第8話 失踪4(修正済)
「おまえら昨日やったべ!」
部室で、ナナが執拗に聞いてきた。俺はエミの顔をちらっと見た。
「おまえ、バレバレなんだって!」
ナナが俺の背中を叩いた。痛かった。あんなに強気だったエミが可愛い動物ようにしおらしかった。ナナはニヤニヤしながら俺の顔を見た。エミは決して俺とは目を合わせようとしなかった。
今朝、ラブホテルを出た俺とエミは、タクシーで俺のアパートに行った。そしてそのまま二人で登校した。俺は着替えたがエミは昨日と同じ服だった。ナナたちはあのあと、つまりエミが俺を乗せてタクシーに乗り込んだあとに、すぐ解散したらしい。こうして部室に来ると、事の重大さが知れる。でも俺は全然後悔していなかった。嬉しい気持ちでいっぱいだった。誰かに言い触らしたいとか、そういうわけじゃなくて、ただ、昨日のエミとの行為に心が満たされていた。だから、ナナのいじりも嬉しかった。
俺は午後は全部講義で埋まっていたので、昼食を食べたら先輩たちとは会わないが、エミはかなり気まずそうだ。
時間が来て、俺がそろそろ行こうかと立ち上がったとき、ユウナが凄い剣幕で部室に入ってきた。
「エミ、てめえなにしてんだよ!」
部室に入るなり、エミに詰め寄った。
「うん」
エミは顔を伏せた。
「うんじゃねえよ!どういうつもりなんだよおまえ」
ユウナは激昂して、エミの襟首をつかんだ。
「別にいくね?」
エミがそう言った瞬間、ユウナはエミを突き飛ばした。
「いい加減、愛想尽きたわ」
エミは後ずさって壁に背中をついた。ユウナは俺のほうを向いて、
「キメえんだよ!」
と言って部室を出ていった。俺はユウナに圧倒されていた。
「なにあれ、だっさ」
と、ナナがユウナに聞こえるように言いはなった。
「すいません」
俺が言うと、
「なんでてめえが謝んだよ!」
と、エミとナナに同時に言われた。
「一樹、講義だろ。早く行けって。終わったら電話しろよ」
エミがそう言って俺を部室の外に出した。エミは意識したのかわからないが、一樹と呼ばれるのは初めてだったように思う。
明日、土曜日は尾見くんたちと花見に行く予定だった。俺は全ての講義が終わったあと、どこか重たい気持ちになりながらも、エミの携帯に電話をかけた。エミは電話には出なかったので、あとでもう一回かけようと思い、家に帰った。
家に帰ってからも、もう一回電話したが、エミは出なかった。そして、尾見くんから明日の連絡を兼ねて電話が来たので、俺は昨日からあったことを、かいつまんで話した。尾見くんはとても喜んでくれた。そして、しっかりけじめをつけた方がいいとアドバイスをしてくれた。なるべく早いうちに、と。
電話を切ったあと、再度エミに電話をかけた。今度は四コール目でメッセージが流れた。
「おかけになった電話番号は…」
電話が繋がらない度に、盛り上がっていた気持ちが段々と平常に戻っていった。同時に、これはただ事ではないという気にもなってきた。エミの携帯電話の番号は知っていても、家の場所もバイト先も、彼氏がいるかどうかも何もわからない。今すぐ会って色々と聞きたい気持ちになった。でも、電話が通じない以上はどうすることもできない。俺は朝方まで携帯を見ながら、気づいたら寝ていた。
土曜の朝、いつもより遅く目が覚めた。約束の時間は十二時に桜公園。今から朝食を食べて風呂を沸かして入っても間に合う時間だった。テレビをつけて、風呂を洗ってお湯を出した。テレビではワイドショーが入っていたので、ニュースに切り替えた。ちょうど、農家から二十万円相当のトマトが盗まれたというニュースをやっていた。あとで尾見くんの意見を聞こうと思った。
エミからは結局連絡は来なかった。俺は一晩かけて、そういうものだ、と割り切っていた。エミにはエミの考えも立場もある。月曜に部室に行ったときには、エミに合わせてしっかり振る舞わなければならない。
エミは、みんな仲間だと言った。仲間の中では、やってもいいことと悪いことをわきまえなければならないし、やってもいいけど大っぴらにはしてはいけないことだってあると思う。今回のことはきっとそういうことだ。中学の頃なんかは、部活でうまくいかないことがあれば先生が必ず話を聞いてくれたが、ここではそうもいかない。誰かを傷つけたのだとしたら、その責任は自分にしかない。昨日のユウナを見て俺はそう思った。俺は、多分誰かを傷つけたのだ。コーヒーを淹れたが、穏やかな気持ちにはなれなかった。
尾見くんから、一度大学に寄るのでついてきてほしいと電話があった。それで、十一時に待ち合わせて合流した。
「先輩が手伝えって」
「そういうのなら大歓迎だ。だって俺、なんにもしてないし」
「俺もだけどな」
久し振りに来たホリの部室には、段ボールが山のように積んであった。
「先輩、これなに?」
「おお、悪いんだけど運ぶの手伝ってくれ」
段ボールは、ほのかに湿り気があった。
「先輩、もしかしてこれ全部桜公園に運ぶの?」
「あ、違う違う。これは俺のバイト先の荷物。手伝ってくれたらあとから給料出すよー」
「まじで!?」
段ボールは二十個は優に越えていた。
「北門のとこに店の車あるから、そこまで頼む」
「十二時から桜公園でしょ。大丈夫なの?」
「だから、二人に頼んでるんだろ。一人、二千円出すから」
尾見くんは俄然やる気になった。北門はここから正反対のところにある。歩くと結構な距離だ。サークル棟は大学の敷地の南側にあるし、ついでにいうと駅もアパートも南側にあるため、いつもは南門しか使わない。俺は、料理研究会で買った台車を思い出した。
「俺、料理研究会で台車買ったんだ。部室開いてるかもしれないから、一回行ってくる」
「一樹くん、さすが!尾見が千円で一樹くん三千円だな」
「先輩!俺、帰るよ!」
「冗談だって」
二人のやり取りを最後まで聞かずに、俺はエレベーターに乗った。
期待はしていなかったけど、意外なことに部室の扉が開いていた。おはようございます、と中に入りかけてやめた。言い争っているような声が聞こえたからだ。ナナとユウナだ。
そういえば、昨日ユウナはなぜあんなに激昂していたのか。単にサークルの風紀を乱したからとか、それだけじゃないことは確かだ。エミと連絡が取れない以上、俺はユウナに話を聞くべきじゃないのか。そして、俺の非は素直に認めて謝るべきだ。非がないのならちゃんと言おう。俺はエミのことが本気だと。そこまで考えて、覚悟を決めて俺は部室に入った。
ナナもユウナも、存外普通に話していた。ナナは俺の顔を見るなり、
「お、ちょっと話聞かせろよ」
と言ってきた。俺は二人に挨拶し、台車の件を話した。
「おまえ、そんなのどうでもいいから。エミとどうなった?」
ユウナが聞いてきた。
「はい。昨日何回も電話したんですけど、電話に出なくて」
「エミが?」
「はい」
ナナとユウナは顔を見合った。
「昨日講義終わったら電話するって言ってたじゃん。おまえら一緒にいたんじゃねえの?」
「俺は、昨日はずっと一人でした」
俺は意を決して、ユウナに切り出すことにした。俺とエミのことについて。
「その、俺、まだ会ってからそんなに経ってないけど、エミ先輩のこと、本気なんです」
俺はユウナに向かって言った。ユウナは吹き出した。
「あたしに言ってどうすんだよ!」
「いや、昨日ユウナ先輩怒ってたから」
「ああ、それな」
「おまえ、聞いてないの?」
「なにをですか?」
「マコトのこと。あいつさ、高校でエミと付き合ってたんだと。エミは大学でこっちに来たら、次の年にマコトも来ててビビったって言ってた。なにがあったか知らねえけど」
ナナが言った。ユウナも
「あたしも昨日、ナナからその話聞いて、あー、だったらしゃーないわってなった。マコトずっとエミのことしか見てなくて、一年間見てて辛かったんだわ。けど、別れた彼女を追いかけて、同じ大学に入るとかさ、そんなストーカーみたいなことしてるなら嫌われて当然だわ。マジありえん」
「エミはずっと話してくれなかったけど、昨日の午後、おまえが講義に行ったあとに話してくれたの」
「あたしはむしろ、エミがこの一年よく我慢したって思うわ。あんたが入ってきて、エミ変わったんだよ」
二人は矢継ぎ早に話した。俺は圧倒されながらもなんとか二人の話をまとめた。マコトとエミは同じ仙台市内の私立高校に通っていたこと、そこでマコトとエミは付き合っていたこと、エミが先に千葉に来てその一年後にマコトが同じ大学に入ってきたこと、そのときには二人の関係は真っ新でマコトだけがエミを追いかけまわしていたこと、マコトはこの一年間、友だちらしい友だちを作らずに、ひたすらエミやナナと行動を共にしてきたこと。
正直、俺はマコトのエミに対する気持ちには気づいていた。あのとき、マコトは俺にそれを伝えたかったはずだ。マコトは俺に釘を刺したのだ。だが俺は、そういう状況下で不思議なほど燃えた。マコトが打ち込んだ釘を、俺はいつの間にか跳ね返していた。
「んで、結局エミはなにしてんのよ。補講も出てないし」
「ほっとけばよくね?」
「こいつが可愛そうじゃね?」
ナナとユウナは俺を見た。
「エミは考えすぎなんだよな。自分のせいでサークルが、とか思ってんじゃね?」
「サークルなんてどうでもいいのにな!」
そう言って二人は笑った。
「一樹」
ユウナに名前を呼ばれた。
「はい」
「おまえは花見行ってこい。エミには時間がいるわ。夜にはおまえに電話するように言っておくから」
「んだな。あたしらも明日花見行こうぜ。おまえ今日はどこでやんの?」
「千葉公園です」
「じゃあうちらも行く?」
「行きてー!とりあえずエミ呼ぼ!」
ユウナとナナのお陰で、心がずいぶん軽くなった。
「ユウナ先輩、ナナ先輩ありがとうございます」
俺は思わず頭を下げた。うちらの周りにおまえみたいな男いねえわ、と言われた。
時間が経ってしまった。俺は台車を持ってホリに走った。
「一樹くんの取り分は千円だなー。あ、尾見も千円」
「一樹、おまえなにしてたんだよ」
「ごめん。あとで話す。大事なことで先輩と話してた。堀先輩すいませんでした」
「とにかく、急ぐぞ」
俺たちは三人がかりで段ボールを運んだ。最後は先輩も後輩もなかった。汗をかいて、くたくたになった。
「一樹、あとで風呂奢れよ」
ハイエースのトランクを閉めて、俺たちは息を整えた。
運転席には堀先輩よりかなり年上の、目付きの鋭い男が座っていた。男は窓から顔を出して礼を言い、車を走らせた。
「今の人って、ヤクザじゃないの?」
俺も思ったことを尾見くんが聞いてくれた。
「おまえは首突っ込まんほうがいいぞー。その気になったら紹介してやるから」
「先輩、あの荷物は結局なんなのさ。手伝ったんだからそのくらい教えてよ」
「やるなら教える。やらないなら教えない」
「またそれ。ちょっとくらい教えてくれないとやるもやらないもないよ」
「甘ったれんな尾見。金になる情報をただでやるわけないだろ」
その一瞬だけだが、堀先輩がいつものトロンとした口調ではなく、鋭い口調に変わったような気がした。堀は、相変わらず笑顔だったが、逆に俺も尾見くんも驚いてしまい、それ以上は何も言えなくなった。
その後、俺たちは花見会場に遅れて行った。堀先輩からメンバーに紹介されると、ビールの缶が回ってきて、俺はビールを一気に飲んだ。旨いのは最初の一口だけ。あとは気合いで流し込んだ。肉の焼けるいい匂いがしてきた。俺たちは食って飲み、はしゃいだ。二時間くらい経ってもテンションは全く落ちなかった。メンバーは男が八人、女が二人。女は二人とも敬語で喋っていた。そしてやたらと肉とビールを持ってきてくれた。料理研究会の先輩と比べて新鮮だ、と尾見くんに言うと、あの人たち怖くて近寄れないと尾見くんは言っていた。その話をしていたら、あれ、料理研の人じゃない?と、隣の男に肩を叩かれた。ふと見ると、ナナとユウナだった。俺はテンションのままに、大声で叫んで手を振った。ナナとユウナは走ってきた。おっかない人たち来たよ、と尾見くんは言った。
「一樹!ちょっと来て!」
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