Like I was.


 

 春美さんが俺に悩みを打ち明けてから一週間――まだ二月に入ったばかりの今日。異動の暫定結果の発表日が2月16日であることが発表された。



 それは偶然にも俺の誕生日と同じ日。



 その事自体に運命的なものを感じないでも無かったが、それよりも俺の関心は春美さんにあった。


 2月16日は春美さんにとっても大事な日。

 運命と呼ぶならむしろそっちだ。

 



 春美さんが俺に悩みを打ち明けてくれた翌日、春美さんは自分の思いを胸に指導者とまっすぐに向かい合ったそうだ。


 今さらの方向性の転換に向こうはかなり動揺し、生徒の反発に怒りも見せたらしいが、それでも春美さんは引かず、結果的に条件付きで許可してもらることになったという。



 その条件は――



 “春美さんの望むテーマで3週間以内に作成した作品で指導教官を納得させること”




 そしてこの三週間の期限にあたるのがちょうど2月16日なのだ。



 俺には感覚としてよくわからないが、立体構築絵画の作品制作時間は少なくとも一か月はかかるらしい。



 しがってこの3週間という期間は極めて短い。


 しかも春美さんの場合は通常の授業があり、三週間をまるまる制作に充てることは不可能。


 しかし、今大会出展用作品の製作時間を勘定するとこれが限界らしく許容する他なかったという。


 だから本来俺とチャットする時間さえ惜しいはずなのに、春美さんは毎日のように俺にチャット申請を送ってくれる。



 


「こんばんわ。勉さん」


「こんばんわ。春美さん」



 いつものように挨拶を交わしながら、俺は春美さんの表情をさりげなくチェックする。


 口元に穏やかな笑みを浮かべてはいるが、上瞼の端が少しだけ下がっていて疲労を隠しきれていない。



 春美さんの体調を第一に考えれば、俺とこうして話している時間を睡眠時間にでも当てた方がいいように思えるが、敢えてそれはしない。


 というのも昨日、春美さんの試練が終わるまではしばらくチャットを止めるように提案したところ、泣きそうな顔をされてしまったからだ。




 本当は、


 “無理してないですか?”


 と労いの言葉をかけてあげたい。



 だけど、きっと春美さんはそれを望んでいない。



 それは春美さんの目を見ればわかる。


 明らかに疲弊しきっているのに、瞳の輝きはこれまでにないほどに眩しく、まるで別人と見間違えるほどに生き生きとしている。



 ……驕りかもしれない。



 だけど俺には今の春美さんの気持ちがわかるような気がする。




 それはきっと――






「それで作品の進行は順調ですか?」


「はいっ!」


 はじけるような笑顔で答える春美さん。

 実は聞く前から順調であることは分かっていた。

 それでも、彼女の口から直接聞くと安心するのでついつい確認してしまう。



「まだまだやっと半分ですが、絶対に納得のいくものを完成させてみせます!」


 


 本来一か月以上かかる工程を二週間で納めるために春美さんがとった苦肉の策。

 それは作業工程の簡略化。



 大雑把に分けても10以上ある作業工程を半分に減らしたのだ。



 削ったのは主に下図と最終調整。本来であれば構図的、色彩的なバランスをとるために最も重要な二つの要素だ。


 二次元の絵画でも大変なことなのに、春美さんが挑んでいるのは三次元の絵画。


 骨組みの無い空間にイメージを直接投影し、しかも一つ一つのオブジェクトだけではなく全体の完成図や背景との微妙な色彩的な調和までをも、手直しが必要のないレベルで常に描き続けなければならないということだ。


 

「俺にもっと知識と芸術的センスがあったら協力できることもあると思うんですが、ただ応援することしか出来なくて……その……なんていうか――」


 “ごめん”って言ったら、きっと春美さんは申し訳なさそうにする。だから、

 

「――うん、それでもやっぱり頑張れって言う事しか俺にはできませんね」


 自虐的に俺がそう告げると春美さんは急に俯いて。



「……く……」



「く?」



「……く……ふふ、ふふふふふ」



「なんだ、やっぱり笑ってたんですね」



「ごめんなさい。だって勉さんが面白いから……ふふふ」



 春美さんの感情を読めるようになってきたとはいえ、正直笑いのツボはまだ良くわからない。

 

「えーと……ははは……参ったな……」


 照れ隠しに頭を掻きながら、心の中でガッツポーズを決める。



 ……よし! とりあえず今日の目標は達成だ。



 “一日一回は春美さんを笑わせる”

 


 それが最近の俺の密かな目標だ。



 俺に見せないようにしているだけで本当は今にも押しつぶされてしまいそうな重圧をその表情の下に隠していそうな気がしてならない。

 もし、それに気づかないふりをして以前のように接していたら、彼女がダメになってしまいそうな――


 そんな強迫観念にも似た思いを払拭するために俺が打ち立てた誓い。


 だが、狙って人を笑わせるのは本当に難しい。


 たいていの場合、俺が思ってもみない所で春美さんが勝手に笑ってくれてミッションが達成されてしまう。



 はっきり言ってただの自己満足なのはわかっている。


 しかし、俺が春美さんにしてやれることはあまりにも少ない。



 俺の気のせいでなければ春美さんの疲れは日に日に増していて、本当にあと一週間持つのか不安でしょうがない。




 だから、“無理はしないでほしい”と本当は言いたい。



 でも俺はいつも本音を涼しい顔の下に忍ばせる。


 なぜなら、








 ――心の火を消さないで。







 そう春美さんが言っているような気がするから。

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