第34話 ヤクザ9
「中原さん、俺、昼頃にバイトあるんですけど、それが終わったら警察と打ち合わせをしたいんです。」
「どういう打ち合わせですか?」
「違法ヤード撲滅のための打ち合わせです。警察と県議会議員、それに北房運輸の代表の人を呼んでくれますか?場所はどこでもいいです。」
「かしこまりました。では、幕張のアパホテルはいかがでしょうか。部屋を準備します。」
北房運輸は、祖父の作った会社だ。県内で、ヤクザを辞めた人間を積極的に受け入れている。天神会、源藤会、白川組、どの組織の人間もいる。この会社がある限り、千葉のヤクザたちはうちには手出しができない。
俺は北房に協力してもらって、違法ヤード撲滅のための作戦を頭に思い描いていた。うまくいくかどうかはわからないけど、何かが変わるはずだ。
朝、アパートに戻り、時間ギリギリまで寝て、起きてシャワーを浴びて、俺は花房に向かった。今日はユウナは家にいるはずだ。一応不安なので、家から出ないようにラインを入れておいた。「ムリしないでね。大好きだよ。」と返ってきた。付き合ってみてわかったが、ユウナはやること全てが可愛い。そこら辺の美少女アニメの何倍も。だからこそ、違法ヤードの連中は、決して許せない。彼らが蔓延れば、安心して外を歩かせられない。
俺は警備員の車で花房まで送ってもらった。昨日とは人員が変わっていて、元自衛隊の教官ではなく、冴えない感じのするおじさんだった。日体大卒の柔道家が、「昨日は凄かったっすね。あの指どうしたんですか?」と聞いてきた。俺は忘れていたものを思い出した。指は、タオルでくるんでドレッサーの前に置きっぱなしなのだ。なんとか処理しなければ、こちらも平穏な生活は望めそうになかった。
花房に着いたのは十時半だった。ハナさんに礼を言ってエプロンを巻き、店に出た。日曜の昼間はさすがに忙しかった。ハナさんは調理の全てをやり、俺はホールを全て回った。今日のランチセットはカツカレーと玉葱のスープだったが、飛ぶように売れた。日曜のランチは人気なのだ。ハナさんはとにかくカツを揚げた。暑い店内の特に暑いカウンター内だ。ぶっ倒れないか心配になるくらい立ち続けていた。五席のカウンターは常に埋まった。三つのテーブル席も、昼を跨いで三回転した。
「さすがに今日は多いわ。」
客の注文が一区切りしたところで、ハナさんが、カウンター内の椅子に腰を降ろした。
「私も年ね。しばらく立てないわ。」
「こんなに暑いんだから熱中症かもしれませんよ。」
「そうね。」
ハナさんの表情は冴えない。
「ハナさん、病院に行きますか?」
「私は大丈夫よ。そんな年じゃないもの。」
「年齢じゃないんです。熱中症は子どもでも大人でもなるんです。ハナさん、病院に行かなくても、奥で休んだらどうですか?」
「大丈夫よ。神谷くんこそもう上がってもいいわよ。彼女のところに行ってあげなさいな。」
そうしてハナさんはしばらく座っていたが、いざ立ち上がって数歩進んだところで物に躓いて転んでしまった。店内の客が一斉にハナさんを見た。
「ハナさん、大丈夫か?」
ハナさんは起き上がれなかった。右手を押さえながら顔をしかめている。俺はハナさんを抱えて身体を起こした。店にいた中年の女性が、熱を看たり話しかけたりしたが、ついにハナさんは意識を失ってしまった。
「あなた、救急車呼びましょう。」
俺は言われるまでもなく携帯を出そうとしたが、ハナさんを抱えているのですぐに出せなかった。すると、
「俺に任せろ。」
よく来るタクシー運転手が、代わりに電話をしてくれた。
程なくして救急車が到着し、俺が付き添うことになったため、店を閉めることにした。
「お代は結構です!」
俺はそう言ったが、客たちはしっかり払うと言った。それで、俺は急遽、車で待機していた柔道家に店の最後を任せることにした。昨日から連勤の柔道家には酷な話だが、寝不足で救急車のあとを続いて運転させるわけにもいかなかった。
救急車に乗りながら時間を見た。二時を過ぎたところだ。救急車は海浜病院に向かった。俺が症状を話すと、ハナさんには点滴の管が刺され、腕には血圧の機械が巻かれ、鼻に酸素注入のための管がつけられた。右手は腫れ上がっていたため、アイスが当てられた。俺は入院していたときの心細さを思い出した。今は俺が付き添うしかない。今日の会議はかなり遅い時間になると判断せざるを得なかった。
病院に着いてストレッチャーに乗り換えたところで、ハナさんは目を覚ました。
「神谷くん、ありがとうね。」
ハナさんは俺の顔を見て泣いた。そして顔をしかめた。
「右手、痛みますか?」
ドクターが聞くと、ハナさんは泣きながら頷いた。ハナさんはそのままレントゲン室に運ばれたので、俺は中原さんに電話をかけた。
「坊っちゃん、我々は大丈夫です。何時になろうがお待ちしております。ただ、坊っちゃんの体調の方が心配です。今日はやめて明日改めませんか?」
「いや、今日中じゃないとダメなんです。夜遅くなるんですけど必ず行きます。」
それだけ言って電話を切り、レントゲンが終わるのを待った。
結論から言うと、ハナさんの右手は骨折していた。そのため、青葉病院に搬送され、そこで入院することになった。少し嘔吐が見られ、体調も万全ではなかったため、俺はしばらく付き添うことにした。
病室に入ると既に夕方だった。俺はハナさんのベッドの脇に座り、何かできることがないか聞いた。
「神谷くん、お願いがあるの。」
「なんですか?」
「お店、開けてほしいの。」
「俺がですか?」
「ええ。あなたのできる範囲でいいわ。昼だけとか、コーヒーだけとか。私ね、この十年間は一度も休んだことがないの。」
「息子さんのためですか?」
「ええ。私のわがまま、聞いてくれるかしら。」
ハナさんに打算があるのかわからないが、俺は断れなかった。祖母のこともあり、ハナさんのわがままを聞いてあげたいという気持ちでいっぱいだった。ただ、俺の抱えていることが増えてきて、しっかり回せるかが不安になった。パンクするんじゃないかということだ。
そこまで考えて、ふと妙案が浮かんだ。
「ハナさん、俺以外の人に手伝ってもらっても構わないですか?」
「もちろんよ。あなたを信頼しているわ。」
ハナさんの入院は、一週間程度になるだろうと、医師から言われたばかりだ。まず次の水曜日には間に合わない。でも、やはり水曜日は店を開けた方がいい。俺は料理研究会に仕事を依頼することにした。
「ハナさん、任せてください。ハナさんが戻るまで必ず店を開けておきます。」
「神谷くん、ありがとう。」
ハナさんは再び涙を流した。
「家から持ってくるものとかあったら、持ってきますよ。」
「さすがにそれはお願いできないわ。」
ハナさんは俺の提案を断った。だが、入院生活で必要なものはかなりある。歯ブラシなどは買えばいいが、下着やタオルも全て買うわけにはいくまい。
「ハナさん、誰か来てくれる人はいますか?」
ハナさんは静かに首を振った。
「じゃあ、僕の知り合いで信頼できる人がいるんですけど、今から来てもらいませんか。女性の介護士です。僕よりも話はわかるはずです。」
「そんな、迷惑だわ。神谷くん。」
「ハナさん、今だけです。僕だって入院したときはハナさんに迷惑をかけました。そのお返しと思ってください。お願いしますハナさん。」
ハナさんはなんとも言えない表情をしたが、少し考えたあと、「じゃあ、お願いしようかしら。」と、弱々しく言った。俺は一旦病室を出て、田嶋さんに電話をした。田嶋さんは、グループホーム神谷で、祖母の担当をしているベテラン介護士だ。俺は心から信頼している。事情を話すと、田嶋さんはすぐに行くと言ってくれた。助かった。
病院についてきてくれた警備員は、病室の外で待機していた。既に柔道家の警備員によって店の鍵が届いていた。俺は礼を言ってそれを受け取った。
夕食の時間になったので、売店に行ってスプーンやフォークのセットと、ティッシュの箱、歯ブラシ、カップを買ってきた。ハナさんは恐縮した。俺が食べさせるか、と提案すると、それは断られた。なんだか、俺がいることで却ってハナさんを疲れさせているんじゃないかという気がしてきた。でも、俺しかいないので、半分意地になってベッドサイドに居座った。
夕食が終わり、面会終了の時間が近づいた頃、田嶋さんが到着した。
「具合どうですか?大変だったでしょう。なんでも言ってくださいね。」
挨拶もせずに、田嶋さんは紙袋からタオルや肌着、毛布、細々とした生活用品を出して棚に並べた。
「うちの施設から持ってきたものだから気になさらないでね。坊っちゃん、あとは大丈夫ですよ。疲れたでしょう。」
田嶋さんはハナさんの背中をさすりながら、お茶を飲ませた。
俺は面会時間ギリギリまでいようと思ったが、田島さんに追い出されてしまった。嫌な追い出され方ではなかった。むしろ気が楽になった。
田嶋さんに来てもらって本当に良かった。
田嶋さんの背中に感謝しつつ、俺は病院をあとにした。
警備員に幕張まで送ってもらった。その間、俺はユウナとラインをしていた。ユウナに、今日あったことと、俺が考えていること、すなわち料理研究会で店を回すことを伝えると、それには反対された。適当なことはできないというのが理由だったが、この間のホームパーティーのようになるのが嫌なのではないかという気がした。
もしそうだとしたら、これ以上押すのは可哀想だ。俺はこの話をやめて、明日も家にいるように言うと、いつまでいればいいのかと聞かれた。正直、全ての厄介事が片付くまで、ユウナを危険にさらすことはしたくはなかった。そして、それはこのあとの会議次第だ。また連絡する、と言って、俺はラインを終えた。
幕張のアパホテルに着いたのは、九時を過ぎていた。四十五階のインペリアルスイートに通された。俺が部屋に入ると、すでに全員が揃っていた。皆、立ち上がり、俺に挨拶をした。
神谷一樹 神谷グループ会長
中原幹郎 神谷グループ顧問弁護士 神谷弁護士会計士事務所代表
黒田 隆 千葉県警察本部刑事部
中川 悟 千葉県警察本部組織犯罪対策本部国際捜査課
加藤祥平 千葉県議会議員
丸山孝雄 北房運輸社長
「遅くなって本当にすいませんでした。」
俺は立ち止まり、気を付けの姿勢から腰を九十度曲げた。そしてすぐに席に座り、話を始めた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。こんな時間に本当にすいません。事情は聞いていますか?」
「今、報告しました。大がかりな動きになりそうですね。」
黒田が言った。
「はい。結論から言うと、メンドーサが言ってたヤードですが、これを潰すために市民運動のようなものができないかと考えているんです。」
「市民運動ですか?」
「そうです。」
一同は押し黙った。俺の意図を図りかねているようだ。
「メンドーサは、県に正式に届けを出しているヤードなので、ヤクザも警察も手出しができないといっていました。」
黒田と一緒に座っていた、国際捜査課の中川が頷いた。
「たとえ盗品を扱っていようと、知らなかったと言われればそれまでです。我々もヤードの動きを押さえてはいますが、手出しはできないというのが現状です。」
「そこで、北房の力を借りれないかと思うんです。」
俺は北房社長の丸山を見た。祖父が、数多のヤクザの中で最も信頼を置いた人物だった。
「北房運輸の丸山です。」
丸山は立ち上がり、一同に礼をした。柔和な顔を見せた。
「うちの力を借りるとは、どういうことですか?」
「はい。僕が考えたのは、デモをするということなんです。」
「デモですか」
皆、神妙な顔をした。
「沖縄とかでやってますよね。座り込みの。あれをやるんです。」
「うちがですか?」
「そうです。」
丸山は、理解が追い付かない、といった表情を見せた。俺は具体的な条件をいくつか提示した。
「まず、日給を出します。一人二万円ってとこだと思いますが。これは僕から出します。それで、要するにヤードの真ん前に陣取って、不法ヤード撲滅のデモをするんです。マスコミを呼んで、国会議員も呼びましょう。広く国内にこの問題を発信するんです。」
国際捜査課の中川の顔つきが変わってきた。
「坊っちゃん、うちの職員を日給二万円で雇うってことですよね。人数によっては仕事が回らなくなります。」
「できる範囲で結構です。人数については、五人くらいいればと思いますが。」
「五人!?」
黒田が拍子抜けな声を出した。
「五人は、いくらなんでも少ないんじゃないか?」
県議会議員の加藤さんも意見を出した。
「丸山さん、五人出せますか?」
「そのくらいでしたら出せますが、さすがにもっといけますよ。土日なら五十人はいけますよ。会長、やるからには五人じゃ少ないですよ。そういうことでしたら、うちは毎日十人は出します。約束します。」
「いや、十人いても何にもならないですよ。だって、そのヤードは三ヶ所あるんですよ。それ以外にも違法な取り引きをしているところがありますし。」
黒田はまだ納得していない顔をしている。加藤さんも腕を組んでいる。
「十人なら十人のほうがもちろんいいです。僕の考えでは、この十人は最後まで戦い抜く十人です。」
みんなが俺を見た。
「この作戦は、結構長引くと思うんです。二、三年かかるかもしれないです。利権が発生していますから、奴らも簡単には手を引かないでしょう。そこで戦うために、例えばインターネットで活動を報告したり、デモ隊をバスで運んだり、食べ物を運んだりする人が必要だと思うんです。一番はインターネットかな。ツイッターとか掲示板でコツコツ発信していくんです。この十人はそういう十人です。」
「なるほど。そうであれば、十人いれば十分ですな。」
中原さんは頷いた。
「ですが坊っちゃん、肝心のデモ隊はどこにいるんですか?」
「活動の広まり次第では自然発生的に集まってくれることもあると思います。ですが、最初はそれなりに集めなければなりません。僕には一つだけ心当たりがあるんです。黒田さんは反対するかもしれませんが、」
「ヤクザですか?」
黒田は渋い顔をしながら答えた。
「そうです。」
「坊っちゃん、彼らに資金提供するのは極力……」
「いや警察さん、元ヤクザが現ヤクザを仕切って活動を展開する、これは可能なことだと思いますよ。」
丸山がそう言い切った。
「ヤクザを辞めるきっかけになるかもしれない。そういうことでしたら、私は全てを投げ出してでも協力します。警察はヤクザを辞めた後の面倒までは見てくれない。自分たちでやるしかないんですから。」
丸山の目は、真っ直ぐだった。誰も何も言えなかった。加藤さんが、
「じゃあ、まあ、ヤクザが三十人くらいは来るとして、それでもやっぱり少ないな。それにマスコミが来て、デモ隊がみんなヤクザだったらどっちが悪者かわかんなくなるよ。」
と言った。もっともだった。
「警察からは出せないんですか?」
「坊っちゃん、それは無理ですよ。公務がありますし。団体行為は禁止されています。」
「坊っちゃん、人材派遣会社はどうですか?日給二万円で送迎もつくなら、簡単に集まるでしょう。」
「いいですね。そっちの手配も含めて北房さんにお願いしたいんです。経理できる人いますか?」
「経理はうちから出しましょう。」
中原さんが提案した。本物の会計士が来てくれるのであれば心強い。すると、加藤さんが画期的な提案をした。
「例えば、ニートの若者、いますよね、そういう人にも声をかけたらいいんじゃない?ニート連絡会のようなものってなかったかな?」
「あると思いますよ。サポートセンターたったかな。美浜区役所にそんなのありませんでしたっけ?」
「ありましたね。そっちにも声をかけますか。デモやって一日二万円ですからね。食いつきますよ。」
警察の二人がそれに答えた。だいぶ現実的になってきた。
「大体ですけど、ヤクザ三十人、派遣会社五十人、ニート二十人、とりあえず、最初の一ヶ月の目標は、一日百人です。」
「月六千万円ですか。バカになりませんぞ。」
「僕の考えでは、一年間金を出し続けても元は取れるはずなんです。」
「え!」
誰もが俺の顔を見た。
「まあ、それは後の話なんで。それより嫌なのが、人権団体とかがいちゃもんをつけてくるようなことです。外国人排斥だとか、ヤクザは活動するなとか。先生どうですか?」
俺は県議会議員の加藤さんの顔を見た。
「それは大丈夫でしょう。日本人のヤードも標的にすればいいんですよ。」
「なるほど。じゃあ、ダミーのヤードを作りましょう。そこの運営は、貧乏くじを引いた星田組にやってもらいます。」
話がかなり形になってきた。その後、法的な部分も含めた細かいところまで打ち合わせをし、気づいたら十二時を回っていた。最後に、国際捜査課の中川から挨拶があった。
「ヤードの取り締まりは我々の積み残した課題です。皆さん、本当にありがとうございます。情報提供の部分では、我々も協力いたしますので。」
中川が頭を下げたので、俺たちも頭を下げた。それが終わりの挨拶のようになり、その場はそこで解散した。
「中原さん、色々やってもらってすいません。」
「いえ。坊っちゃん。正直に申し上げますと、先代の会長と仕事をしたときよりも楽しんでいますな。」
中原さんは珍しく笑った。俺は小躍りしたい気分になった。
しかし、レクサスの助手席で携帯を見た瞬間に、そんな気分も一気に覚めた。ユウナから、別れようとラインが来ていたのだ。
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