第53話 フリースクール5

朝から、俺はインターネットをしていた。思い立ったらすぐ行動に移すのは、俺の良いところでもあるし、欠点であるのかもしれない。迅速という言葉を俺は好きだ。とにかく、館山陽だまり中学校の、ロゴや看板をデザインしてもらおうと思ったのだ。




適当な業者にコンタクトを取ってみたが、そこは数パターンのデザインの中から選ぶというスタイルのショップだった。それで了承すると、SNSアプリを通してカタログが送られてきた。パターンは実に豊富だった。あとで見ようと思い、プリントアウトしてパソコンの上に置いておいた。




その後、中原さんを通じて、大学の教育関係の教授にコンタクトを取ってもらった。フリースクール設置に関して手続き関係のことを知りたかったからだ。事情を説明すると、教授と事務長が館山まで来てくれることになった。今日は綾子がいないため、俺は今日の担当である杉本くんに、お茶菓子をお願いした。杉本くんはやたらに張り切った。なぜなら、杉本くんも磯崎さんも、基本的に何もすることがないからだ。俺の周囲はキナ臭い人物がいないではないが、ヤクザも警察も完全にこっち側についているため、おいそれと手を出してくる人間はいなかった。杉本くんは携帯でスイーツのショップを調べ、わざわざ南房総の方まで行って、和菓子を買ってきてくれることになった。俺はこのときに、メイドというか、家の中のことを専門にやってくれる人を雇う決心をした。












杉本くんが出かけると、俺は昨日の会食のことを思い出した。柴田さんの笑顔と、市川さんという市の担当者の、あの何とも言えない表情が、やっぱり気にかかった。ただ、俺がここで気を揉んでいても仕方のないことであり、綾子に任せることにした俺の判断を信じようと思った。俺が言えば、中村社長は従わざるを得ないが、面白くは思わないだろう。そういう禍根が残るようなことは避けた方が良い気がしたのだ。これ以上考えても仕方がなかった。俺は使っていないノートを引っ張り出してきて、館山陽だまり中学校に関して思い付いたことをつらつらと書きながら、朝のワイドショーを見ていた。




あれ以来、デモに関するどんな情報も、表には出ていなかった。正確には、デモの主張がマスコミに取り上げられることはなかったが、デモの事実そのものは世間に流れてはいた。なぜなら、有名な実業家で、アンチリベラルの立場にいる文化人が、ツイッターでデモのことを拡散したからである。しかし、マスコミで報じられない以上、世間一般の認知としては、正体不明の集団でしかなかった。特に県民の目にはそう映っているのではないだろうか。












「次は、闘う女性を特集しました。」




ワイドショーの女性アナウンサーが、声に力を込めた。




「中野駅南口にあるこちらの事務所では、ある国際的な組織が活動しています。その活動に、今、注目が集まっています。」




画面では、中野駅と思われる駅前を歩く、女性レポーターを捉えていた。俺は、何気なくそのままテレビを見ていた。




「昨今、世界的に大きな話題となっているLGBT。その支援団体の一つとして、日本で活動しているのが、こちらのリーブザハートです。代表者の方に話をお聞きします…。」




しかし、次の瞬間に、思わず声を上げてしまった。「leave the heart」という、ピンクとグリーンの看板を、俺は最近見たことがあった。どこで見たのかも鮮明に覚えている。ストリートビューだ。松戸駅前のビルの路面のテナント、神谷ビルに挟まれた、小さなビルだった。俺は携帯でストリートビューを起動し、もう一度確認したが、やはり俺の思った場所に、その事務所があった。




「私たちは、東京と千葉で活動しています。LGBTのコミュニティとしての役割の他、啓蒙活動や出会いの場としての役割もあります。ここを利用された皆さんが笑顔で帰っていくのがとても嬉しくて続けています。」




最悪だ。




これから地上げをかけるのがこのフェミニスト団体となるのだ。何かしらの反発はあるだろう。別に俺は、LGBTだろうがどんな人種だろうが差別はない。ただ、こういう非営利の団体は、敵に回すとまずいであろうことは容易に予想できた。俺は条件反射で綾子に電話をかけていた。




「わかりました。すぐに確認いたします。」




俺は綾子に一部始終を話すと、綾子は俺の危惧を理解したのか、すぐに行動に移ってくれた。




「それと、昨日のどうなりました?」




「すみません。まだです。」




綾子にしては珍しく、父親の動向を見ているところだった。俺は焦らなくていいから自分のタイミングで頼む、と言って電話を切った。












テレビは、いつの間にか中野のスイーツ特集に移行していた。俺はノートを開いていたが、さっきまで頭にあったいくつかのアイデアがどこかにいってしまっていた。それでもノートに、館山陽だまり中学校と書き、その体制を書き留めていった。




【代表、神谷一樹。なんらかの事情によって現在不登校である中学生が日中活動できる場所を保障する。同年代の仲間と交流したり地域の人と交流したりして社会に慣れることを目的とする。活動時間は月曜~金曜の九時から三時まで。一日の流れは…】




書き始めたら、あれもこれもと思い付いて、ノート二ページ分はすらすらと埋まった。そして、書いていて気づいたことだが、俺だけじゃなくて、この地域の人とも交流できた方がいいに決まっている。そういう人材がいれば良いのだが、例えば掲示板などで募集をかけたり、市役所で紹介してもらうなりしても、今の体制ではもて余してしまうことは目に見えていた。サナとナユが苦手意識を持ってしまえばそれまでだ。人材に関しては慎重にやった方が良い。とにかく、そんなことを考えながら、ペンを進めた。久しぶりに集中して、時間を忘れてしまった。杉本くんが帰ってきて、お茶菓子を冷蔵庫に詰めてくれた。




「冷蔵庫に入れときますよ。」




杉本くんは、アイスコーヒーをグラスに並々と注ぎ、和菓子を二つ持ってクーラーのある部屋へと消えた。磯崎さんなら絶対にそういうことはやらない。杉本くんは愛嬌があるが、悪くいえばがさつなのだ。




しばらくノートを埋めるのに没頭したら、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、既に昼になろうとしていた。杉本くんがバタバタとやって来て、訪問者の対応をした。




「千葉総合大学、事務長の林でございます。」




「教育学部教授の盛田です。」




午前中に電話をしたのにも関わらず、二人はもうやって来た。ちょうど正午になったので、ランチを食べてから話をすることにした。家を出て、坂を下ったところに、老夫婦が経営する民宿があり、四人でそこに行くことにした。












民宿の食堂は、俺たち以外は誰もいなかった。しかし、俺はそこに意外な顔を見つけた。




「先生!」




「あなた、昨日の?」




オーダーを取りに来たのは、先日小学校の校庭で会ったばかりの女の先生だった。こうして見ると、確かに三十代どころか、四十歳に近いとサナとナユが言っていたのも納得できた。陽光の下で見るよりも、確かに老けて見えたのだ。




「驚いたかな?私、ここの娘なの。」




「そうなんですか。学校は休みなんですか?」




「あ、違うの。私公務員辞めちゃって、今は時間講師なんだ。だから空いているときは家の手伝いでね。何にしますか?」




俺と杉本くんは煮魚定食、大学の二人は刺身定食を注文した。事務長からはタバコの臭いがしたのでタバコを勧めると、頭を下げながらうまそうに吸った。俺は昼食を食べながら、今までの簡単な経緯、そして昨日サナとナユと散歩をしたときのことを話した。




「はい、これサービス。」




先生が、アイスコーヒーを四つ運んできた。




「ありがとうございます!」




杉本くんが大袈裟に礼を言った。そして、デリカシーのない質問を投げかけたのだ。




「公務員辞めるなんて凄いっすね。」




ハッとして先生の顔を見たが、先生は慣れたものだった。




「結婚して辞めたのよ。今は出戻り。マンションの借金が残っちゃって、働かないといけないの。」




先生は初対面の俺たちに、自分のことを包み隠さずに話した。しかも、さっぱりしたいい顔で話すものだから、こっちも聞いていて辛くない。




「マンションのことなら、この人に言ったら安くなるかもしれないっすよ。」




そう言ったのは、また杉本くんだ。冗談のつもりなのだろうが、なぜそう後先考えずに発言するのか。俺は少しイライラしてきた。




「そうなの?あなた、何してる人なの?」




「僕は、普通の大学生です。土建関係の会社をやっていて、少し知識があるだけです。」




「学生なのに企業しているの?凄いわね。」




「親から受け継いだだけですので。もし、お困りでしたら買い取りますか?」




「本当?借金がなくなるんなら何でもします。」




先生は冗談のつもりか、笑いながらそう言った。奥から老夫婦が顔を出し、不安そうにこっちを見た。




「じゃあ、そのマンションがどこにあるのか、築何年か、教えてくれたら、僕なりに査定します。」




「うーん。どこにあるんだろ。」




先生は、笑いながら言った。




「どこにあるのかわからないの。そういう契約書にサインしちゃったから。バカなんだ私。」




俺は驚いて、箸を落としてしまった。




「そんなこと、あります?」




「前の旦那に、マンション買うなら今だからって説得されて。私は乗り気じゃなかったけど、保険代わりにもなるし税金対策にもなるからって言われて、全部旦那に任せてたから場所はわかんない。旦那とも、もう連絡も取れないし、借金だけが残っているんだよね。」




「それ、旦那を訴えたほうがいいんじゃないっすか?」




杉本くんが、今度は俺の気持ちを代弁してくれた。




「いいのいいの。学校も忙しいし、こうして働いていて返せない金額じゃないから。勉強代だと思ってるわ。」




いくらなんでも、あっさりしすぎだろう。俺は、杉本くんが、借金の額を聞いてくれるよう心の中で合図を送った。すると、案の定というか、杉本くんが「あといくらなんですか」と聞いた。




「あと二千六百万円くらいかな。」




「ちょっと待ってください。もともとはいくらだったんですか?」




「マンション?三千六百万円。退職金と貯金で払って、残りがそのくらい。」




絶句した。パッと聞いただけでも、九十九パーセント詐欺だとわかる話だ。本当に気付いていないのか、それとも事情があるのかわからないが、いくらなんでもひどい話だ。本人は、自分で払うと言っているが、むしろ今まで支払った一千万円を、即座に返金してもらっても良いくらいだろう。いや、先生なのだから、そのくらいはわかっているのかもしれないが。




俺は、積極的に動けば変に思われるかもしれないと思い、せめて連絡先を教えることにした。




「あの、うちはそこの一番上の家です。これ、僕の電話番号です。良かったら、今度うちに来ませんか?」




先生は怪訝な顔をした。




「大丈夫っす!この人は神谷建設の会長さんですよ。」




その瞬間に、奥にいた老夫婦が同時に出てきた。そして、凄い剣幕で杉本くんを罵った。




「あんた、嘘言うな。」




「神谷建設の会長さんは、昔からここに通っていて、もう亡くなりました。あんたたち、なんなのさ、さっきから。うちの娘に手を出さないでください。」




いきなり老夫婦に気圧された杉本くんは、それでも口を開こうとした。しかし、それより早く、先生が動いた。




「ちょっと!お客さんに失礼でしょ。私の問題なの。放っといてよ。」




「早苗!」




「この人たちが詐欺師に見える?フリースクール作るって話してたの聞いてなかったの?」




老夫婦は動きを止め、顔を見合わせた。俺は立ち上がり、頭を下げた。




「祖父が生前はお世話になりました。光一の孫の一樹です。娘さんのお話を伺って、同じ不動産業者として許せないことがあったものですから、つい口を挟んでしまいました。これも何かの縁だと思いますので、お話を聞かせていただけませんか?もちろんお金なんかはいりません。むしろ、今まで支払ったお金を返してもらえると思います。」




老夫婦の奥さんの方が、建物の奥へと入っていった。旦那は腕を組み、じっと俺たちを見たが、すぐに奥さんが年賀状の束を持って戻ってきて、パラパラと捲り始めた。




「ちょっと、お母さん、何だって言うのよ!お客さん、すいませんね。アイスコーヒーお代わりはいりますか?」




先生が気を効かせてそう言ってくれた。奥さんが、何かを見つけ、旦那に見せた。旦那はそれを確認すると、俺のもとへ来て、頭を九十度に下げた。




「失礼しました!お孫さんとは知りませんでした!すいませんでした。」




何度も頭を下げた。奥さんは、先生に、手に持っていた年賀状を見せた。そこには、俺と祖父母、三人で撮った写真が印刷されていた。大学に入る年、高校三年生のときの写真だ。俺は、懐かしさで胸がいっぱいになった。




「祖父なら必ず、娘さんのお力になっていたと思います。お父さん、顔をお上げください。先生、今日の夜にうちに来て下さい。証書を全部持ってきてください。必ず僕が解決します。」




祖父母も先生も、ひたすら感謝の言葉を繰り返した。俺はたまらなくなって、すぐに店を出た。杉本くんが何か言っていたが、覚えていない。俺は今、初めて、祖父の意志を継いでいるという実感が湧いていた。それはとてと熱いものだった。












すっかり時間が経ってしまったが、家に帰って改めて事務長と教授に話を聞いた。結論から言うと、フリースクールを作るのに、どんな認可も必要はなかった。看板を上げればその日からフリースクールだというわけだ。教授は、もっと色々な話をしてくれた。他のフリースクールの実践例や、学校の先生と相談しながら進めるやり方、フリースクールと学童保育の融合した施設の話、大体の費用の話などだ。俺はそれを、かなり丁寧にノートに書いた。ちょっとした講義のようだった。




「この中からやり方を考えてみます。フリースクールの宣伝は、どこにすればいいんですか?まさかテレビや雑誌じゃないですよね。見たことないですし。」




「宣伝は、まずは都道府県教育委員会です。そこから各学校にいきますので。あとは役所です。こっちは、館山の役所、南房総の役所、千葉の役所っていうふうに、地道にやっていかなければなりません。」




なるほど。教育委員会という組織はこういうときに使うものなのだ。




「開校した暁には、是非大学からもサポート体制を取らせてくださればと思います。教員も派遣しますし、ボランティアを希望する学生もいます。施設も、大学の施設は何でも使ってくださって構いません。」




事務長はそう言った。俺は、ちょっと前に十億を寄付したが、やってよかったと本気で思った。ただ、最初から人を呼んで、もしその人がサナとナユに、もしくはこれからやってくる新しい生徒に受け入れられなければ、それは悲劇だ。なので、まずは自分の力でやれるだけやってみると宣言した。ただ、盛田教授の名前だけは借りることにした。教育委員会に宣伝してもらうときには、その方が良いと思ったからだ。そのため、盛田教授とは、その後頻繁にやり取りをするようになった。いよいよ明日は、二回目の館山陽だまり中学校の授業日だった。

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