第51話 フリースクール3
橋本ナユは、中学二年生の途中から学校に来なくなったと、サナに聞いた。サナはほんの一ヶ月前には学校に行っていたが、学級が荒れていて、ストレスから体調不良を起こし、朝どうしても家から出られなくなってから二週間が過ぎた。担任の先生は、二人のことまで手が回らないらしい。そんな二人が、日中を館山で過ごすことになった。今日がその初日だ。
サナと、その友達の橋本ナユが館山に来たのは、朝の九時だった。サナのお母さんと、ナユのお母さんがそれぞれ車で送ってきた。俺はせっかくだから、一緒に過ごしませんか?と提案した。どうせ今日は勉強する気もなかったし、サナとナユには館山に慣れてもらい、お母さん二人には何をやるのか説明したほうが安心するのではないかと思ったのだ。俺の思惑が通じたのか、午前中はお母さん二人も一緒に過ごすことになった。男一、女四のハーレムの完成だった。
まず、自由に行き来していい部屋として、リビング、和室、両親の漫画部屋を紹介し、そして物を置いたり休んだりする洋室を一部屋貸した。
「自由に使っていいですから。疲れたり、困ったことがあったらここに来てていいです。」
「ここ、サナが寝た部屋!」
「お昼寝してもいいし、荷物とか置いてもいいし。勉強道具置いていってもいいですよ。」
サナは喜んだが、ナユは浮かない顔をしていた。ナユのお母さんは、信じられないといった顔で、キョロキョロしていた。
一通り見たので、一旦リビングのソファーに座ってもらい、これからやることを確認することにした。
「どうしますか?ここで勉強してもいいですし、別のことでもいいですし、何をやるか決めませんか?」
四人とも頷いた。
「僕は英語くらいなら教えられますが、ちょっと仕事で出たりしないと駄目なこともあって、ずっとはいられないんです。だから基本は、二人で協力して勉強したり、遊んだりしてほしいんです。」
「サナ、それは大丈夫よね?神谷さんに迷惑かけないって約束したもんね。」
「うん。」
サナは、大丈夫です、と俺に頭を下げた。
「ナユ、こんないいとこ使わせてもらうんだから、今度はちゃんとやること決めよ?今までみたいのは駄目。」
「わかってる。」
ナユは、母親に対してぶっきらぼうに答えた。サナもナユも、同じような体型で、同じような髪型をしていた。顔よりも少し長いくらいの髪で、ナユは前髪が七三、サナはパッツンで茶色っぽい。どこにでもいる中学生といった感じだ。今日は二人とも学校指定のジャージを着ていた。
「サナはバドミントン部だったよね?ナユちゃんは?」
「文芸部です。」
「文芸部?」
「この子、小説を書いているんです。」
「お母さん、言わないでよ!」
ナユはお母さんを睨んだ。ナユのほうは、中々大変みたいだった。少なくとも、お母さんと二人きりで家にいたら、お母さんのほうが大変だろうと思った。
「小説って、パソコンで?」
「はい。」
俺が聞くと、ナユはムスっとした顔で答えた。
「じゃあパソコンを用意するから、ここで続き書いたらどう?あと、バドミントンもやりにいこうか。」
そう言うと、二人とも表情が明るくなった。
「それじゃあ、勉強は何時間、遊ぶのは何時間、っていうふうに一日にやることをそれぞれ決めよう。これはあとで変えてもいいし、やらなくっても誰も何も言わないし、ただ、だらだら過ごすよりはそのほうがいいでしょ。」
二人とも頷いた。俺は対面キッチンに行き、綾子が淹れてくれた麦茶をグラスに注いだ。ソファーの方を見ると、二人ともノートを出して真剣に何か書いている。勉強は闇雲にやるよりも、ある程度の目標やスケジュールを立てたほうがやりやすい。ただ、彼女たちの場合は、勉強というよりも、気持ちの面で前進してほしいというのが正直なところだと思う。お母さんたちも、きっとそう思っているはずだ。
麦茶を持っていこうとすると、綾子が帰って来た。急遽人数が増えたため、追加のお菓子を買いに行ってくれていたのだ。ケーキの箱をもらうときに、指が触れてしまった。それだけで俺は、顔が赤くなるのがわかった。
俺は綾子を紹介した。
「中村綾子さんです。オフィス神谷の専務取締役です。僕がいないときがあっても、この人に何でも言ってください。」
綾子は丁寧に自己紹介をした。四人とも、よろしくお願いします、と言ったが、サナのお母さん、すなわちユウナのお母さんだけは笑顔が強ばっていた。
綾子がキッチンへと消えると、サナのお母さんは、「綺麗な方ね。」と俺に言ってきた。サナも俺の顔を見たが、俺は話を反らした。
「あと、今はいませんが、警備員が二名いるんです。磯崎さんは六十歳、杉本さんが二十九歳で、交替でここに来てます。今日は磯崎さんです。あとで来たら紹介します。」
二人のノートを覗き込むと、漠然と「勉強、バド、自由」というふうに書いてあった。
「よし、じゃあ二人とも勉強は勉強でちゃんとやるってことだね。その上で遊んだりするということで、いいかい?」
二人は頷いた。
「じゃあ、今日はどうする?」
サナはナユの顔を見た。ナユは、勉強します、と即答した。サナは多分、人に合わせたり、誰かに引っ張ってもらうのが得意なのだ。ナユは自分のやりたいことをかっちりやるタイプだ。この二人が友達なのは、なんだか納得できた。
すでに十時を過ぎていた。二人はとりあえずリビングで勉強してもらい、俺はお母さん二人を連れて祖父母の部屋に来た。祖父母の部屋には、アンティークのソファーとテーブル、電気式薪ストーブ暖炉にワーキングデスクがあり、数多くの来客をもてなしてきた。二人をソファーに座らせると、綾子がお茶とケーキを持ってきた。
「あんな感じで、勉強をしながら他のこともするって感じで、いいですよね?」
お母さんたちに異論はなかった。
「いつ来ることにしますか?毎週月曜とかにしますか?毎日でもいいですけどね。」
「毎日なんて悪いですから。」
二人とも恐縮したが、俺は譲らなかった。
「僕は、ちょっとした事情で、今はここから動けないんです。大学も前期は免除してもらいました。毎日漫画を読みながらお菓子を食べて、来客の対応をするくらいなんです。やることないですから、来てもらうのは全然構いません。」
「でも…、」
「それに、僕はフリースクール事業をうちのグループで展開しようと考えているんです。そのための布石でもあるんです。僕自身が勉強したいってこともありますし。」
二人は、黙った。遠慮するような話ではないからだ。我が子の人生を左右するような大事なときに、悪いから遠慮するとは言っていられないだろう。俺はなおも推すことにした。
「二人とも、家にいるのがいいのか、ここにいるのがいいのか、何が正解かはわからないと思います。それなら、とりあえずここに通ってみて、その様子を見て判断されたらどうですか?」
「それなら、最初は一日おきにして、慣れたら毎日のほうがいいと思います。」
サナのお母さんがそう言った。それで、ほぼ決まった。月水金が、フリースクール神谷(仮)が営業する日になった。
昼になり、リビングに集まった。勉強ははかどったようだ。
「めっちゃ進んだ!一人だったら全然勉強できないもん。」
サナは嬉しそうにそう言った。ナユも、手応えを感じているようだった。
二人は持参した弁当を開けたが、お母さんたちはここで一旦引き上げることになった。だいぶ安心したと思う。綾子は元町プロと広告の打ち合わせがあると言って、出かけていった。
俺がお湯を沸かして、カップラーメンを取り出すと、リビングからサナとナユがちょこちょこと走ってきた。
「神谷さん、ちゃんと食べないと駄目ですよ!」
サナが、いたずらっぽくそう言った。ユウナに何か言われてきたのかもしれない。
「いつもはちゃんとしたの食べるんだけどね。今日は手抜き。二人とも、お母さんに作ってもらったの?」
サナとナユは顔を見合わせたが、はい、と恥ずかしそうに返事をした。
「じゃあ、次からはここで作ろうか。弁当作るのって大変だし。」
俺がそう提案すると、二人とも凄い笑顔になった。
「材料はこっちで用意しとくから。じゃあ、毎日十一時になったら昼食の準備をしよう。得意な料理、あるの?」
二人は、またしても顔を見合わせた。お互いに、ある?と確認しているような顔だ。
「まあ、やってくうちに得意料理も見つかるかもね。じゃあ次からは頼むね。ちなみに次は、スパゲッティを茹でて、何かソースを作ろう。あとサンドイッチ用のパンも用意しとくから。」
二人とも同意した。これは、二人にとって良い経験になるはずだ。二人とも、少なくてもここにいる間は、前向きな気持ちで過ごせるはずだ。なんだか、先生になったような気がして、思わず苦笑いをしてしまった。
その日は、昼食を食べて一時まで休憩し、昼からは近くを散策した。俺も知らなかったが、すぐ近くに小学校があった。建物自体も小さいが、停まっている車の数も少なく、かなり小規模の学校だと推測できた。サナとナユは校舎の中を覗きながら、花壇の縁に沿って歩いたり、グラウンドにあった鉄棒で遊び始めた。遊んでいる姿は、まるで普通の中学生だった。悩みや後ろめたさから解放されていて、これがきっと本来の子供のあるべき姿なのだと思った。学校が自分に合わなかったら、そこで生きるストレスは相当なものになる。
俺が中学のときは、尾見くんがいつも一緒だった。それに、祖父は毎年、一千万円を学校に寄付して、そのお陰で部活の遠征が例年よりも多く行けていたことをみんな知っていた。父は三年間PTA会長だったし、学校の誰もが俺を知っていた。俺は勉強も運動もそこそこだったが、何のストレスもなく過ごすことができた。祖父の教育の影響で、いじめなんかは絶対に許せなかったので、悪いことをしてる奴には、男も女も関係なく言いたいことを言った。うちのクラスで、俺に何か言ってくる奴はいなかった。でも、そんなのはきっと一部なんだと思う。
つい、昔のことを考えていると、いつの間にか校舎から人が出てきた。青いスポーツウェアを着た、若い女だった。
「君たち!」
遠くから、女がこっちに向かってきた。サナとナユは固まり、俺の方を見た。
「勝手に使ったらそりゃあ怒られるな。俺が謝るから、サナとナユも謝って。」
俺は二人の背中をポン、と叩き、女の方に向かって頭を下げた。
「君たち、卒業生?」
若い女教師は、別段怒っているわけではなかった。
「勝手に入ってすいません。僕はすぐそこの家に住んでいる者です。近くを散歩していて、たまたま寄っただけなんです。すいません。」
俺がそう言うと、若い女はじっと俺たちを見た。そこで気付いたが、身体の肉付きや化粧からして、意外と年を取っているかもしれなかった。
「別にいいの。卒業生だったら、上がってお茶でもどう?って言いに来ただけだから。もうすぐ子供たちが出てくるわ。この辺で遊んで帰る子もいるから、場所譲ってね。」
女は笑顔でそう言った。
「僕らももう帰ります。」
「そう。またいつでも来ていいから!」
女はそう言うと、校舎の中に消えていった。すっきりとした先生だった。
帰り道では、あの先生が何歳か、という話になった。俺は二十代だと思ったが、サナもナユも三十代後半だと言った。久しぶりに先生に会い、二人とも少し緊張していたが、優しい言葉をかけられて、どこか安心しているようにも見えた。
その後は、ナユはパソコンで小説を書き、サナは一人でバドミントンをしたり、漫画を読みながら過ごしていた。俺は携帯で、松戸について情報を漁っていた。三時に迎えが来て二人とも帰ったが、子供も大人も満足した顔をしていた。
二人が帰り、綾子も戻ってきて、俺は綾子と少し打ち合わせをした。綾子の父親である中村社長が、松戸駅前の開発計画を立てているというが、俺はどうしてもやりたいことがあったのだ。
「今回の話は、実質、俺が金出して終わりだと思うんだけど、オフィス神谷としても、どこかに潜り込んで一枚噛みたいんだ。」
「はい。」
「何でもいい。例えば、ビルのワンフロアとか、一店舗とか、柱一本でもいい。現実的に考えてどこまでできると思います?」
「現実的には、うちには技術がありませんし人もいません。下請けに回すにしても、ビルの外枠を担当できる会社なんて限られていますし、内装は専門の業者には敵いません。彼らは孫請を嫌うでしょうから。本当に小さなことしかできないと思います。」
「そうですか。」
「計画の全体を見て、判断なさるのがよろしいかと思います。私も注意して見てみます。」
「わかりました。お願いします。」
松戸駅にある俺名義のビルは、ストリートビューで確認した限り古めかしく、それほど大きくはない。ただ、一つの区画に三つのビルがあった。第一神谷ビルから第三神谷ビルまで。一番駅に近い第一神谷ビルでも、駅から道路を渡り、ビルを一つ挟んでその隣にあった。これが渋谷や六本木などの大都市ならともかく、松戸で駅直結でないことはかなりのマイナス要因だと思われた。
しかし松戸自体に関しては、批評家や個人サイトではその評価は高く、関東の主要都市の中でも伸びの大きさでは五本の指に入るくらいだった。ここはオフィス神谷として、無理矢理にでも黒字を出したいと、俺は考えていた。
元町プロの自社ビルの場合は、俺のポケットマネーを資金として神谷建設が請け負った形で、オフィス神谷は無償で広告屋との調整をしているだけだった。黒字どころか、十億円の赤字だった。大介から十億が返済されるとは、今のところ期待していない。なので、今のようなバラマキ外交を続けるのではなく、しっかりとした商売の地盤を作らねばなるまい。それには、実績が必要なのだ。綾子の父親が来るギリギリまで、俺は色々と下調べをした。
その結果、俺なりに一つの結論に達することができた。おそらくこれは、今の松戸にぴったり当たるはずのものだ。
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