Public stance.




 “仕事をするために雑念を捨てる――というよりもむしろ雑念を紛らわすために仕事をしているような……”



 最近はそんな事ばかり考える。



 結局あれ以来一度も春美さんとチャットしていない。



 ――もしかしたら春美さんは……。



 ファシリなら知っているかもしれない。


 だけどそれを聞くのが怖くて最近はPCさえ閉じて春美さんのログインを知らせるポップアップ音だけを待っている。



 ……ああ、ダメだ。


 また集中できなくなっている。



 もう俺が広報部でいられる時間もごく僅か。いい加減な仕事をして終わらせたくはない。

 

 

 そう気合を入れなおして早々、



「おい、異動の結果が張り出されたらしいぞ」



 誰かが言ったその言葉で周りがざわついていたことに気がつく。


 ……ついに来た。



 暫定ざんてい結果と異なり、最終結果は掲示板により全社員に通達される。


 各部署の電子掲示板にでもあげればいいものを、内の会社では伝統的に初日だけ一階の講堂に張り出される。


 まるで高校入試のような余計な演出。


 当人は暫定結果通知で既に結果を知ったも同然なのだから、もっと厳かにやればいいのに。


 などとうそぶきながら、この晴れ舞台が本当は嬉しかったりする。



 講堂内は多少のざわつきはあるが当然嘆きの声は上がらない。


 ”ああ、やっぱりか“という落胆はあろうが、予想外の事は起こらないからだ。



 ……それでもまあ、一応確認するか。



 ステージの上にいくつか設置されたホワイトボードに各部署毎にA4の紙が貼りつけられている。


 開発部は分野が細分化されチーム毎に掲示されているため、開発部だけでホワイトボード一つを丸々埋め尽くしている。


 左上から順に目で追っていく。


 開発部での異動はめったに無いので、大抵の開発チームは『該当者なし』と記載されているだけ。


 だから俺の異動通知を見つけるのは至極簡単で――





 





 ……どういうこと……だ⁉




『 

           開発部

       コミュニケーションAI部門



      

 




           該当者なし

 

                   





                         』






 急激なめまいに襲われ、視界が揺れ、反射的に口を押えて目を閉じる。



 ……嘘だ。きっとこれは何かの間違いで――



 目を開けてもう一度確認するがそこには『該当者なし』の活字がただ無機質に横たわる。




「あの、顔色が悪いですが大丈夫ですか?」


 名前も知らない若い女子社員に気遣われ、



「あ……はい、大丈夫です。でもちょっとトイレに――」



 込み上げるような吐き気に襲われ、その場を逃げるようにお手洗いへ。



 奥の洋式トイレまで間に合わず、手前の洗面台で吐いた。


 運が良かったのは誰も利用者がいなかった事。

 水流センサーに手をかざして吐物を流す。



 少し落ち着いてからゆっくりと顔をあげる。



 ひどい顔をしていた――



 怒りも悲しみもない。


 渦巻くのは、なぜ、なぜ、なぜ、という当惑の感情。


 これまで見たどんな悪夢よりも酷くて、現実だと認識しきれない。



 ……そうだこれはきっと何かの間違いなんだ。



 おぼつかない足取りでトイレを出て、どこへと言うわけでもなく彷徨うように歩き続ける。




 ……どうしたら、この悪夢から覚める⁉




 その時、ある男性社員の声が耳に入った。



「お願いします、石破チーフ! この企画書に目を通していただければ必ず……」


 ……石破。そうだ、石破チーフに確認するんだ。



「ろくにアポも取らずにこんな事をするのは止めてくれないか? それにその企画書は電子メールで受け取り、既に目を通した。そして答えただろう――」


「石破チーフ!」


 俺は二人の間に割って入った。

 もう無我夢中で、他人の事情何て構っていられなかった。


「おお、君か。君もあの結果が気に入らないのかね?」


「暫定結果と違うのはどうしてですか⁉ 説明を……納得のいく説明を!」


「暫定結果はあくまで暫定結果だ……と言っても納得できないだろうね。いいだろう、説明してやろう。確かにあの時点で君の異動はほぼ確定していた。だが、見つかってしまったのだよ。さらにいい人材が」


「そんな……いったい誰が……」


「誰? まあ、君は面識は無いだろう。何せうちに内定が決まったばかりの新入社員だ。“この時期になって内定?”という顔をしているね。まあ多少のコネがあることは否定しないが、学歴的にも能力的にも君を凌駕している。これで納得してもらえないのであれば、私にはもう答えようがない」



 ……ああ……ああ……


 

 “俺よりいい人材がいた”



 本当にただそれだけ。



 同時期に入社した優が開発部で俺が広報部だったのと同じ理由。

 実にシンプルで、反論のしようもない事実。



 ――これは紛れもなく現実だ。



 そう認識したとたん、言いようのない虚無感に襲われて脱力し、その場から一歩も動けないどころか一言も発する事ができない。


 目の前が真っ暗で、方向感覚もなくなってくるような錯覚に陥る。



「では、私はこれにて失礼する」


 俺は石破チーフの言葉に反応する事ができなかった。


 ただ、もう一人直談判していた社員は諦めてない様子で。



「お願いします! あれから手直ししたんです! もう一度目を通していただければきっと――」


「君もしつこいね。それにちゃんと答えただろう。“前向きに検討する”と。君には確かな才能がある。今回は運が悪かっただけだ。君には期待している。だから、焦らず次のチャンスを待ちたまえ」


「はい! ありがとうございます! 頑張ります!」



 ……そうだ。今回はたまたま運が悪かっただけ。俺もまた来年挑戦すれば――



 その時周りにいた誰かのつぶやきを偶然拾ってしまった。



「でたよ、石破チーフの“前向きに検討する”。あれってつまり、“お断りだ”っていう意味なのに。あいつ、かわいそ」



 ――……



 面接の時の石破チーフのセリフがフラッシュバックのように蘇る。



 “……だが、それを差し引いて余りあるほどの熱意と発想力は実に素晴らしい。ぜひ前向きに検討させてもらおう……”



 ――そんな……だからあの時優は険しい顔を……⁉


 なら、俺の不採用はあの時既に決まって――いや、ならあの暫定通知は何だったんだ⁉



 俺は騙されていた⁉



 石破チーフに?


 いや、ひょっとしたら優さえも?




 ……そんなことありえない。でも、ならどうしてこんな事に。わからない、わからない、わからない、わからない、、、、、、



 何が真実で何が嘘なのか判別できなくて気が狂いそうになってくる。



 だが、防衛本能のようなものが自然と働いて俺の中の理性が小さく声をあげた。




 ……確かな事は何だ?




 確かな事。


 確かな事は――


 





 そうだ。






「俺は……春美さんに……」






 ――嘘をついてしまった。

 

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