Honesty sign.


 いつもの食堂で食後のカプチーノを飲みほした俺は、ニヤニヤと口角を緩ませる対岸の男を見やった。


 茶色がかった短髪の左半分を緩いオールバック風にかき上げた、いかにもモテそうな30代前半のその男。覗く額は自信のあらわれか。


ゆう、言いたいことがあるならさっさと言え」


 俺が軽く吐き捨てるようにそう言うと、やつは待ってましたと言わんばかりにくいっと眉根を持ち上げて答える。


「例えばさ、二人の女性のどちらか片一方を選ばなければならない。片方を選んだらもう一方は不幸になってしまう。そんな状況……勉ならどうする?」


 何の脈絡もない、漠然とした奇妙な質問。

 だが、この男ならありうる。

 人をからかう事を趣味にしているような人間だ。真面目に考えて答えるだけ馬鹿を見るのが目に見えている。


「別に両方選べばいいんじゃないのか?」


 どうせモテ男の愚痴に見せかけた自慢話だろうと思って投げやりに答えて見せると、優は至極真剣な視線を俺に向けてきてこう言った。


「真面目に答えてくれないか……勉」


 一体何なんだ……と躊躇はしたが、優の目を見て俺は真面目に答えてやろうと決心する。

 無意識であろうその仕草。

 普段はにんまりと細めた瞼をキッと持ち上げるこの癖は大学時代から変わらない。

 優がこの目をする時は決まって『真面目な話、本当の話』をする時だ。


 えーと……質問は確か二人の女性のどちらか片一方を選ばなければならない。片方を選んだらもう一方は不幸になってしまう。おまえならどうする?……だったな。

 

 質問が漠然とし過ぎているが、俺が取りうるアクションは大きく三つ。


 ①両方選ぶ。

 ②片方を選ぶ。

 ③どちらも選ばない。



「……そうだな。もし、俺がどちらも選ばない事で二人の女性を不幸にしてしまうなら、俺は必ずどちらかを選ぶ……と思う」


 二人の女性、そして“自分”がどういった状況に置かれているのかわからないのでこのように答えるしかない。



 すると優は俺の心の内を見透かそうとするように視線を鋭くした――と、思ったら急にまたいつものにやついた緩い顔に戻って、


「そうか……勉ならきっとそう答えてくれると思ったよ」


 と一人だけで勝手に解決したように和んだ空気を醸しだしはじめる。

 当然俺は納得いかず、


「それでその質問の意味は何なんだ? 心理テストなら答えを教えてくれないか」


「ああ、これはだな――」



 と優が切り出したところで思わぬ邪魔が入った。


 ――いや、むしろ邪魔なのは俺の方だったのかもしれない。


 一瞬だけ俺に向けられた“彼女”の怪訝な視線にあてられそう思った。


「副チーフ! こんなところにいたのですね。無駄な時間を過ごしてないで早くプログラムの作成作業に移って下さい。副チーフに骨組みを作成して頂かないと私も仕事ができないのです」


 黒髪を後ろで結わえて赤い花のかんざしで留めたその女性は、表情を変えずまるで感情の無い合成音声のような語り口で優に迫った。


「ごめん、ごめん。でもまだ昼休み中だよね? 仕事が詰まってきているのはわかるけどさ。もっと肩の力抜いていこうよ」


「AI事業は日進月歩なのです。私は一分一秒が惜しいのです。この方とおしゃべりしている時間は副チーフにとって無駄だと言わざるを得ません。さあ、今すぐ部署に戻ってください」


 明らかに年下(推定26歳前後)の女子社員の言葉尻にさりげなくダメージを受けていると、優が申し訳なさそうに視線を送って、俺は気にするなと言うように首を横に振った。


「ははは……。まいったなぁ……じゃあ、五分後に戻るからさ」


「約束しましたからね。それでは失礼します」


 と、優にだけ頭を下げて俺の存在を無視するかのようにそそくさと帰っていった。



「誰なんだ彼女は? ……というか、お前のチームに女性っていたか?」


「あ? ああ、勉はまだ直接会ったことが無かったか。彼女は亜院えいん蓮華れんげ。今年コミュニケーションAI開発チームに入ったばかりの新入社員さ」


「今年……ってことはまさか彼女が……」


「そう。勉にとっては因縁の相手と言えるかもな」



 現広報部でありながらAI開発部への異動を所望する俺。

 半ば諦めかけていた俺が奮起し、やっとの思いで勝ち取った暫定的な異動決定を白紙に戻した張本人。

 つまり俺の代わりに開発チームに入った人物だ。


 異動を白紙にされたという事実がショックすぎて、どんな人物かなんて気にも留めていなかったが。


「そうか……彼女が……」


「ああ。有力政治家の一人娘で、成績優秀。控えめに言って挫折をしらないような……まあ、あれも一つの天才だな」


「なら、実力で入ってきた……ということか」


「うーん。それについては黒い噂もいろいろあるからなぁ」


「黒い噂?」


「ああ。前の会社では入社後すぐにチームリーダーに抜擢されてそれには父親の影響力があるだろうとか、あまりに厳しいノルマを部下に与えて自殺未遂にまで追いやったとか。それが原因で同系列の我が社に異動になったとか……」


 俺は咄嗟に先ほどの彼女の様子を思い出して、さもありなんと思ってしまった。


「まあ、でもあくまで噂だからな。それに接してみるとわかるが根はいいやつだぞ?」


「そう……なの……か?」


「ああ。ああ見えてかわいい時もあるしな」


 ダメだ……全く想像ができない。


「俺はお前の女の趣味がわからなくなったよ」


「まてまて、あくまで部下としてだ」


「どうだか」



 まあ、それはともかくとして優が天才だという程なのだから実力としては文句なしという事だろう。

 コネだけの採用で無いのなら俺の気も少しは紛れる気がした。



「それで例の問いの答えはなんなんだ?」


「ああ、そう言えば途中だったな。実は今度の俺の誕生日に二人の女性からディナーに誘われてて――」


 はあ……結局そういう事かよ……。

 俺は一瞬でも真面目に考えた十数分前の自分を呪った。


「それで――って、勉聞いてるか?」


「優……さっきの答え、前言撤回だ」


「は?」


「お前が不幸になれ!」





 



 

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