Secret relationship.
地元の中学を卒業し、高校生になった私は美術部に入り、さらに本格的な技法をたくさん学びました。
カマイユ、キアルスクーロ、インパスト、アラプリマにウェットインウェット……
それまで我流でやっていたものが人類の歴史の重みに裏打ちされた洗練されたものへと変わっていく。
毎日が新しい発見の連続でとても充実していました。
そして彼と出会ったのです――
彼の名前は
女子の間ではさわやかでカッコいいと評判の好青年。
私にとっての第一印象もそうです。
おまけに学業も上位5名以内には常に入っていましたし、部活動の空手でも輝かしい結果を残していました。
こんな素敵な人と付き合える人はきっとすごく幸せな人なんだろうな、と思っていました。
だから、夢にも思いませんでした。
まさか私が告白されるなんて。
あれは高校二年の夏。
夏休みに入る前の最期の登校日。
下校時間はいつもより早い14時過ぎ。
空にさんさんと輝く太陽の陽射しにグラウンドの地面はすっかり水気を失っていてアスファルトには陽炎が浮かぶ、そんな暑い昼下がり。
ひとけの無い裏門の校舎の陰でひんやりとしたコンクリートの壁に体をもたげ、時々吹き抜ける風に汗を撫でさせて物思い。
日陰をたどりながら家まで帰るか、部室に残って陽が傾くまで待とうか。
技法を学ぶための絵描きなら人前でもいいけれど、コンクールに出すような作品を描くときは一人の方が良いのです。
夏休み中に参加しようと思っていたある風景画のコンクール。
既に描きたいものは決まっていて、実は今すぐにでも描きたくてうずうずしていました。
でもまだ試したことのない技法にトライしてみるのも悪くないかなと。
そんなふうに悪戯に時間を潰していた時。
「向島さん?」
突然誰かが私の名前を呼びました。
振り返ると、学生鞄を肩に提げた彼が。
明るめの茶色に染めたショートヘア―。
前髪がさらりと額を滑り、きりりと整った眉がのぞく。
「大杉君……」
……何か気の利いた事でも言わないと。
彼を見てるとなぜだかわからないけれど、そんな風に思ってしまって気が焦ってしまいます。
だけどもともと口下手な私は何も話題をふれなくて。
ただ、黙りこんで視線を逸らしてしまった私に大杉君は優しく微笑んで言いました。
「隆也でいいよ。その代わり俺も向島さんの事下の名前で呼んでも良いかな?」
「う……うん。もちろん。え……と、私の下の名前は――」
「春美」
「え?」
「ごめん。気持ち悪かった……かな? 春美さんが友達と話してるのを時々聞いてたから……」
申し訳なさそうに苦々しく笑う彼の顔がとても儚げで、私は少しムキになってしまって、
「気持ち悪いなんて! そ、そんな事ないです! 私なんかの名前を知っててくれたのが嬉しくて……あっ」
自分は何て恥ずかしい事を言ってしまったのでしょう。
そして、思わず“あっ”と言ってしまったことも。
自意識過剰なやつだと思われたかもしれません。
取り返しがつかなくて俯いて、ただ熱くなる頬を恨むことしかできなくて。
「ふふっ。春美さんってやっぱり俺が思ってた通りの人で安心したよ」
「え?」
「春美さんってお淑やかで大人しそうだからきっと優しくて話しやすいんだろうなってずっと思ってたんだけど、男子と話したところあまり見たこと無かったから、もしかしたら声かけたら避けられちゃうかもって不安だったんだ。だけど、やっぱり勇気出して声かけてみてよかったよ。ふふっ、きっと他の男子が羨ましがるだろうなぁ」
「そ、そんな……私なんか……」
「春美さんって結構男子から人気あるんだよ? お姫様みたいで可愛いいって」
「わた……し、か……可愛くなんて……」
記憶をたどっても今までそんな事言ってくれたのはお母さんか亡くなった私のおばあちゃんくらい。
同世代の、それも異性の人から言われた事なんてなくて、どう反応したらいいのかわかりません。
「でもさ――」
大杉君はそう呟くとぐっと体を寄せてきて、
「――可愛いなんてもんじゃない。俺は春美さんの事を綺麗だと思う。こうやって近づいて見ると改めてそう思うよ」
混乱してオーバーヒート寸前の私の頭では大杉君が何を言ってるのか理解できません。
息がかかりそうなほどの距離に覗きこむ彼の顔があって、視線を逸らしたいのになぜか彼の瞳から目が離せなくて。
無意識に呼吸を止めてしまって、苦しくなった私の体がヒュッ、ヒュッっと短く浅く息をしてる。
……これってまるで――
――告白のシチュエーション。
これまで男性と付き合った事なんてない私。
映画やドラマでしか知らなかった世界に自分が突然放り込まれたような感覚に襲われ、
……ああ、私はなんて自意識過剰なのでしょう。
そんなはずないのに。
クラスで……いえ、学年で一番人気者の彼が私に興味があるはずないのに。
理性がそう警鐘を鳴らすのに、体は言う事を聞いてくれない。
ドクンドクンと心臓の鼓動が頭に響いてきて遂には何も考えられなくなってきて――
「春美さん……もしよかったら俺と付き合ってくれない……かな?」
幻聴かと思いました。
余りにのぼせ上がって私の頭がおかしくなってしまったのではと。
「こんな事、急に言われても困るよな……。俺も本当はもっとゆっくり仲良くなってお互いの事を知ってから言おうと思ってたんだ。だけど、誰かに取られてしまうんじゃないかって急に不安になって……。ごめん。春美さんの気持ちも考えずに……」
……やはりこれは幻覚なんかではありません。
まだ見た事のない悲しそうな彼の横顔。
そうさせてしまっているのは私が無言でいるせいです。
……だから、早く! 何か答えないと!
「私は……私は……」
「ごめん。今日の事は忘れ――」
……ダメ。
その刹那、私にはこれからの未来が見えました。
このまま彼にその言葉を言わせてしまったら、きっと気まずくなってしまう。
二度と彼と話す事なんてできない。
こんな私に告白してくれたのに。
きっと勇気を振り絞って。期待を込めて。
だから――
「私も好きです!」
私らしくなく大声でそう言い放っしまってから、慌てて周りをキョロキョロ。
……誰かに聞かれてたらどうしましょう。
なんて思っていたら、急にぎゅっと体が持ち上がりました。
「はうっ……」
私の口から自然と漏れ出た声が彼のうなじをなでます。
私は彼に抱きしめられていたのです。
彼の体温が、息遣いが、胸の音が直接私に伝わってきて、小さな悩み何てどうでもよくなってきて。
「……ありがとう。俺の事を受け入れてくれて」
「あの……ごめんなさい」
こんな時、どう答えたらいいのかわからなくてつい謝ってしまいました。
「え? 俺ってやっぱり振られた……のかな?」
「い、いいえ! そうじゃないんです! 私、これまで告白された事なくて、どうしたらいいのわからなくて。それに……」
「それに?」
「他の人からどう思われるのか不安で……」
――私なんかが大杉君の彼女なんて周りにしれたら……。
「春美さんがそう思うなら、付き合ってるのは二人だけの秘密にしようか? それに彼氏って言っても俺が色んな順序をすっ飛ばしていきなり告白しちゃった訳だから、春美さんのペースでゆっくり仲良くなっていければいいと思うし……」
「私も……そうしていただけると……」
……ああ、なんて優しい人なんでしょう。
私が不安に感じていることを察して気づかってくれる。
男の人とはあまり話したことが無かったので自信はありませんが、これはきっと大杉君だからそう思えるのかもしれません。
……この人と一緒にいれば私はきっと幸せでいられる。
「ただ一つ俺と約束してほしいんだ」
「約束?」
「ああ。俺以外の男を好きにならないって」
「そんなの当然です! 大杉君の告白を受けたのですから、そんなことするはずがありません!」
「ありがとう、春美さん。それと約束は一つだけって言っておいてこんな事言うのも……いや、これは約束じゃなくて俺のお願いというか……。俺の事、下の名前で呼んでくれると……その……」
なんて些細で可愛らしいお願いでしょう。
だけど、そんな簡単な事でさえ恥ずかしがりな私が邪魔をして。
「隆也……くん」
蚊の鳴くような。
霞みになって消えてしまうような。
喉を絞り上げたつもりでもそんな声しか出せなくて。
だけど、隆也くんはちゃんと聞いててくれていました。
言葉に出してくれなくてもわかるのです。
彼の口元が満足そうに笑っていたから――
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