第46話 キャンディリング10

時刻は十九時、キャンディリングの保護者向け説明会が開催された。場所は元町芸能プロダクションスタジオ、普段は何もない部屋だが、大介の指示でパイプ椅子とテーブルが搬入されていた。壁面の鏡は閉じられていた。




保護者は五つの家庭からそれぞれ一人ないしは二人の参加者を見込んでいたが、主催者側も同じくらいの人数になりかねないので、正面の席に大介と綾子、保護者側から見て左手に、神谷建設の高瀬とACEの中西恵理、俺と杉本くんは保護者よりも後ろに座った。事前に相談した結果、若年の俺が出るよりも、綾子から説明した方が親の心証も良いだろうということになったためだ。俺と杉本くんは空気になることにした。




七時少し前に、保護者たちは一塊の集団で来た。母親が四人に父親が二人だった。彼らにやや遅れて、背の低い母親が一名スタジオに入ってきた。おそらく、マイの親だと推測できた。マイの親は、先にスタジオに入っていた他の親に挨拶をしたが、他の親たちの反応は薄かった。ある親は無視し、ある親は睨み付けながら返事をした。丁寧に返事をする親もいたが、そいつはすぐに別の親と話し始め、マイの母親の居場所は、はっきり言ってなかった。




綾子と大介が何か言葉を交わし、大介が立ち上がり、保護者説明会がスタートした。












全員が着席すると、大介は立ち上がって話し始めた。




「皆さん、突然来てもらってありがとうございます。今日は、当プロダクションの新社屋とキャンディリングの広告について、説明させていただきます。」




「おい、そんなことよりエロビデオに出てた奴はどうなったんだよ!」




白縁のサングラスをかけた誰かの父親が、いきなりそう言った。他の親たちも頷いたり、互いにヒソヒソと言葉を交わしたりした。マイの母親だけが下を向いた。背後から見ていても、一人ひとりがどんな表情をしているかが伝わってきた。




俺は杉本くんに「最悪ですね」と呟くと、杉本くんは「全員ぶん投げてきますか?」と返してきた。杉本くんの気持ちは嬉しかった。マイのことはかなり神経質な問題だ。それに触れなかった大介にも落ち度はあったかもしれないが、それにしても、その親を目の前にして、よくこんな態度が取れたものだ。ここにいるどの家庭の娘も、同じような経験を背負って不登校になったのではなかったのか。もう少し仲間意識のようなものがあるのかと思っていたが、彼らの娘たちを拒んだ学校とまるで同じような空間がそこにはあった。




大介が、経緯を説明した。DVDの出版会社と話をつけたこと、ネット上のツイートを削除したこと、そしてネットの通販サイトで売られていたDVDは可能な限り全て買い取ったこと。保護者は皆、押し黙ったが、納得をしたわけではないことは後ろ姿で知れた。そのタイミングで、大介は綾子を紹介した。




「オフィス神谷専務取締役の中村でございます。」




綾子は立って一礼した。初めて見る顔に、保護者たちは戸惑った。




「この度、元町芸能プロダクション様に出資をさせていただくはこびとなりました。以後、よろしくお願い申し上げます。」




パンツスーツにブラウス、髪の毛はピッタリと分けられていた。表情は穏やかそうに見えるが、底知れぬオーラのようなものも感じられた。どこから見ても、全く隙のない立ち居振舞いだった。




「私どもは、千葉県内を中心にグループを展開しております。この度、瀬川様より出資の依頼があり、弊社で協議の上、条件付きで出資を決めさせていただきました。出資の決め手となりましたのが、こちらの顔でありますキャンディリングと、彼女たちを第一に考えている瀬川様の企業理念です。私どもはオフィス栄様の自社ビルも施工いたしました関係で、先方様とも繋がりがありますが、是非ともこちらで神奈川を代表するユニットとして活躍してもらいたいと思う次第でございます。」




綾子は再び一礼して腰を下ろした。そして再び大介が話し出した。




「オフィス神谷さんには駄目元で交渉を重ねてきましたが、ようやく出資を決めていただきました。具体的には、自社ビルと広告費用を出してもらうことで合意しています。何か質問はありますか?」




綾子は保護者の方を見て、ニコッと微笑んだ。それは、俺の見たことのない営業スマイルだった。保護者たちは、しばらくは黙った。




「何もないようであれば、自社ビルの方の説明に移ります。また何かありましたらいつでも質問してください。」




大介は高瀬の方を向いた。高瀬は頷いた。立ち上がり、正面の白いボードにプロジェクターで映像を移した。最初に出てきたのは、神谷建設のCMだった。それは、だいぶ昔に撮られたもので、冴えない俳優がヘルメットをかぶり、「明日をつくる神谷建設」とカメラに向かって語るだけの粗末なものだった。今は千葉県内で限定的に放送されている。別に今更CMに頼るような企業規模でもないが、すぐにでも刷新したい内容だった。




「神谷建設営業部統括部長の高瀬と申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。」




高瀬は両膝に手がかかるくらい頭を下げた。高瀬の顔も、営業スマイルに切り替わっていた。




神谷建設は日本に数社しかない準大手ゼネコンであり、知名度は全国区である。マンションやビルの施工を主に行っているが、土木部門もあり、海外での仕事も数多く受注している。その神谷建設が、元町芸能プロダクションの自社ビルを担当するというのだ。保護者にしてみれば、これほど心が動かされる話もなかったのではなかろうか。




「私どもは、カワイ音楽ビルや、東京芸術専門学校などの施工経験があります。もちろんオフィス栄さんもです。元町芸能プロダクションビルでは、メインスタジオを地下に、三階、四階部分にコンサートホールを設置いたします。」




高瀬はiPadを操作しながら、設計図と、完成した他のビルの内装を交互に映した。険しい顔をしていた保護者たちの横顔に、この日初めて笑顔が灯った。これは勝ったと思った。




「外装は神谷建設が担当します。スタジオは……、ホールは……」




高瀬は数社の企業名を挙げた。どこも知らない会社だったが、とにかく外装は自社で、内装は下請け会社や他の企業で担当するということはわかった。




高瀬は質問を受け付けないまま席に戻った。代わりに大介が質問を受けたが、レストランはどうだとか、駐車場はどうだとか、そういう質問しか来なかった。ちなみに、マイの母親の顔も明るかった。












「他に質問はありませんか?それでは続いて、広告の説明に移ります。」




続いて、恵理が若干緊張しながら保護者たちの前に進み出た。




「株式会社ACEコミュニケーションズの中西恵理です。よろしくお願いします。」




恵理はペコッと頭を下げた。保護者たちは、僅かに顎を引いたり軽く頭を下げたり、まちまちだった。




「この度、オフィス神谷様と、キャンディリングの広告に関する一切の業務を提携いたしました。具体的なものはこれから担当者間で詰めて参りますが、最初の一ヶ月で一億円規模のものを予定しております。」




保護者たちからは、驚愕と感嘆の声が漏れた。これは、実際に契約した内容で、様子を見て次の一億円が投入されることになっている。




「仕事として規定路線なのが、神谷建設様のCMのイメージキャラクターに採用が決まっております。CMにつきましては、弊社で担当いたします。」




CMと聞いて、保護者たちは絶頂を迎えた。互いに顔を綻ばせ、まだ見ぬCMに想いを馳せた。これまでの苦労が報われた、そんな顔をしていた。俺は後ろから見ていただけだが、彼らが横を向いたときに、その表情は容易に読み取れた。




大介が質問を集ったが、最初のサングラスの父親が、どういう広告になるのかを聞いてきた。




「確実なのは、渋谷のシリンダー広告ですが、その他はヤフーやユーチューブを中心としたネット広告になると思います。ファン層がネット世代ですので。あとは新聞のカラー広告です。」




保護者たちの歓声を受けながら、大介が更に質問を受けたが、そこで終わった。再び大介に発言が回ってきた。




「ビルと広告について紹介させていただきました。ビルですが、すぐに着工して、年内には外壁が完成、来年の春には使用可能とのことです。」




保護者たちは頷いている。




「サポート体制は整いましたので、是非、うちからデビューしていただくよう、よろしくお願いします。」




大介が頭を下げると、綾子も立ち上がって深々と礼をした。保護者たちは厚待遇を喜びながらも、当惑していた。オフィス栄のオファーを受けるということでほとんど話がまとまっていたからだ。互いに顔を見合せながら、ある者は配布された資料を読み直し、ある者は携帯を取り出してなにかを調べた。マイの母親は、不安そうな面持ちで大介を見た。












しばらくして、質問が飛んだ。




「いや、これはこれでいいと思うけどさ。デビューしてからはどうすんの?あんたたち運営経験あるの?」




二人いた父親のうち、もう一人の父親がそう聞いた。他の保護者もうんうんと頷いている。大介が立ち上がって答えた。




「経営につきましては、私自信も俳優として活動していたこともありますので、そのときの経験やコネが生かせると思います。また、オフィス神谷さんも全面的に協力してくれることになっています。」




「あなたなんかテレビで見たことないんですけど。本当に俳優だったんですか?」




痩せた母親がそう言うと、「ねえ」とか、「見たことないよね」とか、保護者たちは口々に言いたいことを言った。大介の顔は一瞬曇ったが、笑顔を保ちながら「テレビも出たことありますよ。」と言った。内心とは別の顔もできるのだと思った。




その発言をきっかけに、場は乱れた。保護者たちが言いたいことを言い始めたのだ。大介のこと、マイのこと、オフィス栄との比較、最後には、俺と杉本くんのことにまで言及された。




「大体、この場に関係ない人がいるのはなんでですか?あの人たちはなんなんですか?」




さっきの痩せた母親がそう言うと、全員が振り替えって俺を見た。俺は既に我慢の限界だったが、その質問に答えようと「自己紹介が遅れましたが……」と言おうとして立ち上がると、痩せた母親は俺の発言に被せて「別にどうでもいいけど。」と言い、笑いを誘った。他の保護者も笑った。そしてまた前を見た。




綾子も高瀬も俺を見た。俺は怒鳴り散らそうかという気持ちになったが、大介の心情を察して耐えた。大介はまだ笑っていた。あんなに正直な人間が、あんなに感情を抑えねばならないなんて、どれほどのストレスがかかっているかわからない。そう考えると、俺の怒りなどどうでもよくなった。痩せた母親が更に毒づいた。




「結局あなたたちは素人じゃないですか。そんなんでちゃんとやっていけるんですか?」




すると、今度は綾子が立ち上がった。表情は穏やかだった。微かに笑みも浮かべていた。




「私どもは業界には素人ですが、むしろスポンサーの方との繋がりがあります。また、オフィス栄と業務提携を行うことも視野に入れておりますし、広告費についても更に用意があります。オフィス栄に所属しているアーティストは百組を越えます。彼ら一人ひとりに常に莫大な広告費をかけられるかというと、そんなことはできませんが、私どもはキャンディリングを常にナンバーワンとして扱います。」




綾子は穏やかな顔で、そうすっきりと説明した。




「移籍の話を蹴ってオフィス栄と業務提携ができるの?」




サングラスの父親が聞いた。訝しげな顔を見せていた。




「元町芸能プロダクション様に出資したのと同様の額を、オフィス栄様にも出資する予定です。これにより、株式の一パーセントを保有することになります。」




この日何度目かわからないが、再び保護者席がざわついた。段々とこちらの話を理解し始めている様子だった。こんな破格の条件など他ではないはずだし、無理もないことだったが。けちをつけていた痩せた母親も、さすがに黙った。大介が再度保護者たちに呼び掛けると、しばらく誰もが無言になった。












「いや、話はわかりました。かなりいい条件だってことですよね?」




最初に口を開いたのは、サングラスの父親だった。彼は大介のみならず、周りの保護者たちにも問いかけた。周りの保護者たちは皆頷いた。条件面では申し分ないはずだった。なぜならこちら側が一方的に金を出しているからだ。残された問題は、一つしかなかった。




「でも、最初にも言わしてもらったんだけど、マイちゃんの問題はどうすんの?まさか、ツイッターを消してそれで終わったと思ってないでしょうね?あんなもん、いくらでも湧いてきますよ。」




大介が何か言おうとしたが、それを綾子が止めた。おそらく、さっき言ったことを繰り返そうとしたのだろうが、今はそれは効果的ではない。マイのことに関しては、綾子と事前に打ち合わせていたため、俺に確認するまでもなく、綾子はサングラスの父親にこう返答した。




「出資に関しては、キャンディリングが必ず五名でデビューすることを条件としております。既にインターネットを中心に、キャンディリングの知名度は相当なものです。メジャーデビューに当たって一人消えたとなれば、その理由は必ず探られ、知れ渡ります。不登校を経験し、同い年の少女たちから絶大な支持を受けるキャンディリングにあって、仲間を切る行為はあってはならないと考えます。マイさんを切るのであれば、このお話は白紙です。」




綾子は相変わらず笑みを浮かべながら話した。ついにこのとき、綾子が保護者に対して条件を突きつけた。マウントを取ったのだ。破格の条件に心が傾いていた保護者たちは、いつの間にか胸元に銃口を突きつけられていたような気分になったに違いない。マイの母親を除いては。




マイの母親は、ひたすら一歩引いた場所から成り行きを見守っているという感じだった。それがここにきて、否応なしに場の中心になった。もっとも、マイの母親は最後まで発言することはなかったが。




「もちろん、マイさんに対する嫌がらせや脅迫、過去の傷を抉ろうとするような攻撃に対しては、必ず私どもで対応いたします。決して、そのことが原因で損害を被るようなことにはいたしませんことをお約束いたします。」












保護者説明会は、結論を先送りにして閉めた。保護者たちは、話し合って結論を出したいとのことだったので、望むようにさせた。ただし、期限は一週間で、決まった家庭から同意書を提出すること、一週間以内に返答がない場合は、元町プロからアプローチさせてもらうこと、本人たちのレッスンは変わらず続けること、などが確認された。












時刻は九時を過ぎていた。俺たちは軽く食事をしがてら、酒を呑むことにした。杉本くんは運転があったが、代行を頼むことにしてみんなで飲んだ。ACEの中西恵理も参加した。




大介が保護者からきついことを言われた話や、杉本くんが怒った話、高瀬のプレゼン能力の高さについてなど、とにかく話題は尽きなかった。皆、腹の底から笑っていた。恵理は綾子をしきりに誉めていた。「綾子さんみたいな人、憧れます」と言われ、さすがの綾子もゆるゆるの顔になった。それが妙に艶かしかった。最後に、大介が感謝を述べた。皆、温かく聞いていた。




キャンディリングの可能性は無限大だが、ゼロかもしれない。本人たちの実力以外の、運やタイミング、様々な要素が重なり合い、嫉妬やプレッシャーが彼女たちを押し潰すかもしれない。あるいはスキャンダルか。おそらく、そういうものを乗り越えた先にこそ、彼女たちのゴールはあるはずだ。彼女たちをサポートする大介の役割はでかい。不器用だが真面目、大雑把で情に脆い。俺はそんな大介が好きだ。この出資は大赤字かもしれないが、大介とキャンディリングにはそんなこと気にせず頑張ってもらいたい。そんなことを考えながら千葉に戻ってきた。




代行車は、はじめに高瀬を降ろし、綾子を降ろして最後に俺のアパートに着いた。俺はそのまま杉本くんを帰した。杉本くんは半分眠っていたが、代行の運転手に家の住所を正確に告げていた。一人になった俺は綾子に電話をかけ、アパートに来てもらった。綾子は酒のせいか、既に頬が上気していた。ソファーで並んで酒を飲んだが、酔いも回り、俺は綾子の腰に手を回してキスをした。綾子は目を閉じてそれに応えた。そのキスがきっかけとなり、俺は綾子の服を脱がしてソファーに押し倒したが、全く勃たなかった。酒を飲むといつもこうだと謝ると、綾子は優しく微笑みながら、俺を抱いて頭を撫でてくれた。綾子の胸に顔を埋めながら、俺はいつの間にか眠ってしまい、気がついたら一人でソファーに仰向けになっていて、綾子が一人で風呂に入っていた。俺は綾子のいる風呂に入っていき、綾子と一緒に湯船に浸かっているうちに痛いほど勃ってきたので、風呂を出てそのまま身体を重ねた。そして俺の腕枕て一緒に寝た。いい夜だった。

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