第61話 貧困2
竜也が自由が丘に帰り、俺たちは汐留のコンラッドに戻った。まだ二十一時前だったが、杉本くんに少し飲みましょうと誘われて、ホテルのバーで深い椅子に腰を下ろしていた。俺は一杯千五百円のフレッシュジュースを飲みながら一万五千円のキャビアを食べた。
「キャバクラ、楽しかったですね」
「そうっすね」
「磯崎さんいたら来れないですね」
「そっすか?あの人も好き者ですよ」
杉本くんは高いカクテルを飲んだ。キャバクラの支払いもホテルの支払いも全て俺なのだが、基本的に杉本くんは遠慮をしない。逆に、こういうときは遠慮されるほうが困る。こっちも遠慮をしてしまうからだ。俺たちは静かなホテルのバーで心置きなくキャバクラの話をした。数か月前に甲斐に案内されて赤坂のキャバクラに行ったときよりも、数倍楽しかった。それで、かなりテンションが上がっていたのだ。
「会長、風俗行きません?」
「風俗?」
「この辺ならヘルスですね」
「ヘルス? 俺、行ったことないんだけど、なにをするとこなんですか?」
「行けばわかりますよ」
杉本くんはニヤリと笑ってグラスを一気に傾けた。少し残っていた琥珀色のカクテルを、最後の一滴まで流し込んだ。俺も同じようにしてフレッシュジュースを飲み干し、杉本くんの後に続いて一度部屋へと戻った。蒸し暑い夜だった。俺は上に羽織っていたサマーカーディガンを脱ぎ、竜也の持ってきてくれたダメージジーンズと黒革のサンダルに履き替え、街へと繰り出した。
すでに深夜になろうかとしていたが、街にはまだ熱気が満ちていた。俺たちは駅の西口方面を目指して歩いたが、日テレを過ぎ、ガード下を潜ると、そこはもう別世界だった。ありとあらゆる居酒屋が軒を連ね、サラリーマンや若者が通りに溢れていた。そして細い路地に入ると、無料案内所の派手なネオンが現れ、女学園や出会いスペースといった看板が嫌でも目に入ってきた。その中の一角に、丸ごと風俗店ではないかと思われるビルがあった。
「とりあえず、ここに入って見ませんか?口コミは良さそうですよ」
杉本くんは携帯を見ながらそのビルに入っていった。人の目が気になったが、俺もすぐに後に続いた。一人ではまず来れない場所だ。階段を登りながら、杉本くんの大きな背中を頼もしく感じた。
暗がりの中に喫煙スペースがあり、そこを抜けるとさらに別世界だった。外を歩いていた人々とは全く異なる人種がいた。受け付けの男は、そこら辺のコンビニ店員よりも数倍丁寧な接客で俺たちを出迎えてくれた。待合室では、同じようなスーツを着た無数の男たちが、薄ら笑いを浮かべながら時間を潰していた。杉本くんはおしぼりで丁寧に手を拭いていた。俺は彼らを横目で見ながら、思わず携帯に目を落としていた。中途半端にキャバクラに行ったので、ムラムラしていたのだが、それでも初めてのプロの店に緊張を隠し切れなかった。携帯の画面を開いたが、もはや俺の目には何も入ってこなかった。その状況で俺が考えていたのは、昼間に会ったばかりの田中聡美の白い肌だった。
「失礼します!二名様、ご案内いたします」
坊主の店員が、俺と杉本くんを案内した。
「会長、早く終わったら先に帰っててくださいよ」
「え?四十分ですよね」
「そんなの関係ないっすよ」
「そうなんですか。じゃあここで解散にしましょう」
俺と杉本くんは、坊主の店員からそれぞれの女に引き渡され、部屋まで案内された。
「はじめまして。若葉です」
俺についたのは、二十七、八歳か、そこそこの女だった。細身で背が低く、目がぱっちりしていて、透けているランジェリーを身に纏い、甘ったるい匂いを発していた。俺のタイプだった。部屋に入るなりいきなり首に手を回してきて、ディープキスをしてきた。そこから、シャワーもせずに、キスをしながら服を脱ぎ、ベッドに倒れこんだ。全裸で抱き合ったが、若葉は俺の腰に足を絡ませてきた。
「挿れる?」
若葉は優しくそう聞いてきた。俺が少し腰を突き出せば入るくらいの位置だ。俺は逆らうことができなかった。若葉はゆっくりと腰を近づけ、キスをしながら一気に挿入した。これがヘルスのサービスなのだと思いながら、俺は若葉との時間を堪能した。短い時間はあっという間だったが、俺は迷わず延長しようとすると、若葉のほうから誘いかけてきた。
「今日はこれで終わりなの。ね、お店の外で続きしない?」
杉本くんが言っていたのはこういうことだったのかと納得した。俺は若葉の誘いを快諾し、どこかラブホへ行くのも面倒だったので、宿泊しているホテルにそのまま若葉を連れ帰ることにした。俺の身体を入念にシャワーで流しながら、若葉は俺の提案を聞いた。仕事が終わるまで三十分ほどだと言ったので、連絡先を交換して先に店の外に出た。通りの熱気は覚めかけていたが、気温は下がることがなかった。俺は適当に路地に腰を下ろし、携帯を開いて時間を潰そうとした。すると、二時間ほど前に知らない番号から着信が入っていた。
この時間にかけなおすのも気が引けたが、相手がかけてきた時間もかなり遅かったため、大丈夫だろうと思い俺は電話をかけた。
「田中です。昼間はありがとうございました。ご一緒にお酒でもどうかなと思ってお電話したんです。遅くにすいませんでした」
株式会社ティアの田中聡美だった。
「全然迷惑じゃないです。僕も久しぶりに東京に来たので、友だちと遊び歩いていたところです。もう帰りました?」
「まだ会社です。青山の。よければこれからどこかご案内いたしますか?」
俺はチラッと時計を見たが、既に二十三時を回っていた。俺の頭には、田中聡美の白い肌が瞬時に浮かび上がった。若葉との行為が終わってもなお、これだけ鮮烈に浮かび上がってくるのだ。やはり、田中は美しかったのだと思い出した。若葉との約束がなければ、俺は迷わず田中の誘いに乗っていただろう。
「田中さん、お気持ちはあれですけど、今日はもう帰ったほうがいいんじゃないですか?身体に悪いと思いますんで。良ければ明日の夜行きませんか?あ、疲れてるか。今日こんな時間まで働いてるんだし」
「いえ、大丈夫です!では明日の夜に青山でどうですか?」
「わかりました。お願いします」
電話を切った瞬間に、社畜という言葉が思い浮かんだ。やり過ぎだろう。なぜ、おそらく朝から働いていたであろう人間が、普通に深夜まで勤務しているのか。俺と会ったことが理由ではないだろう。仕事があることはいいことだが、こんな働き方をしていては身体を壊すんじゃないかと心配になる。
昼間、事業所の視察の件で、俺は田中の仕事ぶりに疑念を抱いたが、ここにきてそれは確信に変わった。つまり、田中は不器用だ。真面目ではあるらしいが、効率というものをわかっていない。仕事量が追い付かないのであれば人を雇えばいい。それができないのであれば、システムを見直すか、それも無理ならそもそも成り立つような仕事ではないのだ。しかも、業界にライバルは多く、先行きの目処が立っていないという。仮に俺からの投資があったとしても、それを溶かすのはそう遠くない未来の話だろう。今の仕事を根本的に見直さない限り、この会社に未来はない。若葉を待ちながら、俺はそんなことを考えていた。
「おーい」
ホットパンツのサイドを革ひもで編み込み、でかいTシャツにキャップを被った若葉が、店から足早に出てきた。外で見ると、余計に背が低く感じた。俺の側に来ると、迷わず腕を絡ませてきた。
「ごめんね。行こ」
ホテルに行く間中、若葉は自分のことを話した。俺はなるべく丁寧に相槌を打った。俺は若葉に気に入られたらしく、若葉の顔から笑顔がなくなることはなかった。
エレベーターの中で、いつも客とアフターをしているのか聞いたが、若葉は笑顔で抱きついてきた。
「客となんかするわけないじゃん。ヘルスだよ。本番は禁止なの」
「そうなの?」
「知らなかったの?」
「じゃあ、俺は? なんで?」
「一樹くんは特別。かなりタイプなんだから」
俺と若葉は、時間をかけてセックスした。ユウナのときも美和さんのときも、いつも俺がいったら終わりだったが、若葉とのセックスでは、心に余裕があったため、若葉をいかせることができた。俺もだいぶ女の身体に慣れてきたし、何より若葉はエロかった。反応が、今までの相手とはまるで違ったのだ。指と口で若葉をいかせたあと、さらに挿入時にも若葉は絶頂に達していたらしかった。終わったあと、しばらく立てなくなっていた。
「一樹くん、上手だね。何回もいっちゃった」
誇らしい気分になった。それは、キャバクラで竜也が顔を緩めるのを横で見ていたときと、同じような感覚だった。
「一樹くん、本当に彼女いないの?」
「うん。いないよ」
「一樹くんって束縛されるの嫌?」
「束縛? 別に嫌な気はしないけど、俺は本当に忙しいから、あんまりしつこかったら困るな」
俺は若葉にキスをして、抱き寄せようとすると、若葉はするりと俺の手を抜けて、シャワーしてくるね、と言ってベッドから下り、バスルームへ消えた。俺は携帯を見た。三時近かった。明日は遅れることができないので、目覚ましをセットした。
「一緒に入る?」
しばらくして若葉がバスルームから顔を出した。若葉に誘われ、俺は迷うことなくバスルームに入った。若葉はお湯を張っていたので、そのままバスタブに浸かった。俺の身体に、若葉は寄りかかってきた。そして俺の指に、自らの指を絡ませた。
「一樹くん、優しいんだね」
「え?」
「中に出しても良かったのに。私、ピル飲んでるから」
「そうだったんだ」
「中に出されるの好きなの。その人の物になってる気がして幸せ感じちゃう」
俺は言葉に詰まり、曖昧に笑った。
「一樹くん、やっぱりいい人だ。ねえ、一樹くんの、ほしいな」
若葉はキスをしてきた。断る理由がなかった。俺は若葉を立たせて壁に手をつかせ、そのまま後ろから挿入した。腰を引く度に、若葉の尻がピクリと動いた。俺は二回目だったので中々いきそうになかったが、なんとか精子を出そうと無理やり腰を振り続けた。若葉は無言になった。
シャワーを浴びてもいないのに頭が汗でグショグショに濡れた頃、俺は辛うじて残っていた精子を若葉の中に出したが、抜いた瞬間に若葉の足が小刻みに震えた。若葉はその場に立ち尽くしていた。俺が腕で支えると、俺の腕にしがみついてきたが、次の瞬間にとんでもない行為に出た。大きく口を開けて舌を出し、そしてそのまま俺のを咥え、しばらくなめ回したのだ。時間にしたら一、二分くらいだったかもしれない。満足した顔で口を離し、俺の胸に顔を埋めた。
若葉は帰り際に、かなり遠慮がちに金をせびってきた。俺も十分に楽しんだし、適当に財布に入っていた現金を渡した。二十万円近かったが、そのまま全部渡した。
「こんなにいいの?」
「うん」
「一樹くんはいつまで東京にいるの?」
「仕事次第だけど明日はまだいる」
「明日も来たいな。駄目?お金はいらないから」
俺は少し考えた。明日も杉本くんとどこかへ行くかも知れないし、もしかしたら、田中ともそういう関係になるかもしれない。俺は損得で考えて、曖昧な返事をした。
「明日は取引先と飲むから何時になるかわからない」
「それでもいいから。一樹くんから連絡があったらお店出ないでこっちに来るからね」
若葉はそう言って俺にキスをした。この日何回目かわからなかったほどだ。俺たちはディープキスを五分くらいし続けた。若葉の尻に手を回すと、「駄目」と言われて優しく頭を撫でられた。若葉が帰ったあと、俺は若葉の尻や唇を思いだし、一人でしてから寝た。若葉のことを少し好きになっていたかも知れなかった。
女に慣れたと思っていたが、俺はまだまだだった。少し優しくされたら、誰でも好きになる。可愛い人ならなおさらだ。田中も好きだし、若葉も好きだ。ユウナも好き、美和さんも好き、綾子のことも好きかもしれない。でも、男なんて皆そんなものなのかもしれない。言い寄られたら好きになる、それは当たり前のことだろう。大雑把なのが、俺たち男の良いところなのだ。
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