第33話 ヤクザ8
ミーティングが終わったあと、ほとんどの親分が俺に挨拶に来た。見たことのある顔もあった。俺は極力全員の名前を覚えるように努めた。
一番最後に岡本が来て俺に懇願した。
「坊っちゃん、佐伯はこっちに回してくれるんですよね?」
「それはダメです。警察と、しかるべき対応を取ります。」
「寝ぼけたこと言うてまんなや。チャカで撃たれたんやで!」
「気持ちはわかりますけど、やっぱりダメです。ただでさえ警察には、覚醒剤のことに目を瞑ってもらっているのに。それに、岡本さんは俺に借りがあるはずですよね。それでチャラですよ。」
岡本はカッと目を見開いた。眉間に皺が寄り、拳を固く握りしめた。
「せやかて、こっちが先に身柄押さえたら、多少不備があってもかまへんのやろ?」
それは頷くしかなかった。とにかくまずは佐伯と犯人の行方を探すことが最優先だ。なんとか岡本に納得してもらい、その場を解散した。
広い家に俺と中原さん、それに警察関係者が残った。
「坊っちゃん、暴力団への資金提供は極力やめていただきたいんですけど。」
黒田さんが言った。すると、中原さんがそれに反論した。
「お言葉ですが黒田さん、警察の皆さん、我々が本当に資金提供をやめたら、この辺り一帯は犯罪者の巣窟になります。うちからどれだけ仕事が回ってるか、それでどれだけ治安が保たれているかお分かりですか?我々は、本来ない仕事を捻出しているのですぞ。」
黒田さんを初め、県警の職員は皆、下を向いた。
「すいません皆さん。こんなのは今回だけにします。とにかく、まずは見せしめが必要なんです。こっちの予想通りに外人が犯人だった場合、ここいらで好き勝手にはできない、っていう不文律を作りたいんです。だから犯人はなるべく早く見つかった方がいいです。早ければ早いほど、こっちの力が本物だということになります。警察も協力してくれますか?」
「もちろんです。お任せください。」
「警視庁の皆さん、今日は遠いところありがとうございました。」
警視庁職員は固い表情を崩さぬまま黙礼した。
「うちとヤクザは繋がりがありますが、彼らはこの土地の守り神なんです。光と闇は表裏一体で、どんな街にも必ず闇の部分ができますよね。この街のヤクザは闇の部分を取り仕切っているんです。闇を、これ以上深い闇にしないように歯止めをかけているんです。だから本物の無法者はこの街では生きていけない、いや生かしておいてはいけないんです。」
俺は警察の顔を見ながら話した。説教臭くなったが、これは半分は祖父からの受け売りだ。警視庁の職員は顔色を変えずに俺の話を聞いた。言いたいことがあるのか、納得したのか、そういう心のうちがわからなかった。こういう、感情を抑えられる人たちはエリートだ。
黒田さんは納得していない。それは目でわかった。実際、俺の発言が自分たちの仕事を否定している、と取られても仕方ない。ただ、そういうわかりやすい人の方が絶対に付き合いやすい。
警察が引き上げたあと、俺は中原さんに聞いた。
「何日くらいかかると思いますか?」
「いや、むしろあと何時間で見つかるか、といったところでしょう。県内にいるのであれば逃げ場はありません。」
それは早すぎるんじゃないのかとも思ったが、本当にそうであればヤクザの底力は物凄い。
俺と中原さんは、中原さんの運転するレクサスに乗った。すぐ後から警備会社の車が着いてきた。
俺の実家には、中原さんの事務所の人間が常駐してくれることになった。明かりのついている実家を見るのは久しぶりで、デジャブのような不思議な感覚がした。
アパートの前で車を降りて、一旦俺の部屋に落ち着いた。警備員二名も部屋に招き入れた。中原さんが簡単な夜食を作ると言ってくれたので、ヒロコと買ってきた牛肉の余りを冷凍庫から出した。まだだいぶあった。
「焼いてタレ付けて食べませんか?」
「これは凄いですね。」
塊だったが、そのままピーラーを入れた。さすがに硬かったが、五分ほど刃を立てているうちに、自然解凍されたのか、薄切りが捗るようになった。俺は塊をほぼ全て薄切りにした。中くらいのボール一つが丸ごと肉で埋まった。
「中原さん、お願いします!」
中原さんは牛肉の半分を牛皿風に味付けし、もう半分は野菜と一緒にオイスターソースで焼いた。巨大な牛肉料理がテーブルに運ばれた。俺は炊き上がったご飯を丼に盛り付けた。警備員も入れて、男だけの食事をした。
「こんなうまいの食べたことないっす。」
警備員の一人は、日体大で柔道をやっていたという。かなり大柄だが、お調子者のいい人だった。もう一人はベテランで、すでに退職したが自衛隊で格闘訓練の教官をしていたと言った。
「ナイフを持った人がいたら、どうやって対処するんですか?」
俺がそう質問すると、
「逃げるのが一番いいです。」
と言っていた。合理的だな、と思った。
夕食を食べ終え、俺と中原さんは居間にいて、警備員たちは外で待機した。中に居たらどうかと言ったが、仕事だからと固持された。
アパートの外では、夜が動き出していた。ヤクザの事務所は県内の主だった街には必ずある。そこから繋がりのある会社や事業所、ホテルやネットカフェ、ゲーセン、飲み屋街、あらゆる場所に情報が流れる。グリーンの長袖ジャンパーでスクーターに乗っている、外人風の男、これだけでかなり特定されそうだ。
今回はそれに加えて警察も動く。どのくらいの規模なのかはわからないが、発砲事件の犯人とあっては、大規模なものだろう。さらに、刑事部にしてみれば、ヤクザに金が流れるのは歓迎されることではないため、全力で探すのではないか。本当に、見つかるのは時間の問題なのかもしれない。
そして深夜にならない時間に、最初の連絡があった。
「坊っちゃん、木更津です。該当する男が見つかりました。」
俺は一気に眠気が覚めた。
「連絡は白川組です。このまま身柄を押さえると言っています。」
「そいつが犯人だってのは確かなんですか?」
中原さんは電話口で、俺が言ったことをそのまま伝えた。
「木更津東を降りたところに白川組の産廃施設があるそうですが、そこのブローカーに、外国籍の男からスクーターを処分してもらいたいとの依頼があったそうです。金曜のことだそうです。」
金曜は、岡本の襲撃があった。その日にスクーターを非合法で処分するとは、当たりの可能性が限りなく高い。俺は時計を見た。24時少し前だった。
「わかりました。押さえたら、あとは警察を向かわせるので、引き渡すように言ってください。金は必ず渡すと。」
「わかりました。」
「なるべく無傷で。」
「わかりました。」
中原さんは、的確に指示を出して電話を切った。これは当たりだろう。全国ニュースでも、この事件のことはやっていた。広範囲の捜索体制が敷かれた状況下で、さすがに足のつくスクーターは処分しようとした、ということで間違いなさそうだ。当たりであれば、現地に行った方がいい。
「中原さん、行けますか?」
「もちろんです。」
「運転は警備会社の人にお願いしますか。」
警備員は快く了承した。俺たちは木更津に出発した。今の時間なら飛ばせば三、四十分もあれば着くだろう。
途中で中原さんの携帯に連絡が入った。
「坊っちゃん、身柄を押さえたそうです。」
「わかりました。黒田さんに連絡しましょう。」
県警の黒田に電話をし、指定された住所へ向かった。
木更津東インターで降りて、しばらく行くと一台の車が停まっていた。中原さんが降りて確認に行くと、どうやら迎えの車で間違いなかった。俺たちはその車に続いて山に入った。かなり深い森が続いた。夜だからそう見えたのかもしれない。案内なしではもう来れないと思った。
すぐに、産廃施設とおぼしき場所に着いた。プレハブの中では、白川組の屈強な男たちに取り囲まれた外人が立っていた。外人は、緑の長袖ジャンパーを着ていた。両腕の手首を食い込むくらいの結束バンドで拘束され、直立不動で立たされていた。
「ご苦労様です。」
俺が入ると、ヤクザたちは立ち上がり、俺に挨拶をした。俺が一礼すると、先ほどの会合に来ていた組長が俺の前に来た。瀬川と言ったはずだ。高齢だが、背筋が曲がっていなくて、彫りの深い端整な顔立ちをしていた。
「会長、こいつで間違いないと思います。聞いてみますか?」
「はい。お願いします。」
「おい。」
瀬川組長は、部下に合図をした。部下の一人が出刃包丁を持ってきて、事務机に突き刺した。アルミの灰皿が落ちて中身が散らばった。正確には、机にあるまな板のようなものに出刃を突き立てていた。それが何の目的でそこにあるのか、想像もしたくなかった。
外人は俺を見た。その目は、すでに涙に濡れていた。何かを呟いていたが、聞き取れなかった。
「おう、全部話せや。」
ヤクザに凄まれて外人は辿々しい日本語で話し始めた。
「違うんです。私、頼まれました。リュウに。許してください。フィリピンで妻が待ってるんです。」
「おまえがやったことを話せ。」
「私、命令された。ピストルで組長の車撃った。あと、家に強盗に入った。アパートにも強盗に入った。アパートは失敗した。それだけね。誰も殺してないです!脅せと言われただけ。」
「リュウっていうのは誰だ。」
「リュウは中国人。ヤードで仕事してる。リュウたちのヤードにスクーター持っていった。ダメと言われた。だからブローカーに聞いて、ここ紹介された。」
「ヤードの場所教えろ。」
外人はヤードの場所を口頭で説明したが、要領を得なかったので、ヤクザの一人が見せた地図に場所を書かせた。
「おまえはリュウとどうやって知り合った?」
「私、日本に来るとき、中国のブローカーにお願いした。リュウはそのとき知り合った。リュウは盗んだもの買い取ってくれる。バイク、車、なんでも。」
聞き取りをしていたヤクザは俺と瀬川組長の方を見た。瀬川組長が質問した。
「佐伯はどこにいる?」
「知らない。」
外人が知らない、と言った瞬間、ヤクザは出刃を抜き取り、外人に迫った。
「知らない!本当!」
ヤクザが胸ぐらを掴むと、泣きながら目を閉じて「Please help me, Lord」と言った。俺は咄嗟に、「Do you want saved?」と聞くと、こっちを見て頷いた。この英語のやり取りはあまり意味のないものだったが、外人の方が勘違いして色々と話してくれるようになったと思う。せっかくだから俺は質問してみた。
「名前は?」
「私はメンドーサです。」
「いつ日本に来たんですか?」
「五年前」
「普段は何の仕事をしてるんですか?」
「仕事は解体現場です。」
「盗んだ物はリュウの他にはどこに持っていくんですか?あと、あなたと同じく、物を盗む専門の人はいますか?」
「それは、」
メンドーサが答えに詰まると、さっきまで尋問していたヤクザが出刃包丁を振り上げた。
「言います!」
メンドーサはブローカーの名前と、盗品を専門に買い取るヤードを三つ、そしてフィリピン人と思われる二人の名前と、住所を言った。中原さんはそれを細かくメモした。
「そんなヤードが、なんで警察には捕まらないんですか?」
「盗んだの、知らないって言えば、日本の警察は捕まえられないです。」
「そんなことしていたら、ヤクザが黙っていないんじゃないですか?」
「昔はそう。今はヤクザは何もできない。ヤードはちゃんと県に登録してるから。」
「なんだとこの野郎!」
一人の若いヤクザがメンドーサに殴りかかった。俺が止める間もなく、メンドーサは丸太のような腕に殴られて吹っ飛んだ。後ろのスチール棚にぶつかり、派手な音を出して尻餅をついた。口から血が垂れた。
「ちょっと待ってください。」
俺はメンドーサの前に歩み出た。
「瀬川さん、確認します。大事なことです。白川組は盗難には関わっていますか?」
俺は組長に聞いた。
「会長、うちは昔からこの辺の守り役です。博打や麻薬はやった。地上げも借金の取り立ても確かにやった。でも一般人に迷惑はかけねえ!こんな奴らと一緒にしないでくだせえ!」
組長は突然、出刃包丁を手に取ると、凄い力で机に突き立てた。そして一気に刃を下ろし、机の上に一瞬で血の海を作った。小指を切り落としたのだと容易に想像ができた。
ヤクザたちが両脇から瀬川組長を支えた。俺は正気を保つことはできたが、内心では震えた。瀬川は血の海から何かを拾ったが、最悪なことに骨は断たれたが、小指はまだくっついていた。瀬川は躊躇うことなく出刃を振り下ろした。ゴン、と鈍い音がした。指が完全に千切れる瞬間を俺は見た。瀬川は、その小指を俺の目の前に差し出した。
「会長、どうぞ」
受け取るしかなかった。ヤクザ達が俺を睨んだ。視線が痛いと、初めて感じた。俺は覚悟を決め、瀬川の血だらけの小指を受け取った。
「瀬川さん、わかりました。確かに受け取りました。メンドーサさん、日本人が一番嫌うのは何かわかります?」
メンドーサは首を振った。
「恩義に報いないことですよ。あなたは日本に恩を感じないんですか?この千葉に、木更津に、恩を感じないんですか?よその国だから何をやっても心が痛まないんですか?」
「ヤクザも悪いことしてる。」
メンドーサは首を振りながら答えた。
「確かにそうです。でもこの人たちはちゃんと地域に還元している。それにこの人たちは日本人だ。あなたがあなたの国で犯罪を犯すなら、別にいい。でもわざわざ日本に来て犯罪を犯すのはどうですか。違いませんか?わかりますよね?」
メンドーサは、今度は頷いた。
「治安とか仕事とか、日本の恩恵を受けて生活しながら、日本で犯罪を犯し続ける。そんなことが許されるはずはない!」
俺はいつの間にか小指を握りしめていた。
「この指の意味がわかります?これは、あなたたちに対する宣戦布告です。俺たちはすべての違法ヤードを千葉から撲滅します。」
駆けつけた警察によって、メンドーサは連行された。瀬川は顔色を変えずに俺に頭を下げた。俺はそのとき心底震え上がった。この人を相手にしてはいけない、そう思える男だった。
白川組は、天神会、源藤会、花田組のどこにも属していない、千葉を地元とする組織だ。かつては九つの二次団体を抱え、南房総の全てを勢力下に置いていたという。家族持ちが多いのが特徴だと聞いたことがあるが、今日の瀬川を見て、その理由は理解できた。
中原さんは帰りの車の中で、他の組に電話で連絡をした。俺が、
「あの瀬川って人、凄いですね。任侠の男って感じでした。」
と言うと、
「私にはそうは見えませんでした。」
と、予想外のことを言った。
「どの組織も、違法産廃施設を持っています。自分の指を差し出すことによって、自分たちの産廃施設を守った、そういう見方ができます。任侠ではなく、計算だと思います。」
「いや、計算でできますかね。」
「産廃施設の利益は大きいです。彼らには死活問題です。それにそうすることで、白川組のヤクザたちからは英雄に祭り上げられるでしょうな。次の組長に推される動きもあるかもしれません。」
「そんな、」
俺は何かを言いかけたが、どうも中原さんの意見のほうが現実的な気がしてきた。俺はあの小指に踊らされたということだ。
それでも、たとえこの先なにがあっても、あの男と同じようには決してできない。覚悟や経験、全てが違い過ぎている。俺の適当な話を何回繰り返すより、たった一回のあの行動が人心を掴む。そういうものだった。
ただ、俺は俺にできることをやるまでだ。プランはすでに頭の中にあった。
今のヤクザにできることを見せてやる。「塀の中から自分のしでかしたことの大きさを見てろ。」俺はメンドーサにそう呟いた。
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