Cruel lies.
連絡先を交換したあと、隆也くんと別れた私は結局家に帰ることに決めました。
隆也くんとの秘密のお付き合い――
遠目から少し気になっていたけれど、それはきっと女子生徒なら誰もが淡く抱くような恋心とも言えないような。
まさか自分が付き合えるなんて思ってなくて。
思いもかけない出来事に私の胸は躍りだして、ただでさえ煌めいていた世界がさらに眩しく輝きだしました。
私にとって夏と言えばひまわりのイメージ。
青く澄み渡る空に太陽。
その日差しをいっぱいに浴びて揺らめく黄色、茶色、緑色。
だけど今頭に浮かぶのは桜色。
幼い時に焼き付いたあの満開の桜の光景。
照りつけるような陽射しなんか気にならなくて、甘い花の匂いさえ香ってきそうな帰り道を軽やかな足取りで辿りました。
そうして始まった夏休みはとても充実したものでした。
家にいるときは大好きな絵画に没頭し、時折携帯電話を鳴らす隆也くんからのお誘いメールに心弾ませたりして。
隆也くんは私の事を気にかけてくれて、デートに行く時も知り合いがいそうにない遠地を選んで、待ち合わせも現地集合。帰りも時間を少しずらす徹底ぶりで。
むしろ私の方がそこまでしなくてもいいのにと思う程でした。
そんな風にして夏休みはあっという間に終わってしまいました。
ちなみに夏の絵画コンクールの結果は佳作。
コンセプトが定まりきらなかったのが敗因だと反省しました。
そして幸せな日々は続き、さらに半年が過ぎて三年生に。
その間に私と隆也くんの距離は確実に縮まりました。
だけどキスなんてはしたないこと、とても出来なくて勇気を出して手をつなぐだけ。
私はそれで十分幸せで、彼もそうだと言いなって。
この幸せがいつまでも続いてほしいと毎日のように祈っていました。
だけど学生であれば避けて通れないのが卒業。
三年生になったばかりでも、みんなもう進みたい分野はある程度決まっていました。
特に私なんかは絵画しか取り柄がなくて、美術大学に進むことは初めからきまっていたようなものでした。
そんな中、隆也くんも成りたい職業を明確に決めていて。
それは医師の道。
ご両親が医者と言うわけでは無いけれど隆也くんの優秀な成績なら十分狙えると担任の先生も応援してくれているらしく、私も背中を押してあげたいと心の底から思っていました。
だけど同時に不安にも思っていたのです。
卒業した後も私と一緒に居てくれるのでしょうか……
医学部は勉強で忙しくてあまり会えなくなるのでは……
隆也くんと迎えた初めての桜の季節であると同時にそんな不吉な思いがくすぶり始めた時期でもありました。
そしてまた別の角度からも崩壊の足音が近づいていたのです。
4月末の昼休憩の時――
同じクラスのある女子生徒から突然呼び出されました。
「向島さん。あなたに聞きたいことがあるからついてきてくれるかしら」
と。
案内された部屋は手芸部の部長である彼女が管理を任されている部室。
広くはないけれど、可愛らしい手縫いのクマの人形や小物が整然と並んでいて、パステルカラーの毛糸球につながった作りかけの編み物に手作りの便せんがお出迎え。
本来ならガーリーな世界観にうっとりしたいところ。
ですが、穏やかでない事は彼女の
彼女の名前は
私より背が高くて、ダークグレーがかったセミロングの髪型は同級生ながらお姉さまと言った大人びた印象を受けます。
あまり話したことはありませんが、面倒見がよく後輩から慕われているイメージしかありません。
そんな彼女が眉間にしわを寄せて私にいったいどんな話があるというのでしょう。
張り詰めた空気に耐えかねて私の方から尋ねます。
「それで、お話と言うのは……」
「向島さんは今、お付き合いしてる方がいますか?」
「いいえ。いません」
私はほとんど反射的にそう答えました。
隆也くんも私と付き合っている事はずっと秘密にしてくれている。
だから、私も秘密にしておきたい。
彼氏の話題になったらとにかく否定する癖がついていました。
ただ、気になるのはどうして香本さんは私を呼び出してまでそんな事を聞いたのかということですが、その答えはすぐ彼女の口から現れました。
「わたし、見たの。夏休みに入る前、あなたと隆也くんが校舎裏で一緒にいるのを」
私は驚きました。
きっと表情に出るくらい。
だから、もうその事実は否定できません。
問題なのは香本さんがどの場面を見たかという事です。
もし、隆也くんに抱きしめられているところを見られていたらもう言い逃れのしようがありません。
しかし、逆に彼女がこうやって改まって聞いている、しかも半年以上も前の事を。となれば何となく気になっていたというくらいの認識である可能性が高そうです。
だから私は、
「確かに大杉くんと会いましたがそれがどうかされたのですか?」
と尋ね返しました。
「いえ、本当にちらと見かけただけなのですが、後になってその時の二人が気になってしまいまして。それかどうも自分の中でもやもやしてしまっていたので質問させてもらったのです。でもこれでようやくスッキリしました。尋問のような真似をしてしまってごめんなさい」
香本さんはいつもの穏やかな表情を取り戻して、気品たっぷりに会釈。
それに微笑み返していた私の胸はチクリと痛んでいました。
――香本さんはもしかしたら隆也くんの事が……。
確信はありません。
隆也くんと香本さんは学校でも親しげに話す姿を時々見かけます。
二人は小学校からの幼馴染らしく下の名前で呼び合うほど仲良しです。
だから、もしかしたら友達として気になっているだけなのかもしれないけれど、私が嘘をついた事にはかわりありません。
そう思うと気まずくなって、
「あの時は大杉くんと偶然会っただけで、それがきっかけで友達にはなりましたが、彼氏彼女という関係では……」
私はあろうことかさらに嘘を重ねてしまいました。
彼女を安心させるために――いえ、自分のためです。
何も無かったとは言えなくて。罪の意識をぼかすために。
「友達……。向島さんは隆也くんと本当に友達なのですか?」
「え?」
「クラスで向島さんと隆也くんが話しているのを見たことがありません。それどころかお互いに避けているような気もいたします」
「それは私がおしゃべりが苦手だから……」
「私が気になるのはどうして隆也くんの方から向島さんに話しかけないのかという事です。隆也くんは気さくで交友関係を大事にされる方。そんな彼が向島さんを避けているのはなぜなのでしょう?」
香本さんは本当に隆也くんの事をよく見ています。
だけどそれを認めるわけにはいきません。
「それは……香本さんの勘違い……ではないでしょうか。大杉くんは別に私の事を避けては――」
その時、香本さんの目の色が変わるのに気づいて思いがけず閉口してしまいました。
彼女の目はまるで、“私の方があなたの何倍も隆也くんの事を知っているのに”と言っているようで。
「そもそも何がきっかけで友達になったのですか?」
「それは……」
……まずいです。早く何か答えないと。
だけど接点なんてクラスメイトというだけで、そんな簡単に仲良くなれるようなきっかけがあるのなら、一年生の時の私に教えてあげたいくらいで……。
一旦
それでも落とした視線をゆっくりと戻すと香本さんが口を開きかけたのが見えて、
「これは聞かずにおこうと思っていたのですが、向島さんはあの時隆也くんに――
――告白してふられたのではないでしょうか?」
「え? ……私が大杉くんに……告白?」
「そう考えると全てに
確かに香本さんの言うとおり辻褄は合います。
あの日私が隆也くんに告白して、ふられて、優しい隆也くんが代わりに友達になろうと言って場を丸く収めた。だけどお互いに気まずくて話しかけられない。
香本さんはそう思っているのでしょう。
……いっそそういう事にしてしまった方がいいのでは?
勘違いですが、私の方が告白されたなんて話よりもよほど現実味がある話。
私が“はい”と言えばきっと彼女は信じるでしょう。
……だけど、本当にそれでいいのでしょうか。
もし彼女が隆也くんに好意を抱いているのなら、私は彼女にとんでもない嘘をついている事になります。この上さらに嘘をついたら……。
でも、今さら嘘だなんて言えない。
香本さんがどんな顔をするのか怖くて想像もできない。
だから卑怯で臆病は私は穏やかな表情を作って――。
しかし、肯定の言葉は喉に引っかかって止まりました。
部室のドアが突然大きな音を立てて開いたからです。
「隆也……くん?」
彼の名前を呼んだのは香本さん。
私も危うく“隆也くん”と呼びそうになりました。
彼はよく見ないとわからない程小さく肩で息をしていて、走ってきたのだと私は察しました。
そして彼は私の方をちらと見やった後に彼女に向って、
「探したよ、
「え?」
一瞬キョトンとしましたが、彼の意味深に細めた目線から意図を察した私は入れ替わりに部屋の外へ。
扉を閉めて、高鳴る胸を鎮めるように両手を添えます。
……隆也くんが助けてくれた。
私はそう確信しました。
きっと途中から私たちの話を聞いていて、私が追い詰められていると思って飛び出して来てくれたのでしょう。
昼休憩が終わった後、改めて香本さんに呼び出される事もなく部活動を終え帰宅。
隆也くんも部活を終えたのでしょう、自室でくつろいでいるとショートメールが届いて。
『連絡が遅くなってごめん。薫には春美さんとはただの友達だって伝えておいたから。時々メールでやり取りする事がある程度で学校で話すことはあまりないって言ったら納得してくれてたみたいだから安心して』
……よかった。
ひとまずこの問題はこれで解決しましたが、どうしても気になることがあります。
『香本さんは隆也くんの事が好きなのではないでしょうか?』
と打ち込んだまま送信できずゴミ箱へ。
隆也くんにこんな事を聞いて私はどうしようというのでしょう。
仮に香本さんが恋心を抱いていても私にはどうする事もできません。
いいえ、むしろ私なんかより香本さんの方が彼女としてふさわしいとさえ思ってしまうかもしれない。
……そうしたら私は隆也くんを諦められるでしょうか?
答えは決まっています。
香本さんに残酷な嘘をついた時点で決まっていたのです。
事実を知って彼女が絶望するくらいなら嘘をつき続けた方がいい。
彼女の思いが風化していつか消えていってしまうまで――
私はそう自分に言い聞かせました。
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