第10話 失踪6(修正済)

 ナナもユウナも俺のアパートに戻って来ていた。


「一樹、おまえんち、ヤバくね?」


「おい一樹、あたしと結婚すんぞ」


 二人とも部屋を見て驚いていたが、中原さんを見てさらに驚いた。


「あの、うちの弁護士の中原さん」


「中原と申します。いつもお世話になっております」


「今飲み物持ってきます。先輩、座っててください」


 ナナとユウナはソファーに腰を下ろしている。俺はアイスコーヒーをグラスに入れたが、四人分もなかったので水を継ぎ足した。トレーに乗せてリビングに持っていくと、ナナとユウナがテーブルにお菓子を広げていた。スナックの袋を広げ、チョコレートをそれに混ぜた。


「先輩、ご飯にしません?俺、お腹すいちゃって」


「っていうか、一樹しかいないと思ったから、あたしの好きなの買ってきちゃった」


「これ、ご飯?」


 俺はさすがに眉をひそめた。ユウナは俺の顔を見て、声は出さずに口だけ動かして、なんだコラ?と言った。中原さんは、


「まあ、坊っちゃん、食べましょう。私はチョコレートは大好きですよ」


 と言って、ユウナに笑いかけた。ユウナは、中原さんを見ながら、満更でもない表情をしている。俺たちはしばらくお菓子を食べた。






「エミ先輩とマコトからは連絡なしですよね?」


「ない」


「うちも」


 疲れた体にチョコレート菓子は染みた。すごい早さでなくなっていく。


「ユウナ先輩どうでした?警察」


「あたし、ちゃんと話したよ。マコトとエミのこと。ちゃんと聞いてくれたし、一樹がガラス破るって言ったら、見に行ってくれた。あと、パーカーのやつらの話もしといたし」


 ユウナは得意気に話した。


「俺のほうは、借用書のこともあるし、中原さんに来てもらったんです。そしたらアパートに警察が来てて、鍵を開けて一緒に入ってくれたんです。誰もいなかったですけど、借用書はちゃんとありました」


「マジか。警察やべえな」


 ユウナとは対照的に、ナナの顔色は優れなかった。


「うちはダメだった。ごめん」


 実家の電話番号を聞けなかったことを気にしている様子だ。


「事務室は閉まっていたんですよね」


「うん。明日は日曜だから開いてないし」


「明後日まで待たないとダメなのかよ。せめて実家に電話できればよ」


 ユウナも悔しそうな声を出した。


「僕らに連絡がない時点で、実家にもいないとは思いますけどね」


「けど、なんか連絡行ってるかもしんねえし」






 すると、俺たちの話を黙って聞いていた中原さんが、突然口を開いた。


「その、お二人の住所と電話番号ですか?」


「はい。昼間、大学に行って聞こうとしたんですけど、事務室が閉まっていたんです」


「そういうことでしたら、私から連絡いたしますか?」


「え?中原さんがですか?」


「いや、ちょっと、おじさんでも厳しいっすよ」


「あー、でも大人が電話したら教えてくれっか?」


「情報開示ってことですか?」


「いえ、とにかく電話してみましょう」


 半信半疑の俺たちを尻目に、中原さんは自分の事務所かどこかに電話をかけ、電話番号をメモした。次にその番号にかけて、「神谷光一の孫で神谷一樹の代理の者ですが」と名乗ったうえで、学生の個人情報を知りたいのですが、と話した。ナナとユウナは無言で顔を見合わせ、そして中原さんに注目した。俺も中原さんを見た。中原さんは、電話口に手を当てて、


「そんなに見られると落ち着きませんな」


と照れ笑いをした。大人の余裕だった。そして二言三言話したあと、


「お二人のお名前は?」


と聞いた。


「法学部法律学科二年の奥村マコトと国際学部英米語学科三年の木島エミです。」


 ユウナは携帯にメモして中原さんに渡した。中原さんはそれをゆっくり読み上げた。そして一旦電話を切って、折り返しの電話を受けると、中原さんは「そうですか」と言ってこっちを見た。


「奥村マコトくんは在籍していないとのことです。」


 俺たちは顔を見合わせた。






 中原さんはエミの実家の住所と電話番号、両親の名前、父親の勤務先をメモして電話を切った。


「在籍してないって…」


「なんで?金払ってなかったの?」


「中原さん、どういうことですか?」


「はい。中途退学ではないようです。最初から入学していないということではないでしょうか」


 窓の外はすでに真っ暗で、肌寒さを感じた。俺は窓を閉めに席を立った。テーブルでは、ユウナが、エミの実家の住所を携帯電話で検索していた。ナナは、「一樹電話して」と、こっちを見て言った。俺は生返事をしながら、気持ち悪さを拭いきれずにいた。マコトは嘘をついていたのだろうか。マコトの、ある意味歪んだ愛情や、借金のこと。何が嘘で何が本当なのか、俺はわからなくなった。吐き気がしたような気がして、思わず口を押さえるような仕草を取った。


「一樹、大丈夫?」


「ナナ先輩も大丈夫ですか?ユウナ先輩も」


「うち、ちょいヤバイかも。気持ち悪い」


「わかる。なんか怖いよね」


 俺たちは、同じような反応をした。


「ま、とりあえず電話すんべ。一樹かけて」


「わかりました」






 俺はエミの実家に電話をかけた。五コール目で電話は転送され、転送先でも数回コール音が鳴ったあと、留守電のメッセージが流れた。俺は名前と電話番号を入れ、至急連絡がほしいと留守電に入れた。


「出ないか」


「かかってこなかったら明日また電話します」


「なあ、エミとマコトは一緒にいるとして、いつからいないんだ?」


 ユウナが突然言った。ナナは少し考えたあと、


「うちとエミが部室を出たのが昨日の二時くらい。エミは一樹から電話くる前に帰って寝るって言ってた」


「マコトは、あたしが電話したのが一昨日の夜中だな。おまえの歓迎会のあとだから一時くらい?おまえとエミがタクシーで消えたって言ったよ。おまえ、このままでいいのか?って説教した」


「ちょっと!待ってください!」


「あ?」


「あれ、俺の歓迎会だったんですか!?」


「そうだよ!おまえ、エミとやれて良かったな!」


 ナナは、高笑いしそうになって、中原さんをチラッと見てやめた。


「ナナやめろって!とにかく、マコトは昨日の夜勤は出てないのは確認しただろ?学校は来てた?」


 ユウナは話をもとに戻した。


「うちは知らない」


「俺も知らないです」


「まあ、いたかどうかはわからんけど、二人がいなくなって丸一日は経つな」


「行こうと思えばどこまででも行ける時間ですな」


 中原さんが言った。もう夜の二十時を過ぎていた。今は電話を待つしかない。エミは確かに講義が終わったら電話しろよ、と言っていた。でも、金曜の夜は電話に出なかった。家にもいない。何かあったと考えるほうが自然だ。そこまで考えて、俺は気づいた。


「あの、エミ先輩の部屋って行ったんですよね?」


「行った。うちら二人で」


「中は見ていないですよね?」


「見てねえ」


「部屋に入ってみません?」


「おまえな、それはダメだろ!キモい」


 ナナに即却下されたが、ユウナは「いや、行ってみたほうがよくね?」と、言ってくれた。


「あたしは一樹の言うとおり、何かあってから後悔したくねえ。部屋で寝てるかもしれないし」


「坊っちゃん、手配しますか?」


 俺は二人に構わず頷いた。


「かしこまりました。行った後のことも決めたほうがいいですな。こういうときは、休みをしっかり取ることが肝心です。現地に行って、そこにいなければ、今日はもう一旦お休みになったほうが良いかと思います」


「そうですね。先輩それでいいですか?」


「そうだな。でもまず行ってからだな」


「うん。早く行こ?」


「わかりました。すぐに手配をします」


 中原さんは電話を手にしながら立ち上がった。そして窓際で通話を始めた。


「つーか、おまえ、坊っちゃんって呼ばれてんのな」


「あ、はい」


 俺は素直に答えた。二人は声は出さずに、手を叩いて笑った。


「しょうがないじゃないすか。産まれたときからなんだし。他の人に言わないでくださいよ」


「わかったから」


「怒んなって」






 中原さんが通話を終え、すぐに来ます、と言ってチョコレートを一つ食べた。俺は、ナナとユウナにチョコレートを持っていくように言うと、「また帰ってくるんだしいいだろ」と言われてしまった。


 二十分ほどで日本キーサービスの千葉さんが、今度は一人で来た。


「こんな遅くに本当に申し訳ありません」


「いつでも大丈夫ですよ坊っちゃん。さ、行きましょうか」


 俺たちは黄色のワンボックスに乗り込んだ。ナナはエミの家を案内した。ユウナが、「一樹、おまえ本当に、何者なの?」と聞いてきた。


「じいちゃんが金持ちだったんです」


 と俺が言うと、ユウナは顔を近づけてきて、


「おまえなら一万でいいよ」


 と耳許で囁いてきた。


「なんてこと言うんですか」






 エミの家は白い外装のアパートで、大学からは電車で二駅離れている。家の向かい側には路上駐車の車があり、そのすぐ後ろにワンボックスは停まった。ナナとユウナが先に歩き、俺、中原さん、社長の順で続いた。階段を登り、二階の一番奥に向かった。まず、ナナがチャイムを押そうとして、人差し指を口に当てた。


「あれ、誰かいねえ?」


 微かだが音が聞こえた。ユウナはすかさず携帯を出し、エミに電話をかけたが、電源は切られていた。


「聞こえますね」


 社長が小声でいった。咄嗟に全員がドアの前の、除き穴の位置から離れた。社長は、やりますか?と聞いてきた。俺は頷いたが、中原さんが手で制した。そして、携帯電話を操作すると、すぐにスーツ姿の男が一人上がってきた。そして、俺のほうを向いて頷いた。俺は、その男が警察官だとすぐに気づいた。


「俺が彼氏の振りをして入って行くんで、中原さんたちは何かあったら突入でお願いします。大声出します。なるべく奥に進んでください。社長さんはすいませんが手前の、トイレとか見てください。ナナ先輩とユウナ先輩は、ここにいてください」


 俺は一人ひとり確認していった。全員が頷いていった。じゃあお願いします、と社長に言うと同時に、社長はドライバーのような道具を鍵穴に差し込み、針金をさらに入れて二、三回動かしたら、すぐに鍵は開いた。俺はできるだけ普通にドアを開けた。中は暗いがテレビはついている。


「エミ、ただいま」


 特別な物音はしない。俺は靴を脱ぎ、奥へ進んで行った。リビングには白いソファーがあり、その正面にテレビがあった。そのすぐ後ろは窓があった。誰もいない。引き返して、中途にあるドアを開けた。トイレと、洋室だったが、どちらも誰もいなかった。


「誰もいません」




 すぐに全員が入ってきた。ユウナが電気を着けた。マコトの部屋と同じく、綺麗に片付いていた。1LDKの間取りを、全員で見た。リビング、洋室、トイレ、バスルーム、


「おまえ、ジロジロ見すぎだから」


「すいません」


 最後にバスルームを見てから、リビングに戻った。


「いねえな」


「なんかねえか?一樹、どうする?」


 俺は中原さんを見た。中原さんは渋い表情をしている。警察官は玄関付近をゆっくり見ている。


「いやいや、最近の子は綺麗にしてるもんですな。うちの孫なんて下着も脱ぎっぱなしですよ。」


「あー、あたしもだわ」


 社長とユウナが、部屋を見ながら言った。俺はエミの茶色の下着を思い出した。肌の色より少し濃い茶色で、レースがついていた。俺は、あのとき、初めてブラジャーに触った。ダメもとで、片手でいじったら上手くホックが取れた。そういう知識だけはあったのだ。


「あ!」


「どした?」


 そこまで考えて、俺はでかい声を出してしまった。みんなが俺を見た。


「あの日、木曜の夜、エミ先輩、茶色の下着でした」


「ちょ、おまえ!」


「待ってください。それで、着替えないでそのまま大学に行ったんです。帰ってきたら、出かける前には着替えませんか!?茶色の上下です。どっかにあります?」


 全員の顔つきが変わった。


「洗濯機!」


「おまえら来んな!」


 ナナとユウナは脱衣場に行った。


「ねえぞ!」


 ユウナが興奮ぎみに言った。


「エミどんな服だった?」


「黒いホットパンツに、でかいトレーナー来てたぞ。ねずみ色」


「ああ、思い出したわ」


「ない!」


 洋室にも、クローゼットにもなかった。






「あの日着てた服はない。下着もそのまま」


 警察官が手帳を出した。


「もう一度、服装言ってもらえます?」


「えーと、黒のホットパンツに、ねずみ色のトレーナー」


 ナナが答えた。ユウナは、おめえグレイとか言えよ恥ずかしいわ、と言った。警察官はそれを無視して、質問した。


「髪型は?」


「茶髪で、パーマで長さは肩より長いっす」


「バッグとか持ってた?」


「持ってたか?」


「ディオール。チェックみたいなやつ」


「どのくらいの大きさ?」


 警察官は、詳しく聞き取り始めた。社長は窓に近づいていたが、「あれ、この窓開いてるぞ。」と言った。全員がそっちを見た。引き戸タイプの窓で、クレセントが外れていた。警察官が窓を開けると、窓の外には小さいがベランダがあった。ベランダにはエアコンの室外機の他はなにもなく、ベランダから覗けば下は草地だった。


「飛べますね」


 と、警察官は言った。そして電話をかけた。


「ベランダの真下、芝生まで行ける?」


 誰かに指示を出しているようだった。ベランダから下を覗くと、やがて闇の中に懐中電灯の光が見えた。警察官は、光に向かって大声を出した。


「なんかある?」


「なにもないっすね」


 携帯電話と下、両方から聞こえた。どうやら、外にもう一人いるらしい。


「そこ、登れる?」


「あー、多分いけます」


 そう言って、下にいる男は一階の部屋のベランダの手すりに上がって、エミの部屋の手すりの下をつかんだ。そして腕の力だけで身体を持ち上げ、二階まで来た。


「余裕だな」


「きついっす」


 もう一人の警察官は、そのまま下に降りていった。






 もう一度リビングで、警察官はナナたちに聞き取りをした。


「まずいことになりましたね」


 俺は中原さんと社長に言った。


「坊っちゃん、キッチンと冷蔵庫、見ませんか?」


「ああ、そうですね」


 俺たちはキッチンに行った。食器類は綺麗に片付けられている。冷蔵庫には、ほとんどものが入っていなかった。水、コーヒー牛乳、サワーの缶、マヨネーズ、ケチャップ、ソース、卵、焼きそば、リンゴ。そして、小皿にラップがしてあった。


「これは、漬け物ですな」


「ゴミも見ます?」


 手分けしてゴミ箱を見たが、ゴミしか入ってなかった。俺は洋室のゴミ箱を見たときに、薄い布団が捲られているベッドを見て、エミ先輩のことを思い出していた。






 そして、腰を下ろそうと思った枕のそばに、短い髪の毛を見つけた。男のものだと瞬時に判断できた。俺はショックを受けたが、すぐに全員を呼んだ。警察官と俺とで同じ髪の毛を数本見つけた。


「これ、誰のかって、わかるんですか?」


 俺は恐る恐る聞いてみた。


「一応鑑識には回せますね。昼間の、岡村マコトくん?彼と同一かどうかは、すぐわかりますよ。」


「奥村マコトですね」


「あ、奥村ですね。彼の毛髪があれば明日にはわかりますね。明日もう一度、彼の家に行って取ってきます。立ち会ってもらえます?」


「大丈夫です。そんなにすぐわかるんですか?」


「はい。鑑識混んでますけど、こっち最優先ですから」


「すいません。ありがとうございます」


 警察官に礼をして、俺たちはリビングに行った。そして、もうなにもでないだろうと判断し、帰ることにした。




「そういえば、昼間の話だけど、ヒロコって女の子の名字はわかりました?」


 警察官が聞いてきた。俺はすっかり忘れてたことを謝った。


「あ、桜田です」


 ユウナが携帯を見て言った。


「じゃあ、この桜田ヒロコも調べますね。」


 帰り際、俺は警察官と社長に再度お礼を言った。エミが見つかったら改めてお礼をしようと思った。






 エミの家を出たのは、二十三時を過ぎていた。俺たちは日本キーサービスのワンボックスで俺のアパートについた。中原さんはそのまま車に乗って行った。これ以上できることはなかった。三人ともくたくただった。


「ちょっとスタバで飲み物買いません?」


「うち眠いからいいわ」


「じゃあ、ナナ先輩先に行ってます?」


「ごめんね」


 俺はユウナと2人でスタバに寄った。


「エミ先輩、彼氏いたんですか?」


「前な」


「そうなんですか」


「なに落ち込んでんだよ。普通にいたから。合コンとか行ったらあいつ一番もてるぞ」


 俺は、また少しショックを受けた。


「このまま会えなかったら俺、悲しいです」


「おまえ、うじうじ言ってたら、またエミに怒られるぞ。あたしら何のために動いてると思ってるんだよ。スパッと見つけてマコトはっ倒すぞ」


「はい。そうですね」


 キャラメルマキアートにシロップを足したものと、チョコレートフラペチーノを買って部屋に帰った。ナナはソファーで携帯を見ていた。


「充電器あります?よかったらこれ使ってください。」


 俺はマルチタップをナナに渡して、和室に来客用の布団を敷いた。風呂場にバスタオルを二枚出して、リビングの椅子に座ってキャラメルマキアートに口をつけた。飲んでしばらくしたら眠気が襲ってきて、いつの間にか机に突っ伏して寝てしまっていた。


 夜中に気がついたら、背中にタオルがかけられていて、和室からイビキが聞こえた。携帯を見たら、登録していない番号からの着信があった。三時だったが、俺は構わずにかけ直した。電話の相手はエミの父親だった。俺はすぐに和室に行き、二人を起こした。ユウナもナナも、タオルケットの下は裸にパンツだった。

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