第27話 ヤクザ2

星田組は、花房に行く途中の駅にあった。年期の入ったビルの前面に、シルバーの隷書体で星田組と書かれた切り出し看板が掲げられていた。ビルの隣は駐車場で、黒塗りのベンツとアルファードが停まっていた。周囲はごく普通の街並みで、明らかにそこだけ異様な雰囲気を醸し出していた。




タクシーの運転手には、星田組と言えば通じた。俺がタクシーを降りると、正面の扉が開いて中から2人の男たちが出てきた。




「お疲れさまです!」




男たちは俺に向かって頭を下げた。かなり戸惑ったが、年長と思われる男に促されて俺は事務所に入った。




「お疲れさまです!」




室内にはさらに3人いたが、俺が入ると全員が立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。最初の男が俺を連れて奥の部屋に入った。


その男が組長だった。俺は奥の応接室のようなところでソファーに座り、ヤクザの接待を受けた。冷たいお茶が出された。




「星田組組長の岡本です。この度はとんだご迷惑をおかけいたしました。」




男は岡本と名乗った。渡された名刺には、五代目星田組、組長と書いてあった。柔和な顔つきの男だった。県庁で働く課長職と言われても、俺はきっとわからないだろう。




「神谷一樹と申します。こちらこそご迷惑をおかけいたしました。」




俺たちはソファーに座って事情を話し合った。岡本は、佐伯が俺の友だちに手を出したことと、自分の教育不足を謝罪した。




「知らぬこととはいえ、本当に申し訳ございませんでした。」




「そんな、僕の方こそ、外から口を出したりして申し訳ありませんでした。僕の大学の先輩でして、先輩が全面的に悪いんです。それを佐伯さんに後始末をしてもらったんです。詫びなんて、とんでもないです。」




「そういうわけにはいきません。」




これ、と言って、岡本は白封筒を両手で出した。




「岡本さん、そんなつもりで来たわけじゃないんです。お願いですから仕舞ってください。」




岡本は聞かなかった。白封筒を俺の方に差し出し、俺の手を取って無理やり俺に渡した。そして自分の手を離した。厚さから察するに、十万~二十万円くらいだろうか。これを受け取れば、大変なことになる。俺は咄嗟にそう判断した。




「岡本さん、待ってください。佐伯さんは何も悪くないんです。これは受け取れません。こちらこそ迷惑をかけました。」




しかし、俺が何をどう言っても、岡本は金を決して受け取らなかった。仕方がないので、俺はいつか見た祖父の名刺交換のように、テーブルの端に封筒を置いた。




「佐伯ですが、あいにく今はおりません。本来ならば直接謝罪に行かせるところですが、わしに免じて何とぞご寛恕のほどお願いします。」




「あ、はい。もちろんです。」




俺は頷いた。俺は、空気を変えるために適当な話題を振った。




「ちなみに、源藤会の方では覚醒剤はやっても大丈夫なんですか?いや、天神会では禁止って言ってたんで。」




「源藤会ではシャブはご法度です。」




岡本はかっと目を見開き答えた。その目に一点の曇りもなくそう言い切った。その顔が、段々と威圧的なものに感じてきた。見方によっては人のいいおじさんとも取れるが、見方によっては今にも切れそうなヤクザとも取れるような顔立ちをしていることに気づいた。柔和な顔立ちだが、顔は一切笑っていなかった。そして、指や首回り、スーツの下には筋肉の鎧がはっきりと見えた。俺は急に怖くなった。そして、須藤さんのときみたいに、これ以上余計なことは言わない方がいい気がした。だが、言わないわけにはいかないことがあった。それは多分、この街のためなのだ。




「わかりました。それと今回、須藤さんから連絡がいったと思うんですけど、うちは今までもこれからも、どっちにも肩入れはしません。もちろん白川組にもです。たまたま僕の知っている人が須藤さんだけだったということです。決して向こうを味方にしているわけではありませんので。」




岡本は、力強い眼光で俺を見たまま頭を下げた。目の奥からパワーを感じた。


最悪だ。何か間違ったことを言ったのかもしれない。もうこれ以上は喋らないほうがいい。


俺はそう思って、帰るタイミングを探した。


岡本は立ち上がって後ろの棚から別の飲み物を、トレーに乗せて持ってきた。それを二つのグラスに注ぎ、一つを俺に出した。俺が恐縮すると、岡本はグラスを持って、俺の方に少し傾け、口をつけた。俺も同じようにした。酒だった。








「わかりました。それにしても坊っちゃん、船橋駅前の土地、いくらで掛け合ったんですか?」




岡本の雰囲気が急に変わった。俺は探り探り質問に答えていったが、すぐに杞憂だと悟った。今度は岡本の顔から力が抜けていたからだ。




「あそこは結局、全部合わせて二十億でした。」




「やりましたな。うちとこはしばらくその話題で持ちきりでしたわ。北房の新しい会長さん、やってくれたって。整地はうちとこの会社も噛ませてもらったんでね。坊っちゃん、会長さんの跡継ぐことになるんで?」




「はい。グループも、会社もです。わからないことだらけですけど。」




「そんなことないです、うちのバカどもより何倍もわかってらっしゃるわ。」




岡本は大きな声で笑った。俺は最近のことを聞いてみた。




「しのぎは増えたり減ったりですわ。急になんもかんもなくなるっちゅうことはないです。色々と繋がりがありますから。でも、シャブやら何やら外人が多くなってきましたわ。車の窃盗、廃棄物処理、武器の密輸もそうや、わしらがやってきたこと全部外人がやってますわ。」




「どこの国の人が多いんですか?」




「色々あるからな。中国、ブラジル、アジアのほうもある。ムショなんて関係ない奴らですわ。なんでもありです。今はまだわしらの言うことに従ってますがね。坊っちゃん、ヤードって知ってますか?山の中に鉄で囲いを作るんですよ。表向きは廃棄物処理場なんですがね、囲いの中は治外法権です。わしらでも、よく手が出せないですわ。」




岡本は笑ったが、俺にはわからなかったため、苦笑いをした。


色々と話したが、最後にもう一度白封筒を返そうとすると、それは頑なに断られた。そのため俺はしっかりと受け取っておいた。




「坊っちゃん、何かありましたらいつでも連絡してください。力になります。」




俺は礼を言って事務所を出た。玄関の扉を開けるところで最後の見送りをされた。




「お疲れさまでした!」




ドアを開けるとアルファードがスタンバイしていた。これは断ってはいけないと思い、俺は車に乗り込んだ。岡本以下、数名が見送ってくれた。




「岡本さん、怖いですね。」




俺は若い運転手に話しかけた。




「そうっすね。あの人ヤバイっすよ。人殺してますもん。」












若い運転手に大学まで送ってもらった。もう暗かった。俺は尾見くんに電話をしたが、繋がらなかったため、一応部室に行ってみた。誰もいなかったが、向かいの映研の部室は電気がついていた。そして、開いたドアの向こうから話し声が聞こえてしまった。




「あたし、やだ。」




「ええー、行こうよー。」




「あたしあの人たち嫌いだもん。」




「このままだったら後輩ゼロだよ。」




「あたしは就活あるから別にいいもん。あの人たちも3年でしょ。そんなことやってる場合なの?」




どうも、新入生歓迎会の話らしい。あの人たちというのはもしかしてうちの先輩たちのことではないか。少し不安になったが、同時にホッとした。大学に無事に戻ってこれて、こんなに安心するとは思わなかった。




星田組は源藤会の二次団体だと岡本は言った。組長の岡本は、何かに例えるとするなら、熊だ。間違った答えを出せば、すぐに太い腕で首を落とされる。そんな印象を俺は持った。今後はなるべく会いたくはなかった。


須藤さんは、フェイクに出ていたアルパチーノそのものだった。あんな感じでも、やる時はきっとやる。だから組長をやっているのだ。ヤクザに足元を見せてはいけないと、俺は祖父に言われたのを思い出した。




そんなことを考えながら、誰もいないので帰ろうとすると、映研の部室の電気が消え、長谷川さんともう一人が出てきた。俺は、わざとらしく挨拶をした。




「こんばんは。お疲れさまです。あれ、もう終わっちゃったんですね。あれからどうなりました?」




「一樹くん、来るの遅いよお。」




長谷川さんは口を尖らせた。




「それぞれのサークルの3年生だけで話し合ったんだけど、お店とかお金とか意見が合わなくて。結局、まとまらなかったの。」




「ええ!まだまとまってないんですか?」




「もお、そんなふうに言わないでよ。」




「あ、すいません。」




長谷川さんがそう言うと、もう一人が、




「あんたねえ!あんたたちが変なこと言うからだよ。まとまらないの。うちらとホリは意見が合ってるんだから。」




と、怒ったように言った。俺は申し訳ないが、ホリというフレーズが可笑しくて、吹き出してしまった。




「すいません。だって、ホリって……」




長谷川さんも少し笑ったが、もう一人はさらに怒ってしまった。




「すいません!本当にすいませんでした!」




「あーあ、神谷くん、ひどい。エミ怒っちゃったじゃん。」




長谷川さんはエミと言った。


長谷川さんの友だちはエミというらしい。ずいぶん久しぶりに聞いた気がした。


俺は瞬時に記憶の底にいたエミの顔を思い出した。




「彼女、恵美子っていうの。上沼って呼んでね。」




恵美子と呼ばれた友だちは、長谷川さんを睨んだ。




「恵美だから!もう!そういうのいらない!」




エミの顔を思い出したが、俺はそれを心の底に引っ込めた。エミとはもう二度と会えない。こんなふうに、しばらくはエミのことを思い出すと思うが、いつか思い出さなくなる日が来るのだろうか。俺は少し感傷的な気分になった。




昼から、心が揺れ動くことばかりだった。大小あったが、どれも本物の経験だ。どんな経験であれ、心が揺れ動く度に人は成長していく。そして大人になったら、どんな経験も【丸く】なっていくと思う。少なくても、心が揺れ動くことは少なくなるのではないだろうか。だからこそ、今感じた心の揺れは、きっと尊いものなのだ。








俺は手提げカバンの中に無造作に入れた白封筒のことを思い出した。




「長谷川さん、エミさん、良かったら食事でも行きませんか?僕に奢らせてください。」




長谷川さんは笑顔になったが、恵美さんは不審者を見る目で俺を見た。




「今日、ちょっといいことあったんです。」




俺は白封筒を開けて中を確認した。ピン札が二十枚入っていた。




「なにそれ!どうしたの?」




俺は考えるのが面倒くさくなって、色々あって、と答えた。




「駅のとこにあるフレンチでも行きませんか?全部僕が出します。うちの先輩が迷惑をかけたお詫びです。」




二人は顔を見合わせた。俺は携帯で店に電話をかけた。そして、奥の個室が空いているか確認した。




「個室、空いてますって。行きましょう。」




半ば強引に、俺は二人を誘った。駅まで歩く間に、恵美さんはバイト先かどこかに断りの電話を入れていた。




「神谷くん、いいの?」




「全然いいです!お詫びです。」




「そうじゃなくて、ユウナちゃんのこと。」




「いいんです。あの人たちも、自分のやってること反省しないとダメなんです。」




長谷川さんは、俺とユウナの関係について案じてくれたようだ。そういうふうに思ってくれる人はいい人だ。だが、俺はユウナかナナから連絡が来次第、二人を呼ぶつもりだった。そして、堀先輩も。




まず堀先輩に電話をかけると、すぐに行くから、と言った。そういえば、このお金は堀先輩のものになるのか、とそのときに気づいた。まいっか、と思った。




人を殺したヤクザの前から無事に帰って来たことで、思考が適当になっていた。




そしてユウナに電話をすると、ナナと二人で飲みに行くと言ったので、奢るからフレンチに行きませんか、と誘った。二つ返事でオーケーをもらった。




先に店についた俺と長谷川さんと恵美さんは、シャンパンで乾杯して、アボカドとエビのサラダ、ナスとモッツァレラのサラダを食べた。




「やだ、これ美味しい」




恵美さんは口を手で抑えながらはしゃいだ。女の子らしいなと思った。俺は酒をたくさん飲んだ。この日も悪酔いしていた。清酒のスパークリングを何倍も注文した。


ドリンクのメニューを見ていると、堀先輩が来た。二人は意外そうな顔をしたが、「こっちおいで」と堀先輩を座らせた。俺とサシで会うつもりだった堀先輩は、拍子抜けした顔をしていた。四人でサーモンのテリーヌとフォアグラポアレを堪能した。旨かったし、みんな楽しそうだった。どことなく、合コンのような雰囲気もあったし、盛り上がった。








そこに、ナナとユウナが来た。




「おまえらなにしてんの?」




開口一番ナナは言った。長谷川さんと恵美さんは、手を降ったりして迎え入れたが、二人が来て明らかに表情は沈んだ。堀先輩もだ。




「一樹、おまえなんのつもりよ。」




ナナがいきなり俺を睨み付けた。


何度も言うが、俺はヤクザ効果で気が大きくなっていた。




「ユウナ先輩とナナ先輩こそなんなんですか?」




「あ?なんだてめえ!」




「ほら、すぐそれ。なんですぐ怒るんですか?ヤクザでさえそんなふうにキレないですよ。」




「てめえふざけんなよ!」




主にナナが俺に突っかかってきた。ユウナは様子を見ている感じだ。俺とナナ、長谷川さんたちを交互に見つめた。


俺は、以前のユウナとの失敗を思い出し、そろそろ謝ることにした。




「ナナ先輩、嘘です。ごめんなさい。」




「なんなんだよ、おめえはよ!普通にイラつくわ!」




「それより、これ見てください。」




俺は白封筒から金を出した。ナナの顔つきが変わった。




「俺、今日色々あって、ヤクザの事務所に行ってきたんです。」




場が静かになった。堀先輩の顔がひどいものになった。俺は続けた。




「そこで、人を殺したっていうヤクザに会いました。凄い怖かったんです。何か言い間違いをしたら殴られるんじゃないかって。でも言わないとダメなことがあったんで、ちゃんと言ったんです。そしたら、ちゃんとわかってくれました。人を殺したヤクザがですよ。」




全員年上だったが、俺はもう気にせずに続けた。




「伝わるんですよ!ちゃんと話してちゃんと聞けば!話したくない、聞きたくない、ムカつく、そんなこと言ってたら何も伝わらないじゃないですか。」




俺は酔っぱらって気持ちが昂り、声が大きくなった。年下に言われたら腹が立つ、それはよくわかっている。でも今の堀先輩と、ユウナは俺の言うことを聞くはずだった。こんなふうにユウナを使って悪いとは思うが。




そして、昨日に続いて再びユウナに告白していた。




「今、言わないと伝わらないんです。今、言わなくていいんですか?ユウナ先輩!僕、ユウナ先輩が好きなんです!ユウナ先輩は僕のこと好きじゃないんですか?」




「ちょっと待って、一樹、酔ってるよ。一回、外行こ?」




「ユウナ先輩!言ってくださいよ!」




「おい、てめえいい加減にしろよ。場所考えろや」




ナナが言ったが、俺は続けた。




「みんな場所だのなんだのに拘り過ぎですよ。別にいいじゃないですか。なんか問題あります?言う、聞く、これだけで伝わりますよ。新入生に何を伝えたいんですか。」




「神谷くん」




「堀先輩、ユウナ先輩、今から5分でまとめてください。これがまとまらなかったら、俺とユウナ先輩もまとまりません。」




俺は腕時計を見た。酔っていて時間はわからなかった。個室の外に出て、ドアを閉めた。きっと話し合いは進むはずだ。俺はしゃがんで壁に背中をついた。




そして、そのまま眠ってしまった。




起こされたのは店員にだった気もするし、ユウナとナナだった気もする。エミだったかもしれない。いや、恵美さんか。


長谷川さんは何かに怒って帰っていった。ユウナがそれをたしなめてる。その場所に尾見くんもいたような気がする。




気づいたらタクシーに乗っていた。ユウナと二人で。ユウナが指示を出しているのを確認して、俺は再び寝た。そして寝ながら歩いていた。段々と意識がはっきりしてきた。




「一樹、しっかりして。」




「ユウナ先輩、俺のこと嫌いなの?」




「好きだって」




俺は肩を借りながら階段を登った。ユウナはいい臭いがした。気づいたら俺のアパートだった。


アパートの鍵をユウナが解除する間に、俺はユウナから離れて一人で立った。そして後ろからユウナに抱きついた。




ちょうど鍵が開いたが、ユウナはスルッとこっちを向いた。そこでキスをして、部屋に入った。




ベッドに入ったところまで記憶はあるが、あとはどうなったのかわからない。


朝起きたらユウナはリビングのソファーで寝ていた。俺は全裸だった。どこかでこういう場面があったと思ったが、すぐにそのことを思い出した。


しかし、無理やり忘れることにした。




ユウナを起こそうと思ってやめた。和室の収納に入っているブランケットを静かにかけたが、ユウナは起きてしまった。




「一樹、大丈夫?」




「おはようございます。僕は大丈夫です。昨日はまとまったんですか?」




「まとまんなかった。」




「え!」




ユウナはニコっと微笑んだ。




「嘘だよ。まとまった。ありがとう一樹。」




「ん」と言って、ユウナは俺に向かって両手を伸ばした。俺はその手に誘われるまま、ユウナを抱き締めた。ユウナも手に力を入れて俺を抱いた。心が安らぐ時間だった。ユウナは笑っていた。俺はユウナの頭を撫でた。朝の、いい時間だった。

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