第26話 ヤクザ1

尾見くんから電話が来たので、早目に学校に行った。一時間目が始まる40分前だ。ホリの部室で待ち合わせた。時間ちょうどになったが、尾見くんはすでにいた。




「一樹、ちょっとヤバいことになった。堀先輩が大変なんだ。」




尾見くんはパイプ椅子に座って項垂れた。弱々しい尾見くんを見るのは久しぶりだった。俺は廊下から適当なパイプ椅子を持ってきて、尾見くんの隣に座った。部室棟は、朝早いというのに結構な人がいたが、ホリの部室は俺と尾見くんの2人きりだった。




「なんかあったの?」




「先輩がヤクザに追い込みかけられてるんだ。」




俺は以前会ったことのある、あの目付きの鋭い男のことを思い出した。軽トラックに堀の指示で荷物を積み込んだときの運転手で、堀はヤクザだと言っていた。




「あのときの人?」




「そうだ。昨日サークルの奴と福本に行ってたんだ。先輩も店に出てた。そこに例の奴が来て、先輩と何かボソボソ話してたんだけど、いきなり先輩の胸ぐらを掴んで腹にパンチしたんた。先輩、泣いて謝ってた。」




尾見くんは、ため息をついた。そして堀の状況を詳しく教えてくれた。




まず、以前堀が手を出したアルバイトは、農家泥棒だった。野菜や果物を盗み、あるルートから市場に流すというもので、一晩で十万円ほどの利益が得られていた。それを頭で割って小遣いを稼いでいたらしい。




4月14日、俺たちが花見に行った日に、堀のグループは埼玉の農家からトマトを盗んだ。2軒から、合計二十万円相当のトマトだ。それをいつものルートに持ち込もうとしたときにトラブルが起きた。そのルート自体が、消滅してしまったのだ。




堀たちはどうしようもなくなり、知り合いのつてでヤクザに相談した。




そのヤクザは快く引き受けてくれた。そればかりか、トマトの代金を支払ってくれたのだ。堀たちにとって、正に恩人だった。




しばらくして、今度はヤクザの方から堀に仕事の手伝いの依頼が来た。もちろん堀は断らなかった。金も出るし、前回の恩義があるからだ。




内容は、覚醒剤の受け渡しだった。戸惑ったが割りきって、言われた通りに仕事を片付けた。すると帰り際、明日も同じ時間に来るように言われたのだった。堀は断ったが、あと一回だけだと言われたので了承した。




翌日、堀は別のヤクザと思われる男や顧客、複数の人間に紹介された。それらの人間たちにヤクザは言った。「これが次から運びますんで、顔を覚えてやってください。」堀がもうやらないと言うと、ヤクザに顔面を殴られ、こう言われた。




「警察に全部ばらすぞ。ムショで一緒になったらいじめ倒してやるよ。」




もう、堀は従うしかなかった。ヤクザは金だけはきっちりくれたため、自暴自棄になって警察に行くことすらできなかった。堀は毎日、その日に出た指示通りの時間に動いた。もう大学どころではなくなった。




ヤクザは福本にも押し掛けた。そして、尾見くんの前にも現れ、今回のことが発覚した、ということだった。




「堀先輩って、結構考えなしに行動するんだね。」




「ああ。腹が立ってくるよ。なあ、一樹、おまえに頼むのもおかしな話だけど、なんとかしてやれないかな。一応、俺もお世話になったし。」




多分大丈夫だった。でも、それを尾見くんに言ってもいいものか、悩んだ。ヤクザとの繋がりがあるということを。だけど、尾見くんを安心させてあげたかったので、結局俺は言うことにした。




「尾見くん、こういうふうに俺を頼ってくれるのを待ってた。尾見くんには助けてもらってもらってばかりだったから。今度は俺が助けるよ。」




尾見くんは、少し驚いた顔で俺を見た。




「なんて顔してんの。その人が普通のヤクザなら多分大丈夫だよ。名前わかる?」




「先輩に聞いてみる。」




尾見くんは電話をかけた。すぐに電話口に先輩が出た。俺にも声が聞こえた。ヤクザの名前は佐伯さん、と言っていたので、電話番号も教えてもらうことにした。




「一樹、おまえ、金払うつもりなのか?」




「金は払わない。じいちゃんの知り合いがいるんだ。その人に相談してみる。」




尾見くんの顔に、安堵の色が浮かんだ。




「そっか。最悪警察行くかとも思ってた。助かるよ。先輩に話しとく。」




そこで、ちょうど一時間目が始まる時間になったので、俺は部室を出た。そして、歩きながら中原さんに電話をかけた。








千葉には五つくらいのヤクザの勢力がある。そのうち天神会、源藤会、花田組、この三つは全国的に名の知れた組織で、東京寄りの地域で縄張り争いをしている。花田組は全国的に最も規模が大きいが、県内では天神会と源藤会だけで七割を占めていて、花田組はほとんどいない。




鴨川や勝浦あたりは、昔から白川組という地元の組織が治めている。そして、もう一つは外人の勢力だと言われている。




三つの主要団体のうちの二つ、天神会と源藤会は、うちのグループとかなり深い関係がある。


彼らのフロント企業である運送会社や土建会社には、うちから仕事が回っている。


また、最大の関わりは、足抜けをしてきたヤクザを、北房運輸という会社に多く雇い入れていた。これは祖父が作った会社の一つで、要するにヤクザを辞めた人間に職を提供するという、祖父の信念によって経営されている会社である。寮があり、本来なら禁止されている通帳や携帯も契約できたし、その気になればローンを組むことだってできた。北房運輸にいる先輩に誘われて、ヤクザを辞めたという話が、何件もあったらしい。




このように、天神会と源藤会は関東を中心に表面上は争ってはいるものの、千葉では微妙なパワーバランスのもと、共存し、地域に根差して活動していた。




俺はいつか、そういう話を祖父から聞いていた。そして天神会、源藤会の有力な家からは、物事の節目に必ず神谷に挨拶が来ていた。




そういうこともあり、俺はヤクザと何度も顔を合わせたことがあった。話したことはあまりなかった。怖かったからだ。祖母は「ヤクザは土地の守り神」とよく言っていたが、俺はヤクザがうちに来たら、祖父の後ろに黙って立ち、下を向いていた。しかし、その中の一人、天神会系組長の須藤さんという老人だけには、俺は心を許していた。




須藤さんは千葉市内に事務所を構える一家の組長で、須藤さんだけは俺が子どもの頃から変わらずに、引退せずにうちに通っている。俺はこの須藤さんと連絡を取ろうと考えていたのだ。




「中原さん、須藤さんという人と連絡を取りたいんです。千葉のヤクザで、じいちゃんの葬式にも来てたんですけど。」




「坊っちゃん、申し訳ございませんが、すぐにはわかりかねます。我々は全く付き合いがなかったものですので。お婆様なら案外わかるかも知れません。」




中原さんからの連絡を待つよりも、祖母に聞いてみることにした。俺は一時間目には出ずに(というか、この日は大学を休むことにして)実家に向かった。








「ヤクザの須藤さん」と祖母に伝えると、祖母はすぐに理解した。そして、介護士の田嶋さんに手伝ってもらい、どこからか年賀状の詰まった段ボールを持ってきた。看護師の西さんも加わって、須藤さんの年賀状をみんなで探した。




「あんたは須藤さんにべったりだったね。」




束の間、祖母は俺のことを認識した。田嶋さんと西さんもそれに気付いて驚いた。もっとも、それは一瞬だった。あとはいつものように、他人行儀な挨拶をされた。




須藤さんの年賀状は、すぐに見つかった。筆で書かれた達筆な文字だった。とりあえず、ダメ元で電話をかけてみたが、電話は通じた。俺はウロウロと歩き回りながらコール音を聞いた。




「あの、須藤さんですか?神谷光一の孫の一樹です。葬式のときはお世話になりました。」




「これは坊っちゃん!ご無沙汰しております。ご活躍のようですな。」




須藤さんの声は、耳に馴染んだものだった。そして相談があると言うと、すぐに来てくれることになった。電話を切ったら、俺は安心のあまりソファーに座り込んでしまった。




小一時間ほどで、祖母の部屋にヤクザが現れた。




「奥様、ご無沙汰しております。」




須藤さんは、財務大臣のような帽子を取り、祖母に深々と頭を下げた。祖母も、ニコニコしながらよそ行きの礼をした。「よくお越し下さいました。今お茶を煎れます。」と言って、立ち上がって寝室に入っていった。俺は西さんと田嶋さんに祖母を任せ、須藤さんに挨拶した。




「坊っちゃん、聞きましたよ。初仕事で百億稼いだそうですな。会長もあの世で鼻が高いことでしょうな。」




「いえ、出費もバカにならないくらいありました。純粋な利益でいえば、数億円ってとこだと思います。」




「凄まじいですな。坊っちゃん、これからもよろしくお願いします。何かあれば俺たちは必ず坊っちゃんを守ります。」




俺は曖昧な返事しかできなかった。




「気になっていたんですけど、あの金田とか、地面師たちのグループはヤクザと関係があるんですか?」




「関係ないです。」




須藤さんは上着を脱いだ。




「俺たちは汚いことはやっても自分の名前に誇りを持っている。うちには朝鮮の人間もいますがね、李だの朴だのみんな本名で汚いことやってますよ。コロコロ名前変えてやる奴なんかヤクザじゃありません。」




「それを聞いて安心しました。」




「最近は外人が本当に多いです。俺たちには最低限の仁義がある。奴らはそれさえない。奴らにとっては金がすべてなんです。」




俺はそういう須藤さんの言葉に矛盾を感じたが、特に言わなかった。


それより、堀の話を須藤さんにしてみた。堀たちの農家泥棒のことから始まり、千葉市内で覚醒剤を扱っている売人のこと、名前は佐伯、目付きが鋭く、一般人を相手に覚醒剤を売り捌いていることなど、聞いたことを全て話した。須藤さんは、携帯をかけて、病室の外で待機しているヤクザを呼んだ。




「失礼します!」




呼び出されたのは35才~40才くらいの強面で、慎重180センチくらい、胸板がドラム缶くらいあった。俺と須藤さんがかけているソファーを前にして、直立不動の姿勢を取った。


須藤さんは今の情報を男に話し、何か知らないかと尋ねた。男がその情報だけではわからないと言うと、須藤さんが脛を蹴った。




「すいません。すぐに調べさせます!」




「おう!待たせるんじゃねえ!北房の会長さんだぞ!」




須藤さんの怒号が飛び、男が出ていった。勘弁してくれと思った。須藤さんは、田嶋さんが運んできたお茶に口をつけた。そして覚醒剤について色々と教えてくれた。




「坊っちゃん、覚醒剤は今相場がかなり下がってるんです。末端価格と言って、最終的に世に出回るのは1グラムで三万円くらい。これは1回では使えません。20~30回分ですから、1回分だと少ない人で千円です。」




「そんなに安いんですか?」




「安くなったけど、中卸にはまだまだ旨い汁があります。多分その佐伯という奴は末端の売人でしょうな。坊っちゃんのお友だちに売り付けて、そこから客に売らせる。つまり中卸の立場で利益だけ巻き上げようって腹でしょう。何もしなくても金が入ってくるし、リスクがないですからな。」




外国から覚醒剤が入ってくると、まず大元の卸であるヤクザが買い付けるらしい。そこから中卸に、中卸から末端の売人に、卸される度に値段はつり上がっていく。元々の原価は1回分が50~60円だそうだ。中卸がどれだけ入ったかで、末端価格も違ってくるという。ねずみ講や宗教に近いと思った。


そして、売人が捕まっても、仕入れ先は絶対に洩らさない。これは洩らしたら命の危険まである、ということに他ならない。そのくらい覚醒剤の売買は金になるという。逆に、漏らさなければ、出所後も取り引きを再開することができるのだ。




「うちは覚醒剤はご法度ですがね。最近はしのぎもないですから。他のとこでは手を出してる奴らもいると聞いています。それと多いのは外人です。中国系とアフリカ系です。あいつらは本国からそのまま仕入れて売り捌くルートを持っていますから、分が悪いです。」




おそらく須藤さんもどこかで噛んでるのではないかと思った。建前上は、天神会も源藤会も覚醒剤はご法度と言っているが、日本の三代勢力のうちの二つが、覚醒剤に絡んでいないなどということはあり得ないだろう。




「坊っちゃん、覚醒剤には絶対に手を出さないでください。骨の髄までしゃぶられます。」




そんな危険なものが流通していることに、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。


この街で覚醒剤の流通を制限したり禁止することは多分できる。しかし、それだと取り引きが他の街に移るだけだ。他の県や海の向こうの取り引きの全てを、撲滅できるわけがない。それであれば、天神会と源藤会に任せておいた方がいいのだろうか。




「須藤さん、源藤会の人にも連絡を取りたいんです。信頼できる人を紹介してくれませんか。」




「構いませんが、坊っちゃん、無理しないでくださいよ。変なのに引っかかるといけないんで。」




「こっちのバックには日本一のヤクザがついてますんで。構成員は二十五万人です。」




須藤さんは苦笑いして帰っていった。








昼過ぎに終わったので、俺は再び大学に戻った。尾見くんに報告するためだ。ホリの部室には誰もいなかったので、一旦料理研究会に顔を出すと、こっちには全員いた。それどころか尾見くんと堀先輩、向かいの映像研究会の部長である長谷川さんまで来ていた。俺が部室に入ると、ユウナはスッと立ち上がった。




「一樹、おはよう。」




ユウナが俺にニコッと微笑んで、猫なで声を出した。それは今まで誰も聞いたことがない声だった。その場にいる全員がユウナを振り返った。ユウナは昨晩と同じように髪を後ろで一つにまとめていた。誰も見たことがないユウナだった。




「ユウナ先輩、可愛い。」




と、ヒロコが呟いた。




「さっきまでボーッとしてたのに!ユウナちゃんも女の子だったんだね。いいなあ。」




長谷川さんも言った。




「おい、おめえらよ!なんだそれ!一樹てめえ、もう手を出したのか!エミがいなくなって1ヶ月も経ってねえぞ!」




ナナが興奮ぎみに言った。




「いや、なにもしてないですよ!」




「嘘つけよ!おい!」




俺は正直に言ったが、ナナは聞く耳を持たなかった。そしてユウナにも詰め寄った。俺はナナを無視して誰にともなく聞いた。




「それより、皆さんどうしたんですか?」




「ああ、ホリと映研と料理研合同で、新入生歓迎コンパを開くことにしたんだ。」




尾見くんが言った。俺は尾見くんと堀先輩の顔を交互に見た。「おいそれどころじゃないだろ!」と目で伝えた。すると堀先輩が俺に顔を近づけて、




「佐伯さんから電話があって、謝られたよ。一樹くん動いてくれたんだってな。ありがとう。」




と、小さく言って握手をした。目はうっすらと赤くなっていた。




ハッとして電話を見ると、凄い数の着信があった。この短時間で須藤さんがやってくれたらしい。俺は廊下に出て、取り急ぎ須藤さんにお礼の電話をかけた。




須藤さんが言うには、佐伯は源藤会系組織の、末端構成員だった。須藤さんから佐伯の親分筋に話がいき、事態は収束したとのことだった。お役に立てて何よりです。と言って須藤は電話を切った。




須藤さん以外にも別の番号から電話があった。かけ直すと、源藤会の星田組組長だと名乗った。




「うちのもんが、ご迷惑をおかけしやした。えらいすんませんでした!けじめつけますんで!」




参った。須藤はきっと、俺の名前を出して責め立てたに違いない。


別に佐伯は悪くはない。(反社会的には十分悪いが、ヤクザとしては普通のこと、という意味だ。)禍根を残してどうする!俺は須藤さんに少し腹が立った。




「星田さん、待ってください!別にそんな。」




星田はどうしても謝罪がしたいと言ってきかなかった。俺は、「けじめはいらない、俺が事務所に行くからそれまで待ってくたさい」と言うと、こちらから伺いますと言ってきた。大学に来られてもまずいので、俺は住所を聞いてタクシーで行くことにした。




新入生歓迎会については、みんなに任せることにした。俺は尾見くんに用事ができたと伝え、部室を後にした。このままじゃ佐伯が何をされるかわからない。それが天神会と源藤会の争いの火種になるようでは困るのた。




エレベーターホールでエレベーターを待っていると、ナナの大声が聞こえた。




「一樹!あとで白木屋来い!逃げんなよ!」




ヤクザよりおっかないかもしれないと思った。

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