Brand new my lover. 1


 定時で仕事を終え、タワーマンションの高層階に帰宅。


 ”彼女”にただいまと告げた後、シャワーを浴びてリフレッシュ。


 夕食は買置きで適当に済ませソファに腰かけなおすと、黙ってこちらを見つめる白のネグリジェ姿の彼女に向き合った。


 黒の長髪の彼女の第一声。


「今夜は二人でゆっくり楽しみましょう。勉さん」


 清楚であり、かつ蠱惑的こわくてきな声色が耳をくすぐった。


 俺は冷静さを取り戻すようにふうっと息を吐いてからこう返した。







「それは……春美さんのつもりか?」







「さあ、どうでしょう? 勉さんがそう思うのならそうかもしれませんね」



 艶やかな髪を揺らしながらけらけらと笑うと、彼女は一瞬で元の髪色に戻った。

 


 ――それはどういう意味だ?


 と返したくなるが、それではやつの思うつぼだと自分に言い聞かせて矛を収める。



 いつもは後ろで結っている茶色の髪を肩に垂らし、ゆったりとしたネグリジェ姿でくつろいでいる彼女の名はファシリ。リアルには存在しないPC内だけの存在。

 こう見えて、我が社が誇る日本の最先端コミュニケーションAIだ。


 俺が帰宅した時は秘書のような仕事着だったのに、いつの間にか寝間着に着替えてしまっている。


 彼女曰く、“この姿の方が成人男性へのウケが良いので――”という事らしいが。



「まったく、そんなイタズラどこで覚えたんだよ!」


「ディープラーニングで日々研鑽しているんです!」


「自慢気に言うな! せっかくならもっと為になる事をだな……」


「ちゃんとコミュニケーションに役立つことも勉強してますよ?」


「例えば?」


「そうですね……。例えば人を依存状態に陥らせて意のままに操る人心掌握術とか」


「……」


「冗談ですよ⁉」


「なぜか冗談と思えないんだが……まあいい」



 俺は一旦落ち着こうとコーヒーを注ぎに席を立った。

 マグカップを所定の位置に置き、ただボタンを押すだけの至極簡単な作業。

 微かな作動音とともに匂い立つ香ばしさに満ちた蒸気を吸い込むとほろ苦い記憶が鮮明に蘇ってきた。


 口ではあんな風だが、ファシリには本当に世話になってきた。


 元々は優に頼まれて始めたモニターだったが、俺が夢に向かって再起するきっかけを作ってくれた。そして春美さんと引き合わせてくれたのも彼女だ。

 さらに言えば俺の不誠実さが原因で春美さんと絶縁しかけた仲を再びつなぎ合わせてくれたのも彼女。


 ファシリがいなければ今の俺は無く、ただ日々に絶望しながら腐っていたと思う。


 そう考えると依存症と言われても仕方ない。

 まあ、別にそれならそれでもいいとさえ思える。


 それがまさに彼女の術中にはまっているという事なのかもしれないが、既にかけがえのない人生の一部になってしまっているのだから、今さらそれを取り除くなんて考えられない。



「勉さん!」



 その呼び声で、過去にふけっていた俺の心が一瞬で現実に引き戻された。


 ――もしかして無視していると思ってねたのだろうか?


 俺は少しだけ急いでコーヒーを手にソファに戻った。


「どうしたんだ?」


 落ち込んでいるのかと思いきや、大きな瞳を爛々と輝かせて、


「春美さんがログインしました!」


「……そうか」


「あれ? 嬉しくないのですか?」


「いや、そんなことはないぞ。最近はあまり会えてなかったからな」


「最近あまり会えてなかった……ねぇ」


「……なんだよ」


「だってぇ、週末は必ず会ってますしチャットだってたった一日空いただけじゃないですかぁ」


 クスクス笑うファシリから俺はさっと視線を逸らして、火照った頬を右手で覆った。


「こ……言葉のあやだ」


「さて、それはどうでしょうか」


「いいからさっさと繋いでくれ!」


「はいはーい♡ では、ごゆっくり~♪」


 適温より高めのコーヒーをやけくそに一気に飲み干して、気持ちを切り替える。



 なんだかんだ春美さんとは仲直りしてまだ一か月しか経っていない。

 それこそちょっとした言葉のあやであったり、勘違いで関係が悪くなることだって十分考えられる。


 それに、仲直りしたばかりだからこそ、春美さんと過ごす時間がとても貴重なものに感じられる。


 だから何気ないおしゃべりも大事にしていきたい。



 俺はそんな事を考えながら『接続中』の画面を眺めていた。

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