第6話 失踪2(修正済)

 飲んだ次の日は起きられない。熟睡できるからだと思っている。八時過ぎに目が覚めたが、昨夜、カッシーナのカウチソファにそのまま寝た尾見くんは既に起きていて、冷蔵庫のアイスコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。


「おい、一樹これ見ろよ」


 テレビで特集が組まれていた。中目黒から三田にかけて、立て続けに高級外車の盗難事件が発生したというニュースだった。


「最近、多いな。キーレスもスマートキーも関係ないらしい。五分とかかんないで持っていかれるんだ」


「詳しいね」


「おまえ、もう少し関心を持てよ。何年か減っていたみたいだけど、また最近増えているんだよ。プリウスとかランクルとか、日本産はとにかく評判がいいからな」


 尾見くんはいつになく語った。テレビでは、防犯カメラの映像が流れていた。痩身で、黒っぽいパーカーのフードを被った男が、アイパッドのような機器を操作して車の鍵を開ける場面だった。鍵そのものがなくても、この機械で鍵からの信号を拾い、その信号を増幅させてエンジンをかけるというもので、ものの一分で車は盗まれていた。


「いいか、地震とかと違って盗難は保険に入っていないと保証されない。だから自分でなんとかするしかない。でも、ただでさえ維持費もかかるのに高い保険料は払いたくないだろ。だから泣き寝入りする人も結構いるんだ」


 尾見くんの話も、初めて聞く話ばかりだった。尾見くんは司法関係の資格を志している。正義感に厚い人間なのだ。だからこういうニュースを見るたびに、許せないものがあるのだろう。俺だって許せない。どういう神経をしていたら他人の持ち物を盗むという発想ができるのか。泥棒の話をしながら、俺たちは時間をかけて朝食を食べた。






「今日は語学があるからサボれないんだ。公務員講座もあるし。一樹は?」


「俺はバイトの面接が三時からあるからそのまま帰る。一時間目までまだ時間あるし、とりあえず料理研究会にこれを運ぶ」






 俺と尾見くんは台車に昨日の段ボールを二つ乗せて大学までの道のりを歩いた。大学は、総武本線東千葉駅から徒歩三分、赤字経営の学校法人の敷地と建物を俺の祖父がそのまま買い取り、千葉の早稲田を謳ったのがこの千葉総合大学だ。学生の中に、俺が創始者の孫だと知っている奴はいない。俺もそのほうが都合がいい。


 尾見くんと別れて一人サークル棟に向かった。朝だからか、昨日ほどの賑わいがなく、ほとんど人がいなかった。そして料理研究会の部室には鍵がかかっていた。ドアの前に荷物を置いておいても良いが、朝の盗難のニュースが頭をよぎった。俺は少し迷ったが、そのとき、エレベーターホールから歩いてくる、スマートなシルエットが見えた。俺はその細身のパンツと、足元のフェラガモだけで誰なのかがすぐにわかった。マコトだ。


「なに?その荷物」


「ああ、マコト…くん、」


「マコトでいいよ」


 マコトは、顔色一つ変えずに言った。そして、握った右の拳を俺の前に差し出した。俺はその手に自らの右手を合わせた。何が正解だったのかわからないが、マコトは、ふっと笑った気がした。


「中に入れる?」


「どこでもいいよ」


 俺はマコトに合わせて、なるべく声を荒立てないように返事をした。マコトは、白い肌にシャープな顎をしている。昨日から、一度も声を荒げたところを見ていない。身体にフィットしたスキニーのパンツに、上は真っ黒なスウェードのジャケットを合わせている。今時のアイドルのような容姿をしている。


 高校で東京に出たとき、竜也という友達ができた。ファッションセンスも抜群で顔も良くて、とにかくモテる奴だった。だけどマコトはそういう人間とは全然次元が違った。どこかの芸能グループのようなものに所属していてもおかしくないくらい、とにかく浮世離れした顔立ちをしていた。


「置いとくよ」


 顔立ちに似合わない低音の声で、マコトは台車の段ボールを部室に運び入れた。廊下に置いてあった足の長い灰皿が揺れて、僅かに残っていた灰が舞った。廊下の奥のオーニングになっている窓から差し込んだ朝日が、マコトとその周りを照らした。俺は、万華鏡を覗き込んだような感じがした。






「一樹は、信頼できる人、いる?」


 段ボールの中身を適当に片づけていると突然、マコトは俺の目を見つめた。俺は逡巡した。中原さん、尾見くん、祖母、答えはすぐに出たが、それが声にならなかったのだ。マコトの視線に射すくめられ、どう答えるのが正解なのかわからなくなったのだ。マコトは、そんな俺を見て、再びフッと笑った。


「ここの人たちは信頼できる。あんなだけど。一樹も、高そうだね。経験値」


 俺は必死で何か言おうとしたが、うまく言葉になることはなかった。しかし、言葉は俺の代わりに別のところから出てきた。


「一樹じゃん。おーす」


「おまえ、なに買ってんだよ。レシートとかちゃんとあるのか?」


 ナナとエミが部室に入って来た。エミは昨日から、なんだかんだ俺のことを気にかけてくれている。


「いや、これは自分が勝手に買ったやつなんで」


「おまえ、そんなのダメだろ。あたしらに気を遣わせてどうすんだよ。ちゃんとレシートよこせ」


 エミに睨まれた。これから同じサークルで活動する以上、エミの言うことはもっともだった。


「すいません。レシートはもうなくて」


「じゃあ大体でいいから紙に書いとけよ。めんどくせえことすんなよ、おまえ」


「すいません」


 マコトは、そんな俺を笑いながら見た。俺は空いている棚に調味料を入れ、根菜の段ボールを部屋の隅に置いた。






「あー、そういえばおまえの歓迎会やんねーとな」


 エミが無愛想に言ったのに対して、


「えー、今月金ないから無理」


 と、金髪ゴムのナナが文句を言った。


「おめえは来なくていいわ」


「えー!ひどくね?」


 俺は、ありがたく思ったと同時に、俺なんかのためにみんなの時間を割いてもらうのはなんだか申し訳なく思った。


「俺は別に、大丈夫です」


「大丈夫とかじゃねーよ。やるぞ」


「全員揃わないし、やらなくて良くね?」


 ナナは、どうやらやりたくないらしい。俺も、やってくれることを期待しているわけではないので、ゆるりと断った。すると、エミがいきなり大声を出した。


「だからよ、おまえイラつくことばっか言ってんなよ!」


 部室の空気が凍りついた。ナナもエミのほうを向いて黙った。


「いいからよ。やるから。おまえうちのサークル入ったんだろ?うちらは勉強とか知らねえし料理もやんね。でもみんなでやることはとことんやるしよ。ダチが困ってたら助けるし。おまえはなによ。うちらの仲間じゃねえの?!」


 俺は呆気にとられた。正論過ぎて何も言えなかったし、同じような失敗を二回もしてしまったことにハッと気づいた。そして思わずありがとうございますと言ってしまった。


「ありがとうございます」


「なんのありがとうなんだよ、てめえざけんなよ!」


「すいません。でも、仲間って言ってもらえて嬉しくて」


 その瞬間、エミ先輩の顔から力が抜け、ナナたちも肩の力が抜けたみたいになった。


「おまえ真面目すぎなんだって。抜いちゃるか?」


 ナナが俺の背中を叩きながら、俺の顔を覗きこんだ。


「え!?いや、あの」


「冗談だって!」


 俺は自分でも顔が赤くなったのがわかった。


「とにかくよ、決まったら連絡すっから、携帯教えろ」


 俺はエミ先輩と連絡先を交換し、講義に行った。教えられることだらけだ。

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