第15話 失踪11(修正済)
エミとマコトが行方不明となって三日目の、月曜の朝だ。起きてすぐにエミのお父さんに電話を入れた。昨日の夜に、約束通り捜索願いを出したらしい。引き続き、こっちでエミを探してみる、と言っていた。俺も何かわかったらすぐに連絡をすると約束した。そして、エミの出身校を聞き出した。青葉学園高校、私立の中高一貫校だった。
正直に言うと、そんなことよりもユウナのことが気掛かりだった俺は、大学の講義が終わるとすぐにユウナに電話をした。
「一樹、昨日はごめん」
ユウナはだいぶ落ち着いていたが、俺への第一声は謝罪だった。
「俺の方こそすいません。ホント、最低でした。今、家ですか?」
「ああ。今日は寝てた」
「ユウナ先輩、今から行ってもいいですか?」
「今から?うちに?ちょっと待って。場所わかるの?」
俺はユウナから家の場所を聞き出した。姉ヶ崎駅から徒歩で十五分ほどのところにある。今からならギリギリ十九時に着くかどうかというところで、俺は小走りで駅に向かった。ユウナに会えると思うと、自然と足が軽くなった。
アパートを出て二十分ほど電車に乗った。姉ヶ崎駅の東口から出た先にあるケーキ屋で適当にケーキを買い、タクシーで言われた住所に向かった。住宅街にある一軒家だった。車が一台停まっている。チャイムを押すと、母親が出迎えてくれた。
「こんにちは。ユウナさんの大学の後輩で神谷と申します。いつもお世話になっております」
「いえ。こちらこそ。遠くからわざわざありがとうございます」
ケーキを渡すと、リビングに通された。リビングには、父親、母親、祖母、弟、妹、そしてユウナがいた。ユウナはキッチンに立っていた。対面式のキッチンで、何かをしているのがわかる。
「座ってください」
父親に席を勧められた。ユウナの父親は締めていたネクタイを緩め、俺の向かいに座った。ビールの缶を開け、「神谷くん飲めるかい?」と聞いてきた。俺は思わず「はい。」と言ってしまい、すると母親がグラスを運んできた。母親は、
「ケーキいただきましたよ」
と誰にともなく言った。すると、妹たちがテーブルに寄ってきた。
「ゴットのケーキ!ありがとうございます!」
勉強していた妹が、ケーキを一つ選んだ。
「ユウナ、来たぞ!」
弟がキッチンに向かって大声を出した。そして俺の方を向いて、
「すいません。うちの姉ちゃんヤンキーだけど小者なんで。ケーキありがとうございます!」
と言った。
「弟さんですか?しっかりしてますね」
「しっかりしてるってよ!初めて言われたな!」
父親が茶々を入れた。ユウナのおばあちゃんは、「孫がお世話になっております。」と言って、俺に飴を渡した。
「姉ちゃんの彼氏ですか?」
「いや、彼氏ってわけではないです。大学の後輩です」
弟は高校生か、部活のジャージを着ていた。
「ユウナの何がいいの?」
妹はズバッと聞いてきた。
「いや、ユウナさんは、しっかりしてて面倒見もいいし、優しいです」
「へー」
妹は無表情を装ったような顔をした。
「じゃあ神谷くん、とりあえず、ようこそ姉ヶ崎へ」
俺と父親は乾杯して、ビールを飲んだ。母親はキッチンへ行き、妹たちは思い思いにケーキを食べている。
「神谷くん、学部は?」
「外国語学部英米語学科です」
「英米語学科か。ダイスケ、英語教えてもらったらどうだ?」
父親は枝豆を食べながら、弟に向かってそう言った。弟の名前はダイスケだ。俺はこういう基本的な情報を絶対に忘れないよう努めた。
「いいよ。せっかく来たのにそんな面倒くさいこと頼めないだろ!すいません。うちの家族変なんすよ。気にしないでください!」
ダイスケは言った。確かに、かなりフレンドリーな家族だとは思った。
「いや、ダイスケくん、大丈夫だよ。僕もそれしか取り柄ないから」
「神谷くん英語話せるの?」
「はい。オーストラリアとカナダに留学していたんで、日常会話くらいならできます」
「すげー!あの、俺東京外大目指してるんですけど、センター模試七割しか取れないんすけど、入れますか?」
弟がやや挑発的な目で俺を見た。国立大学に比べたら、千葉の私立大に通っている時点で格下であろうことは誰だってわかる。しょうがないと思ったが、俺は負けず嫌いなので本当のことを話した。
「外大か、懐かしいな。俺でも受かったから、大丈夫だよ。あそこは八割取ったら確実、七割ならもうちょいやればいけるよ。大丈夫」
弟の目が変わった。さっきまでのへらへらした感じではなくなった。
「神谷くん、外大受かってるの!?なんで私大にいってるの?」
父親が俺に聞いた。
「はい。僕の祖父がうちの大学の理事長だったんです。もう死んだんですけど」
「そうなんすか!ヤバイっすね!」
「でも、オールイングリッシュの学科も最近はあるし、英語が学べる環境になったし、外大に行くよりも、総合学科のある大学に行ったほうがいいかもしれないよ。外大は所詮英語だけだからね」
俺と弟は大学の話でしばらく盛り上がった。そこに妹も参考書を持ってきて加わり、父親も口を挟みながら賑やかになった。おばあちゃんはニコニコしながらこっちを見ていた。そしてケーキを食べ、「ユウナをよろしくお願いします」と言った。父親がキッチンに向かって、
「ユウナ!まだかー」
と言うと、
「うるせーな黙ってろハゲ!」
と返ってきた。
ユウナは俺と父親のために夕食を作ってくれた。春巻きを揚げ、彩りの良いサラダを作り、味噌汁はジャガイモとワカメだった。俺は腹が減っていたのでお代わりまでした。すると、弟も急に食べたくなったと言ってご飯をよそい、三人で食べた。サラダはキャベツの千切りの上に、トマト、リンゴ、オレンジ、グレープフルーツが、ざく切りで乗っていた。春巻きは、中にミートソースやカレーソースが入っていた。
「ユウナ、おまえ味噌汁濃いぞ」
「だったら飲むな!」
父親は血圧が高いのだそうだ。
「ユウナさん、いつも料理するんですか?」
「全然しないのよこの子。何でもできるのに」
そう答えたのは母親だ。配膳を終えたユウナは、冷蔵庫から出したビールを飲みながら、ソファに座ってテレビのチャンネルをいじった。ハーフパンツがずり下がり、お尻が半分見えていた。
「あんた、なんて格好してるの!」
「別にいいべ」
「神谷くんがいるのよ!こっちが恥ずかしいわ」
母親は本気で言っていないような気がしたが、俺が見てもだらしないと思えた。
「ユウナ恥ずかしい!ちゃんとして!」
妹もユウナに怒った。ユウナは中学生の妹に、「うっせえな」と言って肩にパンチをした。
「神谷さん、マジで姉ちゃんの何がいいんすか?」
ダイスケが聞いてきた。
「いや、優しいし、男気があるというか」
「男気はあるな!」
父親はでかい声で言った。ユウナは顔色を変えずにテレビを見ていた。
「あの子、昨日泣いて帰って来たんです。そんなの小学校以来なんです。神谷くんに迷惑をかけたって。私心配してたんです。それがわざわざ神谷くんから来てくれるなんて、本当にすいません。」
ビールを持ってテーブルについた母親がそう切り出した。みんなビール飲むんだ、と思った。
「ユウナ!迷惑かけたならちゃんと謝りなさい。照れ隠しなんです。ああやって怒ってるふりして。子どものときからなんです」
「別にそういうのじゃねえし」
テレビを見ながら吐き出すように喋るユウナを、家族はみんな温かく見守っていた。俺はちょっとからかってみたくなった。
「ユウナ先輩、料理上手なんですね」
ユウナは、おう、と言っただけだ。
「ユウナ先輩、俺の友だちが素敵だって言ってました」
んなわけねえだろ、と言って、ユウナは睨むようにコマーシャルを注視した。
「照れてるんすよ」
と弟が言うと、おめえらうっせーな!おい一樹あたしの部屋来い、と叫んだ。父親も母親も、ニヤニヤが顔に出て止まらなかった。この人たちは、本当に娘が可愛くて仕方がないんだと感じた。
俺は久しぶりに家族団らんを味わった気分だった。いい時間だった。
ユウナの部屋は綺麗に片付いていた。カーペットとベッドシーツとカーテンがピンクのヒョウ柄で、ゴミ箱やテーブルもピンク、座椅子もピンク、俺は正直に目が痛いと言った。前の彼氏と同じこと言うなと言われた。
「ユウナ先輩、良かった。普通に戻ってくれて」
「一樹、本当にごめん。あたしダメなんだ。ヒロコがいると、つい強がっちゃって。あんなこと言うつもりなかったのに」
「わかります。ああいう接し方されたら、俺だってムカつきます」
ユウナはいつものユウナに戻っていた。俺は安心して、エミのお父さんに電話したことを話した。
「そっか。警察行ったか。あたしエミのお父さんに会ったことあるんだよな」
「そうなんですか?」
「エミのお父さんにメシ連れてってもらった。まだ一年のときだ。もう忘れてっかもな」
「エミ先輩、全然連絡ないですね。俺、水曜日、大学が終わったら仙台に行ってこようと思ってるんです。高校、聞いたんで」
「そっか。あたしは行けないけど頼んでいいか?」
「わかりました。どこまでできるかわからないですけどね」
「一樹、おまえいいやつだな」
ユウナはいきなりそう言った。
「弟もおまえのこと気に入ったみたいだ」
「いい弟ですね。しっかりしてる」
ユウナはじっと俺を見つめた。
「俺、今日本当に来て良かったです。ユウナ先輩の家族みんないい人で、すごい温かくて。ずっとここにいたいって思いました」
「ありがと。変だろうちの家族。やたらフレンドリーなんだ。恥ずかしいっつーの」
「さっきのユウナ先輩もちょっと恥ずかしかったですよ」
「もうその話やめろって」
「でも可愛かったです」
「おまえな、殺すぞ」
ユウナは顔を真っ赤にしながら言った。
終電になる前に、俺はユウナの家を出た。タクシーで駅まで戻り、姉ヶ崎から千葉まで二十分ほど内房線に乗った。千葉駅からそのまま歩くことにした。帰りがけにスタバでフラペチーノを買った。
ユウナとの間にわだかまりがなくなり、安心し切った俺は、アパートに帰ってカウチソファーに座った途端に爆睡し、朝まで起きなかった。俺は祖母の夢を見た。祖母が施設の職員に連れられて大学に来る夢だ。そろそろ一度施設に顔を出すべきだと思った。
翌、火曜日、思わぬ人物から話しかけられた。ヒロコだった。俺とヒロコは学食を出たあと法学部ゼミ教室のある建物の三階にあるベンチにきた。ほとんど人が来ない場所だとヒロコは言った。
「ありがとう。マコトのこと、動いてくれて」
「いいの。私も心配だから。でも、一樹くん、あんまり無理しないでね」
「え?」
「ユウナ先輩のことで思ったんだけど、一樹くん、友だちのために本気になっちゃう」
「うん」
友だちのためなのかはわからないが、俺は一つのことを考えたら他のことが見えなくなる。それで、犠牲にしたものもたくさんある。でも、そういうふうにして無くしたものなら、時間と誠意をかければ取り戻せる。ユウナのように。自分から見捨てたものは多分取り戻せない。だからエミとマコトのことは、諦めたらダメなような気がするのだ。ヒロコは俺のほうを見ている。視線を横顔に感じた。案外、ヒロコはいい奴なのかもしれない。俺の中でできた固定観念が、徐々に和らいでいった。
「私ね、フランス語でも一緒だったの。マコトも語学だけはちゃんと出てたから。でも私以外に話す人は本当にいなかった」
「そうか。マコト、学外にも親しい友だちはいたんだよね」
「うん。そういえば、マコトの行ってたクラブわかったよ。教えてくれた人が一樹くんに会いたいって」
「俺に?」
「うん。マコトのことで協力できることないかって。彼もマコトのこと心配してるから」
「そういうことなら、わかった。いつがいいかな」
「待って、聞いてみるね」
ヒロコは携帯を取り出し電話をかけた。
「大学で一樹くんに会ったの。神谷一樹くん。会ってもいいって。いつがいい?今日?何時から?夜?」
ヒロコは電話口を押さえて、
「今夜は空いてる?」
と言った。俺は即オーケーを出した。
「今夜大丈夫だって。どこがいい?じゃあそっちに行く?」
ヒロコは再び俺に聞いた。
「一樹くん、北千住まで行ける?私も一緒に行くから」
「わかった」
ヒロコは具体的な時間と場所を指定して電話を切った。待ち合わせ場所は焼き肉屋で、二十一時に集合することになった。ありがたかった。マコトにつながるどんな手がかりでもほしいところだからだ。俺は一旦帰って夜まで待ち、総武線に乗った。ヒロコは錦糸町に家があり、先に現地に行っているというメッセージが来た。俺はそれに返信した。
【手土産あったほうが良かったかな?】
【そんなの気にすることないよ。一樹くん真面目だね】
秋葉原から乗り換えた。その間、俺は携帯で中原さんにラインを送っていた。
【仙台行きの新幹線を手配してください。水曜の夜出発で、金曜の最終で帰ってくるやつ】
【水曜は何時に出発しますか?】
【大学が終わってからだから、東京駅に行けるのは二十時くらいかな】
【私の車で行きますか?】
【あ、お願いできますか?あと宿も】
【かしこまりました。迎えに上がります。坊っちゃんお一人ですか?】
【その予定です】
【わかりました】
【今から北千住に行ってヒロコの友だちに話を聞いてきます】
【お気をつけて】
秋葉原からは地下鉄に乗った。もう到着する間際に、ヒロコから再度メッセージが来た。
【一樹くん、今日のこと誰かに言った?】
【誰にも言ってないよ】
俺は中原さんにラインをしたばかりだが、中原さんのことを説明するのが面倒なので、そう答えた。
【私も。終わったらどこか行かない?】
【わかった。時間があればどこかに行こう】
ヒロコは、やはりいいやつなのかもしれない。俺はヒロコと色々話をしてみたくなった。
初めて降りる駅だった。ヒロコは迎えに来てくれると思ったが、連絡をすると、丁寧な謝罪文とともに携帯にマップが送られてきた。マルイから出て駅を右手に歩いたところの細い路地を地図は示していた。マップを見ていなければ見落としていたかもしれない路地だ。車が通れないくらいの細さだった。その路地の中ほどに、古いネオンのビルがあった。結構な大きさのビルだが、建物はかなり古い時代のものだ。路面の店はクラブアンナ。その隣に焼肉屋が営業している。案外、マコトが通っていたクラブは、女の子が着くほうのクラブだったのかもしれない。そしてそこに金を落としていた、それなら三百万円が五百万円になった説明が着いた。
マップ上の赤いマークと、俺のGPSが重なったのは、古びた焼肉屋の前だった。俺はすぐにヒロコに電話をかけたが、ヒロコは電話には出なかった。なにかトラブルでもあったのかもしれない。そう思ったが、どうすることもできない。俺は焼肉屋の中を何気なく覗いた。カウンターと小上がりが二つだけの小さな店だった。客はほとんどいなかった。そのときだ。
不意に肩を叩かれた。振り返ると、俺よりも背の低い男が立っていた。ブルージーンズに上はパーカーのフードをかぶり、その下にキャップをかぶっている。俺は、そのグレイのパーカーを初めて見たが、それが何を意味するのかを瞬時に理解した。
「神谷一樹?」
『ダスト』、確かそんな名前のチームだった。俺は、中原さんからもらった名簿を思い出した。伊勢田の顔と亀井の名前もだ。俺は男の目を見ながら黙って頷くと、男は「こっち」と言いながら踵を返して歩きだした。
この男はヒロコの知り合いなのか、マコトとはどういう繋がりがあるのか、色々と聞きたいことがあったが、俺は何も言えなかった。その不思議な状況について考えるだけで精一杯だったのだ。男は、焼肉屋とネオンのビルの隙間の路地に入っていった。表のマルイの通りからは考えられないほど汚い路地だった。エアコンの室外機と剥き出しになったパイプの束、ゴミ袋が散乱し異臭を放った。
目の前の男は、路上のゴミや自転車を器用に避けて歩いた。すると、焼肉屋の建物が途切れたあたりに、微かに人の気配がした。俺の胸は高鳴った。
そのとき、いきなり後ろから誰かに押された。いや、おそらく蹴られたのだ。前につんのめったが、俺は辛うじて地面に手をつき、なんとか立ち上がり、顔を上げた。
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