもこの世のものとは思えない形相となって人ならぬ咆哮を挙げた。

そして一気に地面を蹴って二人に襲いかかる。


「秀嗣!」


玄明の声で秀嗣は即座に腰のものに手をかけた。

そして瞬時に鯉口を切る。

鞘から抜きざま


「御免!」


と叫んで下から上へと逆袈裟に切り上げた。


「んん…っ!」


確かに、手ごたえがあった

…気がした。

しかしそこにはもう、誰もいなかった。

ぐるりと辺りを検分する。

ただただ闇が広がり、血痕すら見当たらない。


「――ようやった、秀嗣」


そう言いながら、玄明がにこにこと近寄ってくる。


「…お前、いつも危ないことは俺まかせだよな」


腑に落ちない顔のまま秀嗣は刀を鞘に戻した。


「一体どこへ行ったんだ?」


と、もう一度辺りを見回す。


「秀嗣、ちょっと背中を貸せ」


玄明は返事も待たずに秀嗣を柱に向かって立たせ手をつかせた。

それから素早く腰と肩に足をかけて、はしご代わりに上って行く。

軒下のへりの剥がれかけた紙を、手際良く取り去る。

そこに、小さな隙間が現れた。

玄明はその隙間に長い指を差し入れて何やら取り出すと、秀嗣の背中を滑るように降りた。


「梯子代わりまでさせるのかよ。

 人使いが荒いぜ…」


秀嗣はそう文句を言いながらも、慣れた風情で襟元の乱れを直す。


「それ何だ?」


玄明の手元を覗くと、古く黄ばんだ何やら難しい凡字の並んだ札と、尻尾の切れた守宮やもりがあった。


「なんだそのカベチョロは」

「あのオニの正体だ」


玄明は当たり前のように言う。


「戯作本に書いてあっただろう。渡来僧が母国の恋人に焦がれて蛇になったと」

「じゃあ今の鬼は…っていってもそいつ、蛇じゃねぇぞ」

「なに、戯作本とは誇張して書かれるものだ」


そう言って、玄明は懐から出した小さな皮袋にその守宮を大切そうに入れ、口を紐で括った。


「さて、雨漏りも止んだところで帰るか」


と玄明は秀嗣ににこりと笑いかけ、踵を返す。


「待て、待て待て」


秀嗣が慌てて後を追った。


「ちゃんと説明しろ。あの僧は…鬼はどこへ消えた?俺が切ったのではなかったか?」

「切ったさ。その『鬼討』でな。

 存外名刀であったな。」


と笑う。


「恐らく故郷に愛する者を残した渡来僧は、この地で帰国を果たせずに無念の内に死んだのだろう。

 その執念が守宮に乗り移り、時を経て雨漏りの様な可愛らしい怪異を起こす力を身につけたのだな」


玄明は嬉しそうに続けた。


「事情を知った訳知りの者が、この守宮をあの軒下へ封じ込めたのだろう。

 これがこの鬼門封じの札だ」


ぴらぴらと、先ほど剥がした古い札をふってみせる。


「…まるで見てきた様にぺらぺらと…

 戯作者になれるぞ、お前」


秀嗣は、この手の話を頭から信じる性質たちではないが、かといってこの世にはまだ自分の知らぬことがあるのだろうと思うほどには素直であった。

玄明はといえば、秀嗣が信じているかどうかを気にする風もない。


「だが、先日の野分か何かで札が剥がれ、封印が解かれたのだろう。」

「…それが雨漏りの原因かよ」

「守宮のすることだ。それ程危険はないであろうが、あの娘が近づいたのが運の尽きだったな」


そう言って、懐の皮袋をそっと撫でた


「大方あの娘を見て残してきた恋人でも思い出して、悪さをしたくなったのだろうさ」


玄明の話にいい加減げんなりして秀嗣は肩をすくめ


「で、その守宮、どうする気だ?」


と尋ねる。


「さて…どう使おうか」

「串焼きにするならつきあうぜ」


そう言って秀嗣は手首をくいっと返して猪口を空ける真似をした。


「精がつくというからな」


くつくつと笑う玄明の声が、からりと晴れた夜空に吸い込まれていった。







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