第28話 ヤクザ3

ユウナと朝食を食べた。ユウナの顔には控え目な笑顔が浮いていた。俺は祖母の顔を思い出した。テーブルの上で、ユウナと手が触れただけで心臓が高鳴った。ユウナもきっと同じ気持ちなんだと思い、嬉しくなった。


何気ない時間だが、一生のうちで何番目かに貴重な時間を過ごしていると感じた。最初に花房に行ったときに感じた神々しさのようなものを俺は感じ、何か優しいものに包まれているような感覚になった。




「一樹の好きなもの教えて。」




俺たちは他愛もない会話をした。他愛はないが、きっと素晴らしいものなのだ。




そして俺は昨晩のことを聞いた。




「まとまったの?」




「うん!」




ユウナは昨晩の概要を教えてくれた。




まず、堀先輩が動いた。みんなに合わせるから、協力し合おうと。次に恵美さんが、場所はどこでもいいけど、みんなが来やすい普通のお店がいい、と言った。それに対してナナは、普通の店でもいいけどDJを呼んだり、企画を工夫して楽しませたいと言った。


恵美さんは、昨日の昼間はあまり発言しなかったが、そのナナの意見には反対した。普通がいい、それが嫌ならあたしはやりたくないと。


ナナは露骨に嫌な顔をしして、だったらおまえ帰れよ、と言ったのだという。




「ユウナはどうしたの?」




ユウナは、俺に初めて名前で呼ばれ、びっくりした顔を見せたが、すぐに俺の質問に答えた。




「あたしは恵美って子の言いたいことはわかった。でも何もしなかったの。あたしがナナの味方をしないと、あの子わけわかんなくなるから。」




良かったかな?とユウナは俺に聞いてきた。俺が「そうだね、正しいと思う」と言うと、ユウナは犬のような笑顔を見せた。




ナナの発言に対して、すかさず堀先輩がまとめたらしい。




「こんなふうに、ギスギスした状態ならやらないほうがいい。新入生には、みんなが笑って楽しんでいるところを見せたがほうが、勧誘としては効果的だと思う。俺も外でバーベキューをしたかったけど、それは新入生がうちのサークルに入ってからにしようと思う。まずはみんなで協力することを考えよう。そうじゃなければ、この企画の意味はない。料理研、それでいいか?」




長谷川さんがそれを全面的に指示し、結局ナナも折れて、堀先輩が幹事をやるということでお互い落ちたらしい。




「ドア開けたら一樹寝てんだもん。びっくりした。」




「弱いんだ。」




俺たちは静かに笑いあった。いつもならこんな話のあとは笑えない。でも笑った。この空間にはきっと誰も入ってこられない。そんなふうに感じた。




「一樹、今日バイト?何時まで?」




「今日は19時か20時か、ちょっと遅くなると思います。」




「ここにいてもいい?」




ユウナが甘えた声を出した。俺はユウナの好きにさせることにした。ユウナはスープを飲みながら目を細めた。俺はユウナの頭にポンと手を置いた。


食事を終えて、俺は手早く支度をした。食事を洗っているユウナを後ろから抱き締めると、ユウナは吐息を荒くして振り返った。新婚生活はこんな感じなのか、マンゴーのような甘い時間だ。








ユウナはアパートの下までついてきた。俺は手を振って、大学へ向かった。




何気なく携帯を見ると、登録していない番号から電話がかかってきた。




「坊っちゃん、お時間ありますか?」




岡本だった。俺は一気に背中に電流が走った。




「坊っちゃんにお話したいことがあるんです。時間は取らせませんので、そちらに伺ってもよろしいでしょうか。」




「いえ、今日はちょっと、バイトもあるし、」




「バイト終わるのは何時ですか?迎えにあがりますよ。」




「あ、いや」




「どこでバイトしてるんですか?」




「あの、花房って喫茶店です。」




「花房?」




「中央図書館の近くなんですけど、」




「ああ、わかりました。ほならお迎えにあがりますよ。まず、また連絡します。」




電話は切れた。最悪だ。バイトが終わってユウナはの待つ家に帰り、一緒に夕食を食べて、また神聖な時を過ごしたかった。時を切り裂かれるような気分だった。








水曜の花房は中々な忙しさだった。一般の客足を見計らって、高齢者施設からの団体客が入れ替わり入ってきた。注文、料理出し、片付け、そして介助、仕事がとにかく多い。基本的に老人たちには職員がつくが、その職員に当たりハズレがあったのだ。




最初のグループは太った女性が連れてきた。年は40くらい。この人はなんでもできた。杖をついた女性を椅子に座らせ、ティッシュなどの準備も完璧、何よりよく笑った。




次のグループは若い男だった。細身で、おどおどしていた。態度が悪く、しかも高齢者にため口を使った。老人たちと話が通じていなく、一緒に来ていた老人たちは、皆表情が暗かった。全く対照的だった。




それが二回繰り返された。つまり若い男が四つ目のグループを連れて来るまで続いた。若い男の方は、車からの出入り、喫茶店の出入り、座席への案内、全て俺がやった。若い男は動かなかった。いや、動けなかったのだ。これほど鈍い人がなぜ介護の仕事をしているのか、というくらいだ。




俺は極力老人たちが動きやすいように立ち回り、片付けた。精一杯の配慮をしたつもりだ。笑顔を作り、彼らの耳元で大きい声で話した。立ち上がる介助もした。若い男は疲れた顔で俺を見ていた。








最後のグループが出ていったら、すでに日が暮れ始めていた。忙しいときは時間の経つのが早いが、今日は特別早かった。この後、ヤクザの迎えが来るからだ。




客が引いた花房は静寂に包まれた。夕陽がじんわりと窓の外から店内に入り、テーブルに影を作った。ハナさんは俺のためにコーヒーを淹れてくれた。




この仕事は、はっきり言うとハナさん一人で大丈夫だった。ただ、今日のように老人が大挙してやって来たら、さすがにハナさん一人では厳しいが、それでもなんとかなるはずだ。俺はその辺の話をいつか聞いてみたいと思った。




「神谷くん、おばあさんいらっしゃるの?」




「はい。最近施設に入ったんです。」




「そう。やっぱりあなたしっかりしてるわね。動きを見ていて感心したわ。」




「ありがとうございます。」




「このお店、私一人ならもう限界なんですけどね。息子がいるの。もうずっと会ってないんだけど、いつここに来てもいいように開けてるの。だから息子のためにも、神谷くんにこれからもお願いしたいわ。」




俺が祖母のために実家を残しているのに対して、ハナさんは息子のために店を残している。家族はそういう、帰る場所を提供してくれるものだ。今日の俺にはユウナが家で待っている。ハナさんにとっての息子さんは、きっとそれと同じくらいかけがえのない存在に違いない。


俺は、時間までしっかり働いて、店を出る頃には暗くなっていた。








ハナさんに挨拶をして店を出た俺の脇に、夜の闇と同じ色のベンツが音もなく止まった。




「坊っちゃん、乗ってください。」




助手席から若い男が降りて、後部座席のドアを開けた。俺は促されるまま岡本の隣に座った。




「腹減ってませんか?」




「いや、大丈夫です。」




「ほなら軽く飲みましょう。」




俺の返事を聞かずに車は走り出した。モノレールの下を通って、大学の方に向かった。岡本はタバコを吸った。俺は久しぶりにタバコの匂いを嗅いだ。




車は、とある一戸建ての駐車場に停まった。小さいながらも白壁の門があり、上側に松の枝が伸びていた。門の内側には一坪ほどだが庭があり、白い軽石が敷き詰められ、端のほうにある水鉢が和を感じさせた。




看板はなかったが小料理屋だった。岡本に続いて店に入ると、二階に通された。俺は岡本と二人で向かい合って座った。小さく身震いした。




「まあ、飲みましょ。」




インゲンと小松菜の和え物、たらの芽か何かの天ぷらと、蒲鉾のようなお通しが出た。一杯目から酒だった。無地の小豆色の上品な着物を着た女性がお膳を運んできた。「どうぞ」と岡本は言った。


生レバー、ローストビーフ、アワビの酒蒸し、それらをメインにいくつもの小鉢が出てきた。美味かったので、正直に言った。




「美味いっすね。」




岡本の顔がほころんだ。そして生レバーの皿を俺のほうに差し出した。




俺はすぐに終わると思ってユウナには連絡していなかった。当然、岡本を前にしながらも、俺はユウナのほうが気になって仕方なかった。岡本の食べるペースは遅く、酒をメインに嗜んでいるため、長引きそうだと思った。俺は岡本に断ってユウナに電話をしようと、携帯をポケットから出した。




「ちょっと電話します。」




「坊っちゃん、帰りは送りますんで。」




すると、俺の言葉を遮って、岡本は俺の猪口に酒を注いだ。俺はそれを両手で受けた。そして岡本は覚醒剤や暴対法について喋り始めた。思わず電話のタイミングを外してしまった。




電話もできずに、かといって何か話を進められる訳でもなく、俺は料理を褒め、ヤクザの話を聞いた。岡本は酒が入るほどに饒舌になり、何本目かの清酒に手をつけた。




「坊っちゃん、今度本部に行きましょか。」




「本部すか?」




「今度集まりがあるんで。そのときに。」




「いや、それは…、」




岡本には何か狙いでもあるというのか。料理は美味いが、俺はその場を全く楽しめなくなってきた。何より岡本の腹が見えない。俺と食事を楽しんでいるとは、到底思えない。


ユウナに連絡もできずにいたことで、俺は相当なストレスを感じてきた。タバコの臭いも我慢の限界まできていた。




「ま、お迎えにあがりますわ。ところで、坊っちゃん、風呂でも行きますか?」




「いえ、今日は家で待ってるんです。彼女が。もう帰ります。」




「そか?まだ10時でんがな。もう一杯くらい付き合えや。」




岡本は唐突に命令口調になった。俺はもう怖さを通り越して不愉快さを覚えた。




「岡本さん、今日は帰ります。」




「なんやわれ帰るんかい」




「はっきり言います。岡本さんの狙いがわからないです。あと、何度も言ってるけど今日は約束があるんです。」




俺は立ち上がった。すると岡本は意外な行動に出た。俺の前に歩みでてすっと腰を下ろしたのだ。




「そやったですか、それは悪いことばしました。」




岡本はいきなり態度を変えた。正座し直して、俺に向き合った。




「坊っちゃん、お願いがあります。」




岡本は正座をした状態で膝の前に両手をついた。俺は蛇を見るような目になっていたに違いない。




「さっきから色々と考えてたんですけど、何も思い付かないので単刀直入に言わせていただきます。いくらか回してください。お願いします!」




そう言って、岡本は俺に頭を下げた。




「ちょっと、岡本さん、やめてくださいよ。顔を上げてください!」




岡本は顔を上げない。土下座の姿勢のまま言葉を続けた。




「上納金が払えまへん。このままだったらわしら解散です。坊っちゃん、お願いします!この通りです!」




岡本は決して頭を上げようとしなかった。しょうがないかと思った。




岡本の土下座を見て、俺は瞬時に理解した。今までの岡本の心境をだ。今日一日、この人は俺に頭を下げるために行動したのだ。きっとストレスになっていたに違いない。親の遺産を受け継いだボンボンに頭を下げるのだ。そんなのは俺だって嫌だ。でもなりふり構わずに土下座をした。これが岡本の意思だ。


この岡本の頭が重いか軽いかはわからない。会って二回目の人間に金を無心するあたり、軽く見られているのは間違いないだろう。


しかし、人を殺しているヤクザの組長が、内心でほくそ笑みながら頭を下げるだろうか。俺はまだそこまでヤクザをわかっていない。今日のは岡本なりの接待だったのかもしれない。なりふり構っていられないような、よほど焦っている状態と見えた。単純に、重いか軽いかだけではないだろう。




「岡本さん、まず彼女に電話させてください。」




俺は岡本を土下座させたままユウナに電話した。








「おい!電話も出ねえ、ラインも見ねえ、てめえ今どこにいんだよ!」




ユウナは見事にいつものユウナに戻っていた。こっちのほうがやりやすいので、ありがたかったが。俺はユウナに事情を全て説明して謝った。さすがのユウナも、ヤクザと聞いて少し大人しくなった。




「十二時にはならないように帰る。ホントごめん。」




電話を切り、続けて中原さんに電話をかけた。




「今、栄町の○○って料理屋にいるんですけど、お金用意できますか?いくらですか?」




俺は岡本にいくらか聞いた。岡本は百六十万円だと言った。




「百六十万円だそうです。すいません、お願いします。」




「坊っちゃん、すんません!ありがとうございます!」




岡本は大きな声を出した。そして顔を上げて俺を見た。ただ、俺は納得のいかない部分が岡本にあったので、それはしっかり言うことにした。




「岡本さん、僕に言う前にやれることあるんじゃないですか?ベンツ売ればいいじゃないですか。あのアルファードだって、そのくらいになるんじゃないですか。」




「売れまへん。」




「大体百六十万円って、上納金ですか?なんでそんなに高いんですか。」




「4ヶ月分です。」




「昨日、僕に二十万円、渡さなければ良かったじゃないですか。」




「あれはけじめです!」




訳がわからなかったが、なんとなくわかる気もした。見栄は張りたいが、金のために土下座もする。岡本は少し短絡的なのだ。ヤクザが皆こうではないだろう。




無限に金が沸いて出る時代だったら、けじめの付け方はそれでも良かったかもしれない。でも今は、どう考えてもそういう時代じゃない。


暴対法ができて厳しくなった、とさっき岡本が言っていた。そしてこのデフレだ。世界的にお金の価値は上がっている。見栄のためにお金を使って良い時代じゃないだろう。




「岡本さん、今用立てても、また同じことになりませんか?僕はあり方を変えるべきだと思います。中小企業だってみんな苦しんでいます。そういう時代なんです!運よく生き残れるとこもあるけど、大半は死んでる。」




岡本は唇を噛み締めている。俺は気にせず続けた。




「さっき、覚醒剤をやる人が少なくなったって言いましたよね。暴対法、不景気、覚醒剤の上がりが少ない、これだけ揃ってるんなら今までと同じことをしていたらまず生き残れないです。何かを変えなければ。」




「わかっとるわ!」




岡本は急に大声を出し、右手で握り拳を作って、畳を思い切り叩いた。すごい音がした。悔しいんだろうな、と思った。俺はそれ以上何にも言わなかった。








中原さんが到着し、俺に金を渡した。俺は礼を言い、もう帰るように言った。




「岡本さん、俺は覚醒剤が世に流れて良いものだとは思わない。」




岡本は眉間に皺を寄せ、般若の面のような顔をしている。




「岡本さんにこれを差し出すことで、覚醒剤の犠牲者が出るのだと思うと、渡していいかどうかわからなくなります。でも、外人が無法にばらまくよりも、信頼できる人に任せたほうがいい。」




俺はお金を素早く数えた。別に数えなくても良かったと思うが、時間稼ぎだ。本当に渡して良いのか考える時間を稼ぐために。


ただ、結論は出なかった。もっとも、目の前で数えられたお金を渡されなかったら、さすがのヤクザも一般人に手を出しかねない。俺は正座をしている岡本の前に、両手でお金を差し出した。岡本は床まで頭を下げてそれを受け取った。




俺は最後に何かを言うべきだとも思ったが、やめた。俺の百の言葉よりも、現金の方が力がある。今はうまく岡本に伝えられないが、次に金の工面に来るまでには方針を固めておこう。あとは岡本が決めることだ。




俺は一人で店を出た。外で待機していた中原さんのレクサスに乗り込み、ため息をついた。




「坊っちゃん、良かったのですか?」




「わからない。」




車はゆっくり走り出した。




「彼らは所詮、反社会的勢力です。麻薬や詐欺をやって生きています。昔のヤクザは一般人に迷惑をかけないというのは、ある意味で美学でした。しかし今はそんなこと言っている場合じゃなくなっています。おれおれ詐欺なんかはその良い例です。」




「うん。」




俺は何も言えなかった。ただ、不器用そうな岡本が、精一杯努めた接待と、俺への土下座に、彼の誠心を見た気がした。でも、今頃は大笑いして飲みに出ているかもしれない。




俺は無言で前を向いた。中原さんは無言で車を運転した。こんな時間に来てくれたことに感謝せねばなるまいし、こんな時間に普通に呼び出す俺の神経を疑った。ユウナに対してもそうだ。誰にとっても良いことはなかった。岡本の一人勝ちだ。俺が判断を誤らなければこんなことにはならなかったのだ。




ヤクザとの付き合いはいけない。それがわかった一日だった。決して彼らを利用しようとしてはいけない。








中原さんが無言でいてくれることがありがたかった。俺はシートに身体を預け、外を眺めた。いつの間にか、車はアパートの前まで来ていた。俺は寝てしまったらしい。




「坊っちゃん、お疲れさまでした。」




中原さんがそう言った。岡本には言えない一言だ。俺は礼を言って車を降りた。リセットボタンを押して、一日をやり直したい。そう思った夜だった。

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