第52話 フリースクール4

俺が松戸に関するリサーチをしている間に、磯崎さんは、リビングの中央にテーブルをセットして、いつもの料亭から届いた和食ディナーセットをテーブルに並べた。メンバーが来はじめてからは、綾子が忙しく動き回り、座席に案内したり飲み物を準備したりした。








【松戸駅前開発計画に関わる会議】




神谷一樹 オフィス神谷代表取締役


中村綾子 オフィス神谷専務取締役


中原幹郎 神谷弁護士会計士事務所代表


中村 稔 神谷ハウジング社長


柴田 均 東日本建築代表


市川貴久 松戸市役所街づくり部


長良凉子 松戸市議会議員


櫻田基寛 衆議院議員




「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。特に役所の市川様および市議会の長良様におきましては、ご多用中にも関わらずお越しいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。」




中村社長が話を進めた。名指しされた二名は、畏まって礼をした。どうやら今日は、綾子の父親が仕切るようだ。




「まずは乾杯といきましょう。」




なんと磯崎さんが、酒を注いで回った。いつもはラフな格好だが、この日はスーツで決めていた。杉本くんならこうはいかなかっただろう。俺も、綾子に言われたのでスーツを着て、頭をワックスでセットしておいたが、そうしなければ恥をかいていただろう。




酒を飲み、しばらくはメンバーの紹介をしながら食事を食べた。俺は隣に座った柴田さんという人と、名刺交換をした。柴田さんは、うちのグループ企業ではない。今回の件では、むしろ敵になりそうな会社の人だったが、非常に気さくで、話上手でよく笑う人だった。




食事も進んだところで、中村社長が松戸に関する開発計画の全貌を話し始めた。




「近年松戸市は、年間二千人から三千人ずつ人口が増加しております。また、JR上野東京ライン開通によって、東京まで二十分そこそこで行き来できるようになりました。もはや松戸は、常磐線の地方の駅ではなく、正真正銘上野東京ラインの駅なのです。品川はリニア中央新幹線の始発駅となりますし、将来は羽田空港に直結することが規定事項です。つまり、陸と空の中心地に直結しているのです。」




櫻田が唸ったが、それ以外は皆冷静だった。俺も、事前のリサーチで、そこまでは知っていた。




「折しも、今年は神谷ハウジング創設三十年の節目の年でありまして、大規模かつ地域に還元できる仕事を残したいと考えております。そこで私共は、松戸駅前に、松戸のシンボルとなり得るような複合商業施設を建設したいと思っております。渋谷ヒカリエや新丸ビルをイメージしていただければわかりやすいかと思います。」




中村社長は、意気揚々とメンバーを見た。櫻田と綾子、市議会の長良さんは頷いていたが、市役所の市川さんと、東日本建築の柴田さんは、それを黙って聞いていた。




中村社長の口から出た計画は、俺のイメージとはかけ離れているものだった。












松戸駅前には、ショッピングモールが続けざまに二軒できる予定だった。駅の南側と北側にそれぞれ一件ずつだ。どっちも、すでに着工に入っていた。俺名義のビルがあるのは駅の西側だが、これだと二つのショッピングモールと喧嘩をしてしまうのは明らかだった。しかも、松戸駅には十階建ての駅ビルもあった。いかに延び盛りといえども、松戸の規模に対して過剰な供給になることは、大学生の俺でもわかることだった。中村社長のイメージは、競合する二つのショッピングモールを潰して乗っ取るということまであるのではないだろうか。そう思えるやり方だった。




柴田さんの東日本建築は、南側のショッピングモールを担当していた。もともとあった商業施設跡地に建設しているが、すでに着工済みで今年の秋にはオープン予定だという。




「本日は、松戸駅南側にショッピングモールを建設中の、東日本建築の柴田代表にもお越しいただいております。」




いきなり指名された柴田さんは、立ち上がり笑顔で軽く頭を下げた。その様子を見て、中村社長は再び声を張った。




「弊社の、松戸駅周辺開発につきましては、内閣府が発表した【都市再生緊急整備地域】の候補地域となったということを受けて、民間による都市開発を誘導するという市の方針に則ったものであります。即ち、商業施設や公益施設が誕生するだけでなく、良好な駅前空間の創出により、子どもから高齢者まで全ての年代が暮らしやすい街を目指すものです。この複合商業施設では、東日本建築さんと目的別利用者の住み分けを行い、調和の取れた駅前空間の創出を目指します。どうぞご理解のほどよろしくお願い申し上げます」




中村社長は、今できる渾身の喋り方で参加者に迫った。櫻田が拍手をした。それにつられて、綾子と中原さん、磯崎さん、市議会の長良さん、市役所の市川さん、柴田さん、全員が拍手をした。気分をよくしたのか、中村社長はグラスワインを顔の高さに掲げ、くいっと一息に流し込んだ。




俺は、手は叩いたが、前述の理由で素直に喜ぶ気にはなれなかった。隣にいる柴田さんが、浮かない顔をしているのはそういうことだろう。中村社長の饒舌はなおも続いた。俺は、こっそり柴田さんに話しかけた。




「柴田さん、これ、供給過多なんじゃないですか?」




「そうですね。」




「こんなの、いいんですか?」




すると柴田さんは、笑いながらこう言った。




「あの人には誰も逆らえないんで。」












その後、市役所の市川さんより、松戸いきいき街づくりプランの概要が提示され、再開発への理解が示された。また、市議会の長良さんからは、松戸の益々の発展への奉仕奮励に、感謝が述べられた。柴田さんからは、同じ地域に根差した企業同士、この地域を盛り上げていきましょうという挨拶があった。最後に櫻田先生が、都市再生緊急整備地域を引っ張ってきたのは自分の手柄だと、自慢げに話した。それに対する賛辞や質問のやり取りで、俺たちは一時間近くを費やした。




最後に俺に話が振られたが、適当に話をした。本当は、言いたいことがあったが、俺が中村社長に反発することで、お互いの立場を悪くしないかと思い、何も言わなかった。特に、中村社長は、この場に娘がいるのだ。顔を潰されてはたまらないだろう。




結局、思っていたよりも長くなったが、最後は中村社長と櫻田先生の関係の深さを思い知った。本当は、祖父が三人の中心にいたのだと思う。俺は、この二人の中に入ってはいけなかった。それは人間的に未熟だからという理由もあるが、他を潰して自分の利益を優先することにどうしても疑問を抱かざるを得なかったし、またその覚悟がなかったのだと思う。












俺は、本当は中村社長に言いたかったことを、綾子と中原さんにぶつけてみることにした。全員が帰ったあと、磯崎さんにテーブルを片付けてもらい、中原さんと綾子にはソファーに座ってもらった。




「俺は、正直中村社長の考えに賛同できません。俺は複合施設ではなく、複合マンションが妥当だと思います。」




中原さんも綾子も、さして驚くこともなく俺の話を聞いた。




「地域に根差すというけど、まず地域の企業と明らかに喧嘩しているし、何より渋谷ヒカリエクラスの建物が松戸にできても、赤字にしかならないと思うんです。それに、松戸の人口が増えているのなら必要なのは住居が一番だと思うんですけど。」




「確かに、坊っちゃんの言うことも一理あります。」




中原さんがそう言うと、綾子も頷いて見せた。しかし、二人の口から、俺に反論するどのような案も出てはこなかった。俺はなおも続けた。




「五十年はもたないにしても、二十年後にその施設は本当に必要になるのかっていう話です。マンションなら確実に需要はありますけど。商業施設は廃れたら目も当てられないじゃないですか。全国的に都市の中心地にあったデパートが軒並み倒産していますけど、複合施設もそうならないとは限らないでしょう。まして建物は老朽化していきますよね。古めかしい場所には、常に人は集まらないと思うんですけど。俺は、そこまで責任を持つべきだと思います。」




すでに夜の九時を過ぎていた。中原さんも綾子も、相変わらず何も言わない。ただ、俺の話に耳を傾けた。




「市役所の市川さんが言っていましたが、松戸いきいきプランでの都市計画は、あくまで人口を五十万人として推移していくものでした。それでいて、緑地を全面に押し出した街づくりです。東日本建築が手掛けるショッピングモールの完成図をを見せてもらったのですが、まさに都市計画のイメージそのものでした。うちが後追いをしてデカい建物を建てたとして、それが市民に求められるものになるのでしょうか。」




綾子は顔つきが変わってきた。真剣な目でじっと俺を見た。中原さんは、右手の親指と人差し指を使い、両目を揉んでしばらく顔を下に向けた。




「松戸駅西口の土地は、複合型のマンションがいいと思います。二人の意見を聞かせてください。」




雨が降ってきていた。磯崎さんが戸締まりをしに外に出ていった。なんだか冷えてきたような気がして、俺はキッチンへ行き、お湯を沸かした。




二人の返事次第で腹を決めようと思った。それ以外に決め手はない。祖父がいたらなんと言っただろうか考えたが、わからなかった。しかし、少なくても祖父の仕事の中に、その地域の身の丈を通り越したものはなかったように思う。お湯をIHにかけたまま、二人の待つリビングへ戻った。重たい空気の中、ソファーに座ったが、なんだか座り心地が悪いような気がした。




「よろしいですか?」と、中原さんが俺を見た。




「坊っちゃんのおっしゃることに意見などございません。私共の事務所は全力で坊っちゃんをサポートいたします。」




まず、中原さんの意見が出た。おそらく本心からそう言ったと思う。俺は中原さんの目をじっくり見て頷いた。そして、そのまま、今度は綾子を見た。綾子は、やや時間を置いてこう言った。




「会長、私は正直どうするのが正しいのかわかりません。ただ、他の方がいらっしゃる前で父の計画に反対するようなことをせず、こうして私に先に言ってくださったことに感謝いたします。私から父に話してみます。」




「綾子さん、大和の総務部次長としての見解はどうですか?」




「私は土地取引と建物販売が専門ですので。」




「それを言うなら僕なんか大学生です。綾子さん、反対ならそう言ってください。それを参考にして考えたいんです。」




綾子は少し考えてから、慎重に言葉を選ぶように語りだした。




「松戸が今後どのように伸びるのかにもよります。マンションだけでいうと、川崎が良い例だと思いますが、地方の都市が、都内を抜くことだって十分にあり得ます。松戸がそこまでなのかどうか。それを言うなら、市川や船橋はどうかと言うと、確かに人はやってきますし人口は増えています。ただ、住む場所であって、商業の中心になるようなポテンシャルはないと思います。」




千葉には、幕張と浦安以外に、新たな商業施設は栄えないと言われている。よほど力強い会社だとしても、千葉よりは都内を選ぶ。そのくらい、賭けになることなのだ。近年成功しているのは、木更津のショッピングモール、船橋の巨大ショッピングモールだが、それらは駐車場ありきの施設だ。松戸の街中の三十階建てのビルに、人を呼ぶことができるのか。




「やっぱり、どう考えても僕には無理に思えます。」




今度は、二人とも同意した。それで、決心がついた。俺は改めて綾子に、社長を説得するよう頼んだ。綾子は、「なんとかやってみます。」と答えた。不安な表情を見せたが、実の親にも諫言するのだから、やりにくいだろう。俺は応援するしかない。












簡単な打ち合わせをすると、その日は綾子も引き上げていき、俺と磯崎さんだけになった。磯崎さんは、敷地を見回りして、何かあったら言ってください、と、部屋に引き上げた。俺は、どっと疲れが出て、風呂に浸かりながら携帯を見た。昼間の小学校を検索したが、館山西小学校というところで、ホームページもあった。最近の先生は、こういうのもやらなければならないのかと思ったが、ふと、昼間自分が口走ったことを考えた。




(俺は、フリースクール事業にも手を出す、と言った。)




あのときは、何も考えずに適当に言っただけだ。松戸のマンションとは違い、こっちは金になるような要素は皆無だ。しかし、そういうのを一つ持っておくのも面白いかもしれない。もちろん、サナとナユには、早くフリースクール神谷を卒業してもらいたい。




そこまで考えて、フリースクール神谷という名前もいただけないな、と思い、フリースクール館山と呼ぶことにした。いや、フリースクールと入れる必要はない。自由が岡館山のほうがいいか。サニーウェル館山、マンションみたいだ。色々と考えているうちに、納得のいく名前が見つかった。




「館山陽だまり中学校」




これでいこうと思った。

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