Entrast me to you.
それから2週間が経過して八月末の土曜日。
いつも通り外食を終え帰宅した俺を迎えてくれたのはFaciliで、これまたいつもの様に料理の感想や店の雰囲気などを報告する。
「……という感じで中々落ち着いた雰囲気があって良かったよ。食後のデザートもランチのサービスとは思えないクオリティで満足できた。また行っても良いと思う。……遠いけどな」
「他に何か気になる出来事はありませんでしたか?」
「気になる事か……」
店の雰囲気を思い出そうとして俺が目を瞑ると、初めに浮かんできたのは“ある絵”だった。
「そうだな……店に飾られていた絵がとても印象的だったな」
「それはどんな絵だったのですか?」
芸術的な事はさっぱりわからない。
だからせめてどんな絵だったのかをなるべく詳細に思い出しながら、自分の言葉で伝えていく。
「星が大きく空に浮かぶ夜の通り。だけど目を惹かれてしまうのは星の光じゃなくて、カフェのオープンテラスの黄色い光が鮮明で、賑やかで……だけどどこかほっとするような……」
「なるほど。それは恐らく――」
「「夜のカフェテラス」」
どうやら俺の認識は間違っていなかったようで、ファシリが画像検索で引っ張ってきた絵画と一致する事で確信を得た。
それは春美さんが好きだったゴッホの作品だった。
「勉さんよくご存じですね」
「まあな。正直絵の良しあしなんてよくわからないんだが自然と目に入るんだよ」
言ってからおれはしまったと思った。
自然と目に入る理由は春美さんが好きな画家の絵だったから。
春美さんとフレンドだった時に自分なりに作品を調べていたから何となく目についてしまうのだ。
「……なるほど。つまり勉さんは――」
「――ゴッホの絵に興味が出てきたという事ですね?」
「……ああ、たぶんそういうことだな」
ふう、危なかった。また余計な気を使わせてしまうところだった。
「勉さんはゴッホが好き……なるほどなるほど……」
一人悪そうな顔でニヤつくファシリ。
「おい……何笑って――」
「あの! そういう事ならぜひとも勉さんにお勧めしたいイベントがあります!」
「イベント?」
「はい。実は今某美術館でゴッホ展をやっていまして、そちらの方に足を運んでみるのはどうでしょうか?」
「いつ?」
「明日……はいかがでしょうか?」
「いやに急だな」
「ゴッホ展は来週末までやっているのですが、休日に限っては明日が最後なのです」
「なるほどな。まあ平日でも行けなくはないがゆっくり見るなら明日だな」
「はい! それで……いかがいたしましょうか?」
ゴッホ展――
俺は本当に行きたいのだろうか?
全く興味が無いと言えば嘘になる。
だけど興味を持ったのはやはり春美さんが好きなモノを理解したかったから。
彼女があんなにも目を輝かせて話してくれたものだったから、自然と美しいと思えてしまう。
でも今になってそれを追いかけてどうなる?
春美さんとまたやり直せるわけでもない。
作品にふれたら彼女の事を思い出して落ち込むだけじゃないのか?
ただの偶然なのか、ファシリが紹介してくれたレストランは高確率でゴッホの絵が飾られていてそれを見るたびに春美さんの事を思い出していた。
だけどそれで気分が落ち込んだりはしなかった。
ただ――
――今春美さんはどうしているのだろうか?
――描きたい絵を描けているのか?
――コンクールは?
――男性恐怖症は?
……
……
……
――もしかして、人通りの多い道端で一人怯えているんじゃないだろうか?
次々と疑問符が湧いてきて頭を埋め尽くす。が、俺には知りようが無いという現実に気づかされるたびに胸が締め付けられる思いだった。
本当にそんな気持ちを味わいに行きたいのか?
――いや、答えはもう決まっている。
ファシリが勧めるレストランにゴッホの絵が飾られている可能性が高い事を知ったうえで俺はそれに気づかないふりをしてあえてその提案に乗り続けていた。
――だから、
「行くよ」
それは身勝手な自己陶酔なのかもしれない。
都合のいい解釈なのかもしれない。
だけど彼女を思い出す度にこの胸に疼く切ない痛みを、俺は忘れたくないと思った。
それからファシリは手際よくゴッホ展の入場券を確保してくれた。
「はい、勉さんのスマホに電子パスを送っておきましたので当日はそれをかざせばスムーズに入場できますよ」
「ああ、ありがとう」
休日における最終日となっては混雑も予想されるのでこの配慮はありがたい。実にできるやつだと改めて関心した。
一方で、
この一連の流れが全てファシリに乗せられた事なんじゃないかと、俺はうすうす気づいていた。
いくら高名な画家とはいえ、同じ画家の絵が飾られているレストランにそう何度も偶然に行き着くことなどあるだろうか。
きっとファシリは春美さんとの思い出を美しいものにしてくれようとしている。
過去を過去として認識して次に進むための足掛かりを作ってくれている。
確信は無いし本人に問いただすような無粋な真似もするつもりもないが、なんとなくそう思った。
「……さん。勉さん!」
「ん? なんだ?」
「なんだ……じゃないですよ! ずっと呼んでたのにボーっとして、無視されてるのかと思って傷付きましたよ⁉」
「いや、す……すまん。ちょっと考え事をしてて……で、何か用か?」
「あ、はい、そう言えばそうでした。つい本題を忘れてしまっていました。へへ♡」
「そ……それで、その本題というのは?」
「“あの人”からのお誘いメールです。明日の昼に会って話せないかと」
「そうか、明日か……ってゴッホ展はどうしたらいい? もう予約してしまったぞ⁉」
「大丈夫です! 全て私にお任せくださいっ!」
そう言って小さな胸を張る彼女に俺は全てを委ねる事にした。
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