Hello again, Dr. 2


 式波との夕食は俺がセッティングした。


 まあ、流れから言って俺が場を整えるのは当然と言えば当然なのだが。



 恐らく接待費は出ないだろうが、かと言ってリーズナブルな店に誘うのも彼女の社会的ステータスを考慮すると欠礼に値するかもしれないのでそこそこ良い値段のイタリアンを予約。


 取引相手でもあるのでガチガチにフォーマルな服装で。


 一応接待マニュアルに沿って、店先で両掌を前に組んでお出迎えの準備。

 まだ秋に入ったばかりだがそこそこ冷える。


 ……いったい何をやってんだ俺は。



 

 そして約束した時間通りに。

 すっかり夜の賑やかさに染まった街に彼女はタクシーで現れた。


 以外にも深緑を基調とした通勤OL風のファッションで俺が思っていたよりもラフな感じだった。


 しかし、身に着けているネックレスやイヤリングはいかにも高級そうで、この服もきっと高いんだろうなと邪推した。



「あら、店先で待っててくれるなんて意外に紳士じゃない?」


「ま……まあな」


 ……ただのマニュアル対応なんだが。


 好感度が上がるならあえて訂正する必要も無いかと思って、そのまま店の中へ案内する。



 バーテンに案内され席に着くと、真理はアンティーク調の店内を品定めするように見回した。


「へえ、なかなか趣味がいいわね」


「それはどうも」


 ……まあ、ミシュランに乗ってたやつを選んだだけなんだが。


「てっきりもう少しランクの低い店を選ぶかと思っていたけど……なるほど、条件は整っているわね」


「条件? なんの話だ?」


「ああ、そうそう。勉君に話したいことがあるのよ」


 ……何だ? 昔話でもするつもりか?


 式波は悪戯な笑みを浮かべ、





「私と結婚しない?」





 俺は顎をポリポリとかいて、



「……。……。……はあッ⁉」


 ……こいつは今なんて言った⁉



「まあ、驚くのも無理はないわよね。いきなり結婚なんて言われても。“はい、わかりました”なんて軽々しく言われても私も困るし」


 ……やっぱり結婚って言ったのか。


「すまん、話が見えないんだが。何かの言葉遊びか?」


「いいえ、ガチよ。あなたとは趣味も合いそうだし……」


「いやいやいや……いろいろツッコミどころはあるが、もし俺に彼女がいたらどうするつもりだったんだよ!」


「仮にいたとしてもいいじゃない。それに、あなたに彼女はいないわ」


「どうしてそう言い切れるんだ⁉」


「だってあなた私と同じ匂いがするもの」


「匂い?」


「今はとにかく仕事一筋で色恋沙汰なんて興味ない。まあ、勘だけど。その顔はどうやら図星の様ね」


 ……まあ、確かにそうだが。


「私はね、今やっと研修が終わって色んな事を自分の責任でやっていく事にやりがいを感じていて、毎日できる事が増えていくのが嬉しいの。だから、恋とか結婚とかどうでもいいの」


「なら、どうして……」


「周りからの圧力よ。あなたにも身に覚えがあるでしょう? 家族から、友人から、時には上司からハラスメント紛いに。私はもうそういうのいい加減に辟易しててね。そこに丁度あなたが現れたっていうわけ」


 指を立てて、“Do you understand?”みたいな感じで同意を求めてくるが、正直“あーわかる、わかる”なんて返せない。


「いや、まあわからなくは無いが誰でもいいのかよ」


「いいえ、私なりにちゃんと条件があってね――」


 すると一つずつ右手の指を立てながら、その条件とやらをあげていく。



「一つ。価値観がある程度近い」


「二つ。真面目で義理堅い」


「三つ。それなりの収入がある」



「細かく言うとまだいくつかあるけどとりあえずこの三つね。収入は本当はどうでもいいんだけど、ある程度は無いと周りに恰好がつかないから……ね」


「いや、“ね”って言われても……」



 そんな事をしている間に料理が運ばれて来て会話は中断。


 式波は早速前菜のスープを堪能している。


 

「なあ、やっぱり――」


 俺が話しかけると式波はスプーンを置いて、口を拭いて。


「ごめんなさい。わたし食事中はお喋りしたくないタイプなの。その話はまたゆっくり考えておいて」


「あ……ああ」


 ……なんか終始ペースを持っていかれてる気がする。まあ、すぐに答えを出すもんでもないからいいか。


 食事中は私語厳禁というルールは俺にとっても好都合だった。


 あんな提案をされた手前何を話していいのか分からない。


 うまそうにかつ上品に食べている式波を眺めているとなんか一人で悩んでいるのが馬鹿らしくなってきて、自分も料理をめいいっぱい堪能する事にした。


 


 そんな風にしてフルコースを召し上がって、デザートのババロア――その最後のひ一口を頬張り、口の中で溶けて消えていく余韻を愉しんでいると、



「中々の味だったわね」


 スパークリングワインをたしなみながら式波が話しかけてきた。


「ああ、確かに」


「それで答えは?」


「え? いや、ゆっくり考えてって……」


「だから時間はあったでしょう?」


 ……時間ってまさか、食事が終わるまでって事だったのか⁉


「それとも何も考えずにぼーっとしていただけなのかしら?」


「いや、そんな事は……」


 一応、考えたというか考えざるを得なかったが。

 ひとまず今の考えを伝えるしかないか。


「あのさ、やっぱりこういうのは軽はずみで決める事じゃないと――」


「軽はずみじゃないわ。今日、あなたの顔を見た時運命を感じたのよ。これだ!って」


 ……それなんか意味が違うような。


「しかしな、俺たちまだ付き合っているわけでもないし――」


「あら、私といちゃいちゃしたいの? まあ、私がその気になったらそうしてあげても良いけど?」


「いや、そうじゃなくてだな……ほら、結婚って一口に言ったって親類縁者への挨拶とか結婚式とか色々大変だぞ?」



「心配しないで。婚姻も書類にハンを押すだけで結婚式もハネムーンも不要よ。子供が欲しいなんて要求しないし、必要以上にあなたの私生活に干渉する事もない。時々、私の夫を演じてくれるだけでいいから。ね? ね?」



 ……ぐいぐい来るな。



 だが、確かに俺も家族や友人から“まだ結婚しないのか”、“いい人はみつかったかのか”って聞かれるたびに感じるあの煩わしさから解放されたい。でも――


「やっぱり結婚はダメだ」


「どうして?」


「やっぱり俺には結婚ってもっと重いものだと思う。だから――」


「なら、結婚だと思わなければいいんじゃないかしら?」


「は?」



「つまりこれは契約よ。周囲の目を眩ますための契約」


 ……そういう問題なのか?


「お互いにとって良い事ばかりじゃない? 周りからとやかく言われる事も無くなるし、戸籍上夫婦になれば税金とかも多少は得になるはずよ?」


「う、う~ん……」


「ねえ、お願いよ。勉君」



 まだ腑に落ちない所はある。

 だけど、式波は紛れもなく美人で、まだ結婚していないのが不思議なくらいでしかも女医。

 本来であれば引く手数多のはず。



 学生時代は欲しくても出来なかった彼女……というか嫁(正しくは妻)ができるチャンスがこれ見よがしに目の前にぶら下がっている。


 これを逃したらもう、俺は一生結婚できないのではないだろうか。


 そう思うと、言いようのない焦りが生まれてきて。



 つい、引き返せない言葉を放ってしまった。



「……わかった」


「ありがとう、勉君。それじゃ、契約内容を確認するわね。先に私が上げた条件に加えてさらに――」


「一、私の事は下の名前で呼ぶ。まあ、結婚してるなら当たり前ね」

「二、親族の集まりには最低限顔を出す。私の方から連絡するけど、きっと年に一・二回。本当に最低限でいいわ」

「三、お互いの私生活には必要以上に干渉しない。そして最後が最も重要――」


 


「――四、絶対に私を裏切らない」




「裏切るって具体的にどういうことだ?」


「他に女を作るという事よ。夫に不倫されたなんてネタにはなりたくないし、私のプライドが許さないわ。どう? 守れる?」


 この時俺は深く考えもしなかった。

 食欲が満たされていたからとか、性欲よりも仕事欲が勝っていたからとかそんなのは言い訳にもならない。


 俺は――





「……ああ、約束する」




 と答えてしまったのだ。

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