第62話 貧困3

 ほぼいつも通り、朝の六時に目が覚めた。俺はすぐに綾子に電話をして、昼までに東京に来るよう伝えた。何か言われるかとも思ったが、あっさりと了解を得た。


 その後、もう一度眠りにつき、再び目が覚めたのは十時過ぎだった。簡単に身支度を整えると、杉本くんの運転で銀座まで行き、サンローランでしっかりした服を買った。ライトグレーのパンツに青いスニーカーを履き、真っ白なシャツを着て、そのまま青山へ向かった。いつも以上に蒸し暑い一日だった。


 約束の時間は昼の一時三十分だったが、その前に俺は綾子と合流した。南青山にレクサスの経営するカフェがあったので、物珍しげに顔を出したが、結構本格的な味で驚いた。俺は綾子に株式会社ティアについて説明した。


「なんとも言えない話ですね」


「うん。ポテンシャルはあるはずなんだけど、問題は代表の意識だと思うんです」


 俺たちは、それぞれ携帯で垂直農法を調べたり、見解を話し合いながら、ゆっくりとランチを食べた。調べる限りでは、参入している会社はそう多くはなさそうだったが、ドイツのインファームランドという会社がパイオニアであるらしいことはわかった。そして、その会社の下請けや子会社が、日本におけるシェアを独占している状態であった。彼らの商品は安く、作れる種類が豊富だった。野菜の他、ハーブや果物を積極的に栽培していた。特にレタスでは、日本国内のシェアの十パーセントを目指すと公言し、実際に昨年度は八パーセントまで生産している。本格的だった。


「これじゃ、勝ち目はないですね。ちょっと厳しいんじゃないですか?」


 杉本くんがコーヒーを飲みながら呟いた。


「確かにこのまま体力勝負だったら、このドイツの会社には勝てないと思いますけど……」


 杉本くんも綾子も、答えはノーだった。だが俺は、あと少しで金の成る木を実らせるところに行けそうな気がしていた。あと、ほんの少しだ。というか、どこかでかけ違えている歯車をきちんと噛み合わせるだけで、すぐにでも行けそうな手応えはあるのだ。


「会長、とりあえず実物を見てみないことには始まりません。できれば納品先の事業所を一つではなく、二、三社回りたいですね。あと、ドイツの会社の機材を導入しているところも見てはいかがですか?」


「確かに、それは見たいです。今の状態だと正直、何が問題なのかもわからないし」


 俺の言質を取るが早いが、綾子は電話をするために席を立った。俺は残ったバジルのソルベを口に入れたが、ここにバジルが使われていることに、偶然の導きのようなものを感じた。一緒の皿に乗っているのは日向夏、携帯で蜜柑を調べたが、蜜柑類も水耕栽培はできるようだった。俺は迷わずシェフを呼び、今頭に浮かんだアイデアをそのままぶつけてみた。つまり、自主栽培で育てた野菜を使うことに魅力を感じないかどうかだ。


「実際に見てみないとなんとも言えませんね。ただ、うちは季節でデザート変わりますんで、ちょっと厳しいと思いますね。」


「もし、バジルとか、ずっと使えるようなものを栽培できるとしたらどうですか?」


「バジルは静岡産のものを使っていますので。ただ、やっぱり味をみてみないとなんともいえないですね」


 気の良さそうなシェフは、正直なところを答えてくれた。残念ながら、その通りだった。一流店であればあるだけ、仕入れ先にはこだわりがあるに違いない。田中はどういう営業をかけているのだろうか。その辺も気になった。


 綾子が戻ってきたので、俺たちは礼を言って店を出た。綾子はどうやら、ドイツ社、インファームランド社の製品視察のアポを取り付けたようだ。いつもながら綾子の優秀さには言葉もない。






 青山のTIA社に着いたが、田中聡美は数名の従業員と共に自社前で出迎えてくれた。俺は、俺より年上の人たちに出迎えられて、かえって恐縮したという素振りをした。田中と、四十代くらいの男性一名、それより少し若い男性が一名、女性が二名、計五名での出迎えだった。


「お待ちしておりました。わざわざお越しいただき恐縮です」


 田中がそう言うと、全員が頭を下げた。俺は、この人たちの心理を推し量ったが、いい気はしないだろうと思った。自分より年下の、金持ちのボンボンを相手に、プライドをかなぐり捨てて頭を下げるのだ。仕事とはいえ、屈辱的なことだろう。俺は挨拶をすぐに切り上げて、視察の話に切り込んだ。


「まずは工場内をご案内いたします」


 工場内は、明るかった。自然の採光が入るよう、窓は大きく、天井も吹き抜けになって、上がガラス張りになっていた。はっきりいって俺が見ても専門的なことはほとんど何もわからない。ただ、事前にアイパッドで見た通りの機材が並んでいた。ホウレン草などの葉野菜、ハーブ、真っ赤なイチゴにトマト、そしてパプリカが栽培されていた。一つの特徴として、全てケースの中で栽培が行われており、あまり臭いがしなかった。


「理論上はどんな植物でも栽培は可能なんです。今後、データが蓄積されていけば、より最適な条件をAIが導きだして、自動で栽培できるようになります。今でも、素人でも栽培が可能なくらいにはデータが揃っています」


 プランターの中では、成長度合いの異なる野菜がすぐ隣同士に並んでいた。


「味はどうなんですか?」


「食べてみますか?」


 トマトとイチゴを食べさせてもらった。イチゴは、思っていたよりも甘かった。トマトも、酸味が効いてはいるものの、甘い部類に入った。俺は思わず頷いたが、綾子は顔色を全く変えなかった。


「これでいくらなんですか?相場よりも安いんですか?」


「相場の二倍ほどです」


「高いってことですか?」


「はい。完全無農薬なのと、採れたてを出荷できますので、需要はむしろ高いんです」


「どういうところに卸しているんですか?」


「ここから直接ショップに運びます。販売店やレストランなどです」


「なるほど。ただ、それだけでは採算が取れないということですよね?」


「ここの家賃と人件費、工場の維持費で、莫大なお金がかかります。この機材を含めたシステムを販売すれば採算は取れるはずだったのですが……」


「問い合わせは来るけど受注はないということですか」


「はい」






 俺たちは一旦工場を出て、オフィス内の接客スペースに腰を下ろした。従業員が電話対応をしているが、野菜の注文らしかった。


「都内に工場があるということで、一度テレビにも取り上げられました。そのせいもあって、野菜自体はかなり好調なんです」


 田中は控え目に笑った。その笑顔に疲労が見えた。


「あのプランターは、いくらで売っているんですか?」


「プランター、一つで三十万円です。メンテナンス費用も含んでいます」


「僕らには、それが高いのか安いのかの判断がつきません」


 俺は綾子を見た。綾子はタブレットを開き、ネットのページを見せた。


「インファームランド社製の同規格のもので、二十万円ほどで販売しています。」


 田中はほほ笑んでいるだけだった。ティアの製品が三十万円、ドイツ製のものが二十万円、単純に五割増しの価格であり、おそらく製品に対するサポート体制も、インファームランド社のほうが上回っている。


「一番の違いは、製品の部品にあります。うちはすべて発注ですが、インファームランドは自社である程度作れる技術を持っているんです」


「こっちの会社の方が勝っている部分はありますか?」


「水です」


 田中は、その一瞬だけ真顔になった。


「水ですか?」


「はい」


「水の透明度とかそういうことですか?」


「水のリサイクル率です。弊社製品のリサイクル率は九十八パーセントです。これは間違いなく業界最大値です。最初に水を入れると、あとはろ過を繰り返してほぼ永久に使えます。月に一度カートリッジを変えて、不足分を継ぎ足す程度です」


 田中は、空のペットボトルを指さした。俺は綾子を見たが、綾子が初めて真剣な顔になった。田中は説明を続けた。


「また、インファームランド社の製品は、人口光源ですが、弊社は自然採光により稼働しています」


「それは、どういうことですか?」


「光源がない分、電力消費も抑えられるということです。二酸化炭素と養分さえあれば運用が可能なんです」


「つまり、自然に優しいっていうことですか?」


「それだけでなく、自家発電程度の電力があれば、地球上のどこでも栽培が可能なんです。例えば途上国でも、この機材があれば毎日新鮮な野菜を低価格で買うことができるんです」


「でも、さっき価格は高いって言ってませんでした?」


「それは、ここが南青山だからです。人件費もありますし。この工場には研究員の方がいますから、単純に生産だけの人件費でしたらもっと抑えられるんです」


「採れる野菜はそこそこだし、環境にも配慮されている。初期投資さえ払えば、あとは低価格で運用できると、しかもメンテナンスもしてくれるということですか」


「その通りです」






 田中の話はにわかに信じがたかったが、それほど質の良いものであればやはり可能性は大だと言わざるを得ない。初期コストが嵩むが、その後安定して運用できるならドイツ製よりもこちらの方が良い。だが、それはこの工場だけでは判断できまい。やはり、実際に事業所を見てみないことには何も始まらない。出されたお茶を一口だけ飲み、俺たちは事業所の視察へと向かった。


 俺と綾子と田中は、杉本くんの待つレクサスへと乗り込んだ。助手席に綾子が座り、俺と田中は後部座席に座った。俺は車内でも、製品について極力わからないことがないように質問をした。水のくみ上げ方とかろ過の仕方、養分のコストややり方、とにかく思いついたことをどんどん聞いた。それほど複雑なシステムではなかったが、水をろ過するカートリッジに特許があるらしかった。


「特許なんて、すごいですね」


「この特許をより活かせればいいのですが」


「とにかく実績を作ることがいいんじゃないですか?」


「ええ、そう思って、地道に商売を続けています。でも今の体勢で続けるのはもう限界に近いんです」


 田中はポロリとそう言った。おそらく本音だろう。田中は、昨日会ったときから、時おり疲れたような表情を見せていた。会社も自分たちも、心身ともにピークにきているらしかった。いわゆるブラックという状態なのではないかと思った。こういうときの効率や生産性は最悪だ。確かにこのままでは、田中の会社は危ないだろう。




「万が一会社が倒産すれば、この技術はどうなるんですか?」


「そうですね。債権業者が回収してお金に換えるはずです」


「この技術を生かせる会社って、どんなところですか?」


「同業者、あとは農業の従事者が考えられます。日本の農業は全体的に高齢化が進んで離農者も多いですし、日本の農家ではなく外資が買い取るのではないかと思います。東南アジアの農家の方がこういう動きには敏感ですし、実際にそういう問い合わせもあるくらいです。技術ごと売ってくれないかって」


「そうなんですか」


「インドやベトナム、ニュージーランドなんかでは、農業にIOTを積極的に活用している事例が多数あります。日本の農家は中々そういう動きを作れないんです。高齢化が進んでいますし、現状で満足している部分もあるんです。私たちは、そんな日本の農業を変えたいという一心でここまでやってきたんです」




 車内は静まり返ってしまった。車は迎賓館の前から外苑西通りを渡り、やがて左手の小道に折れ、そのまま青山通りに出た。住宅街から、一瞬で大都会に出たようなギャップを感じた。


「ここです」


 田中が指定したのは、背の高いビルに周りを囲まれた、こじんまりとした建物だった。といっても、八階建てくらいはあるものだった。そのビルの二階部分を田中は指さした。観葉植物が規則正しく窓を覆いつくしていた。


「あれです」




 俺と綾子と田中は、車を降りてビルの階段を上がった。二階のテナントは、フレンチのレストランだった。


「お待ちしていました!」


 感じの良さそうなシェフが、俺たちを出迎えた。まず、目に入ったのは、東側の窓一面に垂れ下がった植物だった。イチゴの蔦だ。赤い実がなっている。そして、入口にはハーブのプラントが置いてあった。五十代くらいだろうか、体格の良いシェフは、口ひげを生やしていた。


「田中さんから聞きました。プラントの見学がしたいそうで。うちはかなり活用していますから。お客様が入るのは夕方ですから、ゆっくり見てくださいね」


「ありがとうございます」


「このイチゴはお客様に好評なんです。お洒落な空間演出になっていますからね」


 イチゴは、よく見ると窓の部分がケースになっており、客席から直接は触れないようになっていた。青い部分と赤い部分がはっきりと分かれており、成長の過程がわかるような演出になっていた。見ていて飽きないものだった。


「イチゴは、料理には使われるんですか?」


「もちろん使いますよ。デザートメニューを見てください。カタラーナからぜんざいまで、全部ここで採れたイチゴを使っています」


 シェフは満足げに言った。その顔を見ただけでもう十分だった。俺たちはイチゴを試食させてもらい、その味に驚いた。


「甘い!」


 工場で食べたものより数段甘かった。


「甘いでしょう。甘い品種を使えば、それだけ甘くなるんです。あとは間引きと日当たりですね。手をかけたらしっかり甘くなりますよ。買って帰りたいという声もあるくらいです」


「販売もしているんですか?」


「販売する分までは作れませんよ」


 この視察は大当たりだった。垂直農法のプラスの部分を十分すぎるほど見ることができた。問題は初期投資の壁と、もう一つは営業の手法だ。イチゴの甘さを噛み締めながら、俺はどうにかしてそれらを改善できないかと考えていた。

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