第4話

 



「……中西怜子さんですね」


「……あなたは」


 少し離れた位置から聞いた。


「ま、俺が誰なのかは、聡明なあなたなら、話してるうちに見当がつくでしょ。ま、座りませんか」


 男は勝手に芝生に腰を下ろした。怜子も徐に腰を下ろした。


「……あなた、人違いをしましたね」


 唐突にそう切り出した。


「えっ?」


 咄嗟に男を視た。


「ま、遠回しに言っておきましょう。その方がクイズみたいで面白い」


 男はそう言って煙草に火をつけた。


「取り合えず、十万ほど用意してもらいましょうか」


「どうして、私が金をやらなきゃいけないんですか?」


「ほう、強気ですね。そんなこと言っていいんですか? 可愛いお子さんがいらっしゃるのに」


 男は薄ら笑いの顔を向けた。


「どういう意味?」


 男を睨み付けた。


「あなた次第だという意味ですよ」


 男が鋭い視線を向けた。怜子は目を逸らした。


「では、そろそろ本題に入りましょうか。……まず、あんたの時効までは後五年ある。だが、俺の時効は五年前に成立している」


 怜子は意味の分からない顔を男に向けていた。


「落とした定期券は、俺が借りた物だ」


 怜子は丸くした目を、男の横顔に据えていた。


「ま、ヒントはこのぐらいにしとくか。今日と同じ時間、明日、ここで待ってます。十万円。そしたら、頼むちゃ」


 男は突然立ち上がると、富山弁でそう言って、革靴の先で煙草を揉み消した。怜子を一瞥いちべつすると、尻の汚れを叩きながら立ち去った。呆気ない幕切れに怜子は茫然としていた。


 脅迫者自らが顔を出したのは、通報すれば私が不利になるという、確たる証拠を握っているからだろう。つまり、犯行を見られていたと言うことだ。だが、一度金をやれば、一生強請ゆすり続けるだろう、と怜子は思った。気抜けした体を無理矢理に起こして、土手を上がった。



 帰宅すると、男の言ったことをジグソーパズルのように、ピースを組み立ててみた。――



 ――そして、ジグソーパズルは完成した。妙子が殺されていた場所で私が拾った定期券は、あの男が東野聖児から借りていた物。つまり、妙子を殺した真犯人はあの男。そして、あの男は私が東野聖児にしたことを知っている。怜子は大きく溜め息を吐くと、頭を抱えた。脱力感にさいなまれ、昼食をる気も起きなかった。


 ……どうすればいい。毎月のローンの返済で、あの男に金をやる余裕など無い。夫に打ち明けるべきか。……それとも自殺すべきか。


 怜子は厭世的えんせいてきな気分になり、以前買った睡眠薬を手にした。


 ……だが、娘を残しては死ねない。……仕方ない、出頭しようか。夫や娘には迷惑を掛けるけど、脅迫におびえる生活なんかしたくない。やっぱり、警察に行こう。……あっ! そうだ。出頭するならあの男も道連れにしよう。


 怜子は腹を決めると、睡眠薬の瓶を箪笥たんすの引き出しに戻し、固定電話を置いたサイドボードからメモ用紙と鉛筆を手にした。そして、メモしながら出頭までの段取りを組んだ。

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