Do you remember that time ?


 “彼女”からのランチのお誘い。

 それをファシリに任せた結果――




「こうして二人きりで食事するなんてずいぶん久しぶりね。勉君」



 俺の目の前でやけにうきうきしているのはかつての妻、真理だった。



「そうだな、真……式波」



 彼女の事を慣れ慣れしく下の名前で呼び捨てるのが申し訳なくなって咄嗟に名字で言い直した。



「あえて上の名前で呼びなおすなんてそれは私に対する嫌味かしら?」


「い、いや、そんなつもりは無くてだな。これは……その……すまん」


「まあ、いいわ。それにしても相変わらずいい趣味してるわね」



 彼女が褒めているのはレストラン選びの事。


 ここは複合型ショッピングモールの二階にある西洋風レストラン。

 港街を意識した青と白を基調とした内装で、壁面にガラスを多用する事により解放感を演出している。

 ランチの価格帯は1500~2000円程度とやや高めだが、とにかく立地がいい。

 駅に近い事もそうだが、ここを出て陸橋を渡れば徒歩で美術館まで行けてしまう。

 何より真理が気に入ってくれているのだから大正解という事だ。


 ――まあ、予約したのは俺じゃないんだけど。



「しかもまさか二つしかないバルコニー席を予約してくれるなんて気が利くじゃない」


 真理はそよぐ潮風に髪をなびかせながらニヤリと笑った。


「はは……まさか俺も本当に席が確保できるとは思ってなかったよ」



 ――まあ、予約したのは俺じゃないんだけど。



 解放的なウッドデッキ調のバルコニーには白い丸テーブルが二つだけ。

 気温は高いはずだが陽射しよけのオーニングと爽やかな夏風のおかげで快適この上ない。

 店内を改めて覗くと席は全て埋まっていて、人気のはずのこのバルコニー席がよく前日に予約できたものだと改めて驚いた。




「それと意外だったのがもう一つ。勉君にまさか絵画鑑賞の趣味があったとはね」


「まあ……な。俺も真理がゴッホを好きだったなんて知らなかったよ」


「学生の頃は良く美術館に行ってたけど医者になってからは中々行けなくてね。だからちょうど良かったわ。ありがとう勉くん」


「あ……ああ」


 真理は俺がデート?のためにセッティングしたのだと思っているのだろうが、実際は逆。

 だがそれを素直に言ってしまうと不機嫌にさせそうだったので濁した。




 そして俺がデートに疑問符をつけたのはこれは厳密に言えばデートでは無い。

 それは真理もわかっているはず。


 ではなぜこんな事になっているかと言うと――



「ところで勉君。こうして会ってくれたということは私との約束は忘れてないってことよね?」


「もちろんだ」



 上品な笑顔の下に忍ばせた鋭い眼光を察して俺は即答した。



 約束――


 それは離婚を成立させるために彼女が出した条件。



「真理が望んだ時、いつでも何をしている時でも必ず会って愚痴を聞く……だよな?」


「ふふふ、よく出来ました」



 ふう。

 この条件を提示された時は嫌な予感がしていた。

 その言葉通り仕事中でも真夜中でも出張中でも関係なく呼び出されるのかと、それが俺に対する復讐なのではないかとビクビクしていたが、実際に呼び出されたのは休日で心底ほっとした。


 まあ、ファシリを介したお誘いメールの文句は命令系で拒否権はなかったのだが。


 

「それで、愚痴ってなんなんだ?」


 俺なんかに話して気が軽くなるとは思えないが。


「実は病院でね……」


 いつもの高圧的な彼女らしくなく、トーンを落とし話し始めた真理の声に俺は真剣に耳を傾け始めた……のだが。



「……というわけで、面倒な事この上ないのよ! 同僚や上司に会うたびに『真な……式波さん』って申し訳なさそうに言われる私の気持ちがわかる⁉」


「す……すまん。ていうかお前、やっぱり名字変わった事根に持ってたんだな」


「別にぃ? 外来患者さんの視線がネームプレートから私の顔に映って『あっ、察し』って顔されるのにももう慣れたしね!」


「それは本当に……すまん」


 やっぱり滅茶苦茶根に持っていらっしゃる。


 というかこれ愚痴って言うかほとんど俺に対する糾弾じゃないのか?



 プレートランチが運ばれてきた後もそんな調子で彼女は愚痴を吐き続け、俺は聞き役に徹した。


 そしてメインの料理を食べ終わるごろになると、フラストレーションがある程度解消されたのか、少し穏やかになってきて、



「……まあ、私も悪かったわ」


「そうだな……って、え?」


「私も急に婚約を押し付けて悪かったって言ってるのよ」



 俺は驚きを隠せなかった。

 真理からは一方的に恨まれているだけだと思っていた。

 心変わりで彼女との約束を破ってしまったの俺なのだから。



「お前が謝る必要はない。俺はお前との約束を守れなかった」



 俺がそう言うと、真理は無言で顔を逸らし水平線を見やるように視線を据えた。 



「勉くんはあの頃の事覚えてる?」


「あの頃?」


「私と勉君が再開した時の事」


「ああ、覚えてる。真理が働く医局で画像診断システムのプレゼンをした時だよな?」


「そう。あなたはあの時まだ入社して数年の若手社員。一件でも多く仕事の契約を取り付けようと必死だった。そして私は接待を受ける側で立場が上。私はそれを……利用したのよ」



 ――立場を利用した?



 俺はこれまでそんな風に考えたことが無く、言葉に詰まった。


「あの時の私はとにかく周りから独り身であることをからかわれのが嫌で嫌でたまらなかった。そんな時、あなたと偶然再会した時にこれだって思ったの。あなたは中学時代の同級生で全くの赤の他人というわけじゃない。しかも、立場的にあなたは私の誘いを断れない。偽装夫婦の契約をしたとき、あなたは意識していなかったかもしれないけれど、断りにくい雰囲気の中であなたは選択をさせられた。つまり私は……あなたを騙したのよ」



 まるで観念した犯人の供述のようにつらつらと吐き出された言葉に俺は絶句した。


 ――真理が俺を騙した?


 俺の選択は誘導されていた?

 本当の被害者は真理ではなく俺――



「いや、それは違う!」



 自分を戒めるための言葉が思わず声に出ていた。

 そしてその勢いのまま、


「俺は自分の意志でお前と約束した! お前にどんな思惑があったとしても俺は――」


「でも――」


「確かに俺も初めは接待するつもり満々だったよ。だからいきなり偽装夫婦の提案をされた時は本当に驚いた。でも、俺も同じなんだ。周りから結婚の事であれこれ言われるのが煩わしくて、お前の提案を聞いて偽装夫婦も悪くないのかなって。そして俺は絶対にお前を裏切らなという約束を破った。だから悪いのは俺なんだ。お前が謝る必要なんてないんだよ!」 




「わかったわ。じゃあ、そうする」



「え?」



 あまりの変わり身の早さに俺は拍子抜けした。



「確かに悪いのはどう考えても勉君よねぇ? 戸籍上とは言え夫婦になったのに結婚式も開いてくれなかったし、キスもした事ないしぃ、一緒に寝た事もないし。というかそもそもずっと別居状態だったしぃ? あーあ、ほったらかされてほんとさみしかったわー」


「最後棒読み……というかそれは元々そういう約束だっただろ?」


「あら、ちゃんと覚えていたのね」


「もしかして俺をからかったのか?」


「そうよ。でも半分は本音。言いたかった事が言えて少しスッキリしたわ」


「まったく……」


 あの時から分かっていたけど苦手なやつだ。


「とにかくこれでお互い言いたいことは言い合ったし両成敗って事でいいわよね?」


「まあ、文句はないが……」


 これで本当に水に流してしまっていいものかと少し後ろめたくなったが、真理が醸し出す自身家特有の雰囲気に押され引き下がってしまった。



 ……こういうのが良くないのかもしれないけど。



 そんな事を想いつつも、どこか吹っ切れたように穏やかな笑みを浮かべる真理の顔を見ていると水を差す気にもなれなかった。




 そうこうしている内に食後のデザートとコーヒーが運ばれてきて。


 熱々のブラックコーヒーを一口飲み込んでほっと一息肩の力を抜いた瞬間――







「それで春美さんとはうまくいってるの?」







 突如吹き抜けた潮風が額から首筋へと伝う汗を冷やした。 

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