I can't see anything but you. 2


「作品登録の締め切りが4月末までなのですが、方向性の違い……というのでしょうか、ちょっと揉めてまして」


「もめる……という事は作品作りは一人ではないという事ですか?」


「いえ、今大会はアーティストとして登録できるのは個人のみで作品を手掛けるのは私だけなのですが、顧問の先生が監修についてくれているのです。ただ、その先生は立体構築絵画は専門外でして……」


「確か、以前に独学で勉強していると言ってましたね」


「そうなんです。監修していただけるのはとても有難く、こんな事を言うのは失礼だとは思うのですが感性がどうも合わなくて……」


「なるほど、そうだったんですね。……ちなみにその方は女性ですか?」


「はい。その点では安心なのですが、とても厳しい方で私が描きたい物と先生が思う“私の良さが発揮される色彩”が違うみたいなのです」


 春美さんの思いつめていた様子から予想はしていたが、これはかなり専門的で難しい問題のようだ。

 芸術的センスゼロの俺に適切なアドバイスができるのか今さらながら不安に駆られる。


 でも、決してその不安は顔に出さないように続ける。



「色彩というと色合いということですよね? 春美さんはどんな色合いの作品――もといどんなテーマの作品を作りたいんですか?」


「テ、テーマ……ですか?」



 それまでの鬱々とした表情から急に頬を赤らめ始め目を泳がせる春美さん。



 ……何かまずい質問だったのか?



 などと訝しんでみたものの春美さんはすぐに平静を取り戻して、


「そう……ですね。テーマは……春です。なので色彩はピンクとか黄色とかスカイブルーとか明るい感じの色を使いたいのですが、先生はそれとは対照的で、そうですね……例えるなら真夜中の冬。黒とか群青色とか紫。補色として黄色を使ったりはしますが、全体的に寒色系で暗い感じなんです」


「暗い感じ……ですか」


 はっきり言って春美さんのイメージには全く合わない。

 そこまで真逆であれば、いっそのこと師事をやめてもらったらどうかと言いそうだが、一つだけ気になることがある。



「先ほど“春美さんの良さが発揮される色彩”と言っていましたが、つまりその先生は寒色系でこそ春美さんの能力が発揮されると言っているように思えるんですが、春美さんはその事についてどう思っていますか?」



「私は……」


 すぐに答えられず苦い表情を見せる春美さん。


 一言では言い表せない複雑な思いがあるのだろう。

 

「私は……私自身も先生が正しいのではないかと思っています。実際、先生が私に目をつけてくれるようになったのも、そういった寒色系の色彩を用いた作品でしたし、コンクールなどで高評価を頂いたのもそういった作品が多かったんです。でも……」



 それ以上は言わなくてもわかった。


 つまり他人に高評価を受ける作品と自分が本当に描きたいものが違う。


 だから、春美さんは苦しんでいるんだ。



 絵画の世界の厳しさは俺には分からない。

 しかし世界大会で入賞でもしようものなら間違いなく名前に博が付くはず。

 しかも日本における立体構築絵画の先駆者にもなれるであろう事を考慮すれば答えは自ずと決まる。


 俺は春美さんに成功してほしい。

 だから、ここは少しでも確率の高い方で勝負すべきだ。



「春美さん。俺は素人なので専門的なところは分かりません。だけど、たとえ色彩が違ってもそれは紛れもなく春美さんの作品で……あって――」


 言葉に詰まった。





 ――違う、そうじゃないだろ⁉



 春美さんだってそんな事は百も承知のはず。


 なぜ春美さんが俺に相談したのか。


 そしてなぜ、春美さんがこれまで俺を応援してくれたのか、なぜ春美さんと話していると頑張れたのか。

 


 

 ――その理由を考えれば答えは決まっているじゃないか!



「――でも、それでも俺は――」


 俺が言おうとしている事は低い確率にベットしろと言っているに等しい。

 無責任かもしれない。

 春美さんの夢を潰そうとしているだけなのかもしれない。


 だけど、これを否定するにはあまりにも春美さんと俺の現状が重なりすぎている。


 俺は自分の能力が発揮される場所が広報部だと上に判断されて、それを甘んじて受け入れてしまったために悶々とした日々を送っていた。


 春美さんもきっと俺と同じなんだ。


 だから、


「――俺は春美さんが描きたいもので勝負した方がいいと思います!」



 彼女の迷いさえも吹き飛ばしてしまえと、少しだけ大胆に勢いよく言い放った。



 すると俺がまっすぐに覗き込んでいた春美さんの瞳が震えだして



「私……いいんでしょうか……自分の思い通りにやっても……。わたし、勉さんにはあんなに強気で、無責任な事いっぱい言ったのに……、自分の事になると怖くて……どうしようもなくて……」


 

 彼女の瞼に雫が浮かんで頬を伝って、一つまた一つとこぼれ落ちていく。


 こんな時でさえも俺は思ってしまう。



 春美さんは綺麗だ――と。


 潤んだ瞳が七色に光って。


 赤みを帯びた小さな鼻も愛おしく思えてしまう。



 それに何より、彼女はそんな裸の表情を伏せる事もなく、俺の目をまっすぐに見つめてくれている。


 だから俺はそんな春美さんをどうしようもなく支えてあげたくて、大人ぶるのも忘れてしまって、



「いいに決まってるじゃないですか! 誰の許しとかそんなの必要ない! 春美さんが思うようにやればいい!」


「……勉さん……」


「だって、春美さん、俺に言ってくれたじゃないですか……苦しんでるのはまだ諦めてない証拠だって……。俺は春美さんがただ苦しんでいるところなんて見たくない! 内に秘めたその思いを自分に言い訳しながら萎ませて、嘘をついて、ただ生きていくだけの人生なんて……そんな人生は春美さんには似合わない!」



 まるで自分自身の胸に杭を打ち込んだように苦しくなって、号泣する春美さんを前に俺まで涙を堪えられなくなって。



 ……俺は本当に情けなくて、惨めで、どうしようもなく愚かな人間だ。


 だけど、春美さんのおかげで俺は少し変われた気がする。



 いつからなのかわからない。



 俺は春美さんの事が気になってしょうがない。

 彼女のためなら何だってできると言い切れる。


 夢中だった。



 だから気に留める事も無かった。




 画面の隅で俺に呼び掛けていた彼女の事を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る