He was friendly.


 平穏な日々が続き、春は終わって夏の季節がやってきました。


 

 夏休みまで残すところあと二週間。



 国立の医学部を目指す隆也くんにとって、夏休みはあって無いようなもの。

 そんな中でも私と海に行く約束をしてくれていて、私はそれだけですっかり浮かれていました。


 授業中や休憩時間。

 ついつい気が緩んで隆也くんを見つめて微笑んでしまいそうになるのを、はっと口に手をあてあくびを我慢する仕草やぐるっと視線を泳がせる仕草で誤魔化します。


 香本さんはあれから私に突っかかることはありません。それどころかまるで私なんて眼中に無いといった様子で隆也くんとフレンドリーに話しています。


 それがうらやましくもあり、申し訳なくもあり、そんな時も視線を彷徨わせては気を紛らわしていました。



 ……それにしても私の気のせいでしょうか。



 最近、“彼”とよく目が合います。



 例によってその方とはほとんど話したことがありませんが、名前くらいは知っています。



 森須もりす圭介けいすけくん。


 パーマのかかった柔らかそうな黒髪。まつ毛にかかる程に伸ばした前髪から覗く細めの視線は少しミステリアス。


 しかし、失礼を承知で端的に言うなら彼はいじられキャラです。


 クラスの男子からはモリスケと呼ばれていますが、どうやら本人はそれを嫌がっているようで、名前を呼ばれるたびに苦笑いを浮かべています。


 口数も少なく、そういった意味では親近感が湧く方です。


 外身だけで人を判断するのはあまり良くないかもしれませんが、キャラクターとしては隆也くんとは対極にあるタイプで、隆也くんが明るいオレンジだとすると森須くんはネイビーのような少し暗めの青色でした。



 そんな彼に声をかけられたのはその日、部活を終えての帰り道。とあるマンションに併設された小さな公園を通りがかった時でした。


 バサバサと羽音を立てながら公園の中心に向かって吸い込まれるように集まり降り立つ鳩たち。


 そこに私服姿の森須くんがいました。


 ベンチに座ってパンくずを鳩にあげる彼の表情はとても穏やかで、無意識に足を止めて見入ってしまっていました。 


 すると、顔をあげた彼と目が合って。



「あっ! 向島さ――」



 驚いた森須くんが立ち上がると同時に鳩たちが一斉に飛び立ち、散り散りになって空へと消えていきました。


 空を仰ぎ、伸ばした手で舞い落ちる小さな羽を掴み物悲しそうに佇む彼を見ていると罪悪感に駆られて。



「ごめん……なさい」



 そう言って腰を折って頭を下げました。



「そんな……謝らなくっ……謝らなくてもいいよ」


 小さな声でしたが確かにそう聞こえた気がして、顔をあげると森須くんは顔を赤らめてそっぽを向いていました。


 ――もしかしたら森須くんも私と同じで異性と話すのに慣れていないのかも。


 そう思うと何となく他人では無いような気がして、ゆっくりと歩み寄って問いかけます。



「森須くんはこの辺りに住んでいるのですか?」



 何気ない質問。だけど、森須くんは目を見開くくらいに驚いて。それから横目でちらちら見ながら、


「あ……、う……うん。ここのマンションの5階の503号室……って、あ……」


 もともと横顔しか見えていなかったのに、上半身まで捻ってしまって。


 表情は見えなくても、彼の考えている事は何となくわかりました。

 真っ赤な耳に、やってしまったと言わんばかりに左手で顔を覆う仕草。


 “聞かれてないのに部屋番号まで……。僕は自意識過剰か……”


 違ってたら私の方が自意識過剰ですが、なぜだか確信がありました。



 だから私は敢えてそこには触れず、


「鳩が好きなのですか?」


「う……うん」


 気を取り直した様子で正面に向き直る森須くん。


「鳩以外にも猫とか犬とか……」


「私も好きです」


「……そう……なんだ」


「かわいいですよね」


「うん……だよね。……うん」

 

 話をふってみたものの、会話が続きません。


 ……どうしましょう。私の話をしていいものでしょうか。



 “早く独りにしてほしいのに……”



 彼はそう思っているかもしれません。


「ごめんなさい。やっぱりお邪魔でしたか?」



 何か言おうと口を動かそうとするも声に出せない森須くん。


 こんな事聞かれても困るだろうなと私は言ってから気がつきました。



「邪魔じゃない……ないです」


 気をつかってそう答えてくれた森須くん。

 私の話し方に合わせてくれているようで申し訳ない限りです。


 ……せめて私が会話を弾ませなければ。


「では、少し座ってお話してもいいですか?」


 森須くんは頷きました。




 小さな公園の小さなベンチ。

 

 そこで小さく囁かれるように交わされる言葉。



 お互いに途切れ途切れでぎこちないけれど、むしろそれが歩調が合っているような気がして話しやすいようにも思えました。


「私は小鳥さんのふわふわした感じが好きなんです。絵に描くときにとても楽しくて――」


 好きな動物の話から、いつの間にか絵の話に。

 だけど森須くんは嫌な顔一つせずに聞いてくれました。



「ごめんなさい。私の話ばかりしてしまって……」


「そんな事ないよ。僕もペットの話とかしちゃったし……」



 なんだか私と森須くんはとても似ているような気がします。

 言葉の出だしでどもったり、そのくせ自分の好きな事になると静かにヒートアップしたりして。


 なんだか嬉しくなって私がクスリと笑うと、森須くんもふっと微笑みました。



「僕……実はずっと春美さんと話してみたいと思ってたんだ」


「え?」


 ふと去年の夏、隆也くんに告白された時の事が頭を過りました。



「あ……いや……変な意味じゃなくて……その……去年の春ぐらいに……美術の授業で向島さんが小鳥の絵を描いてたのを見てさ、何となく話が合うんじゃないかなって思ってさ……」



 私はそれを聞いてほっとしました。

 と、同時に何ておこがましい事を想像したんだろうと恥ずかしくなりました。


 私はその気恥しさを隠すように、


「わ、私も同じです! 今日実際に森須くんと話してみて良いお友達になれそうだなって改めて思いました」


「友達……。向島さんは僕と友達になってくれるの?」


「もちろんです。あ……森須くんさえよければ……ですけど」


「そんなのいいに決まッ……てる……よ」


「ふふふ……では、今日からお友達ですね」



 私がスマホを取り出すと森須くんも慌ててスマホを取り出して連絡先を交換。


 それから立ち上がって、お別れの挨拶の前に改めて頭を下げます。



「今日は本当にごめんなさい。鳩さんを逃がしてしまって……」


「ああ、それなら心配しなくていいよ。ほら、こうすれば……」


 森須くんがパンくずを撒くとどこからともなく鳩たちがまた集まってきて、すっかり賑やかになりました。


「……ね?」


「……はい。ふふふ」


 私はついつい声に出して笑いました。

 なぜか森須くんもつられて一緒に。

 

 そうして和やかな感じでお別れを告げて解散。


 私は通学路を辿りながらふと思いました。


 ……森須くんは私と静かにおしゃべりするために鳩さんを呼び戻さずにいてくれたのでしょうか。


 もしそうだったら私と話したかったというのも気づかいでは無くて森須くんの本心。

 もしそうなら森須くんは本当に優しい人……いえ、そうでなくても彼はやっぱり優しい人です。

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